入学式(3)
いつの間にか門にたどり着いていた。門の向こうに広がる景色を見てラセミスタは絶句した。楽しい楽しい魔法道具の解説でさえ、頭から吹っ飛ぶほどの景色だった。
門の周囲には林が広がっていた。背が高く幹も太い、威風堂々たる立派な木だ。その向こう――エスメラルダ育ちのラセミスタからすれば“遙か遠く”と言えそうな距離に、壮麗な大聖堂が見えている。尖塔だのステンドグラスだのがそここに配置された、マリアラが見たら興奮するだろうと思うような、歴史の重みと芸術性と荘厳さを兼ね備えた、世界遺産的な建物だ。高さはたぶん、【魔女ビル】の半分くらいはあるだろう。
その正面の広場には当然のように噴水があり、広場中を埋め尽くす人々の群れ。正門から続々と補充される、一張羅に身を包んだ付き添いの人々。
ラセミスタはあっけにとられていた。高等学校はいくら最高学府とは言え、ひとつの組織のはずだ。それなのに専有面積が広い――広すぎる。入学要項で見た地図を思い出す。大聖堂があんな距離にあるのだとすれば、想像とは縮尺が違う。桁も違う。
「悪い」
グスタフが低い声で言った。背の高いグスタフの身長の、ゆうに二倍近い高さのある門扉は、手をかけるとがしゃんと言った。開かない。鍵がかかっているらしい。ラセミスタは少し考えた。今からまたあの道のりを戻ってあの大行列の最後尾に並び直すのはできれば避けたかった。遅刻するだろうし、そもそも、ここまで歩いてきただけでも今までの一生分より遙かに長い距離を歩いているような気がする。おまけに道はずっと緩やかな上り坂だった。魔法道具の解説のお陰で疲れは感じなかったが、今になって体中に疲労がたまっているのがわかる。今から戻って正門前の坂を上り、さらに広大な敷地を横切ってあの大聖堂を目指すなんて、途中で行き倒れるに決まっている。
見たところ、門扉につけられている鍵はごく単純な物のようだ。少し時間があれば解錠装置を作れると思うが、それはさすがにどうだろう。それこそ“余計な波風を立てる”ことになりはしないだろうか。
「無駄足を踏ませて申し訳ない」
グスタフがもう一度言い、ラセミスタは慌てて首を振った。
「そんなの気にしないで。勝手についてきたんだし――」
「あ」
グスタフが声を上げた。ラセミスタの背後の方を見ている。振り返ると、また新たな新入生がやってくるところだった。
こちらの新入生も一人だった。付き添いはどこにも見当たらない。ラセミスタはその若者を見て驚いた。びっくりするほど綺麗な若者だったのだ。
とても背が高かった。グスタフと同じくらいはある。日の光をさんさんと浴びた髪は金色に見えた。男の人に間違いないが、ちょっと呆気にとられるほどの美貌だった。まるで絵本からそのまま飛び出してきたような、“王子様”と言う単語が人の形を取ったような、そんな風貌だ。
グスタフとその若者はすでに顔見知りだったようだ。若者は全く屈託のない様子ですたすたと歩いてくると、「入らないのか」と言った。声まで王子様みたいだった。
「鍵がかかってる」
グスタフがそう言い、若者は、へー、と言った。外見に反してずいぶん気安い。そしてその視線がラセミスタを見た。やっぱりその目が驚きに見開かれ、ラセミスタは内心ため息を隠した。本当に、もう少しだけでも背が高ければ良かったのに。
「……新入生?」そう訊ねられ、
「うん」
ラセミスタは頷いた。いろんなことを隠して無難に新入生の中に紛れ込むなんてやっぱり無理だったのだ、と思った。計画段階では、巧くいきそうな気がしたのだが、この人やグスタフのような人の制服の着こなしを見てしまうと、自分がどんなに異様なのかということが身にしみる。
グスタフが言った。
「ラセル=メイフォードというそうだ。ラス、そいつはカルム。カルム=リーリエンクローンだ」
「そうなんだ。カルム、どうぞよろしく。ええと、ラスって呼んでね」
この人には名字があるのか、と、ラセミスタは思った。と言うことは、首都の出身なのだろう。リーリエンクローンと言う名はどこかで聞いたことがあるような気もする。
カルムは、ああ、と頷いた。しばらくまじまじとラセミスタを見ていたが、
「……ラセル=メイフォード?」
「うん。ラスって呼んで」
「あ、ラス、な。……新入生? なのか?」
「うん」
やっぱりこの人にも二度聞かれた。これから出会う人全員に二度聞かれるであろうことは、覚悟しておくべきだろう。
「…………そっか。それで、」
カルムは気を取り直したようにグスタフを見た。
「鍵がかかってるって?」
「そう。正門に戻ろうかと」
「いやー今から正門行ってたら遅刻すんだろ。しょーがねーな、こっち来いよ」
そう言いながらくるりと踵を返し、今自分が来た方へ戻っていく。ラセミスタはグスタフと顔を見合わせて、カルムの後を追いかけた。
「こっちって、どこ行くの?」
「あの門は、普通は閉まってるんだ。今日くらいは開けてるかもって期待したんだけど」
「そうなんだ」新入生のくせにやけに詳しい。
「でもあそこが通れねえと、高等学校生にとって面倒だろ。寮からここ突っ切れば町に降りんの簡単だからさ」
「……ほんとだ」
カルムの指さした方を見て、ラセミスタは感嘆の声を漏らした。
高等学校は高台に建っている。この小道は斜面沿いに作られていて、斜面の向こうには首都ファーレンの町並みが広がっていた。とても見晴らしがいい。そして、首都ファーレンの広さにまた圧倒された。
首都ファーレンという都市だけで、おそらくエスメラルダの都市部と同じくらいの広さがありそうだった。たくさんの建物がにょきにょきと突き出している。ここから見ただけでも、食べ物屋や雑貨屋などが点在しているのが見て取れる。高等学校から町に出るなら、正門を通るよりも、ここを降りた方がずっと早いだろう。現に、カルムはさっきもここを登ってきたらしい。
ラセミスタに同じことができるかと言えば、疑問である。降りるのはできそうだが、登るのは何か手がかりがないと無理そうだ。
「そんでこの辺に……お、あったあった」
少し離れた生け垣の一角にカルムはかがみ込んだ。大きな木が道沿いに生えていて、ちょうど目隠しのようになっている。「ずいぶん小さくなってんな」と言いながら、胸元からナイフを取り出した。ナイフだ! ラセミスタは目を見張る。
フェルドが、いつも折りたたみナイフを持ち歩いているのは知っていた。他に十徳ナイフも持っている、ということも。
しかしそれが実際に役に立つところを見たのは初めてだ。ここに入学したのがフェルドだったなら、きっとラセミスタよりずっと早くそして簡単に、なじむことができただろう。ここに来るときにマティスに乗った。あのときにも思ったものだ――マティスはとても大きく、そして獣くさかった。ラセミスタは正直なところ、この獣がリストガルド大陸の固有種だろうと、どんなに賢くて従順だろうと、馬と何が違うのだろう、と思っただけだった。マリアラへの手紙に同封したマティスの写真を、フェルドが“すごく喜んでいた”とマリアラが書いてくれていたが、実物を見たらどんなに興奮することだろう。たくさん出会う未知のものたちを、どんなに喜んだだろう。
いつかフェルドがここに来たら、きっとすごく楽しいだろう。マリアラも一緒に来るはずだ。ふたりの世界一周がここまでたどり着くのはいつの日になるだろう――いつしか夢想しているうちに、カルムは的確にナイフをひらめかせて生け垣を拡張した。そのままするりと中に身を滑らせる。
「悪いけど先行ってる」
そんな言葉を残して遠ざかっていくのがわかる。ラセミスタは慌てて生け垣に潜り込んだ。
生け垣をくぐるなんて、生まれて初めての経験だ。またその生け垣は予想以上に厚みがあった。しかしカルムが通れるサイズがあるのでなんとかやり遂げた。ようやくのことで這い出すと、カルムの背中はもう遙か遠くに見えている。
―― 一緒に行かないのかな。
置き去りにされた寄る辺なさを感じる。少女同士だったならこういう場合、絶対に一緒に行く流れになる、というのは、ラセミスタの妄想ではない、はずだ。どうせ同じ場所に行くのだ、一緒に行ってもう少し親睦を深めたかったのに。しかし男の子同士の場合、単独行動が基本なのだろうか。グスタフが続いて出てきたのでラセミスタはわきに寄って場所を空け、「なんか」と言った。
「急いでたみたい。でもまだ、時間ギリギリ……ってほどでもないよね?」
「いろいろ事情があるんだろう。何しろリーリエンクローン家の御曹司だ」
グスタフはこともなげにそう言った。生け垣をくぐるときについた小枝や葉っぱをぱたぱたと払っている。
そして、ラセミスタがエスメラルダからの留学生だと言うことを思い出したらしい。やはり彼は親切な人のようだった。
「あ、そうか。ええと……リーリエンクローンというのは、この国で最高位に近い貴族――と言うか、王族なんだ」
「そうなの?」
確かに外見は王子様のようだった。だがあの気安くぞんざいな口調は一体どうしたことだろう。
それに付き添いもいないようだったし、ナイフで生け垣を拡張するあたりも、全く貴族らしくない。
「だから複雑なんだ。うーん、いざ説明となると難しいんだが……現国王陛下と、高等学校の校長の功績について、試験に出ただろう」
「ああ、出てた出てた。すごい事件だったみたいだよね。たった十年前のことだなんて信じられない」
「俺も思った。まるで歴史上の出来事みたいだよな」
グスタフはそう言ってちょっと笑った。ラセミスタはグスタフと並んで歩き出しながら、嬉しくなった。笑顔になるとグスタフが同年代に見えたのだ。落ち着き払っているし、顔立ちは整っていて鋭くて、体格もいいし、遙か年上の人のように見えていたが、笑うと印象が全然違う。実際のところ、フェルドと同い年くらいではないだろうか。




