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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
ラセミスタの留学
499/780

王立研究院



   *



 王立研究院は初代国王ガルシアが足繁く通った頃の面影を色濃く残す、壮麗な建物である。

 王宮よりも繊細で、とても美しいつくりだ。特に荘厳かつ壮大な大講堂では、毎月、国内の研究者が招待されて講義を行うイベントが開催される。ラセミスタが講義をするのはこのイベントの一環だ。放浪に出る前、家にいづらい時にはよく遊びに来ていたから、このイベントにも何度ももぐりこんだことがある。毎月通う人間もいたが、閑古鳥が鳴いているのが普通だった。


 しかし今日は、いつもの定例イベントの日とは全く違う様相を呈していた。

 数々の、色とりどりの屋台が立ち並び、講堂へ続く広々とした通りはぎっしりと人で埋め尽くされていた。どこからか駆り出された警備員たちがロープを張り、人一人がやっと通れる隙間を確保している。一般の方は講堂の中へは入れません――警備員の誰かが喉を枯らして叫んでいる。――押さないでください――芝生広場に立ち見の観覧席を準備しておりますのでそちらへ移動してください――。しかし詰め掛けた人々は意味が解っていない。それはそうだろう。カルムとて、エスメラルダの技術を目の当たりにするまでは意味がわからなかったはずだ。芝生広場は大講堂から数十メートルは離れた場所にある。そんな場所でどうやって観覧しろというのだ、というのが、ここから動こうとしない人々の本音だろう。ここにいれば、少なくとも、エスメラルダの留学生が講演を終えて出てきたときにはその姿を垣間見るチャンスがなくはない。


「……すごいな」


 グスタフがそう言った。見ているのは、一度もみくちゃにされたらしき立て看板に貼られた、ポスターだ。

 【エスメラルダ最先端の技術――留学生来る】と書かれたそのポスターにはラセミスタの似顔が描かれている。誰が描いたのか、芸術的なタッチで美少女が微笑んでいる構図だ。ラセミスタを知らなかったら誇大広告だと思うところだが、実際にはまだ控えめな表現である。

 カルムは、ラセミスタの魔法道具制作試験を見学した時のことを思い出した。

 魔法道具の天才に、何もこれほどの美貌まで授けることはないだろう、と思った時のことを。


「……ラス、帰り危ないんじゃないか、これ」


 同じことを考えていたのだろう、グスタフが呟き、カルムもそう思った。エスメラルダの留学生というだけで物見高い人々がこれほど集まる事態だ。あの美貌と、熱心でひたむきな姿勢とで、夢のような魔法道具の数々を紹介するというイベントを経たら、熱狂的になってしまう人間が出てもちっともおかしくない。


「あのマティスを呼べば? あれの上に乗れば手出しできねえだろうし」


 そういうとグスタフは少し考えた。


「けが人が出そうだな」


 現実問題、この人ごみではマティスを近寄らせるのも難しそうだ。実際にできるのは、裏口に馬車を呼んでこっそり帰らせるくらいだろう。

 時間ギリギリに入ろうと思っていたが、そんな調整ができるような事態ではない。入り口にたどり着いて学生証を見せれば中へ入れてもらえるかもしれないが(何しろ高等学校生である)、入り口に辿り着ける気もしない。

 どうしたものかと考えていると、すっかり聴き慣れた感のある、高い声が横合いから聞こえた。


「ねーちょっとちょっと、なんでグスタフ、元気に歩けてんの!?」


 人混みの外から、リーダスタが小走りに駆け寄ってきた。この混雑の中でよく見つけられたものである。


「なんでケガ治ってんの、あんな大怪我だったのに! あっ、もしかしてっ、――」


 言いかけてリーダスタは急いで自分の口を押さえた。衆目が集まっていることに気づいたらしい。声を改めて、囁く。


「まさか魔女の治療受けたの? どっ、どうだったっ!?」


 グスタフも低い声で囁いた。「すごかった」


「すごっ、すごいって、どういうふうに!?」

「筆舌に尽くし難い。溶けるというか」

「溶けるの!?」

「細胞が全部一度分解されて正しい形に再構築されるような」

「こわっ!? 痛そうなんだけど!」

「それが痛くない。気持ちがいい」

「き、気持ちいいの……?」

「気持ち良すぎて怖い」


 その時カルムは、周囲の人々がこちらに注意を向け始めているのに気づいた。興奮気味のリーダスタの声はやはり周囲の耳に拾われてしまっていたらしい。どうやら魔女の治療を受けたらしいとなれば、それは耳をそば立たせたくもなるだろう。

 残念なことに、カルムはただでさえ耳目を集めやすい。本来、人が集まる場には近づかないようにしているくらいだ。まさか、普段はあんなに静かで人通りのほとんどない王立研究院が、これほどのお祭り騒ぎになっているとは思わなかった。これほど大勢集まっていたら、カルムの顔を知っている人間がいてもおかしくない。


「リーダスタ。講演聞きに来たんじゃないのか?」


 声をかけるとリーダスタは自分がここにきた理由を思い出したらしかった。


「あ、そーだそーだそーだった。あのね、こっちこっち。こっちから入れるからって知らせにきたんだ」


 言いながらリーダスタは自分が今きた方へ向かって歩き出した。そうしながらとうとうと流れるように話を続ける。


「朝ね、エルザがね、講演を見にいくなら寮の入り口に集合するようにって言ってくれたんだよ。時間は早いけど、そのほうがスムーズに中に入れるからって。で、みんなでまとまって来たんだ。エルザもいらしてるよ。で、ロビーんとこで見てたらさ、君たちもきてるのが見えてさ。校長先生が呼んで来るようにっておっしゃったんだ。高等学校生だけで固まって座った方が、余計な波紋を呼ばなくていいだろうからって」


 それはありがたい。校長先生はつくづく行き届いた人だ。

 リーダスタは入口の方には向かわず反対側に向かった。後をついていくと程なく人混みを抜け、大講堂の周囲をめぐる美しい水をたたえた堀に沿って進んでいく。と、大講堂の横手にある通用口が見えてきた。堀の上に渡された橋を通らねば通用口に辿り着けないようになっていて、橋のたもとに、かっちりとした制服に身を包んだ厳しい警備員が二人立ってあたりを睥睨していた。リーダスタは迷う様子もなくその警備員のところへ向かう。


「学生証持ってる、よね?」


 リーダスタはそう言いながら何か誇らしそうな動きで胸ポケットから学生証を取り出した。

 名前と入学年が刻まれた小さなカードには写真と魔力の波長が登録されており、首都ではかなりの効力を発揮する。これを持っていれば王宮にだってアポ無しで入れるだろうとまことしやかに囁かれるほどだ。こたびの警備員も微笑んで三人を通し、後ろからついてきていた数人をひと睨みで下がらせた。その間に三人は橋を渡って通用口にたどり着く。中は緞子が下がっていて、陽光の下から来ると真っ暗に思えるほど暗い。


「いやーそれにしてもすごい人気だね、ラス」目が慣れるまでの間にリーダスタが言った。「ポスターは、似顔なんか載せないで文字だけにしたらよかったのに。担当者も、まさかこんな騒ぎになるとは思わなかったんだろうね」

「普段は閑古鳥が鳴くイベントだからな。これを機に少しでも認知度を上げたかったんだろう。効果ありすぎだけど」


 少し目が慣れてきた。緞子をくぐり抜けると右手にトイレと独立した洗面所があり、その前を通っていくとロビーの端に出た。リーダスタは迷う様子もなくそのまま二階への階段へ向かう。


「めちゃくちゃいい席だよ」リーダスタは自慢げに言った。「ラスが最初に話を受けた時、校長先生に一応許可をとったんだって。校長先生はその場ですぐ王立研究院の事務担当官に連絡とって、二階の正面席を高等学校生のために借り切ってくださったんだってさ。ほんっと校長先生って、行き届いていらっしゃるよねえ!」


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