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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
ラセミスタの留学
507/783

『俺ん家』

 グールドの期待に反して、寮はあまりきらびやかではなかった。


 ウィナロフの言ったとおり、どうやら無人のようだった。人込みから離れて裏口に回ったとたん、ラルフは暴れた。本気で暴れたのだが、相手がグールドではどうしようもなかった。ウィナロフもグールドも、決行前にはラルフを隔離するという点で合意していたらしくて、ウィナロフはグールドがラルフを拘束するのを手伝った。麻袋を用意しており、ウィナロフが広げたその口にグールドがラルフを投げ込んで、ロープでぐるぐるに縛ってしまった。頭だけ出た芋虫のような格好になり、こないだもこういう扱いを受けたと思うと目がくらむほどの怒りを感じた。わめこうとしたら寸前にきっぱりとした動きで、大きな蒸しパンを詰め込まれた。ラルフは目を白黒させた。吐き出すには大きく、飲み込むのも無理で、必死で口で押し潰して噛めるようにしようと努力するうちに寮に連れ込まれていた。一階、二階、と階段を上がる。蒸しパンを少し小さくして、吐き出したら無駄になると思うから必死で噛んで、飲み込んで、ようやくわめこうとしたら今度は肉の塊だった。人を馬鹿にしてんのか! と激怒しながらも、吐き出すことがどうしてもできないラルフだった。悔しいことに、すごく美味しいのだ。


「んがっ、ん、んー! んー!!」

「僕おまえって子どもが大好きだよ」


 グールドは楽しげに言った。


「わかるなあ。肉の塊なんて美味いもん食ったことめったにないんだよな。吐き出したらもったいないもんな。食いもの無駄にできないようにできてるんだよな。あーほんと可愛いなーお前ー。あと十年くらいしたら結婚しない? お前相手なら本気で夫婦ゲンカしても殺す心配無さそうだし」


 するかバカー! とわめきたかった。そして後ればせながらギョッとした。ばれていたのだろうか。

 グールドはラルフの表情から、言いたいことを読み取ったようだった。


「そりゃわかるって。南大島で初めて見た時から知ってた。見りゃわかるだろ」

「俺はこないだハイデンに聞くまで分からなかった」


 ウィナロフが言って、グールドは笑った。


「駄目ですねえ。あんたってほんと、そういうとこが抜けてんですよ。こいつ妙に可愛いし、そもそも骨格が違うでしょうが」

「いや骨格とか言われてもな……これくらい華奢な子どもくらいいくらでもいるだろ……」

「だから僕みたいなのにヴェルテスとか呼ばれちまうんですよ」


 四階についた。階段はまだ続いていたが、どうやら屋上へ出るものらしかったので、グールドとウィナロフは四階に潜むことに決めた。ウィナロフは食べ物と飲み物を持ち、グールドはラルフを抱えて、廊下を少し歩いて、談話室らしき広い部屋に来た。ソファがいくつか並べられていて、簡素だが居心地の良さそうな部屋だ。左の隅に見たことのない道具が置かれていたので、グールドは右の隅に向かった。窓から祭りの様子が良く見える。

 ソファの配置を変えて、グールドはその背もたれと壁の間にラルフをいれた。顔だけ出した状態だ。祭りの喧噪が騒がしく、そしてかなり下にあるので、ここでわめいても誰かが来てくれるということはなさそうだ。ラルフはじっとウィナロフを見た。ウィナロフは黙って床に食べ物を並べている。


「ねー、ウィン、ほんとにやんの」

「……そりゃやる気がなきゃこんなとこまで十日もかけてこないだろ」


 言いながらウィナロフは、ラルフの口にたれのついた肉をもうひとつ押し込んだ。今度は鳥肉らしかった。皮がぷりっとしていてめちゃくちゃ美味かった。


「……ほっはんほほーほははひひゃはふへ」

「飲み込んでから言えよ」

「……っ、んぐっ、あの、おっさんのほーの話ひゃっ!?」


 話してる間にまた鳥肉をほうり込まれて、どうしろってんだー! とわめきたくなる。グールドは双眼鏡を取り出した。窓枠にひじをついて、串に刺さった鳥肉とネギを食べながら、笑った。


「話したくないんだってさー。僕がいるから真相も言えないんじゃないのー」


 じゃあ席を外してくれないか、と思っていると、グールドはそれを見透かすように振り返って笑った。


「席を外してもいーけどさ、この人勘がにぶいんだぜ? それを自覚もしてる。僕が席外したふりしてこっそり盗み聞きしてたって気づかない恐れがあるんだから、安心して話せないだろ」

「もがー!」

「僕らがラセミスタを捕まえる前に、誰かが戻って来てお前を自由にしてくれるといーねえ」


 しばらく黙って食事をした。全部食べてしまえば話が自由にできるようになるはずだ。でも全部食べ終えたら、当然のようにグールドがやって来て猿轡をはめられてしまった。非常に悔しかった。


 

    *



 王立研究院の生け垣を抜けると、首都ファーレンが一望できた。ラセミスタは今日も、その堂々たる町並みに見とれた。


 広い。

 首都ファーレンだけで、おそらくエスメラルダの都市部と同じくらいの広さがある。


 そして、【壁】がどこにも見えない。エスメラルダの空島へ上る途中のトロッコから、ここと同じくらいの高さでエスメラルダの町並みを見まわしたことがあるが、視界の先にはいつも【壁】があった。向こう側との天候の違いで認識される【壁】が周囲にそびえ立っていない景色など、どれだけ見ても慣れる気がしない。


「広いんだねえ……」


 呟くとカルムは、そうか? と言った。そして、指さした。


「目の前に見えんのが王宮。うちはあの近く。歩いて十五分ってとこかな」

「十五分……遠いんだねえ……歩けるかな」

「……十五分って、遠いのか?」とグスタフが聞いた。「エスメラルダは狭いって聞いたことがあるけど、そんなに狭いのか」

「動く道があって、みんなそれに乗って移動するって、ほんとなのか?」


 カルムはそう訊ねながら躊躇いなく足を踏み出した。柔らかな草の生えた斜面をかかとで簡単に滑り降りる。ラセミスタは固唾を飲んだ。歩くより先に、ここを降りられそうな気がしない。


「おぶってやろうか」


 グスタフが訊ね、ラセミスタは首を振る。とんでもない。

 正門の方に回ることもできないし、ここを降りるしかないのだ。意を決して足を踏み出す。左足を横に出して踏ん張りながら、そろそろ、そろそろ、と降りて行く。スカートをはかなくて本当によかったと思う。


 あと少しというところでずるっと足が滑った。このままなすすべなく転げ落ちるかと思ったが、あとをついてきていたグスタフが、危ないところで右腕を捕まえてくれた。ようやく無事に下に降りると、カルムは、なぜか上げていた両手を下ろしながらうめいた。


「怖え……この程度の斜面すら降りられねえってどう……課題大丈夫なのか、ほんとに」

「グスタフ、どうもありがとう」固い地面を踏みしめて、ほっとする。「あのね、課題のこと。申しわけないんだけど、あたし、みんなみたいに外に課題やりに行くことにはならないみたい。インフラ整備のプラン、これから立てるんだけど、かなり工数かかりそうで。これが課題として認めてもらえるんなら、たぶん四年間ずっと、首都ファーレンにいることになると思うんだ。特別扱いされるみたいで、気が引けるんだけど」


「気にするな」とグスタフが言い、

「いやもうそっちの方が逆にありがたいわ」とカルムが言った。


「こんな奴ほうり出して野垂れ死にでもされたらすげー後味悪すぎる。ポルトも文句言わないと思うぜ」

「そうかな。スティシーさんは文句言いそう」

「文句あんならガルシア全土に通信網広げてみろって言えば黙ると思うけど」

「校長先生がお認めになるなら、他の人間が文句を言う筋合いはないはずだ」


 話しながら歩き出す。初めて歩く異国の町並みは珍しく、みんな祭りに行っているからか人通りも少なくて歩きやすかった。


 カルムの家にたどり着いたのは、それから三十分後だった。

 初めて来た珍しい異国の町並みに見取れていたせいだと、言い訳したいラセミスタだった。




 ようやくのことで呼吸を整え終えて、改めてその家を見上げたラセミスタは、これは家だろうか、と考えた。

 ――さっきカルムは、俺ん家に行くか、と言わなかっただろうか。


「俺ん家ってさ……こういう建物に対して使う表現じゃないよね……」


 隣に並んだグスタフも、無言でそのそびえ立つ絢爛な建物を見ていたが、うなずいた。


「家じゃないな、これは」

「御殿、だよね」

「そうだ、それだ」


 何しろ正面玄関にたどり着くまでに、かなりの段数の(それも傾斜がゆるやかな)階段があり、カルムがそこに足をかけて上り始めるや否や、かっちりした制服を着こなしたベルボーイがどこからともなくふたり現れて、カルムに深々と頭を下げたのだ。扉を開いてくれるつもりなのだろう。ラセミスタは言った。


「カルムー。裏口に回ってもいいですかー」

「いーけどまたしばらく歩くぜ」


 でしょうね、と思う。角を曲がる必要があるだろうに、その角までがかなり遠い。


「大丈夫、親父もおふくろもいないんだから、玄関から入っても誰も何も言わねえって。ほら来いよ。……上がれるか? 輿、頼んでやろうか」

「とんでもないです……」


 覚悟を決めて、階段を昇った。階段の両端には鉢植えが置かれて、美しい色彩といい匂いをふりまいていた。ひとつだけではない、一段ごとに置いてあるのだ。ベルボーイはまだ顔を上げない。たどり着くまで頭を下げているのだろうか。カルムが階段を上がりきり、ようやく顔を上げたボーイに言った。


「ただいま」

「お帰りなさいませ!」


 ふたりの声が唱和する。カルムが速度を変える必要がないタイミングで扉をさっと開いてくれる。通り過ぎざま、カルムは言った。


「友達連れてきた。よろしく」

「かしこまりました。――いらっしゃいませ」


 ひとりが答え、ふたりとも再び深々と頭を下げた。慌てて足を速めた。早く通り過ぎないといつまでも頭を下げていなければならないのだろう。グスタフも居心地が悪そうに身を縮めていた。そそくさと通り過ぎると、ため息が重なった。


「本当にお坊ちゃまだったんだね……」

「別世界だな……」


 玄関扉を抜けたそこは、天井の高いホールになっていた。

 ラセミスタはグスタフと一緒に、またしても絶句して立ち尽くすことになった。

 ホールは天井までぶち抜きになっていた。一応三階だてだが、一階分の高さがかなりあるので、天井までは遥かな距離があった。そして天井には、当然のごとく豪奢なシャンデリアだ。正面に視線を戻すと、階段が優美なカーブを描いて何本も走っていた。その下には紺のワンピースに白いひらひらエプロンをつけたメイドさんたちが勢揃いして、お帰りなさいませ、と声を揃えてお辞儀をした。カルムは相変わらず無造作に、すたすた歩いて行ったが、メイドさんのひとりに声をかけた。


「急で悪いけど、友達ふたり連れて来たんで、よろしく」

「かしこまりました」

「ドリーは?」

「すぐに参ります。お部屋へ?」

「いや、書庫」

「かしこまりました」

「ひとりがすげえ甘いものが好きなんだ」


 そう言い添えると、若いメイドさんはラセミスタを見て、初めて微笑んだ。


「あちらのお嬢様でございますね。かしこまりました。料理長に申し伝えます」

「お、……おかまいなく」


 これでいいのだろうか、間違っていないだろうか、こういう場合にはこの言葉で――と狼狽えながらおずおず言うと、メイドさんは笑って頭を下げた。


「ようこそおいでくださいました。ごゆっくりおくつろぎくださいませ」


 おくつろぎくださいませって言われたよ、とグスタフを見ると、グスタフはやはり目だけで言った。言葉まで別世界だ、と。

 カルムはもうさっさと階段のひとつをのぼりかけている。おいていかれたら大変だと、ふたりは足を速めた。



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