三日目 非番(4)
「済まないが、少しだけ時間をくれ。――今日は非番だろう。勤勉だな」
ガストンが先に立って森の方に歩いて行くので、マリアラもついていった。特に内緒話をするつもりはないらしく、司令部の邪魔にならないところまで来ると足を止めた。振り返って、笑顔を見せる。
「先日は大変だったね。俺があまり【魔女ビル】付近に近づくと嫌がる人間も多いので、見舞いにも行けず失礼しました」
「え、いいえ……先日はありがとうございました。お陰様でリンを、助けることができました」
「いやいや、どういたしまして。と言っても当然のことをしただけだけどね。職務の一環だし」
そう言ってガストンははにかんだように笑った。マリアラもつられて笑顔になった。なるほど、ステラや他の保護局員たちに、ガストンが人気があるというのは納得できる。
ガストンは少し声を潜めた。
「その友人の、“リン”だが……リン=アリエノール、だったか。専攻会に入ったと聞いたんだが、保護局員を目指すのかな」
「あ、はい。そう言ってました。専攻会、もう入ったんですか?」
保護局員は一般学生にとって、一、二を争うほど人気のある進路だ。当然難関で、合格率はとても低い。何年も何年も受験を続けてようやく入局する学生も少なくない。筆記試験はもちろん難しいし、何より大変なのは研修の多さだ。たくさんの研修をこなし水準以上の得点を積み重ねなければ合格など夢のまた夢だ。
そのたくさんの研修や筆記を攻略するため、各学区に試験対策専攻会が存在している。リンから、保護局員を目指すつもりだという話は聞いていたけれど、まだ十六歳なのに専攻会に入るなんて。マリアラは内心、リンの行動力に舌を巻いた。
そして同時に、ガストンが既にその情報を掴んでいることにも驚いた。まだ受験を一度も受けていない一般学生の進路を、何故調べたりしたのだろう。
ガストンは頷いた。
「ああ、専攻必須単位を取得した次の日に申請を出したそうだ。――ちょっと聞きたいんだが、あの子とは、孵化前から知り合い、だったのか? あの日の研修で初めて会って仲良くなったのかな」
「え、いいえ」いったいこれは何の話だろう。マリアラは更に戸惑った。「……元々友達だったんです。孵化して、疎遠になっていましたけど……あの日偶然、再会して」
セイラとリンを、どうしても比べずにはいられない。孵化する前と後とで、リンはマリアラへの態度を変えなかった。マリアラが孵化してから手に入れた数々の特権を、リンが利用しようとしたそぶりなど一度もない。怪しげな団体との橋渡しなどされていないし、リンはそんなこと、考えてみもしないようだった。
「そうか。レイキアや外国で活動している特定非営利活動法人などからの連絡を、彼女がもたらしたことはないか」
「ありません。一度もないの。ダニエル……【親】から聞きましたけど、友達が孵化したという噂が広まると、その、そういう団体とか、インタビューを狙う雑誌社とかから、ひっきりなしに連絡が来るようになるとか……たぶんリンのところにも、行ってるんだろうと思います。でも、あの子はわたしにそんなこと匂わせもしないんです。うるさい思いをさせてるんだろうなあって、申し訳なくなるくらい……」
「わかったよ。どうもありがとう」
ガストンは微笑み、マリアラは思わず赤くなった。何を力説してるんだろう。
「時間を取らせて悪かった。――君も災難だったな、フェルディナント」
フェルドは少し離れたところにいた。深い焦げ茶色のマウンテンパーカーが、森の中に溶け込んで見える。ガストンの声に、話が終わったことを悟ったのか、足早にこちらにやって来る。
「何だかやっかまれてるみたいじゃないか。大変だなあ。まあしょうがない、こんなに長く“ゲーム”が続くのはあまり例がないからな。今週で終わりだったか。つつがなく相棒が決まるといいな」
ガストンの瞳が笑っている。マリアラは苦笑した。つつがなく決まるといい、という割に、面白がっているのは明白だ。
「俺の知り合いに、ラングーン=キースという雑誌記者がいるんだが……ラクエルの新しい左巻きにインタビューしたいと言ってるが、どうかな? 独占インタビュー、受けてみる気はないか。かなり腕のいい記者だから、とても面白い記事を書いてくれると思うが」
冗談じゃない。
「いいえ、結構です」
「まあそう言わず」
ガストンは笑って、一枚の名刺を指に挟んで閃かせた。
「俺の連絡先だ。気が変わったらいつでもかけておいで。雑誌記者に恩を売っておく機会を、そう無碍にするもんじゃない。もちろん、それ以外の用事でも構わないから」
固辞する前にマリアラの手のひらにそれを押しつけ、ガストンは、それじゃ、と言って歩いていった。マリアラは名刺を見た。素っ気ない名刺だ。“保護局指導官 ジルグ=ガストン”と、肩書きと名前だけが書かれている。
ひっくり返した。そこには手書きで、無線機の番号らしき数字の羅列が書いてあった。
「すっげ」とフェルドが言った。「ジルグ=ガストンの名刺だ……取っておきなよ」
「でも、インタビューなんて受ける気ないよ」
「あの人も別にインタビューなんて受けさせるつもりでそれ渡したんじゃないと思うよ。だってジルグ=ガストンだぜ。すっげ……」
意外に熱が入っている。マリアラはフェルドを見上げた。
「知ってるの? 前……仮魔女試験の前から?」
「そりゃ知ってるよ! ジルグ=ガストンだぜ! こないだ大騒ぎだったからそれどころじゃなかったけど」
フェルドの首元からぴょこりとフィが顔を出した。
『ラングーン=キースって、さっき名前が出た雑誌記者の人、雑誌だけじゃなくて色んなドキュメンタリーとかも書いてるんだけどさ、ガストンって人の本も何冊かあるんだ。フェルドそれ、全部読んでんだよ』
マリアラは目を見張った。
「そうなの? ファンってこと?」
「いや別に、ファンってほどじゃないけど」
『あの人さ、今までに色んな事件解決してて、エスメラルダの国難を何度も救ってるんだけど、上の人にその都度疎まれて今じゃ窓際勤務なんだ。でも人気あるからたまに特集記事とか組まれるよ。フェルド今までの分も全部スクラップしてんだぜ、それがファンじゃなくてなん――あー』
フェルドは小指大に縮んだフィを手のひらの中に握り込んでしまった。マリアラは笑いを噛み殺し、今もらったばかりの名刺を差し出した。
「これ、どうしよう。なくしそうだし……持っててくれない?」
フェルドの目が泳いだ。
「……マリアラがもらったんだろ。大事に持ってなよ」
「うん、あげるわけじゃないよ、ガストンさんにも失礼だし。でもわたしは雑誌のインタビューなんて受ける気ないし、連絡取る必要性もこれからなさそうだし。手帳に挟んだまま忘れてどこかにやったりしそう。本当に連絡取りたくなったときに焦ったら困るもの」
「ジルグ=ガストンだよ!?」
「ごめんね、今まで全然興味なくて」
「……」
「……」
「……しょうがないな、じゃあ、じゃあ、預かるだけでいいなら預かるけど」
「うん、ありがとう」
手渡すとフェルドはポケットから手帳を取り出し、大事そうに挟み込んだ。マリアラは顔がほころばないように何とか平静を保っていた。笑ったりしたらいけない、と自分を戒める。
可愛いと思ってしまったことを悟られたら、きっと怒らせてしまう。