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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
ラセミスタの留学
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操獣法(18)

 ポルトは何も言わず、黙って離れていった。ポルトのいた場所にリデルはしゃがみ込み、ラセミスタを見た。


「……お前もそれ、本気でやりたいわけじゃないだろ。剥がしてやってほしいとまでは言わないけど、ちょっとだけ下げてやってくれないか。同じ班の人間への暴言は、僕が代わりに詫びるから」

「え、え」


 代わりに詫びられて何の意味があるのか、一瞬そう思った。野蛮人だの汚いだの、あまりにひどい。

 けれど、それを言える雰囲気でもなかった。ラセミスタはダイヤルを一番下の段階にまで戻した。ふうううう、ベルナが長々と息を吐く。


「ありがとう」


 リデルはそう言い、ベルナを見た。ベルナは涙目だった。かすれた声が喉から漏れた。


「リ……リデル……」

「ミンツのリュックの底に盗聴器を付けたのはお前だよな」


 リデルの問いに、ベルナはうなずいた。「う、うん……」


「お前が探せと言われたのは“素”だ。それがどこにいるのかを探って来いとヨルグ少尉に言われた。それでハウスの中も見たがった。そうだよな?」

「……」


 一瞬間があった。

 ベルナの目が泳いだ。

 何か計算したのが、ラセミスタにさえ分かった。うん、頷こうとしたのを見て、リデルが息をついた。


「ベルナ。ひとつ言っておく。この班の人間は“一蓮托生”なんだってさ」

「え……?」

「この山を下りるまで、班員のトラブルはみんなのトラブルだ、ってことだ。お前よりも、ミンスターやエスメラルダの人間を優先しなきゃいけないってこと。ほんと勘弁してほしい。虫唾が走る。……でもしょうがない。そうしないと山を下りられない。何より、ポルトに」

「……」

「ポルトに認めてもらえない。だから僕は覚悟を決めた。ミンスターに頭だって下げる」


 リデルはグスタフに向き直り、頭を下げた。


「さっきの暴言をベルナに代わって詫びる。ごめん。この山にいる間は、もうあんなこと言わせないから」

「山にいる間だけかよ」


 ジェムズが言い、リデルは無視してベルナに向き直った。「だから」低い声で彼は言った。


「お前も覚悟を決めろ。貴族とか地区出身とか、班員とか、そういうの全部取っ払って考えてみると、ミンスターよりお前の方が信頼おけない言動をとってる。もう一度聞く。お前をここによこしたのはヨルグ少尉だ。そうだよな?」

「……」

「聞き方を変えた方がいい」とグスタフが言った。「ここに来るよう言ったのは、ヨルグ少尉だけか?」


 ベルナが身じろぎをした。グスタフもベルナの前にかがみこんだ。


「……ライティグ教官もか?」


 ベルナは目をさまよわせ、うつむいた。うん、と頷いたのが見える。

 リデルがグスタフを見た。


「いや、でも……ライティグ教官に脅されたのか? お前が? ラクロール伯爵からヨルグ少尉への協力を命じられたんじゃなくて?」


 リデルが訊ね、ベルナは、また目をさ迷わせた。

 それから、かすれた声で言った。


「……父は……ヨルグ少尉とは関係ない、はずなんだ。“素”の輸入にも関わっていない、はずだと、思う……たぶん。アナカルシスから“素”が持ち込まれたらしいって、情報を、知ってはいたけど……」

「ベルナ。魔法道具作成試験の時に、カルムに何かしたのか?」


 グスタフがまた訊ね、ラセミスタは驚いた。なぜ今ここで、カルムの名前が出てくるのか。

 ベルナも驚いたらしい。はじかれたように顔を上げた。

 しかしその驚きはラセミスタのものとは毛色が違った。見る見るうちにベルナは青ざめた。


「な……んで……っ」


 図星だったらしいとラセミスタは思う。

 グスタフは少し考えて、事態を整理するように話した。


「あの時……魔法道具作成試験の直後、カルムが体調を崩した。何か盛られたんじゃないかって思うくらい急だった。……こないだからずっと気になってた。学生の中に“アナカルシスのスパイ”が存在するとしたら、ラスの部屋の前に仕掛けた監視カメラを壊すのは理にかなってる。でもその“スパイ”がカルムの体調を悪くさせたがる意味が分からない。

 だからここにきてやっと、逆なんじゃないかと気が付いた。まずカルムに恨みを持つ学生がライティグ教官に依頼して、薬か何かを調達させたんじゃないか。ライティグ教官は薬学の指導官だから簡単だろう。それで、ライティグ教官はそれをネタにその学生を脅して協力させた。それならやっと筋が通る」

「それじゃあ、アナカルシスのスパイなんて初めから存在しなかった、って、こと?」


 ミンツがそう言い、グスタフは首を傾げる。


「それはまだわからないけど。ベルナ、何か知ってるか?」

「知らないよ……」


 ベルナはやっと観念したらしい。ぽつぽつと、小さな声で話を始めた。


「アナカルシスのスパイというのは……ヨルグ少尉も気にしてた。どうやら新入生の中に、アナカルシスと連絡を取り合っている人間がいるらしい、謎の電波が見つかって……傍受まではできなかったけど……高等学校の敷地内からアナカルシスに向けて発信されたもののようだって。言ってた。その誰かはヨルグ少尉の仲間じゃない。だから今回の件には、何も関係ない……はずだ」

「ヨルグ少尉と一緒に行動しているのは何人だ? それが狩人なんじゃないのか」

「僕が見たのは全部で四人だ。ヨルグ少尉を入れて。全員、近衛だって話だった」

「偽ってるんじゃないですか。ほんとは狩人とかいうやつなんじゃ」


 ミンツがそう言い、ベルナは、首を振った。

 

「そこまでわからない。でも、別に会話に苦労してる様子もなかった……」

「エスメラルダの留学生も苦労してないだろ」とリデル。


 ラセミスタは急いで手を振った。


「あ、ごめん、これはその、翻訳機のたまものなのです……翻訳機使わないと、さすがにみんなみたいな会話は無理。これは自分で作ったものだから市販されてるわけでもないよ。アナカルシスで同じレベルの翻訳機の開発ができてるかどうかは把握してないけど、可能性は薄いと思う」

「アナカルシスのスパイというのはそもそも、新入生の中にいるって話だっただろう」とグスタフが言った。「新入生で会話に苦労してる奴なんて一人もいない。もうだいぶ前からガルシアに住んでるってことなんじゃないのか」

「待て待て」ジェムズが言った。「話がごっちゃになってる。今問題なのはアナカルシスのスパイでも狩人でもなくて、ヨルグ少尉の動向のほうだろ」

「確かにそうだな。ベルナ、ミンスターの言ったことは本当か? リーリエンクローンに薬を盛ったりしたのか」


 リデルがそう言い、ベルナは、両手を顔に押し当てた。


「魔法道具作成の時に……あいつの壺の中にオキリニギラヘビの毒とごく小さなガラスのかけらを入れた。その毒はライティグ教官に調達を頼んだ。あの蛇の毒は薬にもなる、人体に害はない、でも傷口から入ると眩暈と倦怠感を起こさせる……」

「なんでそんなことしたの?」


 ラセミスタは思わずそう訊ね、ベルナは顔を上げずに言った。


「……父に言われたんだ。リーリエンクローンの息子がまた高等学校に入った。しかも主席。薬草学でも満点だったし、地図作成もかなり良かったらしい。平民の息子なのに、実技でまで主席取られたら……カイマン家のご当主は、いったいどうお思いになるだろうかって。だから、ちょっと。ちょっとだけ。注意力を落とすくらいの、ものを……」

「ライティグの後ろ盾はリーリエンクローンだ、って、さっきポルトが言っていたよな。断られるとは思わなかったのか」


 ジェムズがつぶやき、ミンツが首を振る。


「断れるわけないよ。首都出身の平民で、高等学校の教官になってるんだ。そんな話を持ちかけられた時点で詰んでるよ」

「僕もそう思った……。でもあいつは、初めから断る気がなかった。それどころか。さっきミンスターが言ったとおり、逆手にとって脅してきた。渡りに船ってところだったんだろう」


 ということはつまり、ライティグ教官はヨルグ少尉の仲間なのだ。

 ラセミスタは今頃そう思った。

 どうしてだろう。ライティグ教官は一体なぜ、ヨルグ少尉に協力しているのだろう。


「……初め、ライティグは、エスメラルダの留学生の部屋の前に仕掛けたカメラを壊すだけでいいって言ったんだ。それも、ばれそうになった時のための保険だって。それくらいなら……って思ったのに。実際その、壊す羽目になるし、そしたらアナカルシスのスパイだとかって、大ごとになってくるし……。しかも要求が、それで終わらなかった。操獣法でリーリエンクローンと同じ班になる人間に盗聴器をくっつけろとか、この山に来てからも……」

「どうして、突っぱねなかったの? そうできたはずなのに」


 訊ねながら、ラセミスタは、薄々答えを察していた。

 ポルトはだいぶ離れた場所に椅子を持っていき、それに座って、駄菓子を食べているようだった。背もたれに体を預け、仰向いて、星を見上げながら。

 彼は今どういう気持ちでいるだろう。


 ――カイマン家は司法の家なんだ。


 ミンツがそう言っていた。だからリデルはポルトに頼んで席を外してもらったのだ。

 ベルナは何より、ポルトに知られることを恐れていた。ライティグ教官はそこを突いたのだろう。


「……そういう不正は、ポルトが一番嫌うんだ。それもポルトを主席にするためにリーリエンクローンの妨害をするなんて……だから、言えなかった……」

「ベルナ」


 リデルはベルナの肩に手を載せた。


「ポルトは昨日、買い物の後、ご自宅に帰っただろ? 僕たちもお邪魔して、夕食をごちそうになるはずだったけど、閣下がご在宅だったから、執事に遠慮してほしいと頼まれた」

「うん……」

「あの時ポルトは、閣下に呼ばれて、入学式でのことを叱責されたそうだ。それからお話を聞いた。操獣法の試験で何をするかということと、……操獣法という名前の由来について」

 ベルナが顔をわずかに上げた。「……由来?」

「獣を操る方法の試験。この獣が何を指すかというと、マティスとか大鷲とかじゃないんだって。その獣がどこにいるのか、よく考えなければならないって」


 ベルナは涙の残る目を見開いていた。リデルは低い声で続けた。


「……貴族と、それを尊重する平民だけの時代は終わったんだ。僕たちがどう思おうと、どう主張しようと、現実として身分制度は廃止されて、高等学校にはミンスター地区どころか外国の人間まで入るようになった。これが現実だ。

 この現実から目を背けるな。平民たちをうまく使って課題をこなせ。その経験は、議会に入ってから何よりの糧になるはずだ。それができなければ跡継ぎの資格はないと……閣下は、おっしゃったそうだ」

「そんな……」

「『操るべき獣はどこにいる?』 よく考えろ、とポルトは今朝僕に言った。それからずっと考えてる。……お前も考えろ」


 リデルは立ち上がり、ポルトの方へ歩いて行った。

 





 ベルナは悄然とうつむいていた。

 ラセミスタはいたたまれなくなって手を伸ばし、ベルナの首からジェルシートをそっと外した。


 今朝からのポルトの豹変が不思議だったが、これで腑に落ちた。父親からの叱責が、ポルトをあそこまで変えたのだ。


 グスタフがベルナの前から離れ、ジェムズも離れていった。ミンツは少し迷う様子を見せたが、何も言わずに端末の方に戻った。ひとり取り残されたベルナは、なんだか、迷子になって泣き疲れた子供のように見えた。

 ベルナの暴言に対して抱いた怒りもすっかり醒め、今ラセミスタは、恥ずかしかった。ガルシアにない魔法道具を使って脅し、自白を強要するなんて、恥ずべき行為だと言える。ラセミスタはベルナの前にきちんと座り、頭を下げた。

 

「ベルナ、えっと……驚かせたことに対して謝るね。ごめんね。怖かったでしょう」

「怖!?」ベルナははじかれたように顔を上げた。「ばっ、馬鹿にするな! 怖いことなどあるか!」

「あ、そうだった? それは良かった。あの、それでねこれ、実は本当の拷問道具じゃなくて、」

「え――?」


 ベルナが顔を引きつらせ、「ラス」ジェムズの声が遮った。

 

「ちょっと来て。これの操作方法を教えてほしいんだけど」

「え、で、でも、」

「いいから早く」


 有無を言わせぬ口調。ラセミスタはしぶしぶ立ち上がった。まだちゃんと謝罪ができていないのに。

 そちらに行くと、ジェムズとグスタフは代替端末をのぞき込んでいた。グスタフが椅子に座っており、ジェムズが、その横からのぞき込んでいるという体勢だ。ラセミスタがジェムズの反対側から画面をのぞき込むと、ジェムズが、低い声で言った。


「……あのさ。黙っといてあげなよ。全部正直に話すことが美徳だとは限らない」

「え――?」

「さっきラスが使ったの、ほんとは拷問道具じゃないんだろ」

「う、うん。低周波治療器って言って、肩の凝りとかをほぐしてくれる道具なの」

「そんなのあんの?」ジェムズは苦笑した。「ま、いいや。考えてみて。凶悪な拷問道具で脅されて白状させられるのと、肩こりの治療器を恐ろしいものだと思い込んで白状させられるのと、どっちがダメージでかいと思う?」

「……」


 ラセミスタは、動きを止めた。どっちだろう。

 ラセミスタなら、自分の首に貼り付けられていた魔法道具が、別に危険なものじゃないとわかればホッとする。安心させてあげたかった。それから、謝罪もしたかった。いくら腹が立って頭に血が上っていたとはいえ、軽率なふるまいだったと。


 けれど、ベルナにとってみてはどうだろう――


「プライドが傷つくだろ。まあ、今更だけどさ」

「……うん、わかった。黙っておく」

「それがいいよ」


 ジェムズは笑い、ラセミスタは、ジェムズは本当に親切な人だ、と思った。ラセミスタには常識が足りない。男の子の心の機微なんて、今まで慮ったことなど一度もなかった。

 でも確かに、脅されただけでも悔しいのに、それが嘘だったなんてことがわかったら、ベルナはもっと傷つくかもしれない。あたしってまだまだダメだ。ラセミスタはひそかに落ち込んだ。

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