魔法道具作成試験の夜
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今日の夜はやけに冷える。
彼は今日も夜の闇の中に足を踏み出した。どうしても、背後を気にしないではいられなかった。
先ほどの空き巣騒ぎは、思いも寄らぬ方向へ飛び火した。もしこんなところを目撃されたりしたら。そう思うと、いてもたってもいられない。
『こんばんは。今日は魔法道具作成の試験だったね。首尾はどうだったかな?』
「その……その前に、お伝えしなければならないことが」
雇い主の言葉を遮るように言うと、雇い主の雰囲気が変わった。『どうした?』
「新入生全員の部屋に、空き巣が入ったんです」
彼は雇い主に、先ほどの話を報告した。ラセルの部屋にいる“白い生き物”が無事だった、と言うこと以外は全て。
夕食を終えて帰ってきてみたら、騒ぎが起こっていた。一番に騒ぎ出したのはミンツだった。商家の出であるミンツは、空き巣や泥棒に対する備えをたたき込まれていたために、何も盗られていないのに空き巣の侵入に気づいたのだ。カルムの部屋もグスタフの部屋も、そして、彼自身の部屋も誰かが入った。そう言われてみれば確かに、置いておいたものやかけておいた上着の配置が少しずれていたような気がする、と言う程度の、漠然とした印象に過ぎなかったけれど。
空き巣の存在が決定的になったのは、ラセル=メイフォードの部屋のすぐそばに仕掛けられた、魔法道具の存在だ。ラセルの仕掛けた防犯装置に行く手を阻まれた空き巣は、防犯装置を作動させずに入る方法を盗み見るために、ラセルの扉のそばの通気口に隠しカメラを仕掛けた。ラセルはそれを解析して――
「……犯人の顔が映る寸前で、誰かがその映像を破壊したのだと、ラセルは言ってました。隠しカメラにあらかじめトラップが仕掛けられていて、そのカメラを仕掛けた犯人かその共犯者かが、犯人の顔が見える直前に危険に気づいて、そのトラップを発動させるスイッチを押したんだって……」
『ふうん。新入生の中に犯人か、共犯者がいるってことだね?』
「それで……アナカルシスのスパイが紛れ込んでるんだって、話が、出て」
彼は身を震わせた。まさかこんな形で、身の危険を感じることになるなんて。
初めにそれを聞いたのは、昨日だ。朝食を取っていたら、ポルトとかリデルとか、首都出身の者たちがラセルの悪評を吹聴していった。その時に、“アナカルシスのスパイが紛れ込んでいる”という趣旨のことを言っていた。アナカルシスはガルシアの地下資源をまだ諦めていない、とかなんとか。
しかし今夜はもっと具体的な話まで出てきた。曰く、アナカルシスが送り込んだ狩人のスパイがエスメラルダの留学生を狙ってるんじゃないかとか、親エスメラルダ派であるリーリエンクローン家の当主(カルムの父親である)を狙うために、新入生になりすまして入り込んでいるのだとか。
それが事実じゃないと言うことは、自分がよく知っている。
アナカルシスのスパイは、他ならぬ自分だ。
空き巣なんてしてないし、空き巣の共犯者でもないし、ラセル=メイフォードを狙ったりもしてない。リーリエンクローン家の当主を狙ったりもしてない。当然、ラセルの防犯装置の解除方法を盗み見るためにカメラを仕掛けたりしていないし、犯人がばれそうになる寸前に妨害電波を発信したりもしていない。
けれどそれを主張するわけにもいかなかった。今夜の一件で、“アナカルシスのスパイ”は新入生たちの間に強く印象づけられてしまった。本当に勘弁してほしい。こんな夜中にアナカルシスに極秘に通信しているところがばれたりしたら、一体どうなるだろう。
『……しばらく、通信は控えた方がいいようだね』
雇い主は優しい声でそう言った。はい、と彼は頷いた。雇い主は、低い声で囁く。
『明後日から山に行くんだったよね。君にはいろいろと負担をかけて申し訳ないと思っている。空き巣騒ぎが気になるな。大方、ガルシアの軍部が“素”を探しているんだろうが、新入生の中に共犯者がいるとなると』
「あの、アナカルシスのスパイというのは、本当にほかにいないんですか」
訊ねると雇い主は、声に笑みを含ませた。『いないよ』
「本当ですか。あの、」
あなたが知らないだけで。
言いかけた言葉は何とか飲み込んだ。
「えっと、狩人? 狩人が送り込んでいるということはないですか? こっちで、前からちょっと話が出ていたんです。新入生の中に紛れ込んでいるというアナカルシスのスパイが、リーリエンクローンの当主を狙うって、こないだ」
『狩人はまだ着いてないよ。狩人の送り込んだスパイ、と言うこともあり得ない』
雇い主はきっぱりとそう言った。そうでしょうか、と彼は異を唱えた。
自分以外の“アナカルシスのスパイ”の存在が無性に恐ろしかった。絶対にいないなんて、どうして言い切れるのだろう。
「あの……思ったより早く着いたとか、可能性はないんですか」
『うん、あのね、狩人の親玉は、本当にダメな男なんだよ』
断言されて、さらに異を唱えたくなる。仮にも一国の王だ。たとえ本人がだめでも、周囲が気を利かせることだってありうるはずだ。
その彼の気持ちをすくい上げるように、雇い主は続ける。
『いや、君、気持ちはわかるが、あの男は本当にダメなんだ。その補佐もダメだ。あの二人の周りには、そのダメさを放置する人間しか残っていない。それ以外の人間を、丹精込めて遠ざけてきたんだからね。……僕がじゃないよ、自分たちでだよ? 自分を褒めそやし、いい気持ちにさせてくれ、夢を見させてくれる人間だけを近くにおいて。現実を見させようと努力する人間は、ことごとく遠ざけられた。……そうじゃなかったら、君の父上は、もっと重用されたはずだ。ガルシアに深く根ざし、周囲に溶け込み、現地の情報をくれる存在を、なぜあそこまでないがしろにできるのか、本当に理解に苦しむ。 いいかい? あの男には自分の息のかかった新入生を高等学校に送り込むほどの頭も能力もないんだ。もしそうしていたら、僕が知らないわけがない。そして狩人はまだアナカルシスを発ってない。明日の早朝に出立の予定だ』
「あ……そう、なんですか」
それならば本当に、今回の件は、ガルシア軍部の単独行動だと、考えてよいのだろうか。
王太子は、少し考えてからつぶやくように言った。
『しばらく連絡が取れなくなるから、先に伝えておこう。狩人は明日こちらを発つ、ということは、ちょうど祭りの頃にそちらにつくはずだ。ここからガルシアまでは、どんなに急いでも五日かかるから』
「は、はい……」
そうだ、狩人は、今現在はまだ来ていないだけで、今後もずっと来ないわけではないのだ。
雇い主はささやくように続ける。
『――気をつけておいてほしい。狩人は、ラセル=メイフォードを狙うつもりだ』
彼は思わず聞き返した。
「え……今さら……?」
『いや、今さらじゃないんだ。今まで僕がつかんでいたのは、“リーリエンクローン家の当主を狙う”という話だった。しかしそのついでにラセルを狙うと【風の骨】が明言した。相手が【風の骨】だというところがちょっと気になるんだけどねえ……』
うーん、と雇い主は唸った。そして、少し口調を変えた。
『まあ、あの人が何を企んでいようと、どちらにせよ……僕の耳にその情報が入るように仕組んだんだとしたら、乗っかってあげないと、と思ってね。僕の耳に入ってほしくないと思っていたかも知れないけど』くっく、と雇い主は喉を鳴らした。『それはそれで面白そうだ。どちらにせよ、ラセル=メイフォードの技術が狩人に渡らない、ということは、本当に重要なことだ。だから頼むよ』
どうしろというのだ、と彼は思う。
相手は狩人――それがどういう組織なのか、彼にはまだいまいちわからないけれど、一国の王が率いているはずの組織だ。それからガルシア軍も絡んでいる。ガルシア軍が秘密裏に狩人と手を組んでいたとして、もし“素”の見返りにラセル=メイフォードを引き渡すなどの密約を結んでいたとしたら、ラセルは双方から狙われるということになる。
一介の学生に過ぎない彼に、期待過剰ではないだろうか。
「俺は特に、……特別な訓練を受けてるわけじゃないんですけど」
『ああ、わかっているよ。でも、高等学校の入学生じゃないか」
何という殺し文句。彼は歯ぎしりをした。




