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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
ラセミスタの留学
496/781

ラルフの旅路

     *



 アナカルシスを出て三日が過ぎようとしている。

 今日も1日マティスにゆられて、荒野を進んだ。本当にこの先に大都市などあるのだろうかと不安になってくるほどの広大な荒野だった。人はおろか、獣とさえすれ違わない。この大陸は一体どうなっているのだ。広大にも程があるではないか。


 ようやく見つけた灌木の近くで野宿することに決めたのは、もう少しで日が暮れて、あたりが見えなくなる寸前だ。マティスから降り、ウィナロフが火を起こしグールドが風除けを張る間、ラルフはウィナロフが出してくれた牧草を三頭のマティスの前にせっせと積み上げた。続いて桶に水を注いでやる頃にはもうすっかり日が暮れて、夕方の冷たい風が荒野を吹き渡ってくる。

 遮るものがほとんどない荒野では、吹き荒ぶ風に体温を奪われないようにしっかりとした風除けを張るのが非常に重要なのだそうだ。ウィナロフのくれた軽くて暖かな風除けのマントに身を包んでいても、自分の体の大きさがわからなくなるような心細さだ。

 ウィナロフについてくると決めた三日前には、こんなところを進むことになるなんて考えもしていなかった。


 

 初日——アナカルシスの駅で。

 待ち伏せしていたラルフに気づいたとき、ウィナロフは特に驚いた様子もなかった。半ば予想していたのだろう。歓迎してくれたのは意外にもグールドの方だった。ラルフを牢に入れた狩人が言っていたように、グールドは確かに、悪い奴ではなかった。ラルフが逃げてきたことを明けっ広げに喜んだ。リーザの仕打ちについては何も言わなかったが、彼女のことをひどいと思っているのは明らかだった。


 それから少し列車に揺られ、地下にある駅:リファスに着いたとき、ウィナロフは一度ラルフに「ここで降りろ」と言った。ラルフは当然それを無視した。こんなところで降りられるわけがない。

 リーザは、ラルフが目指すとしたらリファスだと知っている。ここで降りてもすぐに逃げ出す羽目になるし、シェロムたちにも迷惑が掛かってしまう。ウィナロフも分かっていたようで、あまり強くは言わなかった。


 それでもホームに停車中、シグルドの姿をちらりと見かけて、申し訳ない気分になった。シグルドもシェロムも、ここにいるルクルスの人たちも、きっとすごく心配してくれているのだろう。シェロムさんが落ち込んで大変だった——ウィナロフはそんなことを言っていた。シェロムはルクルスの中では有名人だ。【風の骨】の協力者であり、大人になったルクルスが国外に出て、まず真っ先に頼れる仕事先のひとつ、リファスの駅の責任者だ。ルクルスたちみんなの恩人と言っていい。そんな人を落ち込ませているなんて申し訳ないことだ。ラルフの無事を知ればシェロムも気が軽くなるはずだし、彼らのところへたどり着いていれば、リンにだってマリアラにだって、何とか連絡を取って、安心させられたはずだ。

 そうわかっていながらラルフは今までずっと、狩人の居心地の良さに、ずるずると逃亡を延ばしてきたのだ。今の状況を招いたのはすべて自分のせいだ。そう考えるとたまらなかった。

 

 ラルフには、ウィナロフのことを怒る権利などない――。




「ラルフ、飯だよ」


 グールドに呼ばれて現実に引き戻された。あの懐かしいリファスの幻影がかき消え、あたりはやはり、寒々と広大なリストガルドの荒野だった。背後にはすっかり風除けが出来上がり、最後に出入り口を閉めれば完成というところ。中ではパチパチと火が燃え、マントにすっぽり埋もれたままのウィナロフが、地面に敷いた布の上にあぐらをかいて、食べ物を色々と並べていた。その向かいに座ったグールドが中からラルフを呼んでいた。ラルフが中に這いこむとグールドは身を乗り出して収納された布を取り出し、伸ばしてピンと張り、入り口を閉めた。


 この風除けは、高さは1.5メートルほどで、頭上は開いている。地面に等間隔に柱を立て、その周りにぐるりと布を張り巡らせたもので、上から見ると直径3メートルほどの円形になっているはずだ。中で火を焚いているからとても暖かい。寝る前に火を消したら、上にもカバーをかけるから、一晩中暖かくぐっすりと眠れるという仕組みだ。


 こう言った装備は全てウィナロフの整えたものだ。

 昔から金持ちで太っ腹だと知っていたが、一緒に旅をするとその財力の凄さをひしひしと感じる。ラルフが今風から身を守っていられるのはこの軽くて暖かなマントのおかげだが、これをくれたのもウィナロフだ。そればかりじゃない。ラルフの荷物を入れるための軽くて丈夫なリュックサック(もちろん防水仕様である)も、着替えも歯ブラシもコップもタオルも、寝袋もその下に敷くマットに至るまで、ラルフの旅支度一式を全て整えた。当然のことだとでもいうように。


 ラルフを大事に思ってくれている。それが、その行動の端端からよくわかる。

 なのにどうして――どうして、ラセミスタを捕らえようなどとするのだろう。ラルフがそんなこと望んでいないと分かっていながら、なぜ。 


 ウィナロフは大人だ。たぶんきっと、ラルフには分からない、重大な理由があるのだ。ラルフが会議を盗み聞きしていたと、もう分かっているはずなのに、今も何も弁解しないのは、弁解する気がないからではなくグールドが一緒にいるからだ。そう思おうとしていたが、うまくいかなくて、ラルフはずっとウィナロフと話していない。


 裏切られた気分がどうしても振り払えなかった。狩人をやめてほしいとは言ったけど、そのためにラセミスタを置き土産にするなんて絶対だめだ。ウィナロフはそんなことしないと思っていたのに。そういう奴じゃないと信じていたのに。


 ウィナロフはほとんど話さず、ラルフも口数が少なかったから、二人だけだったなら、その旅路は沈鬱で気が滅入るものになっただろう。

 しかし実際にはそうはならなかった。グールドが一緒にいたからだ。

 ここに来るまで、グールドはすごく優しかった。馬に乗っている時も、マティスに移ってからも、何くれとなくラルフに気を使って話しかけてきた。今もそうだ。

 

「お前、ほんとに見所のある奴だよねえ」


 言いながらグールドはわしわしとラルフの頭をなでる。


「十歳だっけ。ん、十一歳になったんだっけ? 体調が戻んないまま加わったのにさ、この速度にちゃんとついてくるしさあ」


 ほら飲みな、と言いながら、グールドはラルフに湯気のたつマグカップを差し出してくれる。

 用意したのはウィナロフだが、ウィナロフは準備したものをラルフの前に置くだけなのだ。それを受け取るまでラルフの目の前に差し出し続けるのはグールドだ。

 冷えた手に、渡されたマグカップの熱さがしみる。


「時間と余裕さえありゃいろいろ稽古つけてやれんのに、残念だなあ」


 グールドは言いながら、中に具をぎっしり詰めたピタパン(というそうだ。平べったいパンである。初めから中が空洞になっていて(?)、半分に切ると袋状になる)をラルフに差し出す。中に入っているのは炒めたひき肉と豆、レタスと刻んだトマト、すりおろしたたっぷりのチーズ。グールドはこれもラルフが受け取るまで待っているので、受け取らざるを得ない。受け取ったらもう、かじりつかずにはいられない。


 うまい。

 泣きそうになる。どうして美味いんだろう。ラセミスタを攫いに行こうとしているウィナロフと、今までに魔女を何人も殺してきたグールド。彼らが用意し差し出す食べ物を、なぜ美味いと感じてしまうのだろう。途方に暮れそうになる。このままでは、グールドにまで親しみを覚えてしまう。そんなことになったら、マリアラとフェルドに出会って得られた確固たる基盤までもが揺らいでしまいそうで恐ろしい。


 今一緒に首都ファーレンへ向かっているのは、ウィナロフの足かせである立場から脱却するためと、何より、ふたりの『仕事』を邪魔するためだ。そう自分に言い聞かせて、何度も何度も、決意を固め直さなければならなかった。

 

 こいつだって狩人だと、何度も思ったことを、今もまた、思った。

 どんなに気がよくて、リーザの手からまんまと逃げたことを喜んでくれて、ラルフがちゃんと食べているか気を配ってくれて、うまそうなものを受け取るまで差し出し続けてくれたって、グールドは狩人には変わりない。ラセミスタを人質にしてマリアラとミランダをおびき寄せようとした、あの残忍な一面を持っている男なのだ。


 だからと、考えずにはいられなかった。差し入れを続け、ルクルス全員の恩人であり、素直じゃないながらも底抜けのお人よしだとハイデンにばれてしまっていて、太っ腹で、ぶっきらぼうで優しいウィナロフも——やはり狩人なのではないかと、だからラセミスタをさらいたいなんて言ったんだと、考えずにはいられなかった。

 ぞっとするような考えだった。ウィナロフを信じられなくなるなんて、今まで考えたこともなかったのに。


「祭りは明後日か。なんとか間に合いそうですね」


 ピタパンを自分も頬張りながらグールドがそう言った。

 間に合わなきゃいいのにと、ラルフは思った。


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