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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
ラセミスタの留学
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操獣法(17)

 夕食を取り終えると、グスタフとジェムズ、ポルトとリデルは寝支度を始めた。


 リデル以外の三人は真夜中にまたマティスの見張りに行く。リデルとラセミスタ、ミンツは端末を通して軍人たちの動向を見張る係だ。はじめはミンツが担当する。リデルは夜の十時、ラセミスタは夜中の二時に交替。

 ポルトは率先してその割り振りを決めた。文句を言わず、淡々と、危険だから今度は誰かが代わってくれと主張することもなく。昨日までのポルトとは本当に別人のようだとラセミスタは思う。

 

 それにしても不安だった。ベルナはテントを張る様子がないのだ。ほかのみんなのテントはすべて一人用だからベルナを入れてやったら窮屈だろうし、といってラセミスタのハウスに招き入れるのは良くないだろう。ガルシアの常識はよくわからないしエスメラルダの常識もよく知っているわけでもないのだが、マリアラやミランダなら、例えばジェイドやディノという人を招き入れたりはしないだろう、という程度の想像はできる。


 ベルナとて、ラセミスタが女性だということくらいはわかっているはずだ。まさか一緒に寝かせろとは言いだすまい。しかし貴族の常識はわからない。平民で外国出身の人間なのだから、屋根と壁のある場所で寝かせてやるだけありがたいと思え、というかもしれない。そもそも女性だから尊重してもらえるはずという考えが危険かもしれない。高等学校に入った以上、同級生たちと同じ床で雑魚寝くらいできずにどうする、というのが“常識”かもしれない。ラセミスタは困っていた。自分も寝支度をしなければならないけれど、ベルナがハウスで寝かせろと言い出すのが怖くてなかなか始められない。


「ベルナ。テントは持ってますよね?」


 ミンツが端末を覗きながらそう言い、ベルナは唸った。


「持ってるけど。もう暗いから、今から建てるのも」

「それなら僕のを使っていいですよ。僕はまだしばらく寝ませんから」

「でも――」

「あんまり質のいいテントじゃないですけど、寝袋はちょっといいやつなんで」


 さあさあ、どうぞどうぞ。ミンツはにこやかにベルナを案内しようとする。ベルナは案内されかけ、そうはいくかと言わんばかりに踏みとどまった。じろり、とラセミスタを睨む。

 

「あのさあ、なんで何も言わないの? 本気で、貴族をテントに寝かせるつもりなのか? 自分はあんないい建物で、一人で手足伸ばして寝んの? 平民のくせに、この国に住まわせてもらってるくせに、どんな神経してるんだ。お前さ、ポルトがどれだけ高貴な身分かわかってんの?」


 うえええええ、とラセミスタは思った。


「ガルシアの血さえ流れてない部外者のくせに、」

「ベルナ、俺はあの建物で寝たいなんて一言も言ってない。俺をダシに使わないでくれ」


 ポルトが鋭く言い、ベルナは鼻白んだように黙った。しかし諦めたわけではなかった。切羽詰まったように周囲を見回し、リデルを見た。


「リデルは? 本当にいいのか? 下賤の者があんな建物で寝て、君はテントで寝る、そんなの許せるのか? 当然受けられるべき権利を、」

「ベルナ」


 ふと気づくと、ベルナのすぐ後ろにグスタフがいた。

 ベルナはぎょっとしたように振り返り、「な、んだよ!」甲高い声を上げた。「野蛮人が! そばに寄るな――」


「誰に言われてここに来たんだ?」

「は、……はあっ!?」

「ここに居座るだけならまだしも、どうしてあの建物にそんなにこだわる」

「ちょっと常軌を逸してる」ジェムズが口を添えた。「ラスを追い出して自分が中に寝るって、いくら貴族でもガルシア人の発言とは思えない」

「中に入るのが目的なんだろう。あの中の、何を見たいんだ? ――何を見て来いと誰に言われた?」


 グスタフが一歩足を進め、ベルナは後ずさろうとして、テーブルに阻まれて横にずれた。と、その開いた空間にジェムズが滑り込んだ。ぴーぴーぴー。ジェムズの手の中で、何かが音を立てる。


「……センサー?」


 ラセミスタはつぶやいた。ジェムズの手の中にあるのは、確かに、稼働中の魔法道具を探すセンサーだった。さっき使ったものではなく、空き巣騒ぎがあったときにグスタフに預けたままにしておいたものだ。センサーが翳されているのはベルナのリュックサックだ。


「な、なんだよ!」


 ベルナがジェムズにつかみかかろうとし、その手をグスタフがつかんで止めた。「痛い! 放せよ! 汚い野蛮人め、触るな!!」ベルナが悲鳴を上げ、ジェムズがリュックをひっくり返す。どさどさと荷物が溢れ出た。「やめろよ!」そこへ加勢に来たミンツが空になったベルナのリュックを裏返した。その手には迷う様子が全くなかった。どこに何が入っているのか、すべて把握しているようだ――自分のリュックを引き寄せながらラセミスタは思った。


 出されたリデルの荷物はすべてきちんとケースに入れられ、まっすぐにラベルが貼られ、几帳面な字で丁寧に中身が書かれていた。この光景はどこかで見た、自分のリュックをごそごそしながらそんなことを考える。

 ミンツは裏返したリュックサックをまた元に戻し、横ポケットを開けた。そこに入っていたゴミ袋やタオルやピルケース、こまごましたものを外に出す。


「あった。これ」


 ミンツが摘まみ上げたのは、さっきミンツのリュックにつけられていたものとそっくり同じ、銀色の円盤だ。ぴーぴーぴー、ジェムズの手の中でセンサーが主張する。ああ待って、とラセミスタは思った。別のものを探している場合じゃなかった。先に言っといてくれないと、ラセミスタは察しが悪いし行動も遅いのだ。早くしないとまた壊されてしまう――

 

 ぱちゅん。

 ミンツの手の中で、円盤がかすかな煙を上げた。


 ベルナが逃げようとした。と、そこにポルトが割って入った。「ベルナ」ポルトは静かな声で言った。「一体どうしたんだ。どういうことなんだ?」


「ぽ、ポルト――」

「ラクロール家は近衛の家柄だ。――お前まさか、ヨルグ少尉の」

「しっ、知らない! 僕は知らない、何も知らない!」


 悲鳴のような声を上げてベルナは座り込んでしまった。グスタフは立ったまま、低い声で言った。


「こないだの空き巣騒ぎの時、ラスがカメラの映像をさかのぼって犯人を特定しようとした。その時にカメラを壊す何かをしたのもお前か」

「野蛮人が!!」悲鳴が上がった。「お前だと!? 僕を! 僕を誰だと……僕は貴族だ、なんでお前なんかにっ」


「ベルナ」ポルトが屈みこんだ。「お前が、アナカルシスのスパイなのか? アナカルシスから誰かが呼び込んだ殺し屋――お前、それに関わっているのか?」

「……」

「お前、」ポルトはベルナの肩をつかんだ。「わかってるのか。それがどういうことなのか、本当にわかってるのか!? アナカルシスのスパイって……反逆行為だぞ、高等学校生ともあろうものが!」


「ぼ、ぼくは……アナカルシスとは関係ない、」


「何が関係ないんだ。お前がエスメラルダの留学生をよく思っていないことはわかってる。俺もそうだ。なんで誇り高いガルシアがあんなちっぽけな国に膝をつかなきゃいけないのかって、思ってる。思ってるさ。でも、あいつは正規の留学生だ。国同士の取り決めをきちんと交わして試験も受けて、どうやら不正もないらしい。それなら受け入れるしかしょうがない。どうしても気に入らないなら、高等学校を卒業して、ハルウェイ政治学校に進学して卒業して議会に入って、国を動かす立場になってから対処するしかない。改革には時間がかかるんだ。そんなこともわからずに今この段階で殺し屋を引き入れてあいつを殺させたりしてみろ、お前はただのテロリストだ。カイマン家の人間として、俺は絶対にお前を許さない!」


「ポルト、落ち着けよ……」ジェムズが囁いた。「ベルナが竦んでるじゃないか。ちょっと、初めから整理しなおした方がいいんじゃないのか」

 ポルトが顔を上げた。「整理だと?」

「そう。ベルナの言い分も聞いてみよう。アナカルシスとは関係ないって言ったよな」ジェムズもベルナの前に座り込んだ。「じゃあ何と関係あるんだ? あの銀色の丸いやつは、誰からもらった?」

「……」


 ベルナは頑なにうつむいて、顔を上げなかった。ジェムズとポルトは顔を見合わせ、ポルトが、言い直した。

 

「ベルナ。あの銀色のものは誰に持たされたんだ」

「……知らない」

「そんなわけない」まだ立ったままのグスタフが言った。「ミンツのはリュックの裏側にくっつけられた。ベルナのはポケットの下の方に丁寧にしまわれていた。誰かのリュックに忍ばせるならミンツがされたようにリュックの底にくっつけるのが一番安全、」

「うるさいよ!! 野蛮人がっ、人間の言葉を話すんじゃない!!」


 ラセミスタはその時やっと、ベルナの近くにたどり着いた。

 ふつふつと腹が立っていた。本当に、本当に、なんなのだ。ベルナの言動は何から何までひどい。野蛮人だの触るなだの汚いだの人間の言葉を話すなだの、自分が何を言っているか本当にわかっているのだろうか。

 怒りに任せて、リュックの中から見つけ出したジェルシートをぺたりとベルナの首に貼り付ける。「ひっ!?」ベルナが飛び上がった。「な、なんだよこれ――!?」


「あーダメダメはがしちゃダメ! 無理にはがすと爆発するよ!」


 ジェルシートには八本のコードが取り付けられている。そのコードは途中で一本にまとまり、それが接続されているのはラセミスタの持つ小さな端末だ。「ば……爆発……!?」ベルナは青ざめ、ラセミスタは、自室の防犯装置が起こした爆発はなかなかの影響をもたらしているらしい、と思う。


「触らないでね。無理にはがすと本当に危ないからね」

「い……一体何を……っ」

「あのねこれはね、エスメラルダの警備隊……えっとここで言う警察? みたいな存在が使う道具でね。捕まえた犯人にちょっとその……自分から進んで素直に話したくなるように、働きかける道具なんですねー」


 かちっ。ラセミスタは端末のダイヤルを回した。ベルナがびくりとした。


「な、なんか今っ、ぴりってしたんだけど!」

「うん、これはね、頸動脈から電流を流し込む装置だから」

「頸動脈!?」

「これを持ってきたのはね、ガルシアの警察からの依頼でね。エスメラルダで広く使われているごうも……じゃなくてその、なんていうかな、素直な自白を促す装置を……」

「拷問って言った! 今拷問って言ったよな!?」

「とにかくこの装置をガルシアにも導入したいんだけど、人種が違うから、同じ強さの電流で同じ効果が出るとは限らないから。実験台を探していたの。ほんと、ちょうどよかった。はーい、ちょっとチクッとしますよー?」


 カリ、とダイヤルを回すとベルナは悲鳴を上げた。


「いっ、痛い! すごく痛い!」

「うん、エスメラルダの犯罪者と同じくらいの電流で同じくらいの反応が出ているかな。今、これで1%くらいの強度なんだ。最大電流まで上げたらどうなるんだろう? エスメラルダの犯罪者のデータによると」


 ラセミスタはニタリと笑った。

 しばらく待って、ベルナが叫ぶ。


「その先は!?」

「知らない方がいいと思うよ? もちろん丸焦げになったりはしないけど、ちょっとこの先、まともな精神活動が続けられるって保証はできないかな」

「ラセル」ポルトが低い声で言った。「いくら何でも、非人道的な行為は認められないぞ。エスメラルダでもそうだろう」

「うん、通常なら裁判所の許可を取ったうえで医師の立ち合いのもと行われる行為だよ。でもポルト、言っておくけど、友達に暴言を吐く人を人道的に扱うつもりはないからね」

「言葉には物理的な攻撃力はないだろ」

「ガルシアの常識ではそうなの? エスメラルダの常識では違うよ。言葉は心を傷つける。心の傷はエスメラルダでは肉体と同じくらい重要視される。人のこと殴っておいて自分が殴られるのは嫌だなんて、そんなの通じるわけないでしょう。それも通常時ならともかく、この非常時だよ。何としても情報を得なきゃいけない状況だよね」

「ベルナ」ポルトはベルナに視線を戻した。「ベルナ、なあほら、あの盗聴器は誰に持たされた。早く言ってくれ」

「……」


 沈黙が落ちた。

 ラセミスタは息を吸った。


「あれえー、返事が聞こえないなあー」


 カリカリカリ、とダイヤルを上げるとベルナが叫んだ。


「わあああ! わあああああー!」

「ベルナ! ベルナほらっ」

「待ってくれ」


 リデルの声がすぐ隣で聞こえた。

 ダイヤルにかけた手を止められて、ラセミスタは顔を上げた。リデルはひどく沈鬱な顔をしている。


「リデル、」

「……そんなことしないでもベルナは話すよ」リデルは低い声で言った。「頼むよ。ちょっとだけ時間をくれ。ポルト」


 リデルはポルトを見た。


「……ちょっと。ちょっとだけ、わけを聞かずに席を外してもらえないか」

「……俺が?」


 ポルトは目を見開き、立ち上がった。リデルは頭を下げる。


「頼む。ポルトにだけは……知られたくないこともあるんだ、僕たちには」

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