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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
ラセミスタの留学
407/779

入学式(6)

   *



 外に出ると、春の日差しがまぶしいほどだった。

 コートを出して着る必要もないほどうららかな、春爛漫と言った様子だ。いいところだなあ、と、ラセミスタは考えた。四月の初めに雪がないばかりか、こんな陽光を浴びられるだなんて。交通機関がもっと整備されて、エスメラルダからガルシアへ気軽に来られるようになったなら、きっと大評判になるに違いない。

 

「ラセル。――エスメラルダから来たのか。すごいな。エスメラルダってどんなところなんだい?」


 早速ポルトが声をかけてきた。彼の赤みを帯びた顔は、興奮で輝いている。

 

「魔法道具の技術が世界最先端で、空に浮かぶ島なんてものまであるって聞いたことがある。本当かい?」

「ああ、うん。ひとつしかないけど、確かに空に浮かぶ島はあるよ」


 そう言うと周囲がどよめいた。理論的なことを話してもいいだろうか、ラセミスタはうずうずする。

 空島はラセミスタの師匠、グレゴリーが開発した島だ。標高が高いから、お茶を抽出するのに適切な温度の水を手に入れられないという不便さをグレゴリーはいつも嘆いていたが、正直ラセミスタにはお茶を入れるためのお湯の沸点が100度だろうと90度だろうと違いがわからないので、どうでも良い不便さだった。それ以外はとても快適な居住環境が整えられている。

 

「どれくらいの高さに浮かんでるんだ?」


 ポルトは興味津々と言った様子だった。ラセミスタは嬉しかった。魔法道具の話ができるのは嬉しい。興味を持って聞いてもらえるようだから、さらに嬉しい。


「推奨高度は、1750メートルから1800メートル。魔力の結晶を定期的に補充できれば、大体それくらいの高度を保ってるよ」

「せん――ウソだろ、そんなに高く?」

「うん、それくらいの高さじゃないとデータ取る意味がないし、あんまり低いと、もし万一何かあった場合に対処する余裕がないでしょう」


「万一? 落ちるかもってこと?」


「そりゃあ人間が作ったものだもの、事故の可能性は理論的にゼロじゃないよ。でもそれくらいの高度があれば、緊急アラートで魔女が駆けつける時間を稼げる。空島は大きいけど、魔力供給網を張り巡らせてあるからね、外からしかるべき量の魔力を通わせればすごく短時間で小さく縮めることができるから、都市部への被害は防げる」


「ああ、なるほど。無人の島なんだ、縮めることは可能だよな」

「まあ、うん。厳密に言えば無人じゃないんだけど、住人は常時ひとりしかいないから、救出は――」

「ウソだろ、人が住んでんの!?」

「うん、偏屈で、その、変わり者の発明家がいてね、その人がひとりでゆっくり研究開発に専念できるようにって開発した島なんだ。ええと……住み心地はすごくいいよ、うん、すごく」


 ラセミスタの周りを取り囲む人たちは、ポルトと、ベルナとリデル。それから首都出身の、残り十一人。さっきの嬉しさはもはやすっかり消え、ラセミスタは居心地が悪かった。みんな興味津々でのぞき込んできているのに、話しかけてくるのはポルトだけなのだ。正直、異様だとしか思えなかった。


 と、初めてベルナが何か言いたげにポルトを見た。ポルトは鷹揚に微笑んで、軽く頷いた。

 “王子様”の許可を得て、ベルナは嬉しげに口を開く。

 

「行ったことあるんだ? どんなところ?」


 異様さがますます際立つ。


「ええっと」ラセミスタは身じろぎをした。「……すごくいいところだよ。グレゴリーは、あ、空島を作った人で、いつもそこに住んでる人なんだけど……庭仕事が趣味なんだ。だから空島の上は庭園になってる。高山植物がいっぱい生えてて」

「行き来はどうやるの? 魔女って空も飛べるって聞いたけど、その、グレゴリー? グレゴリーさんは、いつも魔女に送ってもらうのかい」


 次に聞いたのはリデルだ。彼も、口を開く前にポルトに無言での許可を得ていた。ラセミスタはまた身じろぎをした。

 

「……ううん、まさか。空島の中央には穴が空いてて、そこに昇降機のパイプが通ってるんだ。昇降機を使って乗り降りする。でも、グレゴリーは、その、……ほとんど出てこないけど」

「あのっ」


 か細い声が割り込んだ。声を上げたのは小柄な若者だった。前歯が特徴的で、どことなく齧歯類のような、小動物的な可愛らしさを醸し出している。やっと他の人が話しかけてくれた。ラセミスタは一瞬ほっとしたが、ポルトがそちらを見た目つきにはっとした。

 とても冷たい目つきだった。

 

「あのっ、空島を浮かせる方法って? あのっあのねっ俺以前からその空島の噂聞いてて、データ調べて一度計算したことあるんだ、だけどどう計算してもあのサイズの島ひとつ浮かべるには魔力の結晶が一日1トン――」

「ミンツ、失礼だろう」


 ポルトの言葉はとても冷たかった。ミンツと呼ばれた小動物的な若者は息をのんだ。周囲が静まりかえった。ラセミスタは、“王子様”の裁定を固唾を飲んで見守る首都出身者の反応にぞっとした。


 その立ち位置からして、ミンツという若者は、首都出身者の中で一番“最下層”にいることが明らかだった。

 ポルトの許可を得ずに発言した“大それた”行動が、ポルトの不興を買った。みんな固唾を飲んで、“王子様”が“従者”にどんな罰を下すかと見守っている。


 ――そんなのっておかしい。

 ラセミスタは声を励ました。

 

「空島を浮かせる技術は、グレゴリーが確立したの」


 ミンツが顔を上げる。ラセミスタは彼の目を捉えて頷いてみせた。


「確かに従来の方法だったら、一日1トンくらいの魔力の結晶は必要だったと思うよ」


 内心、舌を巻く。ミンツは見たこともない空島を実際に浮かべるための理論を、自分なりに構築したのだろう。そしてガルシアの技術で必要になる結晶の量を推測した。毎日1トンというその計算は、確かに、以前試算した時に出た量とかなり近い。やはりここは、最高学府と呼ばれる学校であり、ミンツはその入学生なのだ。


 それならば、身分なんて気にする必要ないはずだ。王子様の許可など得なくても、話しかけていいはずだ。

 少なくともラセミスタは気にしない。もう一度頷いてみせる。


「とても画期的な技術でね、反重力技術が確立された、初めての事例なんだ」

「――そ、それって」


 ミンツは一歩こちらに近づいた。

 

「え、そ、それって――それってほんとのこと?」

「そう、ほんとのことなの。すごいでしょう?」

「すごい! すごいよ、ほんとすごいよそれ!」

「でもねー実用化にはまだ至ってないんだよ、かなり大きな魔法道具が必要だそうで、空島くらいの大きさのものじゃないと浮かせられないんだ。それに、調節がすごく難しいの。空島に毎週設置される魔力の結晶の大半は、その調節のために使われてる」


「え、でもちょっと待って、エスメラルダには空飛ぶ箒なんてものもあるんだろ? その動力はなに?」


「うん! そうそうあのね、魔女の箒はもちろん反重力の概念を使っているんだけど、えーと、厳密に言えば使っているのは概念だけで、技術として確立されているかどうか定義が難しいんだ。あのね、エスメラルダでは、魔女が使う道具と、魔女なしで使う道具とは、全く別のカテゴリに属するんだよ。魔女が使う場合には、魔力供給システムに余計な神経を使わなくていいし、ぶっちゃけあの人たちの魔力量があれば、出力とか調節とかも細かく定義設定する必要がない。面倒な調整とかやらなくても、いわば力業で、魔女は道具を意のままに操れてしまう。大きさだって自由自在だし……だから開発の現場では“魔女道具”と“魔法道具”の二つの呼称で区別されてるくらい。でね、グレゴリーの功績は、今まで魔女道具だけにしか使えなかった反重力の概念を、それ以外の魔法道具にも適用できるように技術として確立したというところなんだ」


 蕩々と話してから、まずい、と思った。またやってしまった。魔法道具について話し出すと、本当に止まらなくなってしまう。

 でも誰も呆れたり、飽きたり疎んじたりしていない。今までずっと、ラセミスタの周りにいるのはポルト率いる首都出身の学生たちばかりだったが、話しているうちにそのほかの学生たちも引き寄せられるように集まってきていた。


「えっと」咳払いをひとつ。「ど、どういう方法を使っているかというと――」


 みんな興味津々だ。ラセミスタはホッとして、反重力の概念を技術として確立したグレゴリーの功績をひとくさり話して聞かせた。ここには付添人たちがいないからか、カルムも珍しそうに人垣の向こうからのぞき込んでいた。少し離れた場所にグスタフもいた。その周囲には何人か新入生が固まっている。グスタフのすぐ隣にいる新入生を見てラセミスタは目を見張った。――女の子だ!

 

 そう、それはどう見てもラセミスタより少し年上くらいの少女だった。髪は短く切られているが、まつげが長く、びっくりするほど可愛い。グスタフより頭ひとつ分ほど低い身長と、灰色の瞳と亜麻色の髪の毛が、マリアラを彷彿とさせる。彼女の存在に、心の底からほっとした。少なくとも性別に関してはここに仲間がいる。

 

 ともあれ彼女は目を丸くしてラセミスタの話を聞いていたが、説明をひととおり終えたラセミスタと目が合うと、大きな声で言った。

 

「そんなすごいところからよくこんなド田舎まで来たねえ!?」

「あはっ」


 ラセミスタは思わず笑った。彼女の言い方はとてもあっけらかんとしていて、害意も当てこすりもないことがよくわかる。


「ド田舎なんてことないよ。ガルシア国はエスメラルダではすごく誇り高い国だって知られてるし、その文化にはすごく興味を持たれてる。それに、エスメラルダの魔法道具は大事なところを置き忘れてきてるんだ。だからここに、それを教わりに来たの」

「大事なところって?」


 彼女は首都出身の新入生たちが作っている人垣などものともせずにぐいぐいこちらにやってくる。一年前までの自分だったなら、と、ラセミスタは考えた。もしマリアラに出会う前の自分だったなら、彼女の前進に回れ右して遁走していたに違いない。

 でも大丈夫だ。この世には、ラセミスタを忌避して馬鹿にして、排除したがるような人だけじゃないのだと、すでに知っているからだ。


「エスメラルダの魔法道具は、多様性の概念が欠けてる。ここには、魔力を持たない人でも使える魔法道具があるんでしょう」

「……」


 彼女はラセミスタの目の前にまでたどり着き、目をぱちぱちさせた。ラセミスタを見下ろして、今の発言を吟味しようというように。

 ミンツが、おずおずと口を出す。


「エスメラルダの魔法道具は……魔力を持たない人には使えないの?」

「そう! ここの魔法道具は使えるんだよね? 魔力量に頼らずに、出力とか命令伝達とかを設定してるってことだよね! それってエスメラルダにはない、すごい技術なんだよ。だから、」

「ふうん――そっか。あ、俺メルシェ地区のリーダスタ。エスメラルダのラセル、これからよろしくね!」


 左手の拳を差し出された。その挨拶については、アーミナからすでに教わっていた。リンの言葉がまた聞こえた。“初対面の人にはとにかく笑顔よ”。ラセミスタは精一杯の微笑みを浮かべ、左手の拳を彼女の拳にこつんと触れあわせた。

 

「メルシェ地区のリーダスタ。こちらこそ、どうぞよろしく!」

「いろいろ聞きたいけどさ、とにかく購買に行こうよ。次の集合時間に間に合わなくなるよ」


 リーダスタはラセミスタの隣に並んで歩き始めた。ラセミスタはホッとした。首都出身の大柄な若者たちに取り囲まれているのはやはり圧迫感があるのだ。リーダスタはサイズ感がマリアラと似ていて、とても居心地が良かった。


「あーそれにしてもいよいよ高等学校生だねえ」言いながら彼女は巧みに進行方向を変えた。「ラセル、受験勉強大変だったんじゃない? エスメラルダとガルシアじゃあ、言葉も全然違うんだろ。あ、でもそっち用の言葉の試験問題とか用意されたのかな」

「ううん、ガルシア語の試験問題しかないって言われた。……ほんと大変だった。小論文は地獄だった」

「だろうねー! ねーえっと、ジェムズだっけ? ジェムズんとこの地区は合格者どれくらいぶりだった? 俺んとこ二十年ぶりだって!」


 ずいぶん男性言葉が板についている、と、ラセミスタは思った。受験すると決めたときから、男性として振る舞えるように訓練したのだろうか。元々こういう話し方なのだろうか。

 それにしても彼女の手管は巧みだった。とても自然にラセミスタを首都出身者の囲いの中から連れ出し、さっきまで自分が一緒にいた、地方出身者の集団のところへ誘導した。合流した先にはグスタフもいたし、今ジェムズと呼ばれた若者も、とても親切そうな人だった。少し年上だろうか、落ち着いた物腰の彼は、ごつごつした岩のような顔立ちをしていた。お世辞にも美形とは言えないが、視線が柔和で穏やかだ。ジェムズの返事には既に気安さが感じられた。


「俺んとこも似たようなもんだよ。十八年ぶりだったかな」

「んーやっぱそんなもんだよね。もう地区中の期待を一身に集めての受験勉強だからさあ……受験対策問題集の悪夢、未だに見るわ俺」

「俺も見る」


 気安い同意の声がどこからか上がる。リーダスタは明るい声で続けた。

 

「受験当日に見たのなんかひどかったよ。全部書いたはずなのに提出のとき見たら真っ白でさあ」

「あー俺も見たー!」


 笑いが起きた。雰囲気がとても和やかで、ラセミスタは嬉しかった。ポルトには申し訳ないが、“王子様”のご機嫌を伺いながら序列どおりに話をするなんて、元引きこもりには荷が重かった。リーダスタのような人の近くにいれば安心だ。

 

 ――ところが。

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