魔法道具(2)
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魔法道具科の制作室は、とても広かった。
だだっ広い部屋だ。入って右側の壁には大きな鏡が埋め込まれている。が、その鏡と、入ってきた扉以外の壁は、全て大小様々な引き出しになっていた。引き出しの中にはきっと、材料や道具が豊富に準備されているのだろう。天井には等間隔に光珠が埋められていて、柔らかな光を放っていた。
五十人近い新入生が入っても、部屋にも作業台にもまだまだ余裕があった。入学者はその年によってまちまちらしいから、大勢入った時にも対応できるようにしてあるのだろう。
案内してくれた助手は、校長先生が来るまでここで待つようにと言い置いて出て行った。リーダスタは、辺りを見回した。ポルトたち首都出身の者たちは、序列どおりに整然と手近な作業台に備え付けの椅子を引き出して座った。リーダスタは、もう一度辺りを見回した。
――ラセルがいない。
心配だった。周囲に少し気を配る気があれば、様々なことが漏れ聞こえてくるから。
昨日、新入生たちは全員、夕食を取りに食堂に行くことができなかった。
まるでその隙を狙うように、スティシー家の人間がラセルに対する不満をぶちまけ、食堂に来ていた少なくない数の人間がそれを聞いたようだ。薬草学の試験を無回答で出した、という話は、もう上級生たちの間にも広まっているのだ。
ラセルはどう思っているのだろう。さっきの朝食の時には普通に見えた。少なくとも、地図作成の試験による後遺症は、一切見られなかった。ラセルはどうやらまた郵便を見に行っていたらしく、朝飯に来るのが遅くて、挨拶程度しか交わせなかったから、地図作成の試験をうまくやりきったかどうか、と言うことについては聞けなかった。
ラセルは、あの部屋の中で多少なりとも地図を描くことができたのだろうか。
描けたわけがない、気がする。
どうしてもそう思ってしまう。あの小部屋の中で、ラセルはどういう一日を過ごしたのだろう。そして今日も、集合時間を過ぎたというのに、ラセルはまだ現れない。朝食に来なかったグスタフは、今はもう来ているのに。ラセルはいったいどこへ行ったのだろう。敵前逃亡、という言葉が浮かんでくるのは、やはりスティシーとかいう人の意見や、ポルトの意見に引きずられているのだろうか。
そこへ。
「あーそれにしても本当に、エスメラルダには幻滅だよなあー」
ポルトたちが聞こえよがしな声で今日も始めた。スティシーの援護を受けたからか、奴らはまるで舞台に進み出た俳優のように堂々としていた。リーダスタやグスタフと言った、地方出身の新入生たちの反応をチラチラ伺いながら、奴らは本当に気持ちよさそうに仕入れてきた情報を披露する。
「昨日もさあ、地図なんてぜんっぜん書かなかったらしいよなあー」
「今日なんて試験に来もしないじゃないか。そりゃあガルシアの魔法道具製作試験なんてちゃんっちゃらおかしくて、はなっから受ける必要なんかないのかもしれないけどさあ」
「少しは取り繕えばいいんだよなあ、実力なしで裏口入学したんだとしても」
「高等学校なんて誰でも入れるんだなんて噂が広まったりしたらガルシアの面汚しだよ」
「学問の国なんて豪語してるくせに、こんなド田舎の学校の実技試験に太刀打ちできないだなんて――」
ド田舎、とリーダスタが言ったことが、よほど腹に据えかねていたらしい。
と、リーダスタが考えていると、グスタフが立ち上がった。低い声が言った。
「……その試験の結果はどこから聞いたんだ」
ポルトたちは初めは無視した。ミンスターの“野蛮人”の言葉など耳に届かないとでも言うかのようだった。
しかしグスタフが「ポルト=カイマン。ラセルの試験結果なんて、一体どこから聞いた?」名指しで重ねて訊ねると、渋々と言ったように口を開いた。ポルトではなく、リデルだったが。
「お前にはわからないだろうけど」嫌みったらしくリデルは言った。「首都出身の者は、長年この学校から先輩を輩出しているからな。いろんなルートがあるのさ」
ありそうな話だとリーダスタは思った。この学校はもともと貴族の学校だったのだ、先輩はそりゃあほとんど貴族だろうし、ポルトの父も叔父もここの出だとかなんとか、言っていたような気もするし。この学校の教師に肉親がいたってちっともおかしくないのだ。
リーダスタは部屋中を見回して、カルムを探した。
カルムは少し離れた椅子に座り、作業台に肘をついていた。我関せずと言う様子に見えるが、こちらの話に興味がないわけではないらしく、顔はこちらを向いていた。
貴族にそういうルートがあるのなら、カルムもラセルの試験結果について、誰かから聞いているのだろうか。聞きたかったが、聞ける雰囲気ではない。
グスタフはリデルに訊ねた。
「その情報が確かなものだという確証はあるのか?」
「そりゃあるさ、」
「だったら」遮るようにグスタフは言った。「大問題だ。さっきスティンキーとかいう上級生まで、試験結果がどうのこうのと言ってた。つまり昨日の今日で試験結果が学生たちの間に出回ってる。この学校の指導者の中に、とても口が軽い者が存在すると言うことになる。お前たちも少しは考えた方がいい。高等学校の良識ある先生は、新入生の試験結果が誰彼構わず吹聴されてることについてはきっと重く受け止めると思う。その情報を漏らした人間は処分を受けることになると思うし、そいつとつながっている人間も注意を受けることになるだろう」
リデルが一瞬口をつぐむ。そう言われてみれば確かにそうだとリーダスタは思った。ベルナが慌てたように言った。
「いや、こ、こここれは噂であって。本当の試験結果が流出してるかどうかは――」
「だったら更に問題だ。こないだエルザが“これは国際問題になり得る”と言った。確かにそうだと俺も思う。アナカルシスとエスメラルダの間で、ガルシアの地下資源をめぐって争いが起こってるとか、アナカルシスのスパイがどうのこうのとか昨日言っていたけど、それが本当ならなおさらだ。ラセルの試験結果が根も葉もない嘘っぱちなら、その噂を吹聴した人間は、エスメラルダよりもアナカルシスと手を結びたい誰かの思惑で、エスメラルダの留学生についてあることないこと吹聴して回ってる、ということになる。昨日エスメラルダとばかり手を結ぶのは得策じゃないと言ったが、それよりも遙かに、アナカルシス派の誰かの思惑に乗っかる方が危険だと思うが」
「……野蛮人が」
チッとポルトが鋭い音を立てた。
リーダスタは笑った。
「おやおやお貴族様の教育を受けた御曹司が、まさかそんな下品な音を立てるだなんてー」
「じゃあ今日は何であいつはここに来ないんだよ」
リーダスタのヤジを無視してポルトは立ち上がった。真っ向からグスタフを睨んだ。端正に整った顔立ちが、いらだちにゆがんでいる。
「今日は魔法道具を作る試験だ。エスメラルダの人間にとっては確かにこんな後進国の技術なんて学ぶに値しないんだろうが、それでも、免除されて当然と言うことにはならないだろう。薬草学も無回答、地図作成も無回答で出して、今日は試験放棄。あいつは一体何しにここに来たんだ? あんなやつが高等学校生って認められるなんて、俺はそんなの絶対に許せない」
今まで、あんなに仲間に引き入れようとしていたくせに。
リーダスタはそう思った。しかし、もしラセルが全部無回答で出していると言うことが事実ならば、ポルトの言い分にも一理あると、思わずにはいられなかった。エスメラルダの人間でも、カリキュラムがぜんぜん違ったとしても、例え全く太刀打ちができなかったのだとしても。立ち向かうことだけは必要ではないか。敵前逃亡をして、ズルをして、それでも自分たちと同じ高等学校生という看板を掲げることができるなんておかしい。そんなやつと仲間だと思われるのは心外だ。
「ラセルが全部無回答で出していて、今日も放棄したのだと言う話が事実なら」グスタフは低い声で言った。「それはそうだろう。でもそれは本当に事実なのか? あいつは、“標本を集めるより、もっといい解答をしようと思った”と言って――」
「おはよう諸君」
扉が開いて校長先生が入ってきた。リーダスタはぴっと居住まいを正した。ヴィディオ閣下の前では、どうしても居住まいを正さずにはいられない。
ヴィディオ閣下はこの国の英雄だ。十年前の大事件で本当に重要な役割を果たした。ガルシア国が貴族支配のくびきから解き放たれ、平民出の人間が高等学校に入れるようになり、今繁栄の道筋をたどっているのは、現国王陛下、リーリエンクローンの当主、それからヴィディオ閣下のお陰なのだ。リーダスタの故郷では、ほとんど神格化されそうな勢いであがめられている。
見た目は好々爺然としていて、実年齢よりも老いて見えるし、穏やかで無害そうな外見と言える。しかし、その見た目に騙されてはいけない。政変がきっかけだったとはいえ、四十代でガルシアの最高学府のトップに付いた人だ。
「それでは、今日は諸君の魔法道具を作る腕を見せてもらおうか」
「その前に」ポルトが、静かな声で言った。「……試験開始の邪魔をしてすみません。でも、全員揃っていません」
「いいや、揃っているよ」
「ラセルがいません。……エスメラルダの留学生だから後進国ガルシアの技術なんて必要ないと言うことですか?」
校長はポルトを見た。
そして、笑った。はっはっは、という、とても朗らかな笑い声。
「何か誤解があるようだ。だが、ラセルは試験を免除されたわけじゃないよ。必要だと思ったから、あの子の試験だけ午後に移したんだ」
「午後に――?」
「今日の、君たちの試験は午前中までだ。午後はフリーになるはずだった。が、申し訳ないが君たちには午後の時間、ラセルの試験を見学してもらう」
「何のために?」
「見ればわかる」
「特別待遇ですね」
ポルトは穏やかな声で言った。自らのいらだちをなだめようとするかのような猫なで声。
ヴィディオ校長は微笑んで、頷いた。
「そうだね、確かにそうだ。君たちが不満に思う気持ちはもっともだと思う。私もずいぶん悩んだよ。高等学校の誇りある伝統を曲げることになりはしないかと……だからあの子の試験を午後に移して、君たちに見てもらうことにしたんだ。あの子についての質問も意見も、午後のあの子の試験を見てから聞くことにさせてほしい。それ以降ならば、どんな批判も不満もぶつけてくれて構わないから」
ヴィディオ校長にそうまで言われると、ポルトも、引き下がらざるをえなかったようだ。承知しました、と低い声で答えて、ポルトは頭を下げた。
「差し出口をお許しください。お時間を割いていただきありがとうございました」
「いやいや、君が口火を切ってくれて良かった。さあ、それでは、」ヴィディオ校長は、にこやかに新入生たちを見回した。「諸君、――試験を始めようか」




