操獣法(31)
「ちょっと待ってて、今、連絡するから。端末を……」
「それはだめ」とカルムが言った。「連絡したら……魔女を呼んだら、試験を棄権することになるだろ……」
「そんなこと言ってる場合なの!? 死んじゃったら取り返し付かないんだよ!」
ラセミスタは途方に暮れた。何なんだこの人たち。信じられない。
助けを求めてあたりを見回し、そこに、すでに大勢の人たちがやってきているのを見た。
リーダスタがこちらにやってきていた。その後ろからミンツと、ウェルチとチャスク。さらにポルトとリデルとベルナがやってくる。リーダスタはラセミスタと目が合うとにっこり笑った。朝日の中でも、リーダスタは本当に可愛い。
「や~ラス、ほんと無事でよかったねえ」
「リーダスタ! 助けて!」
「あはは、今ちょっと聞こえてたよ。大丈夫、校長先生がいらしてるよ」
リーダスタは屈託ない動きでひょいとばかりにラセミスタのすぐ隣にしゃがみ込んだ。「うひゃ~」いつもどおりの明るい言い方。
「この二人が倒れてるなんて。めったに見られない光景な気がする。ラス、よく見といたほうがいーよ」
「おい……」カルムがうめく。
ラセミスタは早速言いつけた。
「グスタフは大けがなのに動こうとするし、カルムは体に〈毒〉が入ったのに魔女を呼んじゃダメだっていうの」
「うわ~言いそう」リーダスタは笑った。「いくら高等学校の試験って言ったって、そこまで鬼じゃないと思うけどねえ。それにどっちにせよもう校長先生はいらしてるし、俺らの班の監視役のサージェス指導官も来てるから、試験続行って感じじゃないんだよね。アーミナ先生も、」
「ちょっとどいて! どいてどいて!」
過たずアーミナの声がして、ラセミスタはホッとした。
白衣をひるがえしたアーミナと、それに付き従う三人の医療者がその場に到着したのだ。
アーミナは今日もカッコよかった。助手らしき三人はみんな男性で、そのうち二人がグスタフにかがみこんだ。グスタフが何か言おうとしたが二人は聞く耳を持たなかった。「あー見事に折れてる」「はいはい、ちょっとこれ持って」「痛い? だよね~ハイじゃあ今度はこれ持ってみて」矢継ぎ早に指示を出し、固定器具や包帯、薬や医療機器が次々に出てきて、グスタフはあっという間に包帯でぐるぐる巻きにされた。やはり右足が折れているようだった。魔法のように添え木が出てきてグスタフの足に固定される。左手には感覚がないのか、渡された添え木を持てなかった。あああ、とラセミスタは思う。言わんこっちゃない。どうしてこの状態でこの人は、うずくまってうんうん唸らないのだろう。ラセミスタならばとっくにそうしているのに。
アーミナともう一人の助手はカルムの方にかがみこんでいる。はさみを取りだし、じょきじょきとカルムの野外服の肩を切り裂き、傷口を露出させている。魔女を呼ぶ様子はない。焼くのだろうかとラセミスタはドキドキした。まさかそんな、ガルシア国は文明国なのに。そんな野蛮な。まさか。
「ラス、お前もそのうち治療されるだろうけど。それまでの間、冷やしといたほうがいーぜ」
ウェルチの声がした。リーダスタの頭越しに、ウェルチがのぞき込んでいて、濡れタオルを差し出してくれている。
「顔腫れてる。あのくそ野郎、ガルシア男児の風上にも置けねえ……痕が残ったら大変だろ」
確かに、そういえば、先ほどヨルグ少尉に殴られたのだった。左頬が熱を持っている。唇の端も切れているようだ。ラセミスタはありがたく濡れタオルを頬に当て、リーダスタがからかった。
「ちょっと過保護なんじゃない、ウェルチ。子供じゃあるまいし」
ウェルチは呆れたようだった。
「……お前まさかまだ気づいてねえの? バカじゃねえの?」
「何に?」
「銀狼の片割れ……」地を這うようなカルムの声が聞こえた。「ラスにしか懐かねえ……ってことは……リーダスタ……お前ぇ……」
「え、何? なに?」
「お前のせいで全部ややこしくなったんじゃねえか……」
「そーなんだよなほんと」ウェルチが頷く。「俺なんかおぶっちまったんだぜ。どうしてくれるんだよ」
「〈毒〉が抜けたら覚えてろ……ぜってえ殴る」
「え、なに!? なんで!?」
「意識ははっきりしていますね」助手がアーミナに言った。「傷口、三センチ。出血少量。目は見えますか? 見えない?」
「諸君、命があって何よりだった」
校長先生の声がして、ラセミスタは顔を上げた。
先日までと変わらない、福々しいお顔。気づくと、チャスクやミンツ、ジェムズ、ポルトたちと言った班のみんなも集まってきていて、ラセミスタは急にホッとした。ああまったく――本当に大変な一晩だった! もやしっ子の身で、よく生き延びたものだ。
校長先生はその優しい顔に悲しそうな色を乗せ、深々と頭を下げた。
「部外者が立ち入ったあげくに君たちの課題遂行の邪魔をする事態になってしまったことを心よりお詫びしたい。……大変申し訳なかった。君たちの生涯ただ一度しかない高等学校の操獣法の試験を、邪魔者が土足で汚す。そんな事態を招いてしまって」
「先生、どうか頭を上げてください。監視カメラの監視員は、買収されていたのですか?」
ポルトが訊ね、校長先生は悲しそうに首を振った。
「今調査している。しかし私はそうではないと考えている。この山にカメラが設置されているのは採点のためなのだ。リアルタイムで監視することを目的としてはいない。夜勤の監視員は配置してはいるが、一人しかいないし、それも監視ではなく故障に対応するための配置なのだ。異変に気づくのが明け方になってしまったことは無念だが、彼が故意に見過ごしたとは思っていない」
「近衛……ヨルグ少尉と名乗った男が、自分たちをこの山に送り込んだのはこの国の有力者であると、ほのめかす発言をしたそうです」ポルトが穏やかに言った。「それは本当でしょうか。フォルート伯爵、それから、……カイマン侯爵の名前も出たと」
「調べるよ」
校長先生はポルトに向き直り、真剣に囁いた。
「私は、高等学校の神聖なる試験を土足で踏み荒らすような真似をした人間を決して許す気はない。それがどこの誰であれ……絶対に。罪を明らかにし、白日の下に引きずり出さなければならん」
「はい、ぜひそうしてほしいと思っております」ポルトはきっぱりと言った。「それが誰の血縁であれ。どのようなことが起ころうとも、どのような事情があろうとも、高等学校の試験を妨害するような行為は許されるべきではありません。必要ならばどこへでも行き、証言をいたします」
リデルもベルナも深々と頷いていた。校長先生はポルトの肩を優しくたたき、リデルとベルナの肩も続けてたたいた。
このひと晩で、彼らは一回り大きくなったように思えた。
この分ならば、高等学校へ戻ってからも、もしかしたら、友好的な関係を築いていけるかもしれない。
「それで……この二人のけが人については、先生、いかがでしょう。魔女を呼んだ方がよろしいでしょうか」
傷口を子細に調べていたアーミナは、「そうですね」と重々しく言った。
カルムの肩の傷はそれほど深くないようだった。血がほとんど出ておらず、傷口の周りがどす黒くなっているが、まだそれほど〈毒〉が侵食してはいないのが見て取れる。
おそらく、生地のしっかりした野外服を着ていたのが幸いだったのだろう。
「まともに当たっていたら魔女を呼ばねばならなかったでしょう。でもこの程度ならば、傷口を焼くだけで対処できると思います」
「げー」リーダスタが言う。「〈毒〉入ったら焼かなきゃダメって聞くけど、ホントに焼くんだ……めっちゃ痛そうじゃん……カルム、気をしっかり持つんだ。ここで見ててあげるからね!」
「てめえほんと、〈毒〉抜けたら覚えてろよ……」
カルムがうめいている。意外に元気そうだ。〈毒〉が一滴でも傷口を介して体に入ったら昏倒する、とエスメラルダでは習ったような気がするが、ガルシア人は体力が違うのだろうか。
アーミナは微笑んだ。
「その元気があれば大丈夫そうね。ラス、あっちへ行っていなさい」
「え、でも……」
どうやら本当に魔女を呼ぶ気はないらしい。傷口を焼かれる友人を見捨てて別の場所に行くというのは、人情としてありなのだろうか。マリアラならどうするだろう、いや彼女がいれば、〈毒〉抜きは疎か傷の治療だってあっという間にできてしまうわけだけれど。
ラセミスタは放っていきがたい気がしたが、アーミナの意見は別のようだった。
「あのねラス、この場においては、放っていくのが正解なのよ。武士の情けって言葉を知っているでしょ。ほらほらあなたたち、全員立って! さっさとする! お友達を心配するその優しい心根は大変結構ですけれど、今はあっちへ行ってなさい。先生、この子たちを先に下山させるわけにはいきませんの?」
「そうしましょう。カルムとグスタフはのちほど担架で運んでもらうから、心配いらないよ」
「ねえアーミナ先生、カルムはしばらく入院ですか?」
リーダスタの問いに、アーミナは素っ気なく頷いた。
「そうね、数日はね。でも祭りの頃には歩けるようになっているでしょう。ほらほら、あっち行きなさい! しっしっ!」
「先生ひどいや! 犬じゃないんだからさあ」
リーダスタはけらけら笑いながら立ち上がる。行こうと促されて、ラセミスタも立ち上がった。くらっと立ち眩みがした。今までずっと忘れていた筋肉痛や体の節々の痛みが急に襲ってくる。
校長先生も歩き出し、新入生たちは自然とその周りを付き従うかたちになった。ポルトが、先生の右側という一番良いポジションにするりとおさまって、穏やかな声で訊ねた。
「先生、課題はここで強制的に終了でしょうか。……本来、今日の夕暮れまで期限があったはずです。全員揃って下山しなければならないということでしたが」
「うん。君たちの課題はもう終わっているのかな? マティスの捕獲と、マティスの巣の強度を高める役割をもたらす細菌のスケッチが、その課題だったと思うが。少なくとも一つは終わっているようだ……あのマティスを捕まえたのだろう? よくやったものだねえ!」
校長先生は足を止め、マティスを見上げた。




