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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
ラセミスタの留学
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書庫

 わが家ながら、呆れるほど広い。まだ目指す書庫にたどり着かない。これまでの間にも、小間使いや料理人や雑用係といった顔見知りの幾人かとすれ違った。みんなカルムを見て目を丸くしていたが、ドリーがやいのやいのとまくし立てながら後をついて歩いているので、薄々事情を察したらしく、声をかけてくる人間はいなかった。階段をふたつ上がって、北側の廊下へ向かう。そこでドリーにも目的が分かったらしかった。呆れたように彼女は言った。


「高等学校にも本くらいあるでしょうに」

「あるけど、図書館も購買もまだ開いてなかったんだ」


 ドリーは黙って下がった。来た道を引き返して行く。カルムは降って来た静寂の中を後少し歩いて、書庫へ入った。


 昔からそこが好きだった。静かで、埃臭くてひんやりしている。膨大な数の本が、いつかカルムに読まれる日を夢見てまどろんでいるような気がする。

 書庫はかなり本格的なものだ。建物の一階から三階がすべてぶち抜きになっていて、壁は出入り口を除いてはすべて書架になっていた。入り口付近に大きな閲覧スペースがあり、壁沿いを伝う廊下はなだらかな螺旋を描いて一階まで続く。その途中にも、何カ所も、座り心地のいいソファと小さなテーブルが置かれた休憩場所があり、壁一面には整然と並べられた本と、高いところにある本を取りに行くための梯子が規則正しく並んでいる。もちろん王宮にある王立図書館や、王立研究院や高等学校に併設されている図書館に比べると、本の量ははるかに劣る。だが何でこんなものが、と思うような掘り出し物が多いことで有名だった。個人の蔵書ではあるが、父親が一般人にも開放しているので、たまに研究者や学生とすれ違うこともある。

 けれどもちろん、今は誰もいない。

 

 子供のころから頻繁に入り浸って来たお陰で、何がどこにあるかということはおおむね把握している。魔物関連の本のコーナーへ行き、いくつか手にとって、ぱらぱらめくって戻す、ということをしばらく続けていると、上の方で入って来た扉が開いた音がした。ドリーの声が降って来た。


「坊ちゃまー。ここに置きますよー」

「ありがとう」

「脱走したんですから、医局では三食抜きの刑罰を科されるかも知れませんねえー」

「あー、そうかも」


 それはないだろうと考えながら、話を合わせておいた。エルザの目が光っている間は、高等学校で飢えることだけはないはずだ。


「飢えても戻って来ちゃいけませんよ。いいですか坊ちゃま、高等学校へは使いを出しておきましたからね。早くいいもの見繕ってお戻りくださいよ!」

「はーい」

「……本当に返事だけはいいんですからねえ」


 ドリーは聞こえよがしに言いながら扉を閉めた。静寂が落ちる。カルムはそれからしばらく本を漁ったが、魔物関連の本は、受験勉強の合間にあらかた読んでしまっていた。もう少しあるかと思って来たのだが、無駄足だったかもしれない。やはり高等学校の図書館に行くのがいいだろうか。戻ったらアーミナに捕まるだろうから、戻る前に寄る必要があるから、開館時間まで少し時間をつぶして行った方がいいかもしれない――と考えていた時だった。

 

 棚の透間に埋もれるように、薄っぺらいノートのようなものが三冊、挟まっているのに気づいた。


 だいぶ古いもののようで、ぼろぼろだった。抜き出して見ると三冊とも同じ装丁で、どれも手書きだった。興味をそそられてその三冊を持って、入り口へ戻った。ドリーが置いて行った盆には食べ物と飲み物が満載されていた。本当にドリーは親切で気が利く人なのだ。

 しかし食べられそうな気がしなかった。ここまで歩いてきたせいか、倦怠感が胃に集まって、重い不快感に変わりそうな気配がしていた。ここに食べ物を入れたら一体どうなるか、あまり試してみたいとは思えない。

 けれど、食べなかったらドリーはいったいどう思うだろう。彼女に叱られるのはちっとも構わないのだが、心配されるのはなるべく避けたい。

 

 ドリーはその口と同じくらいきめ細やかな性格で、本を開きながらつまめるようにと一口大のサンドイッチを料理人に頼んでくれていた。中身は半熟の卵とタマネギが入ったもの、ハムとキュウリのものと、コクのあるチーズに刻んだ香草を入れて練ったものの三種類だ。とろけるほど柔らかな肉団子がどっさり入ったスープもあり、サラダと、カルムの好きなソーセージもちゃんと添えられていて、相変わらずだなあと思う。何よりお手拭きがふたつあるのがありがたい。つまんだ指にパン屑や脂がついていたら本を汚してしまう。カルムは意を決してサンドイッチをつまみ、一口食べた。慣れ親しんだ料理人の味がした。普段どおりの体調だったなら、この皿いっぱいのサンドイッチくらいほんの数口で食べてしまうのに、今は二口目がどうしても進まない。ため息をついて、サンドイッチを皿に戻す。スープはどうだろうと試してみて、一口飲んで諦めた。後でまた試してみるしかない。

 気を取り直して本を開いた。どうやら誰かの日記のようだ。


 しばらくいろいろ調べて、不思議に思った。三冊は三冊とも、同じものだった。巻が違うというわけではなく、内容がすべて同じようなのだ。そして、筆跡が違う。書かれた年代も違う。一番古いものは、二百年は経つだろうと思うようなボロボロ具合だが、一番新しいものは比較的、状態が良好だった。紙は黄ばんで、汚れたり破れたりしているが、めくるだけで崩れるほどではない。インクも他の二冊に比べればはっきりしている。

 

 古い二冊を一度元の棚に戻しに行って、戻って来て、さあどうしようか、と考えた。

 読めないのだった。


 これはガルシア国で使われている言語で書かれているものではなかった。おそらく大昔に書かれた原本があり、それを数多の人間たちが長年にわたって大切に模写し続けて来たもののようだ。いったいこの本は何なのだろう。こんなに長い間、こんなに大勢の人間が丁寧に模写するなんて、きっととても貴重な内容に違いない。なのにこれはどう見ても日記だった。日付らしい一行が頻繁に登場する。

 

「どっかで見たなこの文字……」


 使われている言語が何なのかわからないと、辞書さえ選べない。カルムは食事を続けて、しばらく考えた。四年間の放浪の間にさまざまな国へ行った。その間に出会ったどの国の言語も、少なくとも日常会話に困らない程度には習得したが、読み書きまでは手が回らなかった。眉根を寄せて、記憶を手繰った。知らない言語ではない。構成している文字の形に見覚えがあるからだ。

 

「レイキアかあ……? いや……アナカルシス、か、な」


 立ち上がって、辞書のコーナーへ行く。アナカルシスの辞書を見て、ぱらぱらめくって、当たりだ、とニヤリとした。幸先がいい。あのノートは、どうやらカルムに読まれたがっているらしい。これから医局へ戻って、アーミナとエルザに寝台に縛り付けられるにしても、このノートを解読するという楽しみがあれば、退屈しないで済むだろう。

 けれど。

 『アナカルシス語入門』、という本と辞書をもって机に戻り、解読を始めた直後に、こんなところで食べ物片手に解読などと悠長なことをしている場合ではないことに気づいた。


「……と、『アウレリア』……違うか、『オーレリア』、だな。……オーレリア!?」


 勢いよく立ち上がった瞬間に先ほどの胃の不快感が突如牙をむいた。一口だけのサンドイッチが胃の中で暴れまわり、カルムはとりあえず椅子に座った。両手で顔を覆って必死で胃袋を落ち着かせようと試みる。そう言えば、昨日の夕食も重湯だけだった。今は全身が〈毒〉を追い出そうと奮闘しているから、内臓にもなるべく負担がかからないようにしなければならないのよ――アーミナの優しい声を思い出す。


 大変申し訳ありませんでした。

 内臓に向かって陳謝する。


 これ以上なるべく負担をおかけしないように善処いたします所存でございますので、今は、今だけは、ちょっと勘弁してください。食事をほとんどとっていないどころか吐いてしまったなどということになったら、ドリーがどんなに取り乱すことか。

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