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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
ラセミスタの留学
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入学式(10)



「それで……友人の話では、普段なら決して足を踏み入れない地点まで来たとき、その生き物に迎えが来たそうだ」

「迎え……?」

「あれよりもっと大きくて、でもそっくりな、真っ白で翼のある生き物だったそうだ。その生き物はギルファスに、ああ、その、友人に、とても丁重に礼をして、その子を連れて帰った。だから」


 グスタフは少し考えて、また言いにくそうに言った。


「ミンスターにいた生き物は、もっと大きかった。あの子はあんなに小さい、と言うことは、たぶんまだ子供……と言うより赤ん坊に近いんだろう。迷子になったんだとすれば、外に逃がしてやるだけでは事態が改善したとは言えないと思う」

「あれがなんて呼ばれる生き物なのか俺も知らないけど」


 新たな声が割り込んだ。王子様じみた声と、王子様らしからぬぞんざいな言い方。リーダスタは振り返った。カルム=リーリエンクローンだ。


「……その毛皮なら見たことがある。王家に代々伝わる、王妃のガウンだ」

「王妃の、」


 リーダスタは息を飲んだ。確かに、と思った。

 ガルシア王家には代々伝わる宝物がいくつもある。いくつかは伝説になっている。王妃のガウンは、そのうちの一つだ。とても豪奢で、真っ白で、絶対に汚れないそうだ。まるで宝石のように美しく、そして外の冷気を一切通さない、完全防寒の毛皮。もちろん汚れないとか完全防寒とかは伝説なのだろうが、その曰く付きの毛皮は実在する。王宮の宝物庫にしまわれているのだが、真冬の儀式の際には王妃は必ず身につけるという。


「あれくらいの大きさだと襟巻きくらいにしかできないだろうけど……それでもほしがる人間は大勢いるし、たぶん一生遊んで暮らせるくらいの金額にはなると思うぜ。外に逃がしたらすぐ捕まって殺されちまう。どっか安全なところに連れてって、迎えが来たら渡してやるしかない」


 カルムがそう言い、リーダスタは唾を飲み込んだ。確かにと、思わずにはいられなかった。もの凄くなでたくなる、とても綺麗なふかふかの毛皮。もしあの毛皮を身につけることができたなら、美しいものが大好きな女性たちはどんなに喜ぶだろう。いかにも、貴族の奥様方が身につけたがるような豪奢さだ。


「……つーかお貴族様たちがもうすぐ戻ってきちまうんじゃね?」


 チャスクがそう言った。確かにあのいけ好かないお貴族様たちは、あの生き物のかわいらしさなんか目もくれずに使用人を呼びつけ、捕まえさせ、殺して毛皮を剥いで、ポルト=カイマンとかいうあの王子様っぽい奴への貢ぎ物にしてしまうだろう。リーダスタは一歩前に踏み出した。と、ぶるぶる震えていた生き物は、しゃあっと威嚇の声を上げた。開いた口から牙が覗いている。小さな前足には申し訳程度のかぎ爪がついている。


「怖くないよ」


 できるだけ優しい声でリーダスタは言った。


「大丈夫だよ、もう追いかけ回すようなこと、絶対させないから。こっちにおいで。いい子だから」


 生き物はカッ、カッ、と威嚇音を立てながら後ずさる。後ずさりすぎて、壁に押しつけられてこんもりとした毛皮の山になっている。と、ぬっとウェルチがリーダスタの横に出てきた。手に、シーツを持っている。「ダメだ!」リーダスタは声を上げたが、ウェルチはぱっとシーツを生き物に向かって投げた。


 ぶわっ。


 小さな風が巻き起こった。

 生き物の背中の翼が大きく広がった。


 シーツが届く寸前に、ばさっと音を立てて生き物は飛び上がった。広げた翼は意外に大きい。が、翼が片方ひしゃげていて上手く飛べないようだった。がん、ごん、壁にぶつかりながらかぎ爪で壁を蹴り上がり、高いところに見えている梁にたどり着いた。力を失ったシーツがふわりと床に落ち、えい、とリーダスタはウェルチの足を踏む。


「いってえ!」

「怖がらすなっつってるだろ!?」

「いやだって、貴族たちが帰って来ちまったら――」

「それはそうだけど! どーすんだよあれじゃ届かないだろ!」


「ケガしてたな。弱ってるみたいだ。大丈夫かな」

「何があったんだろな。そもそもあんな獰猛な生き物じゃないはずだぜ。話も通じるはずだ」


 後ろで、グスタフとカルムが言い交わしている。リーダスタはカルムを振り返った。


「話通じんの!?」

「……たぶん。いや、俺もその、……ちゃんと知ってるわけじゃないんだけど」


 どことなく言い訳がましい言い方だった。実はちゃんと知っていて、話をしたことがあるのでは、とリーダスタは思った。こほんとカルムは咳払いをする。


「急がねえと祝賀会終わっちまうよなあ。どうすっか……」

「餌で釣るしかないんじゃないか」


 グスタフが言った。そりゃそうだ、とリーダスタも思う。しかし、食べ物なんて。部屋に戻れば、非常食の類いくらいはいくつかあるが、練り粉なんて喜びそうには思えないし。満腹すぎて夜食が必要だなんて思わなかったから調達もしてこなかったし、母親から持たされた保存食は酢漬けだったり唐辛子が入っていたりする。


「しまった、残しときゃ良かった。全部食っちまった……」


 カルムが呟いている。と言うことはやはり自室で一人寂しく夕食を取ったらしい。なんで食堂に来なかったんだろう。そう思っているとグスタフが、「あ」と言った。


「そうだ、ラセルが持ってるよな」

「え、ラセル? ……あー! そうだ、あいつ山ほど持ってたじゃん! あいつどこ行った!? 何で来ないんだよ!」


 リーダスタはぐるりと新入生たちを見回した。あの小柄な少女じみた若者は、やはりどこにもいなかった。ジェムズもいない。首都出身の貴族たちを除いては、今ここにいないのはあの二人だけではないだろうか。と、ほかの新入生たちは顔を見合わせていた。微妙な反応。


「いやそりゃ来ないだろ……」とウェルチが言った。「当たり前だ。自分の寮に戻ったんだろ。あのさ、リーダスタもそろそろ自分の寮に行った方がいいんじゃないのか、いや、あの生き物無事に捕まえてからでもちろんいいんだけど、でも」

「は――?」

「そうだそうだ」チャスクが言った。「送ってってやるよ、ラセルもそこにいるだろうし。俺らは中には入れないだろうから、リーダスタがパック預かって来てくれればちょうどいいじゃん」


 リーダスタは戸惑った。何言ってんだこいつら?


「俺の寮もここだけど? ……え、何の話?」

「いや、まさか同じ建物ってことはないだろ? あ、違う階、とか?」

「いや俺の部屋、さっきの談話コーナーの隣の隣だけど」


 話がかみ合っていない。根本的な認識の齟齬を感じる。ラセルとリーダスタだけ別の寮、なんて、どうして思い込んだりしたのだろう?

 リーダスタは少し考えた。ウェルチもチャスクも、他の新入生たちも、困ったように顔を見合わせている。あちらはあちらで、話がかみ合っていない、と思っているらしい。

 階段を上がるときにちらちら窺われていたのも、いまの微妙な沈黙も。彼らはリーダスタとラセルだけ、別の寮だと思い込んでいたのが理由だった、というわけで。


 ――もしかして。


 リーダスタは「あ!」と声を上げた。


「おまえらまさか俺のこと女だと思ってない!?」

「は――?」


 周囲が一瞬で静まりかえった。梁の上で震える生き物のかすかな息づかいが聞こえるほどの静寂だった。リーダスタは納得した。なるほど、そう考えれば全て腑に落ちる。


「あー、だから果たし合いにも入れたくなかった……なるほどなるほど。って、馬鹿なの!?」

「え、え――?」

「男だから! 生まれつき俺男だから! 未来永劫男だからなー!」


 カルムがぽかんとしている。「は?」


「はじゃねーよ! おまえらの目は節穴なのか!? どこの世界にこんなぺったんこの……いや、つーか高等学校に女の子も入れるようになったなんて話、聞ーたことないけど!」

「あー」カルムが呻いた。「……いや、そろそろ女性にも門戸を開くべきだっつー話は前から聞いてたから、今年から入れるようになったのかなとか思ってた。えぇ……嘘だろ……」

「女の子が入ってたらそりゃ確かに別の寮にするだろうけど、俺割り当てられてんのあっちだし」


 個室のある方を指さしてみせる。と、ウェルチが唐突にしゃがみ込んだ。


「えええええええ……嘘だろ……? もう何も信じらんねえ……いやお前マジなの!? 今まで何度も間違えられてきただろ!?」

「いやー? 俺の地区じゃ別に珍しくないんだよね」

「嘘だろー!?」

「まあ全部が全部こういう感じじゃないけど、親戚中の男集めたら二、三人は俺みたいなのが普通にいる。だから間違えられることもそうなかった。メルシェ地区じゃあ人を外見で決めつけるよーな幼稚なこと、まっとうな人間ならしないからねえー」


 嫌みったらしく言ってやるとみんな黙った。リーダスタは、笑い出した。無性におかしかった。可愛い生き物を愛でたりしたら“心まで女だったのかよ”なんてからかわれたり虐げられたりするんじゃないか、そんな的外れな心配をしていた自分が滑稽だった。そもそも女そのものだと思われていたとは。朝からずっとこいつら自分たちの中に可憐な少女が二人も混じっていると思い込んではそわそわしていたのだろうか、そう思うとますます笑えてくる。高等学校は由緒正しい男子校だというのが常識なのは、メルシェ地区だけではないだろうに。


「高等学校には女性は入れないんだろ。だって高等学校って旅して回るカリキュラムなんだろ? 崖上ったり何日も野宿したりって、女の子にはそりゃ無理じゃん。果たし合いに女の子入れないのとおんなじことだろ? エスメラルダだってまさか女の子送り込んでくるほど非常識じゃないだろ」

「いや、けどラセルは? あいつも男なのか? そんな馬鹿な」


 グスタフが呟いた。確かにと、リーダスタは思った。


「まあ、うちの地区にもラセルみたいなレベルのやつはいないけどさ。上には上がいるもんだよなあ。エスメラルダの人間はみんなああなんじゃないの? いかにも学問の国って感じ」

「つーかあいつどこ行ったんだ?」と誰かが言った。「あいつもここの寮なら一緒に来ないのはおかしいじゃないか。やっぱあいつだけ別の寮なんじゃ、」

「まだ諦めねえのかよ。あのね、ジェムズもいないよ? ラセルはおいとくとしても、ジェムズまで女の子だなんて思いたい?」

「いやだあああああああ!」


 周囲全員がショックを受けているようなのが意外だった。リーダスタは体格が華奢な方で顔立ちも女っぽく声も高い方だ、と言われてはきたが、それにしたって骨格は明らかに男性なのだし、普通は態度や話し方でわかるものではないのだろうか。早い段階で誤解が解けてよかった。リーダスタだって同じ階に女の子が住んでいると思っていたら、寝付くのに結構苦労しただろう。


 ややして、みんなは徐々に立ち直った。まだ信じがたいという感じではあったが、一応、現実を受け入れることにしたらしい。もうすぐ貴族たちが戻ってくると言う焦りも、立ち直りに一役買っただろう。カルムが気を取り直したように言った。


「じゃあ……ラセル、捜しに行くか。あいつも同じ寮……なんだろう、し……」

「そうだな」チャスクが受ける。「お貴族様たちが帰って来ちまったら、面倒だしな」

「よろしくー。俺ここであの子見てるよ、お前らみたいなでっかいのがいなくなったら安心して降りてくるかもしんないし」


 リーダスタはひらひらと手を振った。何人かは残りそうなそぶりを見せたが、しっしっと手を振って追い払った。図体のでかいのが残っていたら、きっと降りて来ようにも来られないだろう。

 梁に向き直りながら、ラセルは、と考えた。あの小さな生き物を見たら、どちらに与するだろう。保護して数日匿って、迎えが来たら家に帰してやる方に賛同してくれるだろうか。それとも、捕まえて毛皮を剥いでエスメラルダの友人に贈りたいと思うだろうか。

 もしそんなことになったら、生涯、エスメラルダという国を軽蔑するだろう。そう思わずにはいられなかった。


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