初日 日勤(3)
*
昼食に行ったのは、一時が近くなってからだ。
ステラの言った“青空食堂”は、市街地のすぐそば、既に浄化の済んだ辺りに作られていた。
思いがけず、とても規模が大きい。
「こんなに大勢が働いてるんだ……」
ピークが過ぎたのか、机も椅子も空きを見つけるのは容易だが、それでもまだ半分近くは埋まっている。用意された椅子は百脚はあるだろうか。“青空”と言っても、風雨に備えて屋根や壁をすぐに取り付けられるような骨組みが用意されている。
浄化作業はゆっくりではあるが、着実に進んでいる。それは、食堂に集まる人たちの表情からも窺える。保護局員に混じって、魔女の制服を着た人たちもちらほら見える。皆談笑しながら美味しそうに食べている。
いい匂いが鼻をくすぐる。チョコレートはすっかり消化されて、空腹だった。フェルドもそれは同様だったらしい。
「取ってくるから、座って待ってて」
「あ……ありがとうございます」
マリアラはいたたまれなさを感じながら、あいている椅子を見つけて座った。左巻きの魔力と体力をできるだけ温存するように、と厳命されているからか、ダスティンもジェイドも、できるだけマリアラを歩かせないようにした。居心地の悪さを訴えたダニエルには、“左巻きとして扱われることに慣れなければダメだ”と言われてしまった。もっと強かったら、とまた思った。温存されなくても済むほど魔力が強かったら、こんな居心地の悪さを感じなくて済んだのだろうか。
地面にはがっちりした床まで組まれていて、椅子や机がぐらぐらすることもなく快適だった。椅子に座ってノートと単語帳を取り出した。覚えても覚えても、必要な薬の量は一向に減るような気がしない。マリアラはため息をつく。歴史の勉強はちっとも苦にならなかったのに、薬の勉強は自分を“乗らせる”のが難しい。
いい匂いがする。
気づいて顔を上げると、右手と左手に盆を持ったフェルドがちょうどたどり着いたところだった。盆の上を見て、マリアラは嬉しくなった。今日のメニューはデミグラスソースのハンバーグだ。ほかほかと湯気が上がっていて、とろとろのチーズがかかっている。ご飯と、サラダと、お味噌汁。マリアラの分にだけ、わらび餅までついていた。きな粉と黒蜜!!! とマリアラは思う。
「美味しそう。ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
マリアラの向かい側に座りながら、フェルドが言う。
「ダニエルから聞いてたけど……こんな時まで勉強してるんだ」
「え? ああ、はい。シフトに入ってからも、待機時間に薬作らなきゃいけなかったりするから」
「ふうん。――いただきます」
挨拶をして食べ始めた。ハンバーグを真っ二つに割り、ほかほか湯気を立てるそれを白いご飯の上に乗せる。と、ぐわっ、と口が開いて、マリアラは目を見張った。真っ白いご飯の半分とハンバーグの半分が、あっという間にフェルドの口の中に消えた。サラダを食べて、味噌汁を飲んで、満を持して残りのハンバーグへ移る。
――すごい迫力だ。
マリアラは感嘆した。
――そして美味しそうだ。
「食べないの」
問われて慌てて自分の分に箸をつける。ほかほかのハンバーグ、つやつやの白いご飯。ハンバーグの中にまでとろけるチーズが入っている。
マリアラが二口目を堪能している間に、フェルドの盆の上が綺麗さっぱり片付いた。
「お代わりもらってくる」
当然のように立ち上がり歩いて行った。マリアラが半分を食べ終える頃、ご飯とハンバーグだけが載った盆を持って戻ってきた。ご飯は一膳目以上にてんこ盛りだ。ハンバーグは二つもある。
どこに入るんだろう。マリアラはまた感嘆する。
「薬の勉強って、いままであんまり聞いたことなかったんだけど」
椅子に座りながらフェルドが言った。
「なんで勉強してんの? ――ああいや、純粋に、ただの好奇心なんだけど」
「薬を作る時って、適切な材料を適切な分量で混ぜ合わせて適切な処理をする必要があるんですけど、それって全部、魔力を使って中身を精査するんです。でも、薬の瓶にラベルを貼ってもらって、必要な分量と処理の方法を覚えてしまえば、いちいち魔力を使わなくて良くなりますよね。その分節約できるかなって。微々たるものですけど……」
話を聞きながら、フェルドは目を丸くしている。マリアラはちょっと首をすくめた。魔力の強い人からは、そんな量の魔力を節約する意味なんてあるのか、と思われても仕方がない。そのために隙間時間を見つけて覚えるなんて、労力に見合った見返りがあるのかと。
しかしマリアラにとっては死活問題だ。ごく限られた量の魔力しか使えないのだから、節約できるところはしていかなければ。
「それって――」
「あれ、今食事?」
暢気な声がして、フェルドの言いかけた言葉が遮られた。見るとジェイドだった。空になった盆を持って、にこにこしながらやって来る。
「ジェイド」
「こんにちは」
自然に笑顔になった。ジェイドとは先週の研修ですっかり仲良くなった。とても穏やかで、一緒にいて楽しい人だ。雰囲気を作るのが上手なのだろう。今もにこにこしながら、屈託なく言葉をかけてきた。
「マリアラ、毎日毎日浄化浄化で、大変だね」
「え、昨日は休んだよ?」
「昨日は引っ越しだったんだろ。休みじゃないじゃないか」
「引っ越しなんてすぐ終わったもの」
「【魔女ビル】最上階の喫茶店には行けた?」
「ううん。一人で行ってもつまらないし、また今度にしようと思って。ジェイド、座ったら?」
「あーいや、もう休み時間終わりなんだ」
ジェイドはそこで、一瞬身震いした。
「なんか……寒くない?」
「え、寒い?」
全然寒くない。今日はかなり暖かいくらいだと思う。
「風邪じゃない? 大丈夫?」
「そっかな……体調は別に普通だと思うんだけど。そうそうフェルド、ダニエルがさ、明後日の非番の時になんか、話があるとか言ってたよ。その日、ダニエルとララが南大島の当番日に当たるんだって、だからちょっとだけ、帰らないで待っててくれって」
「ふうん。何だろ」
「ジェイド! 行くぞ!」
遠くで誰かが呼んだ。ダスティンだ。
ジェイドはじゃ、と手を挙げた。
「行かなくちゃ。またね。マリアラ、無理しなくていいんだからね、本当に。今森の浄化ができるのはラクエルの左巻きだけなんだから、威張るくらいでいいんだよ」
マリアラは苦笑した。先週の研修で、ジェイドにはとても励まされた。もう一度ダスティンに呼ばれ、ジェイドは慌ててそちらに行った。まだ寒気がするのか、盆を持たない方の手で腕をさすっている。
マリアラはフェルドに視線を移した。
「今日って……寒いですか?」
「いや、全然」
「ですよね。大丈夫かな……」
「敬語」と、フェルドが言った。「そろそろ敬語使うのやめてくれないかな。なんか、落ち着かないんだよね」
「え」
驚いた。
フェルドは再び食べ始めている。マリアラも食事を再開しながら、少し考えた。自分がフェルドに対して敬語を使っていた、と言うことも今、初めて認識したくらいだ。
「でも……先輩だし」
「ジェイドには普通じゃんか」
「ジェイドは同い年だし」
「あいつ俺より孵化先だったよ」
「そうなんですか?」
意外だ。魔力の強さが孵化の時期に影響を与えるという説が本当なら、フェルドの方がずっと早いはずなのに。
フェルドは食べる手を止めてマリアラを見た。瞳の色がとても濃い。
「できればやめて。苦手なんだよ」
「わかりました。努力します」
「『努力する』」
「……努力する、ね」
うむ、とフェルドは頷く。マリアラは何だかおかしくなって、ごまかすためにお茶を飲んだ。