入学式(2)
「あんなに大勢付き添いが来るものなんだね」
しみじみとそう呟いた。グスタフはラセミスタを見下ろした。
「高等学校への入学だからな。受験資格を得るだけでもお祭り騒ぎになる地区もある」
「ああ、そういえばそんな話も聞いた気がする」
リズエルの資格を持つラセミスタは二つ返事で受験資格を与えられたそうだ。だからあまりピンときていなかったが、高等学校というところは、そもそも受験資格を得るのが大変なのだという。しかし受験資格を得るだけで地区中お祭り騒ぎになるなんて、冗談か比喩だと思っていたのだが――あの付添人の数を見ると、あながち比喩でもなかったのかもしれない。
それじゃあ、どうしてグスタフには、付添人が一人もいないのだろう。他に留学生が入る予定だったのなら、校長先生がそう教えてくれたはずだ。ラセミスタはグスタフを見上げた。
しかしグスタフの方も同じ疑問を抱いていたらしい。こちらを不思議そうに見ている黒い瞳と目が合った。
「ラセルは――」
「? あ……ああ」
一瞬、自分のことだということに思い至らなかった。ラセミスタは、苦笑した。
「ごめん、ええと、ラスって呼んでくれない? ラセルって、まだ慣れてなくて、自分のことのような気がしなくて。ラスなら本名でも使われてた愛称だから」
「……」グスタフは一瞬考えた。「偽名、なのか?」
「うん、そう。校長先生にそう勧められた。余計な波風は立てないに越したことはないって」
それであなたに付添人がいないのはなぜ?
そう訊ねたいと思った。留学生が自分ひとりである以上、グスタフもガルシア国民のはずだ。ガルシアというこの国で、高等学校に入ると言うことがこれほどに名誉なことならば、グスタフにだって大勢の付添人がついてきたがっていいはずだ。しかし、まだ会って数分にも満たない間柄なのに、そんな質問をしてもいいだろうか。ぶしつけだと思われないだろうか。逡巡したラセミスタに、グスタフが訊ねた。
「ラス、も、……付添人がいないのか」
「うん」先に聞かれた。ラセミスタは思わず微笑んだ。「すごく遠くから来たもんだから。入学式がこんなに重大なイベントだとは知らなかったんだ。知ってたら誰かに来てもらっても良かったんだけど」
一応そうは言ったけれど、そんなことできるわけがないということは重々わかっていた。ラセミスタは“左遷”された身であり、またエスメラルダには入学式に親しい人間に参列してもらうという文化がない。なのにグレゴリーをこんな遠くにまで呼び寄せるなんて、あまりに大げさすぎるし、許可が下りるとも思えない。
グスタフの方の事情も聞こうと口を開きかけたとき、それより一瞬早く、グスタフが言った。
「……ラスは」黒い瞳が確かめるようにこちらを見ていた。「エスメラルダの出身か?」
「へ――」
思わず間抜けな声を上げて。
内心で呻いた。初日、初対面からほんの数分で、なんかあっさりばれたんですけど校長先生!
「な……なんで!?」
「いや、今朝、今年はどこかの国から留学生が入ると聞いて。どこの国かは教えてもらえなかったが」
それでどうしてエスメラルダとわかったのだろう。いや別に秘密ではないし、ばれても問題があるわけではないのだが、“初めはガルシア国民のふりして仲間に入れてもらおう大作戦”があっさり潰えたのはやはりショックだった。
「あの、参考までに聞いてもいい? どこの国か聞いてなかったのに、どうしてエスメラルダってわかったの」
どこで自分がぼろを出したのかは把握しておきたい。
グスタフは少し考えた。
「言葉が。……なんか、二重に聞こえる、ような気がする」
――嘘だー!
わめきたくなった。自慢じゃないが、今使っている翻訳機は、ラセミスタの持てる限りの技術を詰め込んで作ったものだ。この半年で調整を重ね、グレゴリーにも王立研究院の人達にもアーミナにも太鼓判をもらったものなのに。
「それなら、付添人が一人もいないのもうなずける。エスメラルダは遠いし、言葉も全然違う。それはアナカルシスもそうだけど、エスメラルダの方が魔法道具の技術が進んでると聞いたから、言葉をうまく調整するとかもできるのかと思って」
グスタフの言葉を聞きながら、悔しい、と思った。あっさり見破られるなんて、リズエルとしては非常に悔しい。ラセミスタは渋々、首もとから鎖を引っ張り出した。鎖の先に、小指の先ほどの大きさの、小さな宝石を模したものがついている。グスタフは目を見張った。
「そんなに小さいのか」
「まさか見破られるとは思わなかったな」
「翻訳する道具、なのか?」
「うん、翻訳もできる。でも今はその機能は使ってない。そうしてると、いつまでも言葉を覚えないから。こっちに来て半年になるから、ある程度は話せるようになったんだ。でもたどたどしいし発音もおかしいし、よく間違うから……今はちょっとズルするために使ってる」
「ズル?」
「今ね、あなたに、たどたどしい発音が流暢に聞こえるような錯覚を起こさせてる。それから意味間違った単語を使っていても、こっちの意図してるとおりの意味を伝えるように、してる。聞き取る方も、あなたのニュアンスが正しく伝わるように助けてもらってる。早くこれなしでも会話できるようになるといいんだけど、試験中は説明を勘違いすると困るし……そばにアナカルシス語もガルシア語も詳しい人がいてくれれば、もっとちゃんと勉強できるんだけど、アーミナは忙しいしね」
はあ、と、ラセミスタはため息をついた。どうしてばれたんだろう。これがなくても会話に不自由しなくなるまで、誰にも知られたくなかったのに。翻訳機の使用を見破られては、ぼろを出す以前の問題だ。留学生と言うことを隠すなんて、そもそも無理だったのかもしれない。
「それ」とグスタフが言った。「ちょっと見せてもらってもいいか?」
口調は思いがけず熱のこもったものだった。どうやら、ズルしながら会話してるなんて、と、軽蔑されたりはしなかったようだ。むしろかなり興味を引いたらしい。いいよ、と渡すと、グスタフはそれを手のひらの上に乗せてまじまじと見つめた。いろんな角度から見て、つぶやいた。
「……すごいな」
「そう?」ちょっと元気が出た。
「どういう仕組みになってるんだろう。……高いんだろうな」
「高い? 金額が? さあ、どうかなあ。材料費はそうでもない。でもエスメラルダに行けば誰でも買えるというものでもない。まあ、外国行ったりする時は便利だよね。高等学校のカリキュラムで、外国に行ったりすることもあるのかな」
「それはあるだろう」
「じゃあその時は、良かったら作ってあげるよ」
グスタフはラセミスタを見た。
見て、見て、ようやく言った。
「……ラスが作ったのか?」
「もちろん。それは別の人には使えないものなんだ。持ち主の魔力の波長を回路に埋め込まないといけないから、万人向けに市販できるような段階にはまだなってない。値段なんて考えたことなかったけど……でもこれ他の人には使えないから、金銭的な価値もないよねきっと」
「……………………そうか。あれ。赤くなった。悪い、壊したか?」
グスタフが翻訳機を差し出した。彼の手のひらの上で、翻訳機は確かに赤い警告色を発していた。ラセミスタはそれを受け取り、元どおり首にかける。
「大丈夫、ただ動力が減っただけ。これ小さいでしょ、だから持ち主から離れるとすぐ動かなくなっちゃうんだよね」
「ラスから離れるとだめなのか。ああ、俺は魔力の波長が違うから……」
「そう。このサイズだと十秒くらいですぐランプついちゃうんだ。これ放置してると、どんどん魔力の結晶が枯渇して、新たに補充しなきゃいけなくなる。でもそれだけで、別に壊れるわけじゃないよ。ただ動かなくなるだけ」
「なるほど……。それじゃあ指輪型の方が便利じゃないのか」
「まあね、それはそうなんだけど。真珠くらいのサイズはどうしても必要なの。そんな石のついた指輪なんか、ずっとつけてたら魔法道具作るのに邪魔でしょう」
「ああ、確かに」
「翻訳機の開発は初めてだったから、この形状に落ち着くまで苦労したよ。一瞬も肌から離せないと思ってたときにね、腕時計型とかピアス型とかいろいろ考えたんだけど、取り外しが面倒だと嫌だし、腕時計外さなきゃいけない状況って結構あるし、ピアスとかイヤリングだともっとでしょう? だから初めは鎖なしで胸のとこにサージカルテープで貼ってたんだけど、ゴワゴワするし邪魔だし気が散るしかぶれるし……」
魔法道具について話すのは楽しい。今まで間借りしていた王立研究院では、こういう話は全くできなかった。あそこでは、ラセミスタは最後までお客さんでしかなく、また受験勉強に忙しすぎて――でももう、話していいのだ。そう、この翻訳機の開発は本当に大変だった。ガルシアには左巻きの魔女は一人しか派遣されていないから、サージカルテープでかぶれたぐらいで治療してもらうなんてできなかった。魔女や工房のサポートなしに研究開発を行ったのはこの翻訳機が初めてで、その苦労を分かち合ってくれる人も誰もいなかった。
話しているうちに、ああ本当に受験から解放されたのだ、という実感がようやくわいてきた。今から入学式に向かうのだ、と言うことも。
グスタフは魔法道具にかなり興味があるらしく、とても身を入れて聞いてくれているようなのがありがたい。ラセミスタは夢中になってどんどん話した。道は緩やかな上り坂になっていたが、歩くのがちっとも苦にならないほどだった。ユーザビリティの観点から考えると、結局このペンダント型が一番だという結論にたどり着いた。でもそこからがまた大変だった。作ってみてからわかったが、ペンダントは姿勢や動きによって、肌から離れる瞬間が結構あるのだ。そのたびに機能停止→再起動の手順を繰り返すのは本当に面倒だった。が、翻訳機の周りを魔力の結晶で覆うというアイデアが閃き、ようやく――




