日記②
「エスティエルティナって?」
リーダスタが呟き、カルムが答えた。
「なんか大昔に存在した役職名だって聞いたことがある。王子だか王女だかに匹敵するほど高い地位にあったらしいって――」
「……それ」ラセミスタは囁いた。「カルム、どうやって、知ったの?」
「はあ? なんか本で読んだんだと思うけどなあ。ガルシアとエスメラルダって、昔から緊密な関係にあったらしいんだ。【壁】の出現によって行き来はできなくなっても、ガルシアの王宮には、エスメラルダかアナカルシスかから贈られた首飾りが今も厳重に保管されてる。一度見たことあるけどな、なんか、もうぼろぼろだった。変色してくずれて、鎖のとこなんか半分近くなくなってたし。でもすげえ大切に保管されてるぜ。だから、エスメラルダやアナカルシスと交流のあったころの話は結構授業に登場すんだよ。ほら――媛っているだろ。あとデクター=カーンとか。エスメラルダの人物だよな。何年に媛が来訪したとかって、授業で習うぜ」
「――」
「エスティエルティナって、媛の役職名でもあったはずだな」
言ったのは、グスタフだった。
ラセミスタは、立ち上がっていた。
マリアラを通じて聞いた、モーガン先生の話――歴史が改竄されていたらしい、ということ――ガルシア国へ行けば、真実の断片がたくさん残っているだろうと、モーガン先生は言ったのだ。
断片どころの話じゃなかった。
ここに住む人達にとっては、改竄されていない歴史が常識なのだ。
「……どした?」
「やばい……」
意識しないうちに、言葉が口からこぼれた。ガルシア国へ、モーガン先生は、もうたどり着いたのだろうか。もし着いていたら――
この日記をモーガン先生が手にいれたら、一体どういうことになるだろう。
亡命したエスメラルダの校長は――校長の亡命後も、エスメラルダの中にまだ少なからぬ人数がいるはずの、歴史の改竄を是とする人達は――それだけはなんとしても、阻止しようとするんじゃないだろうか?
「か……カルム」
「……ラス?」
顔をあげて、ラセミスタは言った。
「これ、コピーさせて? 大変なものだ、これ……この日記、た、大変なものだ。あの。……これ持ち出したこと知ってる人っている? あの……知らないといいんだけど……もし……もしも、……エスメラルダから、この日記のことで人がたずねて来たりしたら……素直に返した方がいいかも」
「なに言ってんの?」
リーダスタが呆れている。ラセミスタはとりあえず椅子に座り直して、カルムに向き直った。
「お願い、コピーさせて。でね、もし……もしもの話だよ? もしも、この本をカルムが持ち出したことを知ってる人がいるとして、それ経由で……エスメラルダにかかわりのある人間が、それは大切な本だから、エスメラルダの【学校ビル】に陳列したいとかいう理由をつけて、返してくれって言って来たら……あの……一行も読めなかった、読もうと思ったけど無理だったって、言って、素直に返した方がいい」
「……ラス?」
「お願い。コピー、させて。今、すぐ」
「……」
カルムはどう考えただろう。
でもすぐに、まじめにうなずいた。
「わかった」
ラセミスタは、ほっとした。
「……よかった。ありがと。あの……今すぐ作るから、ちょっと時間ちょうだい」
「作るって……今? 材料あんのか」
「手持ちのをバラす」
ポケットを引っ繰り返して手持ちの魔法道具をすべて取り出した。床の上に並べて順番に魔力を通わせて元の大きさに戻し使えそうなものをチェックする。操獣法の試験でみんなに配った簡易通信機や代替端末が返却されていたおかげで材料はすぐに集められそうだ。ドライバーで必要な部品を集めるのを、三人が興味深そうに覗き込んで来ているのは感じたが、構っている余裕はなかった。気がはやってしょうがなかった。これをモーガン先生に渡せたらすごいことだ、でも、もし、改竄を是とする人間がこの本の存在に気づいたなら、どんなことをしても取り返そうとするはずだ。そして取り返す時に、中身を読んだかどうかも知りたがるだろう。
もし少なからず読んだと分かったら、彼らはどうするだろう――?
「エスティエルティナって、……そんなすごいの?」
リーダスタが呟き、カルムが、さあ、と言う。グスタフが言った。
「エスティエルティナ、とあるし……この日記、書いたの媛だろうな」
「あ?」カルムが呆気に取られた。
媛の日記、と、ラセミスタは没頭しながら頭のどこかで考えた。本当に、大変なものだ。絶対、モーガン先生か、マリアラに、見せなければならないものだ。
「ガス、という名前も……媛の夫はアルガス=グウェリンだ。愛称でガスと呼んでも不思議じゃない。娘がレティアと言う名だとも、聞いたことがあるし」
「そ……そっか? でもそれはねえよ。オーレリアって、媛に楯突いてエスメラルダから追い出された、媛にとっては敵のような存在だったんだって聞いたぜ?」
「仲違いしたという話は聞いたが、もともとは友人同士だったはずだ。この日記が仲違いする前のものなら――」
「そうなのか? ……おまえ、妙に詳しいな」
「ミンスター地区ではそう教わる」
「へえ……」
「仲違いって、なんで? 今聞いた限りじゃあ、結構仲良さそうじゃん」
「なんかさあ、オーレリアが、媛の夫、アルガス=グウェリンな。夫を寝取ったとか未遂だったとかなんとか、」
カルムが言った瞬間、グスタフが噎せた。飲もうとしていた茶が気管に飛び込んだらしかった。おいおい、大丈夫? とリーダスタがたずね、カルムはムッとしたようだった。
「……なんだよ。ミンスター地区じゃあ違うふうに教わんのか」
「オーレリアは」咳払いを何度かして、グスタフはようやく言った。「絶世の美女だとか聞くけど……実際は男だったらしい」また咳払いをした。「って、聞いたけど」
「ええー! 何だよ! それマジかよ!? ウソだろ!? だって美貌を妬まれて人魚に呪いかけられたとか、普通の男は恐れをなして逃げ……ああっ!? 美女だと思って近づいたら本当は男だったから逃げ出したとかそういうオチか!? うわあ! つじつまが合いすぎて嫌だー!」
「それじゃあ夫を寝取るなんて無理じゃん? なんで仲違いしたのさ。グスタフ、それも習ったの?」
「主張がすれ違ったらしい」
「何の主張?」
「……魔物の扱いについてだったと思うんだが、違うかもしれない。悪い。よく覚えてない」
「そっかあ。ふうん。でもミンスター地区では、よその国の歴史についても、随分詳しく教わるんだねえ」
ようやく何とか使えそうなものができた。顔を上げると、ラセミスタはカルムに頼んだ。
「ノート広げて? 写すから」
「……なんだその機械」
カルムは打ちひしがれていたが、ラセミスタの機械を見て、立ち直ったようだ。ノートを広げてくれながら興味深そうにのぞき込んで来て、ラセミスタはついうきうきと解説を始めた。
「カメラだよ。ほら、操獣法で、山中に監視カメラが仕掛けられていたでしょう? あれと原理は同じ。急ごしらえだから静止画しか撮れないけど……カルム、そのまま動かさないでね。……し、と。撮れた。端末に転送する……ほら、でた」
コードでつないだ端末の画面を三人の方に向けると、みんな驚嘆の声を上げた。わあい、と思わずにはいられなかった。自分の作った魔法道具を感心して見てもらえるということ以上に、リズエルの心を浮き立たせることは存在しない。
「操獣法で散々見たのに……何で手持ちのをバラしてちゃんと動く魔法道具作れんのか、いまだに意味がわからない……」
「うんあのね、いろんな魔法道具を組み合わせて一つの魔法道具にしてるから、それを分解して」
「いやそうなんだろうけど、情緒的な話として」
「確かに、映像を映せるなら、本の中身も映せるのは道理だよな……でもちょっと読みにくくないか」
「うん、取り込んでから鮮明化して拡大する。ちょっと貸して」
いくつか処理をすると、文字がくっきり見えるようになった。これなら、と思った。文字をデータとして認識させるのもうまくいくはずだ。ラセミスタは満足して、にんまりした。
「わーうまくいったなー。すごいなー。やるなーラス」
「自分で言うなよ」
「うんうん、急ごしらえでも結構使える。よしよし、いけるいける。次のページ開いて」




