入学式(4)
「もともとこの国は貴族の国だった。身分制が厳格で、貴族とそれに仕える身分の者のみに名字があった。首都には名字のある者しか住めないほどだった。――その状況が変わったのは、三十五年ほど前。当時の王様はとても英邁な方で、身分制度の廃止を決断された。現国王陛下の父君だ」
「ディルク王、だったっけ。その王様の改革が進んで、議会制度とかもちゃんとして、それでやっと普通の人にもいろんなことへの門戸が開かれるようになった。なのに、次の王様がそれをめちゃくちゃにしようとしたんだよね」
このあたりは受験勉強で頭に詰め込んだから、ちゃんと把握している。グスタフは頷いた。
「そう。ゴドフリー前王はディルク王の弟で、議会や法律をすべて無視して、先代の改革を白紙に戻そうとした。外遊中だった当時の皇太子殿下、現国王陛下が知らせを受けて戻り、危ういところで、議会での法案成立寸前に間に合った。高等学校のヴィディオ校長と協力して、ゴドフリーの治世の矛盾や、元貴族との癒着や違法行為を暴き、ゴドフリー前王を追放した。……十年前のその事件で教科書に載っているのは国王陛下とヴィディオ閣下だけだが、実際にはもう一人、欠かせない人物がいる。現国王陛下に知らせを出し、軍部の圧力をかわしながら議会の開会をギリギリまで引き延ばし、ゴドフリーの数々の証拠を集めて告発の下準備を整えた。リーリエンクローン家の現当主、カイル=リーリエンクローン。あいつの父親だ」
「え!?」
それはまた。ラセミスタは前方を見た。カルムの背中はもうどこにも見えなかった。大聖堂とその前の広場に詰めかけている大勢の人波は、だいぶ近づいてきている。
「じゃあなんで……教科書に載ってないの?」
「平民だからだ」
即答されて、絶句した。いやちょっと待って、と思う。
さっき、リーリエンクローンは筆頭に近い身分の貴族だった、と、聞いたような。
「つまりカイル=リーリエンクローンは婿養子なんだ。もともと首都に住んでいた、有力な家柄ではあったらしいけど。高等学校の卒業生だし……でも貴族じゃなかった、そんな人が、王妹と結婚した。身分制の廃止を様々なところに印象づけた出来事だったはずだ」
「王妹……って、ええ……カルムのお母さんって、王様の妹、なんだ?」
平民の父親と、貴族どころか王族の母親。エスメラルダ育ちのラセミスタには、そのすごさがいまいちピンとこない。
でも確かに、カルムが二十歳だとしたら、王妹と“平民”の結婚も、同じくらいかそれ以前の出来事だったという計算になる。今よりずっと、その風あたりは強かっただろう、というくらいの想像はできる。
「三十年前というとだいぶ昔のことのような気がするけど、俺たちの親世代はすでに物心ついてた。その程度の過去でしかない。まだ、いろんな軋轢が至る所に残ってる。平民出の人間の功績を、教科書にもおおっぴらに載せられないほど……だからあいつは大変だろう。今朝も注意された。付添人が全員帰るまで、あいつに不用意に声をかけるなと」
「注意された? カルムから?」
「いや、校長先生から。首都に着いてから今日まで、校長先生のご自宅に居候させてもらってた。そこにあいつも来てた。夜は帰ってたけど。……あの大勢の付添人たちの中には、ガルシアの元貴族も大勢いるはずだ。中には、リーリエンクローンに対し複雑な感情を抱いている人もいるんだろう。あいつの言動は注目の的だ。不用意な会話がどんな波紋を産むかわからない。でも、式が終わって付添人さえいなくなれば、あいつも俺たちを巻き込むまいと、避けないで済むようになるはずだ」
エスメラルダには身分の差というものがない。だからいまいち、ピンときていなかった。
でもカルムを取り巻く環境がかなりややこしくて、カルムはどうもそのややこしい環境の中にラセミスタとグスタフを巻き込むまいとして、先に行ったらしい、ということは理解した。いろいろ大変なんだなあ――ぼんやりそう考えていたとき、グスタフが言った。
「……俺はミンスター地区の出身だ。この意味がわかるか?」
グスタフが足を止めていて、ラセミスタは少し行き過ぎて、振り返った。
「……ごめん、わからない」
「そうだよな。だから一応言っておく。不本意だが、俺と一緒にあの場に行くと、ちょっと嫌な思いをするかもしれない。ミンスターから来た付き添いは首都に入るのを諦めて帰った。宿も、校長先生のお宅に居候させてもらうしかなかった」
「……そうなの?」
ラセミスタは呆気にとられた。なんだそれ、と思った。ミンスターから来た人間は、首都で宿を取ることもできなかった、ということなのだろうか?
と言うことは――三十年あまり経って未だ色濃く残る“身分の差”という意識の中で、ミンスターという地区は、“最下層”に位置づけられるのかもしれない。一緒に来た付き添いが首都へ入るのを諦める、というのは相当なことだ。
そして。
出し抜けに、シグルドのことを思い出した。
エスメラルダには身分の差というものがない、さっき自分で考えたことが、真っ赤な嘘だったと言うことも思い出した。シグルドは非常時にミランダを抱えて【国境】に駆け込んだ、だからそのままエスメラルダの中に入れた。けれど、普通の段取りを経ていたら、シグルドには入国許可が下りなかっただろう。シグルドだけじゃない。ラルフも、学問の権利を阻害されて育った。あの子は甘いものをまるで宝物のように扱った。子供たちは寄り集まって冬を過ごすと聞いた。十六歳になったら島を出て――
ガストンが用意した腕章を身につけていなければ、あの子は【魔女ビル】からつまみ出されていたかもしれない。
「――行こうよ。遅刻しちゃうよ」
促す。グスタフは足を踏み出した。ラセミスタは少し待って、グスタフの隣に並んだ。
「エスメラルダから来た人間には、ミンスター地区とか首都出身とか関係ないよ。みんな同じガルシア人にしか見えないもの」
「……そうか」
「そうだよ。言葉も通じるし、一緒にご飯も食べられる。それならそれで十分だよ」
ルクルスだとか、ミンスターとか、王妹の息子だとか、平民の息子だとか。
エスメラルダが抱えてる問題の根っこはきっと、この国にも未だにはびこっている。
今までずっと、“異国”に来たという意識でいた。全く知らない未知の世界に来てしまったのだと。
でもここも、エスメラルダと同じ問題を抱えている。同じように考える人たちで、構成されている場所なのだ。確かにここは外国かもしれないが、未確認生物の構成する国というわけじゃない。
ここに来てから初めて、地に足がついたような気がした。
*
付き添いの参列者たちは、みんな正面入り口からは入れないらしい。大聖堂の横手に二階以上へ続くらせん階段があり、そこを登っていくようだ。
正面入り口前の広間では、大勢の付添人たちが新入生を囲んで別れを惜しんでいる。漏れ聞こえる声によると、体に気をつけて、とか、食べ過ぎないように、とか、崖から落ちてけがをしないように、とか――崖? ラセミスタは自分の耳を疑った。崖から落ちることがあるのだろうか? まさか。翻訳機の不具合ということはないはずだが。
ともあれ、付添人は入学式が終わったらそのまま帰るのだろう、とラセミスタは考えた。入学式要項によると、新入生は入学式の後、まず事務部でさまざまな手続きをすることになっている。魔力の波長を登録し、食堂や医局の使い方の説明を受けた後、食堂の特別室で昼食。そのあとは寮へ行って割り振られた寮の部屋を確かめ、そのまま部屋で荷物の整理、休憩。寮内を探検したり食堂の場所や使い方を確認したりでき、ついでに夕食を取る、という流れだ。確かにこのスケジュールでは、新入生が付き添いと合流するタイミングはもうない。広々としたガルシア国の様々な地方からはるばる見送りに来た親族一同は、それは別れを惜しみたくもなるだろう。
彼らの中に分け入るときも、グスタフは、内心はどうあれ、気後れや逡巡といった様子を一切見せなかった。先ほどと変わらない様子でどんどん付添人たちの間をすり抜けていく。ラセミスタには先導者の存在が本当にありがたかった。ショッピングモールでも、フェルドとマリアラが誘導してくれなかったら、きっと目当ての店にたどり着くことも無理だっただろう。グスタフはラセミスタよりずっと人混みを歩くのに慣れていた。隙間を見つけ、人の動きを予測し、ぶつかったり小突かれたりしないルートを適切に選び出していく。ラセミスタはその後をついて行くだけで良かった。本当にありがたい。
やっとのことで大聖堂の入り口にたどり着いた。グスタフの後ろから覗くと、中にはすでに十何人かの新入生たちがいた。付添人と別れを惜しんでいる新入生ばかりではなかったようだ。礼拝堂には木のベンチがずらりと並べられているが、座っているのはほんの数人で、大抵の人は立ってステンドグラスを眺めたり、寄り集まって何か話したりしている。
中でも一番大きな集団は左手にあった。そこにカルムがいるのにラセミスタは気づいた。カルムの行く手を遮るように立つのは、赤ら顔の、中肉中背の若者だった。彼はどうやらその場でかなり強い影響力を持っているらしかった。彼を中心とした一団が周りに控えており、カルムはどうやら赤ら顔の若者に呼び止められてしぶしぶそこに立ち止まったと言う構図らしい。
「三年間も、どこで何をしていたんだ」
そう聞こえた。カルムは向こうを向いているから、彼がなんと返したのかまでは聞こえなかった。三年間、カルムはどこで何をしていたのだろう、と、ラセミスタは考えた。この言い方だと、なんだか三年もの間行方をくらませていたかのようだが、王様の甥が行方をくらますなんてできるのだろうか。
と、その赤ら顔の若者がグスタフを見た。
その目が見開かれる。
グスタフは木のベンチのひとつに歩み寄ろうとしているところだった。「やあ」赤ら顔の若者が声を上げた。その目にあるのは好奇心だ。カルムはこれ幸いとばかりにその集団から離れ、手近な木のベンチを見つけてそこに座った。赤ら顔の若者は少しこちらに近づいた。友好的、と言えそうな表情と物腰。
「今年はなんか、どこかから留学生が来るって聞いた。――あんたがそうか?」
彼がグスタフを“留学生”だと誤解したのも無理はなかった。どうやらこの国では、黒髪黒目の人間は珍しいようなのだ。赤ら顔の若者も、その取り巻きたちも、外で別れを惜しんでいる大勢の付添人の中にも、黒髪を持つ人間はほとんどいなかった。それにグスタフは目立つ。体格のせいか、顔つきのせいか、なんとなく人目を引くところがある。
「いや、俺じゃない」
グスタフは簡潔にそう答え、ラセミスタを見た。赤ら顔の若者はその視線につられたようにラセミスタを見て――
「え?」
と言った。失礼な、とラセミスタは思う。
「え――え? あんたが? ……新入生?」
「……うん」
「ほんとに?」
「………………うん」
やはり二度聞かれるのだ。居心地が悪い。違うところはなるべく隠して仲良くなってからカミングアウト、なんて、穴だらけの策が巧くいくと思っていた今朝までの自分を殴りたい。赤ら顔の若者は呆気にとられたようにラセミスタを見ていたが、やがて笑顔を浮かべた。取り巻きを引き連れてこちらへやってくる様子は、堂々としていて、いかにも取り巻きを引き連れて歩くことに慣れていると言った風情だった。
「やあ、初めまして。私はカイマン家の嫡子、ポルトと言います。あなたのお名前を伺いたい」
カイマン家というのは、かなり有力な“貴族”らしいとラセミスタは考えた。そして彼が引き連れている取り巻きも、きっと、首都出身の“貴族”たちなのだろう。総勢、二十名近くはいるだろうか。彼らの動く様子を見ると、この集団の中にも厳密に階級が決められているようだ。ポルトが筆頭で、その両脇に控える二人がその次に“位”が高いらしく、その背後にいる人たちは、絶対にその三人より前に出ようとしない。うへえ、とラセミスタは辟易する。まるでアナカルシスの時代劇だ。“過去”でお世話になったアンヌという名前のお妃様は、確かにこんな風に周りの人から扱われていた。時代が違うだろう、と言いたい。
「は、はじめまして。ラ――ラセル=メイフォード、と、言います」
エスメラルダで長年引きこもりを続けてきた身には、この状況は荷が重い。まともに受け答えができているかどうかも定かではないのに、“貴族”に対する礼などとれるはずがない。ましてや彼らの名前と身分を全部覚えてそれに応じた受け答えを使い分けるなんて、絶対に無理だ。この集団からはできるだけ距離を取りたい。
「やあラセル」しかしポルトはラセミスタを逃がす気はないようだった。「初対面で無礼だと思うだろうが、これから私たちは新入生という対等な立場になる。友人同士に対する言葉遣いを許してもらえるだろうか?」
「あ、は、はい、……もちろん」
「ありがとう」
にっこりとポルトは笑う。ラセミスタはなんとか口元を動かして微笑みを浮かべた。
カルムほどではないが、ポルトもなかなか整った顔立ちをしていて、また立ち居振る舞いが完璧なので、やはり“王子様”らしく見えた。にっこり笑って髪をかき上げ、彼は言った。
「留学生を迎えるのは、四百年近い歴史を誇る高等学校の歴史の中でも初めてだと聞いたよ。どの国から来たのか、聞いてもいいかい? リストガルド大陸の国じゃないってことしか教えて」
「新入生諸君! 席につきたまえ」
朗々とした声がポルトの言葉をかき消し、ラセミスタはほっとした。大聖堂の外でも促す声が聞こえていて、新入生たちがわらわらと入ってくる。木のベンチに空きを見つけて座っていく。ラセミスタは急いでグスタフの隣に滑り込んだ。ポルトとその取り巻きたちは、全く慌てる様子もなく一糸乱れぬ様子で――おそらくは序列どおりに、整然と席に着いた。ポルトはラセミスタの隣だった。目が合うとポルトはニコッと笑った。とても友好的な態度だった。
ありがたいことだ、と、ラセミスタは考えた。“留学生”という大きな差異はカミングアウトする間もなくばれてしまい、すべての新入生の知るところとなってしまった。でも今のところ阻害されていない。それどころか、むしろ友好的に迎えてもらえている。幸先がいいと言えるだろう。




