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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
ラセミスタの留学
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首都観光と甘いもの

 カルムが戻ってくるのにちょっとだけ時間がかかった。

 三人が食事を終え片付ける頃、やっと戻ってきた。手に持っているのは籐で編まれた昔ながらの籠だ。頼み事に関するものが、あのカゴの中に入っているのだろうか。何かピクニックでもするためのものにみえるけれど。


「悪い、待たせて」


 そう言いながらカルムはカゴをテーブルにおき、ポケットから何か小さなものを取り出した。ぽん、という音を立ててカルムの手の中で元の大きさに戻ったのは、古びた書類入れだった。


「しばらく入院だと思ってたから、実家に本、取りに行ったんだ。そしたら見つけた。アナカルシス語だから読めないんだ、だから、悪いんだけど読み上げてもらえないか」


 言いながら差し出されたのは、一冊の古びたノートだ。表紙には、ただ、日記、とだけ書かれている。なんだあ、と思った。頼みがあるというから、てっきり魔法道具のことだと思ったのに。


「……日記、だって。古いものみたいだけど、ただの日記じゃないの?」

「いやそれが、オーレリア=カレン=マクニスの日記かもしれないんだよ」

「誰それ?」

「は?」


 カルムはあっけに取られた。リーダスタも目を丸くしており、グスタフまで驚いた顔をしている。ラセミスタはたじろいだ。有名人だろうか?


「……知らねえの? オーレリア」

「ごめん、ガルシアの文化には、詳しくなくて……」

「いやいやガルシアの文化じゃなくて、エスメラルダの偉人だろ」

「そうなの? じゃあマリアラなら知ってるのかなあ……。ごめん、全然知らない。歴史は苦手なんだ」


 この言い方だと、歴史以外のことは得意だという風にとれる。フェルドなら詐欺だというだろう。ラセミスタは実際、エスメラルダではかなり片寄った勉強しかしていない。まともに勉強したのは魔法道具の知識全般と、必要な数学、工学、物理、幾何学くらいのものだった。歴史なんて――受験勉強でたたき込んだから、今ではガルシアの歴史の方に詳しいくらいだ。


「でも翻訳なんかできないよ。あ、でも〈アスタ〉の中の自動翻訳システムを応用すれば……端末に入力するには……でもこれ手書きだからちゃんと認識するかな……」


 いつもの癖で考え始めると、カルムがあわてて言った。


「いや、普通に読み上げてもらえればいいんだ。聞く方は何とかできるから」


 めんどくさい。

 それがラセミスタの正直な気持ちだった。ノートを開いてパラパラめくり、かなりぎっしり書かれているのにさらにげんなりする。使われている単語も表現も古めかしくて読むのが大変そうだし、分量も結構あるからかなり時間がかかりそうだ。


 少し、拗ねたような気持ちになっていた。せっかく魔法道具に関する頼み事だと思ったのに。魔法道具に関連する頼み事なんて、エスメラルダにいた頃だって嬉しいことだったが、今はもっと大歓迎だ。ガルシアには、ラセミスタが今まで想像もしたことがなかったさまざまな需要がある。この学校の学生たちは基本的な魔法道具を作ることはできるのだから、ラセミスタに頼むのはきっと高度な技術を要するもののはず、一体どんな頼み事なのかと、本当にワクワクしていたのに違うなんてひどい。お腹もいっぱいになったし、一日たくさん働いて疲れを覚えているのに、デザートに持ってきた甘いものが少し物足りなかったし。――何よりカルムが、フェルドを彷彿とさせる印象の持ち主だからいけないのだ。


 操獣法以前よりかなり気安く馴染んできたように思えるカルムは、よりいっそう親しみを感じられるようになり、よりいっそう、フェルドに似たその印象を強めていた。フェルドに魔法道具以外のことを頼まれたとしたら、素直に言うことを聞くわけにはいかないのだ。最終的には言うとおりにしてやるとしても、少しくらいはご機嫌を取ってもらわなければならない。妹というのはそういうものだ。


「ねえカルム、これ、オーレリアって人の日記じゃないよ」


 言うとカルムは、え、と言った。


「そうなのか? 一語目、それ、オーレリアじゃないのか」

「うん、それはそうだけど―― 一行目が、オーレリアが日記くらい書けってうるさいから今日から書くことにした、ってなってる。ただの意志表明だよ」


「……」


「それにこれ、ほんとにただの日記みたいだよ。あい……あいおりいな、……アイオリーナ? から手紙が来たとか、結婚式……違う、披露宴? 披露宴の予定を教えろと言われたとか、が、す、ガス? 人名かな……そうだ。ガスに相談したら、とてもつらそうな顔をされたから披露宴はやめとこう、とか、そういうことが書いてあるだけだよ」

「……魔物については?」

「ないない」ぱん、とノートを閉じてカルムに差し出した。「普通の日記だよ。今急いで読む必要なんかないんじゃない? 時間がかかってもいいなら、スキャンして情報を取り込んで翻訳する機械、作ってあげるよ」


「そんなはずない! だって同じものが三冊あったんだぜ? 全部違う字で書かれた、手書きの、でも全く同じ内容のものが。長い年月の間に何人もの手によってていねいに模写されてきたもののはずなんだ。ただの日記なわけない」

「……ちょっと見せてくれ」


 グスタフが言って手を出した。カルムはそちらを見もせずに、話し続けながらグスタフに渡した。


「頼むよ、ラス。全部読めば絶対――」

「それ全部? えー、やだよ、人の日記読み上げるなんて」


 言いながらも、グスタフの様子が気になった。グスタフはものすごく大事そうにそのノートを抱えていた。まるで宝物でも見つけたみたいに。食い入るように中を見ていて、読めるのだろうか、と、思った。あの様子では、もしかしたら、少し面白いことが書いてあるのかもしれない、という気がする。マリアラならきっと飛びつくだろう。


「たいした量じゃないだろ? それに、なにも今すぐ全部読めなんて言ってないんだからさ」


 カルムの言い方は本当にフェルドに似ている。わあ、と思う。笑みを浮かべるわけにはいかなかったが、なつかしくてたまらない。ますますもう少し引き伸ばしたくなってしまった。我ながら性格悪いなあ、と思ったが、仕方がない。なにしろ半年振りなのだ。


「あのね、あたしだって暇じゃないの。魔法道具に関連する頼み事ならいくらでも歓迎だけど、ただ日記読み上げるなんて――そもそも非効率的だよ。今後のことを思ってみて? ちょっと時間はかかっても、自動翻訳するシステムを作った方が、最終的には効率的でしょう? エスメラルダで刊行されているものを送ってもらえれば、自由に読むことができるようになるよ。魔法道具関連の専門誌とか、読みたくない?」

「そっ、それは読みたいけど、でも――」


 そこへリーダスタが口を挟んだ。


「ね、ラス、首都観光ってしてみたくない?」

「えっ」いきなり何を言い出すのだ。「首都観光? そりゃあ……」

「俺もやりたいし、グスタフもやりたいよな。祭りが終わったらすぐ課題に行くことになるけど、一日くらい出発を伸ばしたっていいはずじゃん、高等学校の購買では揃えられない装備とかも出てくるだろうし、それこそラス、ガルシアで出版されてる魔法道具関連の専門誌、読みたいんじゃない?」

「よっ」


 読みたい。

 自分の発言がこれほどストレートに戻ってくることになるなんて。

 リーダスタは一つ頷いた。


「さてここで必要になるのが、首都中に顔が広くて、いろんな店をよく知ってて、いろんなお店で便宜を図ってもらえそうな同行者の存在です。――ね、カルム。首都中の本屋とか魔法道具専門店とか、美味いもの出す店とか、……ちょっと出発遅らせてでもさあ、一日同級生のために割いて、首都観光のガイド役くらい、できるだろ?」

「いーよそれくらい」カルムは軽く頷いた。「俺自身はそんな詳しいわけじゃないけど。執事に案内役頼めば色々教えてくれると思うし、」

「あーでも」リーダスタは小首を傾げてみせた。「首都は広いから、一日歩き回ると疲れちゃうよね。ラスなんて午前中で行き倒れるかもしれない」


 ラセミスタは反論しようとした。確かにこないだは遅れをとったが、あれは生まれて初めての登山だったからだ。首都ファーレンは山ではない、平地である。さすがにあそこまでの醜態を晒すことはない、と思いたい――が、そういえば、マリアラと一緒に街に出かけた日にはほんの半日動き回っただけで帰りの動道で爆睡してしまったし、あの広大なショッピングセンターでは最終的にミフに乗せてもらったのだった。何も言わずに口を閉じる。


 カルムはしかしリーダスタが何を心配しているのかわからないようだった。


「いや山じゃないんだから。馬車くらい出すよ。グスタフだってこの足じゃ歩きまわれないわけだし」


 リーダスタは笑った。


「ねーラス、聞いた? こういう人に恩売っとくとお得だよ〜? 一応念を押すけど、俺も連れてってね。あとウェルチとチャスクも誘ってみる?」


 やられた。

 ラセミスタは一瞬唇をぎゅっと閉めた。魔法道具関連の頼み事ではないけれど、ここでちょっとアナカルシス語を読み上げるだけで、首都観光の案内役の上に馬車がつくだなんて――それも同級生たちと一緒にいけるだなんて。が、ここで易々と頷くのは妹としての矜持が傷つくような気が、するような、しないような。


「うーん」もう少しだけ、と思った。「でも聞くのができるんなら、読むのもすぐできるようになるんじゃ――」

「そんなまどろっこしいことしてらんねえの!」


「……甘いもの」とグスタフが言った。「カルムに首都観光の案内を頼めるなら、首都ファーレンにしか売ってない甘いものも食べられる。……と、思う」

「えっ」


 ラセミスタが甘味が好きだということは、とっくに知られていた。当然かもしれない。


「あー、そうだろうねえ。王室御用達のスペシャル甘味とか食べ放題じゃない?」


 リーダスタが笑い、ラセミスタは唸った。


「ひっ、人を簡単に甘いものなんかで釣れると思わないで……!」

「カルム、なんか美味いもの知ってるか」


 グスタフに訊ねられた時、カルムはまじまじとラセミスタをみていた。

 そして、ニヤリと笑った。うわあフェルドっぽい、とラセミスタは思う。


「そういえば、一度すげえの食ったことある。一口大の、要は揚げパンなんだけど」

「きっ、聞きたくない!」

「揚げたてでさあ、口ん中でしゅわっと溶けたんだ。すっげ甘いんだけど、すぐ消えちまうから後引くんだよなーあれ。あれは結構悪くない。また食ってもいいなー」

「……何、それ……っ」

「揚げるそばからこまかーい粉砂糖をたっぷりまぶすんだ。熱いから見る見る溶けるんだけど、溶けたとこと溶けてないとこが混ざりあって……こう……」

「いっ、いつか食べに行こっかな。でっ、でも別に……」

「普通の店じゃ売ってねえよ。揚げたてじゃねえとあの味は出せねえと思う。俺が食ったの、おふくろが評判の菓子職人がいるからって家に呼んだ時だし」


 うわあ、と思った。菓子職人を家に呼びつけるだなんて、イーレンタールでさえしたことがないはずだ。カルムの母親とは一体どんなお姫様なのだろう、と思ってからすぐに、そういえば正真正銘のお姫様なのだ、と思い直した。確か現国王陛下の妹だと聞いたような――


「ね」リーダスタが囁いた。「こういう人に恩売っとくとお得でしょ?」


 カルムはお姫様の息子(つまり王子様でいいのだろうか?)にしてはひどく人の悪い笑みを浮かべて言った。


「その職人に頼んで目の前で揚げてもらうことくらいはできると思うけど?」


 伝説の揚げパンを目の前で。揚げたてで。

 すっかり満ち足りたはずの胃袋が、きゅうっと痛んだ。


「こ……」

「こ?」

「粉砂糖、自分で振りかけてもいいでしょうか……?」

「うわあ贅沢ゥ」


 リーダスタは笑い、カルムも笑った。


「そりゃいいんじゃね? 好きなだけかけていいよ多分」

「はい」


 とグスタフにノートを手渡され、ラセミスタはついに白旗を揚げた。

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