日記⑤
「えっと……流れ者のみんなを呼ぶのは当然だと思っていたが、エルヴェントラが、エスティエルティナ……の、披露宴、なのだから、代表、を、たくさん呼ぶべきだと言った……代表……? 都市の、代表、か。市長みたいなものかな? ええと、各都市の代表と流れ者が同席する……考えただけで胃が痛む。せ、し、り、あ、セシリアや、アイオリーナ、の、ような、人だけ、呼ぶように計る……つもり……。数日飛んで、披露宴を二回、やる、はめになりそうで、全部投げ出してしまいたい……エルヴェントラは、ガス、が、逃げる、する、ああ、逃げるかもしれないから、気をつけろと言った、が、ガスが逃げるなら、私も逃げるつもり……ガスは、エスティエルティナなんかと結婚するんじゃなかった、と、後悔しているだろう……離婚、される、かもしれない……数日飛んで、あ、オーレリアが出た。オーレリアが言うには、書けと言ったのは日記ではなく、ええと……? なんだこれ……」
また知らない単語が出てきた。
端末で打っても出てこなかった。ラセミスタは眉をひそめた。
「だ、る、る、す……ダルルスって、なにかなあ」
「巨人」
言ったのはグスタフだった。
「ダルで巨大、ルスは人だ。巨大な人、つまり巨人」
「へえ……? そうなんだ。巨人。ありがと」
良く知ってるなあ、と思う。うなずいて、先を読んだ。
「ええと、オーレリアが言うには、日記を書けと言ったんじゃなくて、巨人……に、聞いた話や、今までのことなどを、基本、に、私が何を考えたか、何を思いついたか、思考、の、断片、だけ、でも、書けと言った、つもりだった、とのこと……」
「巨人と話、したんだ……」
カルムが呟いた。
「すげーな。千年前って感じするなあ。やっと面白くなってきた。つまり、巨人と媛が話してて、それをオーレリアも知ってて、その時の会話とかで得られた着想をメモしとけって言ったのに、媛が勘違いして日記書いてたってことだろ。そりゃ、誰が日記書けっつったんだって怒るよなあ、オーレリア。何か書いてるからいろいろ思いついたんだなってわくわく読んでみたら手紙きたとか披露宴とか子供がどうとかってあるんだもんなあ、そりゃー怒るわ」
実感がこもっていた。すごいことが書いてあるはずだと、ラセミスタに翻訳まで頼んだのに、単なる日記を聞かされている自分と重ね合わせたらしかった。
「媛もぼやいてるよ。オーレリアは理不尽なことを言う……文章で書けるほど、しっかりした思考になっているなら、あ、す、……アスタ」ラセミスタは驚いた。「こんなところに書かないで、アスタの記録に書くのに、って。うわあ。アスタって……」
――〈アスタ〉の中にすべてが眠っている。
グレゴリーはそう言ったのだ。千年前に媛や他の人が書いた、『文章で書けるほどしっかりした思考』がすべて、〈アスタ〉の中に残っているはずだということなのだろうか……?
「おーい、止まるなー」
「あ、はい、はい。ええっと……び、あ、ん、か……ビアンカが遊びに来た……披露宴の話をしたら……放棄すればいいじゃないか、と言った。それはいい考えだ……放棄って何だ……? ええと、ビアンカは、レティア、を、溺愛している……こんなに、綺麗、頭のいい、赤ちゃん、は、他に知らないと言った……すごく嬉しいし安心する……ガスも私も、親ばか過ぎるのではないか、と、時折心配になる、から。数日飛んで、エルヴェントラ、が、真面目苦しい、違う、ええと、沈鬱、かな。沈鬱な言いかたで、放棄だけはやめてほしい、と、言った……披露宴が理由で、放棄するエスティエルティナは……エスメラルダの恥になる……言われてみればそのとおりだ、かな。ええと、そう主張する、なら、各都市の代表を呼ぶ、などという、きちんとしすぎたのは、やめるべきだ、と主張したが、それもだめだと言われた……どのように思い知らせるべきだろうか、かなあ? ええと、ついに飛んで、蹴る……? 飛んで蹴る? 飛んで、蹴る。……飛び蹴り! ああ! ついにエルヴェントラに飛び蹴りするかもしれないって! あはははは! 披露宴を巡って対立して、ついにエルヴェントラに飛び蹴り!」
ラセミスタは端末から目を離してカルムを見た。
「ねえこれ、本当に媛の日記? なんかイメージ違うんだけど」
「……俺に聞かないでくれ……んだよもう……歴史学者なら嬉しいだろうけどなあ……」
嵩があるから多く見えるだけ、とグスタフが言ったとおり、カルムが処理している黒焦げの爬虫類は、もう半分以下に減っていた。ぼやき、嘆きながらも、カルムの手つきにはよどみがない。
「……で……?」
疲れたようにカルムが言い、ラセミスタは先を続けた。
「ええと、バート、が、励ます……慰める……慰めてくれた、かな。飛んで蹴る、を、するなら、一緒にやってくれると言う……うわあ、かわいそうだなエルヴェントラ……えー、マーシャが、エルヴェントラ、は、嫌い、負ける……負けるのが嫌い、だから、カーディス、と、アイオリーナ、の、披露宴に、負けたくない……華やかさで負けたくないのだろうと言った……カーディスとアイオリーナも夫婦なんだね。で、あれに勝つほどの豪華な披露宴、を、やらなければならないなら、逃げようと思う、世界をひとめぐりするチャンス……世界一周? そういえばマリアラが、媛が世界一周したとか……それじゃあこの日記は、世界一周する前なのかな……ええっと……少し飛んで、近ごろのレティアは、凶悪、凶悪……? ああ、凶悪と言えるほどかわいい……親ばかだねえ……で、く、た、……デクター!」座り直した。「デクターだって。デクターが言う、ガス、の、子供、だったころに、良くにてるって……デクターってデクター=カーンなのかなやっぱ……ええと、髪、と、肌、色、だけ、私に似て残念だ……それだけで済んで良かったと思うべきだ……不思議、目が、ずっと藍色、なのが……泣いても、怒っても、灰色にならない……初めから、この色であるようだ、が、レティアと……目が合う、いつも、怒っているのかな、と思う。……どういう意味?」
「ガスという人はルクルスだったんだな。瞳の色が変わる」
グスタフが事もなげに言って、ラセミスタは驚いた。
「ルクルス……? こっちでもそう言うの」
「魔力の素養がない人間をそう呼ぶんだ」
「ルクルスって、どういう意味なの……? さっき、思ったんだ。ダルルスって、ちょっと似てる、よね」
「ルクは祝福。ルスが人だ。祝福を受けた者、という意味だ。媛が初めに使ったと習ったが、夫がルクルスだったなら――」
ラセミスタは立ち上がった。
「祝福を受けた者? 祝福、なの? 呪いじゃなくて」
「呪い?」グスタフは驚いたようだ。「呪いじゃない。反対だ。魔力の素養がない人間はそれだけで完成していると言われる。褒め言葉だ」
「完成している!? ええ、何それ……あの」
口に出すのは、かなり勇気が要った。
「ルクルスって……ガルシアではどういう位置付け? あのね、購買で思ったんだけど、ルクルスの人用の道具が結構あったんだ。というか、ルクルスが使うことを想定して、他の人にはいらない機能をちゃんと備えてるっていうか……こっちにはルクルスが、多いのかな」
カルムとグスタフは顔を見合わせた。
「特に多くはねえけど、でも、すげえ珍しいって程でもないぜ。そもそも初代国王ガルシアだってルクルスだったって話だしなあ。歴史上の偉人はたいていルクルスだってことにされてる。箔がつくんだろ」
「俺の友人にもふたりいる。瞳の色は変わらないが」
「え、ふたりも!? 友達に!?」
「そりゃ結構多いな。ミンスターには多いのかな」
「人数など考えたこともなかったが……ルクルスはすごいな。敵に回すのが一番怖い人間がふたりともルクルスだ」
グスタフの言い方は少し楽しそうで、その割に出てきた単語が不穏だった。
「敵に回す、って?」
「ミンスターには年に一度、祭りがあるんだ。早い話が運動会なんだが」
「運動会!」
「地区を上げてのお祭り騒ぎだ。住民をくじ引きでふたつに分けて競う……いろいろと」
「ふうん。運動会って、綱引きとかかけっことか?」
グスタフは少し考えた。
「……まあそうだ」
面倒な説明を避けたようだとラセミスタは思った。
「とにかくその運動会で、敵方にギルファスとアイミネアが回った年にはこてんぱんにやられた。次の年はやり返したが、あの時はアイナがこっち側だったしな」
「……楽しそうだねえ、それ。ふうん。ギルファスという人と、アイミネアという人が、ルクルスなの?」
「そう。まあ、ルクルスだから特別だとか、かなわないとか、思うのは嫌だし、思うべきではないんだが……ギルファスは闇夜に明かりをもたずに森の中に入っても迷わない。去年、狩りに行った人が森の中でケガをして、戻ってこられなくなった。日がくれてみんなが騒ぎだしたころ、ギルファスは、その人がどこに行くと言っていたかだけを聞いて、ロープを持って出かけて、三時間後にケガをしてた人をかついで戻ってきた」
「闇夜の森の中から? ……人間技じゃねえな」
「明かりは却って邪魔になると言ってた。森に愛されてるんだとか言った人がいたが、まさにそんな感じだ。アイミネアは身が軽い。体重を自在に減らせるんじゃないかと思うことがある。ルクルスにはたぶん特別な才能があるんだ。だから魔力の素養という、余計なものが入る余地がない。そんな気がする」
どういうことだ、と、ラセミスタは考えていた。
祝福と呪いでは、意味が全然違う。正反対だ。
それも、改竄した人が、意味をすり替えたと、言うことなのだろうか……?
この日記は、ますますモーガン先生に見せなければならないものだという気がする。エスメラルダの人間が必死で回収したというのも、モーガン先生がどうにかしてガルシアにたどり着いたからなのかもしれない。でも、モーガン先生の近況は、どうやったらわかるだろう。校長先生なら何か知っているだろうか。でも、聞いても大丈夫だろうか。下手なことをしては、とても危険だという気がする――
「――」
ルクルスという言葉を初めに使ったのは媛だった。モーガン先生もそう習ったとマリアラに言ったらしい。それは事実だったのだろう。ただ媛は、全然違う意味で使っていた。それを改竄した人がすり替えた、ということらしい。
「……ス、って」
いったいどうしてそんなこと――
「ラースー!」
「はい……あ? ああ、はい、はい」
「ルクルスがどうした? なんか気になってるのか」
「あーうん……まあちょっと……」
ラセミスタはぎゅっと眉をひそめた。
モーガン先生と接触したら、警戒されるに違いない。ラセミスタばかりでなく、モーガン先生も一層危険になるだろうし、カルムは日記を持っていたとワイズ氏は知っているのだから、本当は中身を読んだということがばれたらカルムにも危険が及びかねない。カルムはライティグに殺されかけた、それは殺されてもおかしくない立場だということなのだから、それをいいことにして――
「……お前さ」とカルムが言った。「つまりエスメラルダの中にある、なにかやばい秘密を覗いちまったから、ここに飛ばされたってわけか?」
「――」身震いをした。「……そうじゃない。そんなんじゃない」
「でも――」
「……そうじゃないんだ」言い張るしかなかった。「エスメラルダはガルシアとの親交を重視してる。だから派遣されたの。あたしはねえ、半年前、ほら校長の交替の時にね――ちょうどその時、ちょっとした、いやけっこうすごい事件が起こって、あたし、活躍したの。すごいでしょう。でねでね、その功績を認められて、ここに来ることを許されたの。栄転なんだよ、これは」
「栄転……?」
「お給料も上がったもん。ここで頑張っていろんな勉強して――あたし、夢があるんだ。魔法道具をね、ルクルスでも使えるようなもっともっと高度なものを開発したいの。だからガルシアに来たかったの。ここの道具はほんとにすごい。機能的で洗練されてるよ。何より芸術的。ここでの技術を学べば、エスメラルダの魔法道具はもっとよくなる、そう思ったんだ、だから」
ふたりは、いったいどう思ったのだろう。ついた嘘はもちろんばれているに違いない、けれど。
「……そっか」
カルムはそう言い、グスタフはうなずいた。ラセミスタはほっとした。
いつかは話せるようになるといい、と思う。でも今は無理だ。まだ。
「で――ごめんごめん、続きね。えーと。オーレリアへ……あなたの望むようなことは、アスタに記録するべきだから、このノートに書くのは、これからもいつまでもずっと日記、だから、読むのをやめるべき、だ……これ以上読んだら、警告、ひどい……ひどい目に遭わせますよ、と宣言してるみたいだね……屋根、の、裏に、隠していたのに、見つけるなんてやり過ぎだ、かな。屋根裏に隠したのまで見つけだして読んだんだ……オーレリアはよっぽど媛の着想が読みたかったんだね……ええと……ひと月近く飛んで、えー、披露宴がふたつとも終わった……人生最悪の思い出、と……人生最高の思い出、が、できた……つくづく思う、私、は、流れ者になるべきだった……最悪な方は忘れる、忘れよう、と思う。……いい思い出の方では、ぐ、る、じ、な……グルジナ、が、本気で一生懸命、褒めてくれた……お世辞、を、言わないって知っている、から、すごく嬉しかった……でも、兄、妹、一緒、に、ふりふり……ふりふり……? ふりふり……? あーなんかわかんないけど、ふりふりが足りない、って残念がられたんだって。なんだそりゃ……。ええと、草原の、人、は、披露宴をやる習慣がないと聞いた、とてもうらやましかった、代わりに仲のいい人だけで、宴会をする、ますますうらやましい……グルジナの二人目の子供、は、五カ月……今度は女の子……ふぇ、り、す、た、……フェリスタに良く似ている……グルジナも、子供だったころ、ぐ、り、す、た……グリスタによく似ていた、だから、あまり気にしていないと言った……フェリスタは、思いどおり、ええと……子……子……? ああ、子煩悩、だって。そっか、思ったとおり子煩悩だった、か。フェリスタの吊り上がっている目尻がすごく下がっていた……遅くなったが、近いうちに、宴会、を、するので、おいで、と言われて、当然、行く、呼んでもらえなかったら、不義理をなじる、ところだった、かな。そんな感じ。それから、アイオリーナと、カーディスは、当たり前に、両方出てくれた、本当にいい人たち、だ……セシリア、たちも、両方出てくれた……流れ者に会いたかったと彼女は言った……そしてセシリアは……相変わらずセシリア……だった……? なんだそれ……セシリアがセシリアなのは当たり前じゃないのかな……いつまであれをやるのだろうか、みんなが彼女にだまされている……笑いたくなって困る……それから、丸め焼きが、信じられないほど美味しかった、花嫁が、食べてばかりでいいのか、だめじゃないか、と、オーレリアが言った、気にしないで食べた……ま……ま……まだらの牛、うーん……お店の名前かな……? 『まだら牛』を閉めることにして、ば、あ、さ……バーサと……に、こ、る……ニコルと……お父さん……? お父さんが……近いうちに……エスメラルダに、住み替え……あ、引っ越し……引っ越しすると聞いた、アスタの手伝いをしてくれる……喜ぶべき……喜ばしい……あーもう、すごく嬉しいってことだよね。ええとそれから……披露宴、に、忙しい間、に、レティアが、ものにつかまって、立つことができる……立つことができるようになっていた……初めを見逃すなんて、信じられない……レティア、が……机の上に、乗っていた、墨、の、壷、を、落として、墨を浴びた……部屋中が大変なことに……大笑いした。……大笑いした? 部屋中が墨だらけになって大笑いって、大らかな人だねえ……ええと……すべてのものを、レティアの、届かないところに移した……ふう……」
ラセミスタはいつしか曲がっていた背筋を伸ばした。
ざるの上の薬草はもうほとんど無く、あとひと瓶かふた瓶で終わるだろう。カルムが処理した黒焦げの爬虫類も、すべて黒い粉末になって、別の瓶に詰められていた。
「まだ読もうか」
「……今日はいいや、もう」
拗ねたような口調で言われて、ほっとした。あまり読み慣れない文章を、意味をつかみながら通じるように読み上げるというのはなかなか疲れる。意味が合っているかどうか心もとないということが一番疲れる。実際のところ、ちゃんと読めているのかどうか自信はなかった。文章全体が暗号になっていて、当たり障りのない表現の中に重要な鍵が隠されている、などということになったら、ラセミスタが読み上げる以外の方法を採らない限り、真相は永遠に闇の中ということになるだろう。




