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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
ラセミスタの留学
423/781

地図作成(3)

 黒パンとクィナを食べ終えて、やっと人心地付いた。満腹とは到底言えないが、少なくとも空腹は慰められた。ロープも見つかったから、海の測量に取りかかることができる。


 一度目印の地点まで戻り、ロープを調べた。明らかに測量のために準備されていたもののようで、どれも全部同じ長さであり、等間隔に目盛りまで刻まれていた。目盛りがなるべく等間隔になるようにロープの端と端をつなぎ合わせ、一本の長いロープにした。目印の木の幹にロープを結びつけ、残りを伸ばしながらまっすぐに湖に入る。


 先ほどの砂浜が壁で区切られていたことを考えると、この広い広い湖面も、一定の距離までしか進めないようになっているはずだ。初めは歩き、足が付かないところまで来るとロープの端をくわえて平泳ぎで進んだ。程なく“壁”に突き当たるところまで来た。ロープには充分な長さがあり、まだ余裕がある。グスタフは壁までのロープの長さに結び目を作り、今度は右に向かって泳いだ。同様に左の長さも測り終え、この部屋はどうやら正方形に近い形のようだ、と思う。


 深さまで調べる時間はさすがになさそうだ。部屋の広さを記録するだけで満足するべきだろう。左右の角の長さに結び目を作り終え、水を飲もうとしたとき、水の底に何かオレンジ色のものが見えるのに気づいた。

 潜ってみると、派手な蛍光色の何かが沈んでいる。深さはそれほどでもなく、難なく引き上げることができた。水の上に出してみると、ビニールシートにくるまれたリュックサックだった。見つけろと言わんばかりの派手な蛍光オレンジに、アルゴー教官の気遣いを感じる。とりあえず背負って、ロープをくわえ、岸に泳いで戻った。太陽はすでにだいぶ高い。急がなければ。


 結び目の位置から距離を割り出し、地図に書き付ける。それから戦利品を開いて見て、グスタフは思わず声を上げた。

 ビニール袋に包まれた作業着の上下と、靴が入っていたのだ。


「……やった」


 言葉が漏れた。これ以上見つからなければこの軽装のまま森に挑まなければならないと思っていたから、本当にありがたい。長袖の上下を着るにはかなり暑いが、肌をむき出しにしてこの森に挑むよりはよほどマシだ。ちゃんと靴下もあった。靴も頑丈そうで、もちろんサイズがきちんと合っていて、履いてみるとしっくりとなじんだ。砂浜に打ち付けると、どしっ、という頼もしい音がした。厚底で、おそらく鉄板が入っている。これならどんな下生えを踏んでも大丈夫そうだ。


 上着のポケットに手を入れてみる。ありがたいことに、軍手が入っている。その他に何かずっしりとしたものが入っている。

 そこでグスタフはまた声をあげた。


 ――ナイフだ!


 引っ張り出してみると、折りたたみ式の、グスタフが愛用しているものにそっくりの、手頃なナイフだった。ボタンを押すと緩やかに刃が戻る。重さも鋭さも材質も、柄の色も、柄に染みついたシミや汚れに至るまで、グスタフがこの小部屋に入るまでに持っていた物とそっくり同じ。一瞬、今まで持っていなかったのではなく、ずっと持ち歩いていたのでは――という錯覚に駆られる。そんなはずはないし、そもそもこれがグスタフのナイフであるはずもないのだが。


 しばらく考えた末、グスタフは諦めてポケットにナイフを戻した。

 今はナイフの不思議に思い悩んでいる暇はない。森に挑むための必需品が揃ったと言うことが重要であり、それならば森に分け入って地図を描くべきだ。


 さっきのライ麦パンが入っていた革袋に湖の水を詰め、背嚢のフックにぶら下げる。背嚢を背負い、さっき薬を取ったトスロの茎の先端をナイフで削ってとがらせた。軍手とナイフのおかげで格段にやりやすかった。これで森の中で何かに出くわしたとしても、少なくとも丸腰ではない。


 アルゴー教官と助手の言葉が気にかかっていた。

 それまで生き延びられればな、とアルゴー教官は言い、その助手は呆れたように、“本当に死ぬことはないから安心して”と言った。助手でさえ、“中で危険な目に遭う可能性がある”ということは否定しなかった。この中には生き物はいないようだとさっき思ったが、それが証明できたわけではない。何かに出くわす可能性がゼロではない以上、対策は取っておくべきだ。



 大湖の測量に多大な功績を果たしてくれた目印の木に別れを告げ、部屋の北側の壁と森が接する地点から、森に入ることにした。一番壁際に立っている木にロープを結びつけ、画板を首にぶら下げて鉛筆を持ち、ゆっくりと森に分け入った。特徴のある木や植物を片っ端から書き込んでいく。ロープが絡まらないように気をつけて、壁沿いを進んでいった。程なく、森の奥側の壁にたどり着いた。距離を地図に書き込むと、本当に、この部屋は正方形をしていると言うことがわかる。

 そしてそれが証明されたご褒美のように、その角に、ツィスの木が生えていた。


 ツィスは冷涼な気候を好む植物だ。小さな丸い実を鈴なりに実らせる。この実はこのままではとてもまずくて食べられないが、魔力を用いてしかるべき処置を施せば、大変な美味となり珍重される植物だ。滋養があり、体力や魔力の回復のための薬としても活用される。アスモス大湖は亜熱帯に位置するから、通常ならばツィスはあまり生えないはずなのだが、ここのツィスは葉をのびのびと茂らせて、まだ収穫するには小さい実をたくさん生らせている。この暑さでは、ぐったりしていても不思議じゃないのに。

 ツィスの木の位置を地図に書き込んでから、手を伸ばしてみる。

 と、そこには何もなかった。

 ただ、ツィスがあるように見えているだけなのだ。


 そのまま手を下に下ろしていく。床に触れる辺りに、何か箱のようなもの。引っ張り出してみると、木でできた粗末な作りの、50センチ四方くらいの正方形の箱だ。わくわくしながら蓋を開けると、思わず歓声が出た。中は宝の山だった。細いロープが一巻き、筆箱、防水布、防水シートに入った大きな干し肉、パンと練り粉、水筒、レナンとクィナが一つずつ。


「やった……!」


 思わず声が出る。嬉しい。とても嬉しい。

 初めに見つけた鉛筆はもうだいぶ先が丸くなっていて、そろそろ削りたい頃合いだった。筆箱には先がとがった鉛筆が四本と、消しゴムと、簡易鉛筆削りが入っていた。水筒の中身は熱いお茶だ。さっそく干し肉をナイフでそぎ落とし、口に入れる。塩が絶妙に利いていて、旨い。パンに切れ目を入れ、干し肉を挟んで立ち上がる。練り粉を練れそうな器はないが、この分だと、きっと他の場所に隠されているに違いない。


 干し肉を挟んだパンをかじりながら折り返し、周囲をくまなく調べながらどんどん進んだ。湖に戻ったら水の補給をし、また森に戻る。太陽がまだ空にあるうちに、なるべく森の中を調べておきたい。しかしそれでも、森の北半分を調べ終えて湖に戻る頃には、すっかり夕暮れになっていた。


 そこで、今までに集めた戦利品の整理をすることにした。

 森の中は、宝の宝庫と言って良かった。今までの不遇ぶりが嘘のように、様々なものが潤沢に隠されていた。今グスタフが持っているものは、先ほど見つけたものの他に、大きなチーズのかたまりがひとつ、甘く焼き固めたビスケットが五枚、チョコレートがひと箱、果物が数種類。大きな丸パンがふたつ、粉末スープのパック、マッチ、小さなやかんとマグカップ、光珠が三つ、空の革袋、手ぬぐい。さっきの干し肉の残りと練り粉を足すと、数日は生き延びられそうな充実ぶりだ。ありがたいことに調味料まであった。塩と胡椒の大きな瓶がひとつずつ。保存食でも作らせる気か、と思うくらい大量だ。


 今のところ何の危険にも遭遇していない、ということは、危険があるとしたら森の南半分に存在していると言うことだ。日も暮れてしまったし、充分に備えておく必要がある。試験は夜半までだからまだ余裕があるし、一日中動き回って、だいぶ疲労が溜まっている。ここで腹ごしらえをしておくべきだろう。


 光珠を三つとも全部付け、薪になるような枝を拾ってきて火をおこした。砂に手頃な枝を三本刺して端を束ね、水を入れたやかんをかける。丸パンを切り分け、チーズをあぶってパンにのせた。干し肉をそぎ落とし、これもあぶって柔らかくして、チーズの上にのせてかぶりついた。うー、喉からうなり声が漏れた。粉末スープに湯をそそいでかき混ぜ、器に練り粉を入れて、スープを少しずつ入れながら練る。食べると熱くてスープをそのまま固めたかのような味がする。グスタフは息をついた。旨い。


 たき火を背に湖の方の空を見上げると、星がたくさん出ている。北斗星を探して、正確な方位を地図に書き込む。――と。


 異様な気配を感じて、ぞくりとした。


 森の隙間から、きらきら輝く大きな丸い目がふたつ、覗いていた。





   *



 ラセミスタは入室と同時に出現したその場所で、朝からずっと座り込んでいる。


 ラセミスタに課された“お題”は、森林の中にある朽ちかけた巨大な廃墟だった。今いる場所はたぶん、かつては大ホールのような用途で利用されていた、とても広々とした大きな部屋だ。屋根が落ち、ここから半壊した上階、どころか青空まで見ることができる。床板はすでになく、地面がむき出しだ。


 あたりは静まりかえっていた。寒くもなく暑くもなく、雨も降らず雪も降らず、太陽は明るく、しかし眩しすぎもしなかった。太陽の高さや気候やこの森に生える様々な樹木、その他たくさんの植物の植生、そういったこと全てを統合すれば、この学校の新入生ならば――もしくはマリアラならば、この廃墟がどこの何という建物で、何年くらいに作られ何年くらいに放棄されたのか、たちどころにわかってしまうのかもしれない。そういう情報を地図に付け加えればきっと高得点を狙えるのだろうし、この試験を受けているのがフェルドだったなら、大喜びでその辺を動き回って、以前憧れていたデクター=カーンよろしく、立派な地図を書き上げることができたのかもしれない。


 しかしラセミスタは、初めから、地図を描くつもりはなかった。

 昨日の二の舞を踏んで時間を無駄にするわけにはいかない。


 自分は“落ちこぼれ”であり――ほとんどの分野ではそれが事実であると、認識するべきだ。そもそも、エスメラルダでもそうだった。ラセミスタにできるのは、魔法道具に関連することだけ。だから慣れない地図に手を出すくらいなら、すべての時間を魔法道具関連の解答作成に費やすべきだ。だって時間がない。他の学生と違い、ラセミスタのタイムリミットは日没までしかないのだ。自分が火をおこせるとは思えないし、おそらく隠されているのだろう光珠を見つけ出せるとも思えない。食べ物や飲み物を探すことも初めから諦めた。どこかで迷うか、慣れない森の中で力尽きて倒れるか、そのどちらかしかできないことはわかりきっている。


 ならば、通常の方法で挑むのは悪手だ。持てる知識、感覚、その他全てのものを総動員して、この部屋のからくりを解き明かす。昨日に引き続き、ラセミスタが生き残る道は、ただそのひとつしかないのだ。


 部屋に入ったとき、水が押し寄せた感覚が確かにあった。予想どおり、ここは単なる仮想空間であり、ラセミスタの肉体は眠っていて、特殊な溶液に浸され、生命活動を維持されていると考えられる。それならば、空腹も喉の渇きも無視すればいいだけの話だ。


 画板に設置されていた用紙は3枚しかない。慎重に使うべきだろう。ラセミスタはまず初めに、その辺に放り出されていた石を拾い上げて地面を掘った。がりりり、と不快な手応え。爪の先が痛む。踏み固められた地面はとても固く、ラセミスタの力では、何度試しても、ひっかいたような軽い傷が付く程度でしかなかった。しかしラセミスタには、“軽い傷しか付けられない”という事実もただのデータに過ぎないという確信があった。現実には、ラセミスタの体は溶液に浸されて魔法道具側からの強制介入を受けている状態だ。それならば、こちらから介入し返すことだってできるはず。


 神経を研ぎ澄ませて、空間のほころびを感知しようと意識を集中させる。今からラセミスタがしようとしているのは、【魔女ビル】の入力端子を介して〈アスタ〉のデータを閲覧するのと同じようなことだ。その場合は〈アスタ〉の入力端子に、端末から延ばしたコードを差し込み、魔力の流れに介入して命令を打ち込むという作業をすることになる。介入できれば、まずプロテクトを一時的に解除して、〈アスタ〉にラセミスタの命令は無害な物であると納得させ、〈アスタ〉の内側に入り込む。それができれば、後はこっちのものだ。〈アスタ〉の中にある情報を閲覧したり、〈アスタ〉の緊急情報を強制的に上書きしたりということもできるようになる。


 今掘っている穴は【魔女ビル】の入力端子。

 端末から延ばすコードはこの石、およびラセミスタの指先だ。

 プロテクトはおそらくかけられているだろうが、こういうアプローチを受けることが想定されていなければ、必ず活路が開ける。


 がりがりがりがり、がりがりがりがり。

 何度も何度も固い地面を削り続け、指先がじんじんする痛みと熱を帯び始めた、そのとき。

 ずぶり。


 唐突に、石が溶けた。


 ラセミスタの執拗な働きかけに答えて、指先が魔法道具に溶け込んだ。入力端子にコードが差し込まれた状態だ。ラセミスタは息を吸い、そして吐いた。目を閉じて、魔力の流れを感知しようとする。端末があれば簡単なのに、魔力の中に流れる命令を文字として読み解くことができるのに。しかし今はない、だから仕方がない。


 ラセミスタ自身が、端末になるしかない。


 ずぶずぶと指先が地面の中にめり込んでいく。閉じた目の中にノイズが走る。溶けた指先を地面に埋め、もう一本の手も地面に浸し、ラセミスタは地面を“かき混ぜた”。地面はまるでぐずぐずに溶けた生暖かい泥のようになり、ラセミスタの意のままに姿を変えた。両手ですくい上げ、こねる。地面のひとかたまりは両手の中で形を変え――


 チョコレートに姿を変えた。


 とろとろに溶けた、熱々のホットチョコレート。


 両手からあふれ出しそうになり、そこにマグカップを出現させる。思うだけで、スプーンまでそこに現れる。ひと匙すくって口に入れるとねっとり甘い。久しぶりの感触に陶酔した。エスメラルダから持ってきた甘味の数々は、受験勉強でほとんど食べ尽くしてしまったし、ガルシアで甘いものをどうやって調達するかの端緒はまだつかめていない。こんなに思う存分、甘味を堪能できるなんて本当に久しぶりだ。ごくごくとホットチョコレートを飲み干し、からになったマグカップにまた一握りの地面を注ぐ。


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