操獣法(11)
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ラセミスタが通信機の三つ目を作り上げたとき、ちょうどチャスクとジェムズ、それからミンツがキャンプに戻ってきたところだった。
ラセミスタが通信機を増やすのに没頭していた間に、リデルは端末とカメラ“東5-52”を持ってテーブルの方に移動していた。カルムもその隣のテーブルで顕微鏡を抱えてスケッチをしていたので、みんなはなんとなくその周りに集まった。ジェムズは座るより先にお湯を沸かし始め、ラセミスタはそちらに吸い寄せられて行きながら、ジェムズはまめな人だなあ、と思った。まるでミランダみたいな人だ。
ミンツはリュックを机の上にそっと置き、リデルの後ろに回って端末を見つめた。リデルが操作するところを食い入るように見つめ、リデルはちょっと身を引き気味にしてミンツのために場所を譲った。ひそひそ、ぼそぼそ、話しているのは、端末の操作方法をレクチャーしているらしい。意外にと言っては失礼だろうが、意外に親切だ。
了解を得てからミンツのリュックをあけた。白い生き物がぴょこんと顔を出し、きゅうっと鳴いた。ラセミスタは思わず微笑んだ。こんな事態だというのに、この子とあのまま別れることにならなくて嬉しかった。ラセミスタの誘いに従ってその子はゆっくりテーブルの上に出てきて、きちんと座った。毛皮に埋もれてぴょこぴょこ揺れるかそけき尻尾。ああ、とラセミスタは思う。可愛すぎる。
「それでこれからこの子――」
言いかけ、カルムが手を動かしたのに気づいて口を閉じた。カルムの動きには、なんとなく人目を引くところがあった。カルムは顕微鏡から顔を上げ、ゆっくりと自分の口元に指を一本当てた。エスメラルダと同じく“静かに”と言う意味でいいのだろうか、とラセミスタは思う。
今ここで話すなということだろうか。
「スケッチのことだけど」カルムは穏やかな口調で言った。「今やっと一枚書き終えた。でもファキシパロフィリウスに似た微生物があって、これが同種のものなのか、それとも別種のかまではさすがにわかんなくて。念のためそっちも書いとくかと思ってる。その前に」そう言って伸びをした。「――ちょっと休憩。甘いもんがいるわ」
「いるっ!!!」ラセミスタはびしっと手を挙げた。「いるいる! 甘いものいる!!」
「つーかお前ら飯食った? 俺とチャスクはさっきの間に食ったけど」
ジェムズがそう言い、体を伸ばして、机の上に置いてあった皿を引き寄せた。上にかぶせられた覆いを外すと、中から美味しそうな色とりどりの菓子が現れた。「わ!」ラセミスタは思わず腰を浮かせた。この皿はラセミスタたちがここに来る前から置いてあったようなのに、今の今まで気がつかなかった。
「あっこれグスタフの妹さんのクッキー? 昨日食べそびれたやつ!」
「そうそう。他のやつが出したのも入ってるけど」
「取っといてくれたの? どうもありがとう!」
ジェムズはなんて親切な人なのだろう。ラセミスタは感動した。本当にミランダみたいな人だ。
もう食べそびれることのないように、真っ先にクッキーを口に入れる。ほろ苦いココア味とプレーン生地が渦巻き状になっていて、びっくりするほどおいしい。本当にこれが同年代の子の手作りなのだろうか。アーモンドのものも、まわりにザラメのついたものも、どれもすごくおいしい。コオミ屋のクッキーみたいだ。うっかり全部食べてしまわないよう、自分の前から遠くに押しやる。
代わりに自分のリュックを引き寄せ、昼食用に準備してきたパンの袋を取りだした。昨日、大きな購買で調達してきたものだ。
「ラス、飯それっぽっち?」
チャスクがそう言い、ラセミスタは他のみんなが取りだした包みを見た。確かに、ラセミスタの用意した昼食用の包みはひときわ小さかった。丸いパンにチーズとゆで卵を挟んだものがふたつだけ。ひとつはあの子用のものだ。食べやすいように四つに割ってある。
ジェムズが茶を配ってくれて、ラセミスタの隣に座った。ラセミスタが生き物を手招きし、皿にあの子用のサンドイッチを載せたのを見て聞いた。
「ラスの分それだけ? 足りんの?」
「うん、足りる」
「倒れんなよ」
と、カルムが「それじゃ足りないだろ」と言いながらパンをひとつ差し出した。
受け取ると、パンの下に小さなメモがあった。本当にフェルドみたいだと思いながら、それを見る。
“魔法道具を捜してくれ。リデルかミンツの荷物の中”
ジェムズもそれを覗き込んでいた。ラセミスタはジェムズと顔を見合わせ、とりあえず、カルムからもらったパンにかじりついた。中に角切りのチーズがごろごろ入っていた。このチーズはなぜ焼くときに溶けないのだろう、と余計なことを考える。
「カルム、これ美味しいね。ありがとう」
「んー」
「でもね、お昼はこれで全部じゃないんだ。こっちがメイン」
言いながらラセミスタはリュックをごそごそして、購買で買った菓子の紙袋を取りだした。その大きさにみんなが驚きの声を上げた。リデルとミンツは端末を覗きながら食べていたが、わざわざ顔を上げてこちらを見た。
「なにその量」
「お菓子だよ。あの大きな購買で、お菓子だと思うものを手当たり次第買ったんだ。ガルシアのお菓子って初めてで……どれが美味しいかなあ?」
「……小さく縮めてこの量かよ!?」
紙袋を覗いたジェムズが驚きの声を上げる。ざらざらざらざら――紙袋からテーブルの上に出されたのは、昨日購買で売られていた菓子(と思えるもの)全種類×5だ。
「店でも開く気?」
「まさか、ひとつたりとも売る気はないよ。あ、でも大丈夫だよ。今全部は食べないから」
「そりゃ当たり前だろ」
なんだかんだと話しながら、工具入れからセンサーを取り出す。先日グスタフに頼んで廊下を調べてもらったときのものは、そういえばまだ返してもらっていなかった。予備をもう一つ持ってきておいてよかった。
その間にジェムズが、ミンツとリデルにカルムのメモを見せていた。リデルは嫌そうな顔をしたが、黙って自分のリュックに顎をしゃくった。ミンツも頷いて、先ほどあの子を出したあと机の上に置いたままだったリュックに向けて、どうぞ、という仕草をした。と、チャスクが立ち上がってラセミスタの手からセンサーを取った。スイッチを入れて、リデルのリュックにかざす。センサーに反応はない。続いてミンツのリュックに近づける。
と。
ぴぴぴ――
センサーが音を立て始めた。ミンツがぎょっとしたように立ち上がり、チャスクの隣に駆け寄った。リュックの中身を一つずつ出していく。
ミンツはとても几帳面な性格らしく、中に詰められていた荷物はすべてジャンルごとに分けられ、ケースにきちんとしまわれていた。一つ一つにラベルが付いている。そのラベルがきちんと、まっすぐに貼られているところを見ても、ミンツの几帳面さがうかがえる。
ミンツが机の上にひとつのケースを出すごとに、チャスクがセンサーをかざしていく。センサーは音を立てない。ミンツは中身をすべて出し終え、他の小さなポケットなどもすべてからにして、最後にリュックをひっくり返した。「あっ」驚きの声が漏れた。
「なんだこれ……」
リュックの底につけられていたのは小さな薄っぺらい魔法道具だった。直径四センチほどの円盤形をしていた。ラセミスタは目の前のパンの載った皿と菓子の袋を押しのけて場所を作った。菓子の袋が倒れてあふれた小さな菓子をジェムズが拾って戻してくれているが、それどころではなかった。リュックの底からぺりっと剥がされた魔法道具を受け取りながら、工具入れから拡大鏡を取り出す。
なんの刻印も印もない、銀色の平べったいものだ。
背筋がぞわっとした。指先にかすかな振動を感じた瞬間、ぱちゅん。魔法道具が軽い音を立て、かすかな煙が上がった。
「……あの時と同じだ」
「何が?」
ジェムズが訊ね、ラセミスタはジェムズを見た。
「調べる前に壊された。部屋の前を映していた監視カメラと同じ」
視線を戻すと、かざした円盤の向こうに、ミンツが青ざめているのが見える。
「それって……何だったの?」
「調べてみないとはっきりしたことはわからないけど、発信機だと思う」
「それと盗聴器だろ。ほかにはもうないのか」
カルムが言い、チャスクがもう一度、ミンツの出した荷物すべてにセンサーを向けた。センサーはもう音を立てなかった。ほかのみんなの体やリュックにも向けて、チャスクはそのままテントすべてを調べに行った。稼働状態の魔法道具は、他にないようだった。もちろんリデルが操作中のラセミスタの端末を除いて。
「……これで安心して話ができるな。さっき、その子を連れたミンツだけがつけられたのもそれでわかる」
カルムがそう言い、ふう、と息をついた。
みんなは何も言わないまま、お互いに顔を見合わせた。何か微妙な、探るような沈黙が落ちた。ラセミスタは少しの間考えて、ようやく思い至った。
ミンツのリュックにこの魔法道具を取り付けたのは誰なのだろう。
ヨルグやその仲間ではあり得ない。班分けが判明したのは今朝だ。ラセミスタとミンツが同じ馬車に乗るとわかってから、ミンツのリュックにこれを取り付けたのならば、それができた人間はごく限られてくる。
「……ごめん。うかつだった」
ミンツが小さな声で言う。ラセミスタは首を振った。
「そんなの、仕方がないよ。でも……」
「心当たりは?」
カルムが訊ね、ミンツは首を振った。カルムはパンを一口食べ、飲み込んで、穏やかな口調で言った。
「あのさ。なんか空気悪くさせて悪かったけど、ほら、空き巣騒ぎの時にさ。アナカルシスのスパイって話があっただろ。ラスの部屋の前に仕掛けてたカメラを壊したやつ。あれが同じ班だったらさすがに嫌だなと思ってたんだけど、今回のお陰でわかった。少なくとも同じ班の中にはいない」
「?」ラセミスタは顔を上げた。「いないの?」
「いたら盗聴器だの発信機だの、ミンツにくっつける必要ないだろ? 自分で持っててあの子から離れないように気をつけりゃいいだけの話だ」
「ああ、そっか! 確かにそれはそうだね!」
ラセミスタはほっとした。確かに同じ班の人間なら、ミンツじゃなくてラセミスタのリュックにこれを取り付ける機会だってあったはずだし、そもそもそんなことをしないでもあの子の居場所を探るのは簡単だったはずなのだ。
カルムはミンツに、「座れよ」といった。
「今のうちに腹ごしらえしないと。今から山のような菓子が出てくるわけだし」
「うんうん、いくらでも食べて! みんなで食べようと思って、買ったの全部持ってきたんだ。それにね、これで全部じゃないんですよ」
「嘘だろ、まだあんの!?」
笑いが起きた。「もう一つわかったことがある」リデルが言った。「この山に来てるヨルグ少尉の仲間は、おそらく三人だ。この班の人間がいる辺りはほとんどチェックしたが、他にはいない。もちろん山全部を見たわけじゃないし、後から合流するかもしれないけど」
「そりゃいいニュースだな」
「リデル、ありがとう」
ラセミスタが微笑むと、リデルは目をむいた。そして、ぷいっと顔を背けた。耳が赤くなっている。怒っているのだろうか。異国人にお礼など言われる筋合いはない、ということかもしれない。リデルはぶっきらぼうに言った。
「いっ、一蓮托生って言ってるだろ!」
「まあまあ、そう怒らないで。お菓子、どれが美味しいか教えてくれる? どれも美味しそうだったんだよね」
「購買で買えるものなんか、この僕が食べたことあるわけないだろ!」
そういうものなのか。ラセミスタはちょっと感心した。それならリデルが食べたことがある菓子は、どこで買えるのだろう。




