魔法道具(3)
*
ラセミスタは居心地が悪かった。今ラセミスタがいる部屋は新入生たちがいる制作室の続き部屋になっていて、あちらの声や様子をつぶさに観察できる設備が整えられているのだった。
ポルトが言ったことも、グスタフがかばってくれようとしたことも、リーダスタのヤジも、全部聞こえていたし見えていた。制作室の壁に作られた鏡はこちらから見るとガラス張りになっている。部屋中に仕掛けられたマイクのお陰であちらの発言も全て筒抜けだ。校長先生は本当に人が悪い。
スティシーは直接言いにきた。
きっと、ラセミスタのいないところでは、その何十倍も言っているのだろう。
と、アーミナが穏やかな声で言った。
「私たちは異分子ですもの。そりゃあいろいろと軋轢は生まれるものよ」
「……そうですね」
ラセミスタはモニタから目を離してアーミナを見た。
アーミナは、エスメラルダ出身の女医だ。ラセミスタがここに来て、一番お世話になっている人だ。王立研究院に間借りしていたときも、受験勉強の息抜きにと何度も甘いものを持って訊ねてきてくれて、言葉の手ほどきもしてくれて、ガルシア文化の様々なマナーを教えてくれた。
アーミナはここに来て、もう十年になるという。ヴィディオ校長がこの学校の校長先生に就任したとき、高等学校に女性を迎え入れる下準備をするために、校医を女性にすることがどうしても必要だと主張し、エスメラルダからアーミナが派遣されるに至った。
ラセミスタは頭をひとつ振った。
「アーミナが来たときはもっと大変でしたよね。この国には女医さんはいないんでしょう?」
「そうね、大変だったし、今も困難を感じるときはあるわ」アーミナは優しく微笑んだ。「でもいいのよ。エスメラルダであのまま医師を続けていても、人の治療には携われなかった。ここに来て初めて、自分の手で、人を治療することが許された。志願したのは自分だし、やりがいのある挑戦だったし、今も毎日楽しいわよ」
エスメラルダでは人を治療するのは魔女だ。エスメラルダの医師は、魔女のサポートをするだけだ。診断して、的確なアドバイスをするとか、レポートをまとめて魔女の知識を高めるとか、新しい医薬品を開発するとか。だから今は楽しいのだとアーミナは微笑み、ラセミスタはアーミナの強さに感心する。
「すごいなあ。あたしもアーミナみたいに強くならなきゃ……」
“無回答提出”についてなじられても、事実ではないのだからと、毅然としていられるようにならなければならない。道のりは険しそうだとラセミスタは思う。さっきも、できることなら隣に駈けだしていって、そうじゃないのだと叫びたかった。ポルトやスティシーという人達は、きっと信じてくれはしないだろうけれど、せめて地方出身のみんなにだけはわかってほしかった。
でもそんなことできる気がしなかったし、事実できなかったし、そのせいでしょんぼりしてくよくよして、回復までかなり時間がかかってしまいそうだ。アーミナに比べて、自分の卑小さが悲しい。
しかし。
「あらやだ!」あっはっは、とアーミナは笑った。「あたしは三十路に入ってからここに来て、もう十年も経ってるのよ。ここに来たばっかりの、年端もいかないお嬢ちゃんに、そう簡単に追いつかれてたまるものですか。あなたはそのままで大丈夫、充分頑張ってる。それ以上頑張らないと、なんて、自分を責めなくていいの。逃げ出さずに踏みとどまって、立ち向かおうとしてるんだから、それで充分でしょう。自分を褒めてあげなくちゃ」
アーミナの言葉はとても優しく、ありがたかった。ラセミスタは微笑んでうなずいた。アーミナはニコニコと話を変える。
「そうそう、それでね、二度目のワクチン接種の段取りについてなのだけど」
「あー」ラセミスタは呻いた。「そうでした……」
「試験が終わったら、二日空いてお祭りになるでしょ。お祭りが終わったらすぐ課題が張り出される。でも、課題に出かける日は自分で調整できるから、私のオススメはお祭りの直後ね」
「課題を一個とってから、というのは」
「それはダメよ」アーミナはきっぱりと言った。「ここではね、あっという間に暑くなるのよ。平均気温が二十度を超えたら三日病ウィルスの活動が途端に活発になるんだから、早ければ早いほうがいいの。なんなら、試験終了直後にしましょうか? お祭りに行けなくなっても良ければだけど」
「嫌です……」
ラセミスタはうつむいた。ワクチン接種は痛い。しかし、やらなければならないことだ。
ガルシア国のあるリストガルド大陸には、アナカルシスやエスメラルダにはなじみのない病気がいくつかある。ごく軽いものから重篤なものまでいろいろあるが、最も重大な病気に、三日病と呼ばれるものがある。毎年夏に流行するそうで、エスメラルダから公務でガルシアへ派遣されている人間は、二度のワクチン接種が義務づけられている。ラセミスタも一応公務でこちらに来ているという体裁になっているから、ワクチン接種は義務だ。
ここに来てすぐ、一度目のワクチン接種は済ませている。しかし、接種後、三日ほど体調に異常を来した。受験勉強に取りかかった直後の三日のロスは本当に痛かった。そのため、受験が終わるまで引きこもって勉強をすることを条件に、二度目のワクチン接種を先送りにしてきたのだった。
けれど、もう受験は終わった。今週の試験が終わったら、絶対に注射してもらわなければならない。お祭りが終わるまで待ってくれるというのだから、それでよしとすべきだろう。
「じゃあ、お祭り直後にね。予約を入れておくわよ、いいわね?」
「はい、よろしくお願いします」
覚悟を決めて頭を下げると、アーミナは微笑んだ。窓の外に一度目をやり、
「あ――始まるみたいね」
座り直した。窓の向こうに目をやると、確かに、校長先生の前に集まっていた新入生たちが、三々五々材料を求めて散らばるところだった。ラセミスタは興味深くその様子を眺めた。こちらの人々が魔法道具を作るところを見るのは初めてだ。
ラセミスタが――エスメラルダの人々が魔法道具を作るときには、まず設計図を書く。必要な計算をすることで、必要な情報や材料を割り出す、必須の工程だ。しかし新入生たちは、みんな材料をまず確保しに行くようだった。机に向かう人は皆無で、壁際に渋滞ができている。
今回も、発声は厳禁だ。彼らが手にした問題用紙には、いったい何が書かれているのだろう。グスタフが壁の引き出しからいくつかの容器を取りだし、吟味しているのが見える。リーダスタは大柄な新入生たちの間をするすると動き回って、自分に必要な様々な物を的確にピックアップしていく。ウェルチは長身を活かしてみんなの頭上から魔力の結晶の一番大きなかたまりを確保し、ジェムズは律義に前の人が選び終えるのを待っている。と、カルムが、とても大きな壺を持ち上げたのが見えた。メジャーで大きさを計測し、それを抱えて机に戻っていく。
みんな、いったい何を作ろうとしてるんだろう。
あたしも作りたい――感じた欲求は自分でも驚くほど強かった。ラセミスタが唯一得意な試験だというのに、ここで指をくわえて見ているだけだなんて。問題を見たかった。どんなものが求められているのか知りたかった。かなうことなら隣に駈けだしていって、自分の技量がガルシアの最高学府で求められている水準に達しているかどうか、試してみたくてたまらなかった。
たまらず、今いる小部屋の窓の下にある大きなコントロール盤にかがみ込んだ。これは正式な国交が開始された記念に、エスメラルダから送られたシステムなのだという。
各種スイッチに付けられたガルシア語の表示をいくつか読んで、両手をもみ合わせた。ふふふ、と笑みが漏れる。このシステムがあれば、あちらの大部屋のあちこちに仕掛けられたカメラを駆使して、新入生たちに配られた問題用紙を拡大し盗み見ることなど朝飯前である。
グスタフが手近な机に歩み寄り、確保してきた材料を並べているのが見える。問題用紙は運良く表にしてあった。グスタフの頭上にあるカメラの映像を呼び出し、拡大した。右の壁に作り付けられたスクリーンに、グスタフの渡された問題用紙がくっきりと映し出され、アーミナが軽く口笛を吹いたのが聞こえた。
『数値表示式天秤を作れ。誤差は0.001グラムまでとすること』
いやいやいやいや。
ラセミスタは絶句する。なんだ、その問題。
今まで一度も、はかりを作ろうだなんて思ったこともなかった。
はかりはもちろん、材料を計るためにごく普通に使っていた。今も、工具入れに愛用のはかりが入っている。本当に身近にありすぎて、それがない状況で魔法道具を作らなければならない状況に陥るなんて思ってみたこともなかった。だって正確な計量ができなければ、複雑な魔法道具を組み上げることなんて――
ぞくっとした。
もしかして――今回みんなに出された問題は。
全ての魔法道具を作る上で、一番重要なものを作る、ということなのではないだろうか。
はかりは基礎中の基礎だ。どんな大工だって、土台をおろそかにしては、その上に豪奢な建物を築き上げることなんて不可能だ。
――そうだ、これは学生の力量をはかるための試験だ。
カメラを操作して、リーダスタが配られた問題をのぞき見た。そして息をのんだ。リーダスタの問題用紙には、“数値表示式距離計を作れ。1メートルから100メートルまではかれるものとする。誤差は1センチメートル以内とすること”と書かれている。めまいを感じる。距離計も、大きな魔法道具を作成する上では必須の道具だ。
カルムの問題は、“形状計測機を作れ。底辺80センチ×80センチ、高さ1メートルまでのものを計測できるものとする。誤差は0.1センチメートルまでとする”というものだった。ものの形状を正確に計測できるものは、ラセミスタは今まであまり需要を感じたことはなかったけれど、それはラセミスタが今までに存在していない魔法道具を作ることばかりやってきたからで。既存の魔法道具を量産する、と言う点を踏まえて考えると、形状計測器の果たす役割は計り知れない。
カルムは壺を横に置き、簡易コンロの上に鍋をのせて、魔力の結晶を鍋に入れていた。加熱式の作り方は、エスメラルダではすでにほとんど使われていない。幼年組の頃に学校のイベントで体験したことがある程度だ。未だに一部の愛好家は加熱式の作り方にこだわって作っているらしいけれど。
アーミナは魔法道具の作り方には興味がないらしく、医院から持ってきたらしき書類仕事を始めていた。毎年、新入生の試験の時期には万一の事態に備えて待機するそうなので、もはや見飽きているのだろう。ラセミスタは心置きなく、食い入るようにカルムの手元を見た。カルムの鍋の中で、魔力の結晶はゆるゆると形を変え、液体状になっていく。
魔力の結晶は魔力の塊だ。魔力は“意思”を対象に伝え、その意思を遂行するための動力となる、という特性を持っている。結晶は、その他の鉱石と同じように大地の中から採掘される。概ねは、かつてこの大地を支配していた巨人の亡骸だろうと言われている。肉体が大地に環るときに、分解されずに遺ったもの。
だから結晶を使う前には“初期化”という作業が必須である。以前の意思が残っていたら、正常な動作の妨げになるからだ。エスメラルダ方式で作るときにも本来ならばする必要があるが、工房に支給される結晶は初期化を済ませている。だからつい忘れてしまいそうになるが、午後からの試験はここの結晶を使わなければならないから、ちゃんと覚えておかなければ。
カルムは溶けて初期化の済んだ結晶を壺に移し、また新たな結晶を鍋に入れて溶かす、という工程を何度か繰り返した。あの壺の中いっぱいに結晶を満たすつもりなのだろう。結晶の中に対象物を沈めれば、複雑な形状のものでも計測が可能になる。――熱処理ではそれが限界なのだろうか、とラセミスタは思う。エスメラルダの技術を使えば、あの壺の中を全て満たす必要はない。結晶の量にして、五十分の一程度で充分だ。省力技術が導入されれば五十個分の計測器が一気に作れるようになり、一台あたりの値段も下げることができる。
考えている間にカルムは結晶を全てとかし終え、手を洗いに行った。これから両手で結晶をこね、自分の意思を結晶に浸透させる工程に移るはずだ。その前に両手の不純物を取り除いておくことも重要なのだろう。
両手に結晶だのコンロだの鍋だのを山盛り抱えたベルナがよろよろと歩いてくるのが見える。何か、こちらにある材料を取りに来るつもりなのだろうか。一度荷物を置いてから来ればいいのに、ずいぶん不安定によろよろしながらやってくる。他にも空いている通路はあるのに、わざわざカルムの使っている机の横を通るなんて、礼儀がなってない。あんなにたくさんの荷物を抱えた不安定な状態で、万一カルムの作りかけの魔法道具にぶつかったりしたらどうするつもりなのだろう。
――いけない。さっきのことがあるからか、どうしてもベルナやポルトたちに不快感を持ってしまう。
ラセミスタはカメラを切り替え知っている新入生たちの進捗をひとつひとつ確認した。グスタフは、魔力の結晶をこねるより先に、入れ物を作っているようだった。皿の重心をはかり、慎重に首を取り付けている。胴にバネを仕込み、胴体にはめ込む。動きは慎重で、迷いがなく、的確だった。指が長い、とラセミスタは思った。まるでグレゴリーのよう。
いったいどこが“野蛮人”だというのだろう。
薬草学で、オキリニギラヘビの毒を採るのをごく自然に手伝ってくれた。あのときすでにグスタフの試験管は半分近くが埋まっていた。カルムも同様で、遭遇したときに、お互いに競争心に火が付いたようだった。ガルシアの人間は大変だ、と思う。薬草学も地図作成も魔法道具も、全てが一流でなければこの学校まで来られないなんて。もしラセミスタが生まれも育ちもガルシアだったなら、この学校に入り込める可能性など万に一つもなかっただろう。
――エスメラルダからの留学生という地位にあぐらをかいている。
ポルトや他の新入生たちがそう思うのは当然だ。すごいのは高等学校の新入生たちとエスメラルダであって、ラセミスタではない。言語処理による魔法道具の作成方法を編み出したのは先人だし、魔女道具と魔法道具の境目を取っ払ったのはグレゴリーだし、省力技術だって開発したのはイーレンタールだ。
――あたしはまだ、何にもしてない。
グスタフが鍋を用意し始めたのでラセミスタはカメラを切り替えてまたカルムの方に戻した。手を清め終えたカルムは壺の中に両手を入れ、こね始めていた。集中しているのがわかる。魔法道具を作る上で、一番神経を使う重要な工程だ。言語処理ならば実行前に削除すれば良いが、加熱処理の場合はそうはいかない。ここで雑念が入ったら、魔法道具の動作に影響が出る。ラセミスタはじっとその手つきを見た。カルムの技量は魔法道具作成においても並々ならぬものだということはその手つきをみればわかる。
初日はけっこう打ち解けた感じだったのに、と言ったリーダスタの声が耳によみがえった。確かに、あの小さな不思議な生き物を確保するまでは、カルムはかなり打ち解けた感じだった。入学式に向かう途中で中に入れずに困っていたグスタフとラセミスタに隠し穴の存在を教えてくれた。先に行くときに『悪い』と言った。まあしょーがねーよ、あいつの場合は生まれてからずっとなんだろうし。チャスクはそう言い、仲良くなれれば特典いっぱいじゃん、とリーダスタは言った。グスタフは入学前から知り合っていた。ミンスター地区の人間を泊めてくれる宿がなかったが故に居候させてもらっていた校長先生のご自宅に、あいつも来ていた、とグスタフは言った。どうしてだろうとラセミスタは思う。カルムには、首都ファーレンの中にちゃんと自宅があるのだろうに。
――父親と折り合いが悪く、家に帰ると喧嘩ばかりだったそうだ。
スティシーはそういった。いやいや、それはカルムのお兄さんに対しての発言だったはずだ。……でも。
――唯一残った息子には、ぜがひでも親エスメラルダ派になってもらわねば困る。だろう?
――仲良くしてあげた方がいいよ。そうじゃないと彼も殺されてしまうかもしれないから。
すべて憶測じゃないか、と、グスタフは言った。ラセミスタもそう思った。そう、思おうとした。
……でも。
――殺されたんだ。実の父親にね。
そう言ったスティシーは、楽しそうだった。
もしああいった陰口を、子供のころからささやかれ続けてきたのだとしたら。特別視されて、遠巻きにされて、ひそひそひそひそ、様々な憶測を、至るところで。
――フェルドは、三倍返しを覚えた。
また、フェルドのことが浮かんできた。どうしてだろう? 外見はぜんぜん違うのに、話し方のせいだろうか、たたずまいのせいだろうか、カルムを見るたびにフェルドのことを思い出す。それは、幼い頃から特別扱いをされてきたという共通点のせいだろうか。フェルドの場合は、周囲の人間からのやっかみ混じりの攻撃に対し、泣き寝入りせず、いじめても益がないということを“骨髄にたたき込”むことで自分の地位を確立した。カルムはどうしてきたのだろう。リーリエンクローン家というのは本当に特別な家柄らしいのに、ポルトのように序列を構築しその頂点に君臨すると言うことをしていない。敢えて周囲から一線を引くことで、身を守ってきたのかもしれない。
――あいつのお兄さんもその時に亡くなったらしいし。
――巻き込まれるとかは考えないの。
ガルシアでの“お兄さん”と言えば、ラセミスタにとってはフェルドやダニエルのような存在のことだろう。そして“お父さん”はグレゴリーだ。こないだエスメラルダで起こった大事件の時に、もしダニエルが巻き込まれて死んでいたら。想像するだけで目頭がじわっとする。マリアラが出張医療に行ったときの心痛も一緒に思い出す。もしマリアラが帰ってこなかったら、一生笑うことなんかできないだろう。あのときそう思ったし、今でもそう思う。
しかもそれをグレゴリーが殺したのだと、まことしやかに噂されたりしたら。
それでもカルムは戻ってきたのだと、ラセミスタは思った。
三年間、放浪していたという。フェルドも、いつも放浪を夢見ているようなところがあった。出て行って、帰ってこなければ、こんな煩わしいところに二度と関わらずに済む。自由になれる。フェルドはきっとそう思っていたと思うし、カルムもそうだったのではないだろうか。
でもカルムは帰ってきた。煩わしい場所に、もう一度関わると決めた。だから裏道を教えてくれたし、果たし合いの時には協力してくれたし、白い生き物を保護することにも協力してくれた。放っておくこともできたのに、見過ごさなかった。
もしもマリアラだったなら、カルムとどう関わるだろう。




