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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
ラセミスタの留学
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食堂にて

「いや、そ、そういうわけじゃ……」

「操獣法の試験で捕まえたマティスに乗りたいやつが多くてさ」リーダスタは抑えた声で言った。「10分2,000レリで乗せてやったらいいんじゃないかと思って。班のやつらみんなに許可取ってるんだよ。ウェルチとチャスクは喜んで協力するって。ミンツも乗り気でさ、首都のやつらの方はミンツが聞いてくれるって」

「俺は異存ないよ」


 ジェムズはそう言った。穏やかな言い方だった。

 なのになぜか突き放すように聞こえ、ラセミスタはなんだかハラハラした。リーダスタがまた怒り出すのではないかと思った。

 ジェムズの言い方は、やるなら勝手にしろ、俺は関わらないと、言っているように聞こえた。

 リーダスタは、感情を抑えるような低い声で訊ねた。


「分け前は? 手伝ったら取り分は増えるよ」

「俺の分はいらないよ。金には困っていないから」

「あっそ。そりゃありがたいね」


 リーダスタは吐き捨てるように言い、「邪魔して悪かった」言い捨てて歩き出した。ラセミスタはジェムズを見上げ、ジェムズが、こちらから目を背けるようにしているのに気づいた。わけがわからず、不安だった。ジェムズがどうしてリーダスタを、それから紛れもない自分を、拒絶しようとしているのか、さっぱりわけがわからなかった。


 ――そう、ジェムズは、明らかにラセミスタを拒絶していた。


 今も、こちらを見ない。怒っている? 呆れている? 困っている? 嫌っている?

 ……怯えて、いる?


「ラス、飢え死にするんじゃないのかよ。行こうよ」


 少し先で、リーダスタがつっけんどんに言った。リーダスタが怒っている理由はわかりやすい。わかりやすくて、胸が痛い。「うん、」ラセミスタはそう返事をし、リーダスタの方へ行きかけ、ジェムズを振り返った。


「……ジェムズ。あたし、何かその、……悪いことでもした?」


 そう訊ねるとジェムズはひゅっと息を吸った。その目がまともにラセミスタを見た。ジェムズは何か言おうとし、何も言わずに口を引き結んだ。ラセミスタは言葉を重ねる。


「……ガルシアの常識を知らないから……何か、気に触ったのなら……」

「そうじゃ……ないよ」


 ジェムズは絞り出すようにそう言った。ひどい態度を取られているのはこちらの方なのに、なぜだろう、ラセミスタの言葉によって、ジェムズはひどく傷ついたように見えた。


「そうじゃないよ。ごめん。……」


 ジェムズは何か言いかけた。口を開こうとし、迷うように視線をさまよわせた。しかしその言葉が口から出ることはなかった。ジェムズは唇を噛みしめ、ごめん、とまた言葉を絞り出した。


「何でも、ない……」

「ラス!」


 リーダスタが苛立っている。午後中ずっとジェムズから避けられ続けたリーダスタは、ラセミスタよりずっと怒りと哀しみを覚えているのだろう。ラセミスタがそちらに気を取られた一瞬に、ジェムズはきびすを返していた。彼は何を言いかけたのだろうとラセミスタは考えた。そしてどうして、何も言わなかったのだろう。


「ごめん。お待たせ」


 ラセミスタがリーダスタに追いつくと、リーダスタは白亜塔の方へ歩き出した。ラセミスタが隣に並ぶと、低い声で言った。


「なんなんだよあいつ。昨日から、いったい何が気にいらないってんだ」

「え、昨日、から? だった?」

「そうだよ。気づいてなかった? ああ、ラスは帰りほとんど寝てたもんね。いやもちろん無理はないけど。……操獣法で何かあったのかもしんないな。黙りこくって、自分に閉じこもって、何聞いても返事もしない。寮に着いたらそのまま部屋に戻っちまって、今日は朝から逃げ回って。塞ぎ込んでるって言うよりか、……怯えてる、みたいな」


「それ、あたしも思った。何か、怖いことでもあるのかなって」

「まー出会ってまだ一週間も経たないんだ。そりゃあ全部打ち明けてくれって言う方が無茶だよな。あー俺も腹へってきた」


 リーダスタの声は話す内に少しずつ明るくなった。ラセミスタはホッとする。

 明るい声で、彼は話した。ジェムズのことを頭から振り払おうとするかのように。


「カルムがさ、なんかラスを連れてきて欲しいって言ってたよ。用があるっぽかった。晩飯持ってって、あいつの病室で食ったらちょうど良くない?」

「うん、そうだね。どっちにせよお見舞い行くつもりだったし」

「カルムはまだ決まったものしか食えないだろうから、目の前で山ほど食ってやろうぜ。グスタフも動けそうなら移動すれば賑やかでいーじゃん」

「それはどうかな。アーミナに叱られない? グスタフに、ベッドから降りたらダメって言ってたよ」

「いやいや、手遅れだって。あんな大量の薬草仕込むのにベッドから降りてないわけない。今日一日で部屋中歩き回ってないわけないだろ。その距離がちょっと伸びるくらいへーきだって」

「そう、かなあ……?」

「あいつの分も晩飯持ってってさ、目の前で匂い嗅がせてやれば這ってでも移動するでしょ」


 リーダスタは一体グスタフをなんだと思っているのか。ラセミスタはそう思いながら空腹に急かされるように足を早めた。本当に、このままだと飢え死にしてしまいそうだ。



 食堂に着いた。

 夕食のピークタイムよりはだいぶ早かったが、既に食べ物が並べられており、学生たちの姿もちらほらと見える。中にはすさまじく美味しそうな匂いが充満しており、ラセミスタの空腹を否応なしに煽った。イチゴジャムの匂い。香ばしい焼き菓子の匂い。ミートパイの匂いと濃厚なブラウンシチューの匂い。様々な匂いが襲いかかってきてラセミスタはよろめく。

「く……っ」

「ラス、頑張れ。あとちょっとだ」

「が、頑張る」


 口を開くと様々な匂いが味蕾をダイレクトに刺激して、ラセミスタは急いで口を閉じる。ワゴンの上には今日も美味しそうなものが満載だ。ここの食堂には、パンは常時五種類ほどが準備されている。甘いものから辛いものまでよりどりみどりで、いつも必ず違うものが入っている。今なら五種類全部食べられそうだ。グスタフの分と自分の分と、計十個ものパンを紙袋に入れて小さく縮めてポケットに入れる。次はおかずだ。ブラウンシチューを二皿。塊の牛肉とにんじん、タマネギ、じゃがいもが、輝くシチューの海の中に見えている。それからサラダは定番の、ガルシア風グリーンサラダ。ミートパイはとても大きいが、今なら全部いけそうだと、それもまた二切れ取った。デザートは、宝石のように輝くジャムクッキー(表面にちりばめられた砂糖が眩しい)と、見るからにサクサクしていそうなクィナのパイだ。


 ラセミスタの表情を見たリーダスタが囁いた。


「……やっぱりここでちょっと腹ごしらえしてく?」

「だ、だいじょうぶだいじょうぶ」

「やあラス、リーダスタ……すごい。お腹へってるの?」


 ミンツの声がしてラセミスタは顔を上げた。ペンキがだいぶ薄れてきたミンツがワゴンの向かい側に立っていた。「こんにちは、ミンツ」ラセミスタはにっこりした、つもりだったが、笑顔になっていたかどうかは定かではない。その瞬間、ラセミスタの腹が見事な音を立てて鳴った。ミンツに聞こえていないことを祈ったが、しっかり聞こえたらしい。ラセミスタの盆の上に満載されたおかずを見て、微笑む。


「……忙しかったんだね。いろんなところに出かけて魔法道具について激論を戦わせてるらしいって噂になってたよ」

「そんな噂流れてるの?」

「昼飯食いっぱぐれたんだってさ」リーダスタがひょいひょいと自分の盆の上に食べ物を載せながら言った。「つってもその量ラスが一人で食べるわけじゃないけどね。グスタフんとこ持ってってやろうと思って」


「ああ、なるほど。ねえ、どこ行ってきたのか聞いてもいい? 校長先生が、ゲルドナーさんのところに連れて行ったらしいって聞いた。本当?」

「うん、そうだよ。知ってるの? ゲルドナーさん」

「そりゃ知ってるよ……! うわあ、本当に会ったの? いいなあ……! めったに会えない人らしいんだ! ねえ、もし良かったら今度僕も、」


「ミンツ」


 新たな声がしてミンツはそちらを振り返った。リデルとベルナが食堂の入り口から入ってきたところだった。二人とも、ちょっと疲れた様子に見える。リデルはラセミスタをチラリと見て、目をそらした。


「……ちょっと話があるんだ。付き合ってくれ。奥の個室を予約したから、食事を持ってきてくれないか。お前のも入れて、三人分」

「あ、はい」ミンツは頷いた。「わかりました。えっと、四人分じゃなくて? ポルトは、」

「まだ戻ってない、閣下に会いに行かれたままだ。……悪いけど頼む」


 リデルはそう言ってベルナと一緒に食堂の奥に向かいかける。その時、更に食堂の入り口から入ってきた人たちがいる。ラセミスタは反射的に顔をしかめそうになった。スティシーとその取り巻きの二人だった。

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