朝食
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リーダスタが男の子だと知ってから、どうしてだろう、上手く話せなくなってしまった気がする。
騙されていた――と言う気分になってしまうのは、致し方ない。ラセミスタにとっては、唯一の命綱だと思って握っていたものが、実はただの小枝だった、というようなものだ。マリアラがいなくても、異国の地でも、ちゃんと女の子の友達を見つけることができたと思っていたのに。ただの勘違いだっただなんて。
しかしリーダスタにとっては迷惑な話だろう。リーダスタは、どこからどう見ても女の子に見えるが、それはラセミスタの常識であって。ガルシアではこれくらい可愛らしい外見の男の子なんて珍しくもないのかも知れない。自分の性別が何であるかなんていちいち公言しないのが普通じゃないか。たいていは、言われなくてもわかるものだ。
……そのはずだ。
こちらだってわかられていなかったのだ。確かにこの学校が伝統的な男子校だというなら――校長先生は、女の子が入って悪いことはないとおっしゃったが――ラセミスタが男子であるとみんなが思い込んでも致し方ない。のかも、しれない。そんな馬鹿な、という気がするが、それはリーダスタの方が言いたいだろう。
今まで仲間として受け入れてもらえていたのは、もしかして、男の子だと思われていたからなのだろうか。
どうしても気後れしてしまう。高等学校では、自分にしてはかなり良い人間関係を構築できたと思っていたのに、ここへきてまた一からやり直す羽目になるなんて。
でも、と思う。さっき、グスタフは普通だった。
みんながみんな、態度を変える人ばかりではない。それは既にわかっている。
「結構な量だね。医局の食事はそんなしょぼいの?」
リーダスタはいつもどおりの言い方でそう言った。ラセミスタは嬉しくなった。内心はどうあれ、リーダスタも、態度を変えずにいてくれるらしい。
「うん。グスタフがね、ぜんぜん足りないんだって。お昼ご飯までに飢え死にするって言ってた」
「ふうん。グスタフ、元気そうだった?」
「うん、けっこう元気そうで、バイトしてたよ」
「バイト!?」
「薬草の処理を頼まれたんだって。忙しそうだった」
「へええ、良くやるよねえ……。カルムは?」
「医局にいなかったの。脱走したんだって」
「マジで!? さっきアーミナ先生の怖さを聞いたばっかなんだけど!」
「うん、めちゃくちゃ怖かったよ……アーミナがあんなに怒ってるの初めて見た……」
話していると少しずつ、わだかまりのようなものがほぐれていくようだった。ラセミスタは嬉しくなった。性別の差はいかんともしがたいが、それでも、友達になって悪いことはないはずだ。
リーダスタと一緒にグスタフの病室に戻ると、リーダスタは素っ頓狂な声を上げた。
「何……何やってんの!? 入院中だろ!!」
「よう、リーダスタ」グスタフは平然としたものだった。「廊下に椅子があったろ。あれ、一脚借りてきてくれないか」
「バイトしてるって聞いたけど、もっと小規模だと思ってたよ……。よくアーミナ先生が許したねえ」
グスタフがザルとボウルを適当に積み重ねてテーブルをあけたので、リーダスタはそこに盆を置いた。ラセミスタも紙袋を置かせてもらい、ベッドの上の片付けを手伝った。積み重ねたざるとボウルはとりあえず床の上に置くしかないが、グスタフはかがむのが難しいらしいので、グスタフが重ねたボウルとざるをラセミスタがせっせと床に移動させる。
ほどなくマットレスの上が空いて、グスタフは礼を言ってマットレスに座った。ラセミスタは机をベッドのそばに寄せて元からあった椅子に座り、そこへリーダスタが椅子を運んできて座った。山盛りのおかずとパンを見て、グスタフは嬉しそうな顔をし、ラセミスタはホッとした。多過ぎはしなかったらしい。
「ありがとう。本当に助かった」
「ここの食事ってそんなに少ないの?」
ラセミスタは訊ね、グスタフは真剣に頷いた。
「少ない。そして時間も早いんだ。六時に配膳される」
「それは早いねえ」
「人手が足りないそうだ。九時には外来を開けないといけないから、必然的に入院患者の食事の時間が早くなる。昼までに飢え死にするかも知れないと思っていたところだ」
「大げさだなあ」
リーダスタが笑ってパンをひとつ取った。グスタフは見とがめる。
「食べてきたんじゃないのか」
「いーじゃん俺も運んだんだしさあ」
「お前は外で好きに食べられるじゃないか」
「自由を奪われると人は狭量になるって言うけど、本当だねえ。俺も気をつけようっと」
言いながらリーダスタは遠慮なくむしむしとパンを食べ、ラセミスタは思わず笑った。リーダスタは全く遠慮と言うことをしない人だ。
リーダスタへの文句を諦めたグスタフは、パックの野菜ジュースに手を伸ばした。その時、ラセミスタの脳に天啓がひらめいた。まるでマリアラが憑依したかのようなひらめきだった。
「グスタフ、ストロー挿そうか」
グスタフは驚き、それから笑った。「助かる。ありがとう」
「カルム、どこ行ったんだと思う?」
リーダスタが訊ね、グスタフは、さあ、と首を傾げた。
「寮に戻ったんじゃないのか」
「どうかな。見かけなかったけどね」
「エルザに見つかったら強制送還されるでしょ」ラセミスタはストローを挿した野菜ジュースのパックをグスタフの前に置きながら言った。「寮にだけは近づかないと思うけどなあ。あたし、アーミナがあんなに怒ってるところ見たの初めてだよ」
「ラスは、アーミナ先生と知り合いなんだね」
「うん、同郷のよしみで。アーミナは十年前からここにいるから、案内役を買って出てくれたの。受験勉強中から本当に、すっごくお世話になったよ」
「へええ。アーミナ先生は、なんでわざわざこんなところに来たんだろう?」
「エスメラルダでは、孵化していない人は人の治療をしちゃいけないの」
そう言うとふたりとも驚いた。
「そうなのか」
「へえ~! ところ変わればいろいろ変わるもんだねえ」
「じゃあエスメラルダでは、医師は何をするんだ?」
「魔女のサポートが主かな。魔女も人間だから、働き過ぎたら体を壊しちゃうでしょ。だから病気の研究をして、より効率的に病気を治すにはどうしたらいいかを調べたり、より少ない魔力で成果を上げられる薬の開発をしたり……」
「……そりゃあ、アーミナ先生にはつまらないかも知れないね」
リーダスタはしみじみとそう言った。
「あの人、人の治療をするために生まれてきたみたいな人だもんねえ……」
「そうだよね。十三年前に、校長先生がエスメラルダに留学なさったときに知り合って、スカウトされたんだって。準備を整えるのに三年かかって、十年前にやっと」
「勇気あるよね」リーダスタはすっかり感心したようだった。「ああ、俺もエスメラルダに留学したいなあ……!」
「そうなの?」
ラセミスタは驚いた。リーダスタがそんなことを考えていたなんて。
しかしリーダスタのコミュニケーション能力があれば、外国へ行ってもすぐに打ち解けられるだろう。ラセミスタは微笑んだ。
「大歓迎だと思うよ。エスメラルダは、国全部が大きな学校という体裁になってるの。観光客も、入国許可が下りたらその時点で“留学生”って肩書きになるんだよ」
「そうなの!?」
「観光留学生向けに開放されてる講義もあって、それは時間さえ合えば無料で受けられるようになってるんだ。でも高等学校生ならガルシアの国費留学生の身分が取れるんじゃない? それなら制限が三年まで延びるし、成績次第で延長もできるし、エスメラルダの先生たちはいつでも熱意のある学生を待っているから」
「そういう留学生って多いの?」
「いっぱいいるよ! 一番多いのはアナカルシスからの留学生だけど、キファサからも来てると思うし、」
その時、開け放していた扉の向こうで、廊下の雰囲気が変わった。
一瞬、静まりかえったのだ。
すぐにざわめきが沸き起こり、アーミナのヒールがそのざわめきを切り裂くように走って行く。「カルム!」確かにそう聞こえたと思ったときにはリーダスタが既に扉のところにいた。ラセミスタはだいぶ遅れて扉にたどり着き、リーダスタの下から廊下を覗いた。
廊下、階段の上がり口に人だかりができていた。
その人だかりの中を、ひときわ背の高い学生が、ゆっくりと歩いてくる。カルムだ。
声を上げようとして言葉を飲んだ。カルムの顔色が悪い。悪すぎる。自分の足で、誰にも支えられずにちゃんと歩いてくるが、今にも倒れそう――魔法道具制作試験の時に見た顔色よりもっと、はるかに悪い。
あんなに具合が悪そうなのに。
一体、どこへ行っていたんだろう。




