対魔物用道具お披露目1/2
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その懸念は当たった。午後の講演も終わり、学校に帰ってきても、ラセミスタの周りには人だかりが絶えなかった。
校長先生は本当に行き届いた人だった。思えば初めから、帰宅時にラセミスタの周りに聴衆が詰めかけると予測していたのだろう。それを見越して、なるべく大勢の高等学校生に聴講させたに違いない。帰り、カルムたちは当然、ラセミスタのガード役に駆り出された。高等学校生という身分はここ首都ファーレンでは絶大な影響力を発揮するが、多くの善良な一般市民に対してもそうだった。ラセミスタの周りにいるのが高等学校生だとわかるだけで、熱狂から“我に返らせる”効果があった。王立研究院の研究員たちもあの手この手でラセミスタを引き止めようとしたが、校長先生の一睨みで引き下がった。
おかげで夕方のかなり早い時間に帰寮することができたが、その後が問題だった。ガード役を務めた高等学校生たちが、そのままラセミスタの周りから離れようとしないのだ。カルムはヤキモキしていた。なかなか話を切り出す機会がない。
今、彼女は寮の四階の談話室で、居室から持ってきた【毒の世界】で使うというさまざまな道具を披露しているところだ。こんなに大勢の前で、あの訳ありそうな日記の話を持ち出すわけにはいかない。エスメラルダの外交官が早朝に取りにきたという話も伝えられていないし、ラセミスタに頼らず自分で解読を始めたくとも、今あの日記を持っているのは彼女だけなのだ。ソワソワしながらも平静を装って、ラセミスタの体が空くのを今か今かと待つしかない。
談話室のソファとテーブルを全て片付けると、かなり広々とした空間が確保できた。ラセミスタはそこにシートを広げ、魔法道具の数々を並べた。興味津々で覗き込んでいる学生たちは地区出身の学生たちで、先輩たちも大勢いた。
講演の時からずっと、彼女の頬は上気していて、本当に魔法道具が好きなのだ――好きで好きで大好きでたまらないのだ、というのがよくわかる。道具を扱う手つきは本当に丁寧で、愛おしむような動きだった。道具は驚くほどたくさんあった。網のようなものは広げるとかなり大きかった。操獣法で見たあのはうすとかいう建物の周りに敷くものなのだそうだ。「壁に組み込めばいいんだけどねえ」広げたいと主張した学生たちがもう一度せっせと畳むのを見ながらラセミスタは言った。「でもハウスは【毒の世界】だけで使うものじゃないから。雪山とか他国に飛ばされる人のほうがはるかに多いから、全部に組み込んじゃうと安全面が心配なんだよね、誰でも起動できちゃうと、誤って触れちゃう人が絶対に出るもの。魔女にそんな安全管理まで背負わせるわけにはいかないから」
「【毒の世界】ってそんなに魔物がいるの?」
ラセミスタの左側というベストポジションにいるミンツがそう訊ね、ラセミスタは頷いた。
「そうなの、うようよいる。あたしは映像でしか見たことないけど……昼間は何にもない、だーれもいない、広々とした野っ原でしかないんだけど。夜になると急に真っ暗になって、そして、魔物の群れがくるの」
そう言ってラセミスタは身震いをした。よほどに恐ろしい映像らしい。
「映像を見たことあるって言った? どんな映像なの」
「うう……」ラセミスタはもう一度身震いをした。「エスメラルダの子供はね……幼年組の時に、カリキュラムの一環で、【毒の世界】の夜の映像を見せられるんだよ……」
「見なきゃいけないの?」
「うん、だって、エスメラルダでは【毒の世界】に落ちることは、誰にでも起こりうるから。万一【穴】に落ちたらどうすればいいか、習っておかないといけないでしょう? そのうちの一つにその映像があるんだよ。本当に怖い。トラウマになる。あたしは三日くらい、怖くて一人で眠れなかった。魔物の大群が嵐みたいに襲ってくるのが、【毒の世界】の夜なんだよ。一度夜が来ると、通り過ぎるまで、最短記録でも5時間。最長の記録で、92時間もの間、魔女はお客さんを守って、ハウスにこもって、夜をやり過ごさないといけないんだ」
「92時間!?」
「その間、外に出られないの? 一歩も?」
「出られないし、出たくもないと思うよ……魔物は言葉を話したりするから、美味そうだ美味そうだ食うぞ食うぞって囁き蠢く魔物がハウスにのしかかっている状態なんだもの、だから、魔女の持ってる荷物の中には、精神安定を保つためのグッズもいっぱい入ってるんだよ」
「ひええええ」
「だから」と言ってラセミスタは微笑んだ。「まだ地図とかも作れる段階になってないんだ。元老院でも地図を作るべきだ派とそんなことやってる場合か派でせめぎ合ってて」
「なるほど」
と言ったのはグスタフだ。そういえば前に“地図とかあるのか”と聞いていたような。
「ここでは【毒の世界】に落ちてしまうことはないんだよね。普通の【穴】に落ちてしまうこともないの?」
「滅多にないよな……一度も聞いたことねえもん」
「なのにどうしてこんなに持ってきたんだ?」
と訊ねたのは上級生だ。ずんぐりとした体躯が何かどんぐりを思わせる。
ラセミスタは首を傾げた。
「校長先生が、魔物に対抗する道具をなるべくたくさん見せて欲しいっておっしゃったので、ありったけ持ってきたんです。お祭りが終わったら、有識者との会合が予定されているから、その時にサンプルとして出したいそうです」
「お前ら、壊すなよ……?」
上級生はそう言って、魔法道具をいじり倒している学生たちの方を見やった。
先ほどまではシートの上に二十近くもの魔法道具がおかれていたのに、そこにはもはやひとつもなかった。すべて、学生たちが楽しげにいじり回していた。しかしそのうちウェルチが不満げな声をあげた。
「なーラス、これ、起動しねえんだけど!」
「そりゃそうだよ、それ、ほとんど全部魔物を攻撃するための道具なんだよ? 面白半分で使っていいものじゃないの。安全装置つけてるに決まってるでしょう」
ええ〜!! と不満げな声が上がる。
「んだよつまんねーな、解除してくれよ。んなもんわざわざつけるなんて、俺らを信じてないってことか?」
「そういうことじゃなくて、それ、デフォルトの状態で安全装置がかけられてるものなの。お客さんが勝手に使ったりしたら危ないし、万一暴発したりしたら危なくてしょうがないでしょう」
「ええ〜!!」
「それにそれ全部、魔女用の道具だからね。普通の人だと起動させるだけでかなり疲れちゃうよ」
「解除の仕方教えて?」
チャスクがにっこり笑い、ラセミスタもにっこり笑った。「ダメ、危ないから」
ウェルチは何も言わなかった。しかし、諦めていないことはその表情から明らかだった。ややしてウェルチは口を開いた。彼が持っているのは、つるんとぴかぴかした筒だ。
「……思うんだが、今までの話を総合すると」ウェルチは名探偵のように不敵に微笑んだ。「92時間もの長い間を想定して」
「あ、それは最長記録の時間であって、設計時の想定は200時間だけどね」
「……200時間もの長時間、はうすの中に籠ることを想定して、いろんな準備を整えてるわけだよな。魔女は二人で一組って聞いたことあるけど、人間、なんだよな? つーことは、寝る必要だってあるわけだろ? いくら魔女っつったって、魔力だって無制限に使えるわけじゃない。だろ?」
「うん? うん、まあ、そうだけど?」
「200時間も閉じ込められてたら疲れるしイライラするし疲労もたまるし、いくら魔女っつったって二人しかいない。一人は治療者だって聞いたことある。つーことは、魔物を攻撃できるのは一人だけ。……そいつが倒れたらどうすんの? 万一ハウスを破って魔物が襲ってきたら? そういう事態のことは、想定してない?」
「そうなったらシェルターに籠るしかないけど」
「でもそのしぇるたーに逃げ込むまでの時間くらいは稼ぐ必要があるだろ!」
「ふふ、そうだね。想定してある」
「だろうよ! つーことはだ、いざとなったら人間だって使えるように……いやまあ魔女みたいに使うのは無理でも、緊急時には魔女の助言なしでも使えるようにしてあるはず、その安全装置の解除は普通の人間だってできるようにしてあるはずだろ!」
おおー! 魔法道具を手にした学生たちが嬉しそうに色めきたち、
「壊すなよ、頼むから」
先ほどのどんぐりじみた学生が言い、
「わかったわかった、解除の方法を教えるから」
とラセミスタが笑った。壊されるよりはマシだと思ったのだろう。
「ウェルチ、それちょっと貸して。これはね、閃光砲って言って」
ウェルチから受け取ったその筒を、ラセミスタは自分の左手にはめた。
「名前が派手でしょ。これはね、すっごく便利なんだよ。さっきウェルチが言ったけど、シェルターに籠らないといけなくなった時、近寄ってきた魔物を攻撃するためのものなんだ。専用の弾をここに詰めて、対象を狙って、どん! と撃つ」
「弾は? 弾は?」
試し撃ちしたい、とウェルチが考えているのが手に取るようにわかる。ラセミスタは笑った。
「弾はさすがに持ってきてないよ」
「ええー!!! 有識者の方々も試してみたいんじゃね!?」
「そうかなあ……? まあもし試したいって言われたら、魔力の結晶詰めればいいことだし」
「魔力の結晶でもいけんの?」
「うん、威力はちょっと落ちるけどね」
ウェルチはちょっと考えた。筒の口径をまじまじと見て、
「サイズはやっぱ、この大きさがいるわけだろ?」
「うん」
「打った結晶は、再利用できたり?」
「ううん、閃光と共にはじけて消える」
「だよなあ……」
諦めたらしかった。試し撃ちのために握り拳大の魔力の結晶を浪費する気にはなれなかったのだろう。エスメラルダでは二束三文で買えるのかもしれないが、ガルシアでは魔力の結晶はなかなかの高級品だ。
「……っし、きた!!」
チャスクが声をあげた。チャスクは先ほどの巨大な網をひっくり返して覗き込んでいた。網の一部にパネルのようなものが埋め込まれていた。ぶううん……網がかすかな音を立てて振動しているのが見える。周囲にいた学生たちがざっと離れた。
「起動、できたんじゃね!? これ」
「わ、チャスクすごい!」
「あぶねーなこれ触ったら電流走るって言わなかった!?」
誰かが悲鳴じみた声をあげた。が、網は数秒光った後、しゅうん……というような音を立てて沈黙した。「あれえ!?」チャスクが叫ぶ。
「うまくいったと思ったのに!!」
「ふふふ」
ラセミスタは楽しそうに笑っている。ウェルチがチャスクの手からパネル部分を奪い、どんぐりじみた先輩がさらにウェルチから奪った。「んにすんだよちょっと」「うるせえ貸してみろ」小競り合いが起こり、ミンツが声をあげる。
「チャスクそれ、動力がいるんじゃない?」
「あー! それだ!」
「すごいミンツ、大正解。はいはい、一度返して。みんなちょっと退いて」
ラセミスタが立ち上がり、どんぐりじみた先輩とウェルチが睨み合うところに手を出した。ウェルチが不満そうにパネル部分をラセミスタの手に乗せる。
「ありがと。ええとね、これは本当に、本当に、ほんっとうに危ない魔法道具なので、二段階で起動するようになってるの。チャスクが見事安全装置を突破したけど、それだけじゃダメなの。使うときは、ここのパネルに手のひらを当てて、動力を提供しないと動かないの。それで、警告しておくけど、魔女じゃない普通の人が使おうとすると、まず最大出力は出せないよ。出したら五秒くらいで気絶するからね。中段階の威力なら三十分くらいはいけるのかな。でもそれでも結構疲れるし、当て続けないとすぐに切れるから、一度起動させた後は魔力の結晶で補うことを想定して設計してあるんだ」
「ちょっと待って、でもこの大きさででしょ……普通の人間で30分保つって、かなりすごいと思うんだけど……」
ミンツがそういい、ラセミスタは嬉しげに振り返った。
「そうなの! それがね、最近確立された省力化の技術のおかげで。あたしの兄弟子が実用化まで漕ぎ着けた省力化のっ」
言いかけて一瞬彼女は口籠った。何か苦いものでも噛んだかのような表情が一瞬よぎった。
「……いやその、省力化の技術のおかげでね、時間を30分まで延ばすことができるようになったんだよ。他のも全部そう、もともと魔女が使うために設計されているけど、普通の人でも緊急的に使うくらいはできるようになってるの。チャスク、これ試してみるのはあたしは構わないけど、結構痛いし痺れるし疲れるから。試すのは自己責任でお願いします」
さんざん脅されたからか、チャスクはちょっと熱が冷めたようだった。
「うーん、試すなら、もうちょっとコンパクトなものの方がいいなあ。ないの、そういうの」




