表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
ラセミスタの留学
461/779

操獣法(20)

「どういう意味?」


 コーヒーを飲んで少し目が覚めたらしいジェムズがそう訊ね、グスタフは、考えをまとめるように少し黙っていたが、ややして答えた。


「ヨルグ少尉は昨日の昼も夜も、ただ後をつけてくるだけで襲ってくる様子がない。あの建物の中にいるから手が出せないと、思っているにしても……もう少し……本気でその子を奪おうとしているなら、夜の間にもう少し何か、動きがあってしかるべきじゃないか。せっかくと言っては何だが、せっかく暗くなっていて、手薄になってるんだ」

「ポルトとリデルがいるからじゃないか?」


 ジェムズがそう訊ね、グスタフは呻く。


「……そうだな。うん……そうかもしれないんだが……」

「いや、それはない」とポルトが言った。「確かにおかしいな。その生き物は秘密裏にとはいえ軍が購入して、軍の管理下にある間に逃げ出した。ヨルグ少尉の責任問題だ。それを踏まえて考えると……俺もリデルもまだ爵位を継いでいないし、高等学校を卒業してもいないから、俺たちがいるからと言って手をこまねいたままでいる理由がない。アルスタット家は名門の家柄だし」

「ポルトはともかく」とリデルも言った。「僕の存在でヨルグ少尉が行動をためらうことはないはずだ。そう言われてみればそのとおりだ。本気でこちらに何か仕掛けてくる気があるなら、さっきポルトが寝ている間に来ていてしかるべきだ」

「……じゃあ、来ないのはどうして……」


 グスタフは更に困ったように言った。


「その子には迎えが来るはずだ、ということが、この山に来てから話題に上ったか? ミンツかベルナの発信器が、その会話を拾っていたとしたら……」


 そういえばそんな話をしたかもしれない。

 ラセミスタはぞっとした。


「その生き物は小さいから兵器には使えるけど」とリデル。「迎えは成獣なんだろ、たぶん。成獣の毛皮なんて、王妃のガウンに匹敵する国宝級の代物だ。アナカルシスとの売買契約書には計上されていないから、ヨルグ少尉が独り占めできる」

「……兵の増員がされないのもそのせいかもしれない。増員したら分け前が減る」


 みんなが黙った。ラセミスタは身震いをした。

 確かに、そうなのだとしたらヨルグ少尉の行動に説明がつく。今急いで捕まえたら、小さな毛皮が一枚だけ。でも迎えが来るのを待ってから捕まえたら。

 

 ――またここに戻ってこられるとは思ってなかった。帰ったらみんなに伝える。

 

 マリアラとフェルドが魔物を送っていったとき、魔物は、そう言って去ったのだという。

 ラセミスタはリュックを見つめた。


「……それどころじゃないかもしれないね。この子にも家があるはずだもの。そこにはこの子の仲間が大勢いる、そうだとしたら……」

「そこを突き留めたら」とリデルが言った。「ひと財産どころじゃない。アナカルシスに多額の金を払う必要もなくなる。恒久的にその生き物を入手し続けるなんてことができたら、軍への貢献は計り知れない。今回の失態を補って余りある」

「行くぞ」


 ポルトが立ち上がった。

 ラセミスタは思わず顔を上げてポルトを見た。

 

「……どこに?」

「交替の時間だ。今は課題中だぞ。マティスの見張りに行かないと」

「そ、……そうでした」


 ラセミスタは頭がクラクラするのを感じた。問題が多すぎて、途方に暮れそうだ。課題もこなさなければならないし、この子も無事に帰してやらなければならないし、それでいてこのまままっすぐ送っていくのはダメで別の方法を考えなければならない。どうすればいいのだ。


 ポルトはラセミスタを見下ろして、宣言するように言った。


「ひとつ言っておく。俺はその生き物を帰すのには関わらない。首都で見つけた生き物を山に返すということに異存はない。勝手にしろ。繰り返すが俺は関わらない」


 ラセミスタは面食らった。いったい何を言い出すのか。


「う、うん……?」

「僕も関わらない」とリデルも言った。「担当時間が終わったから寝る。ポルト、テントを借りてもいいか?」

「ん? ああ、そうだったな。いいよ、好きに使え。夜明けまで戻らないから」

「りょーかい」


 二人はさっさと話をまとめてしまった。話はこれで終わりだとでも言わんばかりだった。ラセミスタは不安になってグスタフを見上げた。ラセミスタにはわからない常識があれば、二人の急な宣言にもついていけたのだろうか。二人があの子を帰すことに関わらないと言うことは、この山に登り始める前に宣言済みだったはずなのに。今さらになって、どうして念を押したりしたのだろう。

 グスタフは少し考えて、立ち上がった。


「とにかく担当時間だ。行ってくる」

 ますます不安になった。「……う、ん……」

「その子を帰すにしても、夜明けを待った方がいい。あちらは腐っても軍人だからな。夜間行軍の訓練を受けてる人間に、夜の森の中でかなうわけがないから」

「……うん」

「マティスが手に入ればやりようはある。とりあえず夜明けまで動かないでくれ。通信機で連絡する」


 そう言われてラセミスタはやっと、少しほっとした。

 

「うん……わかった」

「リデル、まさかまだ寝に行かないよな?」


 ヘッドライトを装着していたジェムズがそう言った。

 寝る、と言った割に、リデルはまだコーヒーの入ったマグカップを抱えたまま椅子に座っていた。「うるさいな」苛立たしそうな返事が聞こえた。

 

「仕方ないだろ。早くしろよ」

「はいはい」


 何が仕方ないのか、何を早くしろと言ったのか、ラセミスタにはさっぱりわからないのに、二人はそれ以上何も言わなかった。リデルはコーヒーを一口飲み、ジェムズはポルトとグスタフの後についていく。


「ジェムズ、」


 なんとなく声をかけ、ジェムズが振り返った。「どした?」

 ラセミスタは戸惑った。何だろう。我ながら、なぜ今ジェムズに声をかけたのか。


「えっと……気を付けて……」

「うん? うん、ありがとう。リーダスタたちが来るまでリデルが起きてるから」


 だから心配するなとジェムズが言ったのが分かった。ラセミスタはそれで腑に落ちた。

 そうだ。ここはエスメラルダではない。いやエスメラルダでも、街中の休憩所で吹雪に閉ざされたとき、女子学生には必ず迎えが来るが、男子学生は本人の申し出がない場合にはめったに来ない。それは差別ではなく区別だ。送迎するマヌエルの人員確保にも限りがある以上、全ての人間を一人ずつ送ることはできないから、性別や年齢によって優先順位がつけられる。ましてやここはガルシアだ。ジェムズは高等学校の中でさえ、夜の屋外でラセミスタを一人にしようとしなかった。今も当然、そうなのだろう。


「わかった。リデル、ありがとう」

「別にお前のためじゃないけどな。まだ眠くならないだけだ」


 リデルは憎まれ口をたたき、ラセミスタはやっと微笑んだ。



    *



 ジェムズは先に行くふたりの後を追って夜の森に分け入った。夜の森は、当然ながら真っ暗闇だ。なるべく固まって動けば、おのおのの持つライトの明かりをお互いに利用できる。


 貴族とはいえリデルにもまっとうなガルシア男子の精神が根付いていてよかった。そう思いながら追いつくと、グスタフが振り返った。何か考えているようだった。こいつはいつもそうだ、と、ジェムズは考えた。いつも何か考えている。俺には思いもつかないようなこと。ベルナがカルムに何かを盛ったなんて、ジェムズは思い至りもしなかった。

 

 グスタフの思考は一足飛びに思える。わけを聞けば、ああそうかと腑に落ちるが、あまりに出し抜けに真相をついたりするから聞かされる側はいつも驚く。あの生き物をラセルの部屋からこっそり救い出す方法についても、思いついたのはグスタフだった。

 

 ちょっとズルでもしてるんじゃないか、そんな勘繰りをしてしまいそうなほど、グスタフは些細なきっかけでいろんなことに気づく。地図を描くのが得意なのも、そんな注意力のなせる業だろうか。

 少しいたたまれない気持ちになる。すべてを見透かされてしまいそうで。

 グスタフは何も言わない。何か言いたげなのに。いったい今度は何を言い出すつもりだろう。そんな焦燥に似た気持ちに駆られ、ジェムズは身構えた。


「なに?」

「いや……そういえばジェムズは、あのときいなかったんだな、と思って……」


 グスタフは長々とため息をついた。何でため息? とジェムズは思う。


「あのときって?」

「あの生き物を……俺たちが追い回したとき」はあ、もう一度ため息が聞こえた。「そうだよな……そりゃそうだ、聞くまでもない。見ればわかるよな……」

「何言ってんの?」


 思考が一足飛びにもほどがあるだろう。何を言ってるのかさっぱりわからない。

 しかしグスタフは珍しいことにちょっと落ち込んでいるようだった。はあ、ともう一つついたため息がそれを如実に表している。こいつも落ち込むことがあるのか、と思うとなんだかちょっと留飲が下がる気がする。

 グスタフは低い声で言った。

 

「……俺はなんてバカなんだろう」

「はぁあ?」

「彼女は」確かめるような声だった。「どうして同じ寮なんだろう? 彼女一人なら、医局の個室でも使えるじゃないか」


 え、今さらそれ? とジェムズは思った。

 彼女というのはもちろんラセルのことだろう。あの子が少女だということなんて一目瞭然だし、寮についての疑問は初日から、ジェムズが何度も考えてきたことだ。

 それを今さら、なぜ今このタイミングで言い出したのだろう。

 それに、


「いや、細かいことだけど、一人じゃないよな? リーダスタもだろ? まあ二人でも、医局の個室をあてがえばいいってのは変わらないけど」


 ジェムズはそう訊ね、グスタフは首を振った。


「そう、そのせいでこんがらがったんだ。リーダスタは男だ」


 ジェムズは息を飲んだ。嘘だ。そんなまさか。押し殺した声が喉から漏れた。


「嘘だろ……ほんとに……!?」

「あいつが男だって言うから」グスタフはしみじみとため息をつく。「あいつの故郷では結構、そう見える男は珍しくないって言うから、ラスもそうかな、そういうこともあるかなって、思い込んだんだ。……でもどう考えてもおかしい。リーダスタはともかく、ラスが男だなんてどうして思い込んだんだろう……本当に俺は馬鹿だ……」

「いやあいつが男だって方が俺にとっては大問題だけど!?」


「お前らみんな馬鹿だな」ポルトが冷たい声で言った。「本当に馬鹿だ」


 まったくだ、とジェムズは思った。グスタフが唸る。


「そのとおりなんだが、それにしても。校長先生は何をお考えなんだろう。寮の部屋くらい別にすべきじゃないか」

「それがすべきじゃないんだ。高等学校を卒業すればガルシアの重要なポジションにつくことができる、つまり超一流と認められるってことだ。一人だけ特別扱いされたらどうしても、一段劣るってことになるだろう。手心を加えられなければ卒業できなかったんだとレッテルを貼られる」

「そうか?」グスタフが首を傾げ、

「そうなんだよ」とポルトはうなずいた。「今まで入ってきたどの女性もみんな、男と同じ待遇を受けて四年間耐えきって卒業していったって聞いてる」


 ジェムズはまた、声を上げた。「は!?」


「うるさいな。真夜中だぞ」

「いや、待て! 今年が初めてじゃないのか!?」

「そんなわけないだろう。頭の固い理事たちが跋扈してる状況下で、外国から初めて呼ぶ留学生が初めての女性だったなら、いくらヴィディオ閣下でも成し遂げられるわけないだろ。女性の先例はすでにいたからあいつの留学が実現したんだ。まあ、ありふれてるってわけでもないが……カルムの母親、ルクレツィア=トロエ=リーリエンクローン様も、高等学校の卒業生だ。確か、あの方が一番初めだ」

「マジで!?」

「在学中にカイル=リーリエンクローンと恋に落ちたんだとさ。そうでもなきゃ、三十年近く前にお姫様と平民が出会うことなんてなかっただろう。あそこは貴族には珍しい恋愛結婚だからな」


 へえええ、と、ジェムズは思う。そういえば、カルムの母親はお姫様――先々代国王の、実子なのだ。王女様なのだ。カルムは先々代国王の孫で、現国王陛下の甥。そんな存在と同級生だなんて、自分の境遇がすごく変だ。


 ポルトはざくざくと夜の森を歩いて行く。グスタフがその背に向かって声をかけた。ちょっと立ち直ったらしい。


「トロエってのは何だ?」


 ポルトは振り向きもせずに言った。


「貴族内の尊称だ。王位継承権のある人間には“トロエ”がつくんだよ」

「あの近衛はカルムにも付けていたな」

「あるからだろ」


 あるのか。そうか。確かにあるんだろうなあ、とジェムズは思う。ゴドフリー前王は失脚してアナカルシスに亡命中だ(外遊という体裁になっているが)。前王やその血縁が権力の座に返り咲くことはあまり考えられない、とすれば、カルムの継承順位はけっこう高いだろう可能性まである。


「どうして高等学校に戻ってきたんだろう。……こうなることはわかっていただろうに」


 ポルトはそうつぶやき、黙った。そのあとは三人とも無言で、夜の森を歩いて行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ