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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
間話 リンとラルフの大冒険
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ミランダの旅立ち(2)

「先のことは心配いらない。ウルクディアは国会のお膝下だ。狩人も大っぴらには活動できない。ウルクディア市長には昔、少々貸しがあってね、いろいろと頼んである。そして――これが、ウルクディアの【魔女ビル】付属、医局への配属の辞令だ」


 ポケットから取り出した書類入れを元の大きさに戻し、グムヌスは、そこから一枚の紙を取り出した。


「効力はまだ生じていないが、正式なものだ。いいかね、これが発行されたということを〈アスタ〉はまだ知らない。今日の夕刻がタイムリミットだ。夕刻が過ぎれば〈アスタ〉の知るところになる。その時までに、リファスに着いている必要があるのだ。リファスで〈アスタ〉に呼び出されても出るんじゃないよ。そしてできるだけ早くウルクディアへ行きなさい。校長の、狩人とのパイプは断たれた。狩人は君の行き先を知り得ない。道中は安全だろうよ――シグルド君が一緒ならばなおさらだ。ウルクディアに着き、【魔女ビル】に入ればもうこっちのものだ。ウルクディアの警備隊長はガストンの友人だ。何年か前に飛ばされた、ドルフという男だ。彼が絶対に守ってくれるし、【魔女ビル】の医局の方でも、左巻きのレイエルが正式な辞令を持って来たのだから追い出しはするまい、むしろ歓迎されるだろう――三日病の猛威は、あちらでは今や大変な災禍だ。左巻きの魔女がひとりでも多く必要なのだよ。そして何年か経って」グムヌスは、微笑んだ。「シグルド君が別の駅に配属されることになれば、彼と一緒に行きなさい。市長とドルフがうまく計らってくれるだろう。まあ、その時に別の男を見つけていたなら、無理に彼と一緒に行く必要はないがね」


「……でも」


「時間が余りない。この書類入れを持って行きなさい。荷造りの時間も惜しいから、巾着袋と、必要最低限のものだけにするんだよ」

「私……行けません」


 グムヌスは、微笑んだ。「なぜだね」


 治療も途中だった。でも集中できなかった。グムヌスはミランダに向き直り、しわ深い手でミランダの手をそっと撫でた。その感触に励まされて、ミランダは言った。


「……相棒がまだ治らないの。ヴィヴィを……ヴィレスタは、かなりややこしいところが損傷していたそうで……イーレンタールさんも手を尽くしてくれているそうなのだけど、彼は売れっ子だから、新作の魔法道具の予定がぎっしり詰まってしまっているそうで……まだ。だから、私、ヴィヴィを置いて行くなんてできません」


 グムヌスは、哀しげに言った。


「ヴィレスタはもう治るまい」

「……そんな、」


「気の毒に。……気の毒に、ミランダ。酷なことを言うようだがね、ヴィレスタはもう死んだものだと思いなさい。このままここに留まっても、ヴィレスタに会えることは二度とないだろう。ヴィレスタは、校長の思う以上に高性能だったのだ。君にあのような護衛をつけることを許すことはもはやないだろう」

「私、毎日、ヴィヴィに会っているんです。ただ、眠っているだけなんです。工房の……寝台で、治される日を、待って、ただ、眠っているだけ――」

「それはただ、ヴィレスタの外見をした人形だと思うよ」

「……違っ、」

「君はまだ知らないかね。先日新たな子供型のアルフィラが生まれた。少年型だ。【毒の世界】に観測所を設けることが決まり、そこへ荷を運ぶラクエル――恐らくダスティンというラクエルになると思うが――ラクエルの相棒として設定された」

「……まさか」


 グムヌスの言いたいことが、わかりかけてしまって。

 ミランダは、耳をふさぎたい衝動に駆られた。

 そんなの嘘だ。嘘に決まってる。そんなの――


「ラセミスタがいれば事態は違っただろうね。だが……新たに生まれた少年型のアルフィラは、記憶を消去され、新しい感情と知識を植え付けられた、ヴィレスタの体だと、……私はそう思う。思うだけの判断材料もある。……だから自分のことだけを考えなさい。ヴィレスタはもう、二度と、君のもとへは戻らない」


 ――薄々。

 分かっていたのかもしれない――

 ぼんやり、そう考えた。


 イーレンタールは誠実だった。少なくとも表向きは。ややこしいところが損傷していて――なかなか修復が終わらない――優秀な助手を務めてくれる人間もいなくなっちまって――申し訳ないが、まだ時間がかかる――

 その態度に、すがりついていた。


 イーレンタールは校長の命令には逆らわない。

 わかっていたはずなのに。


 自分の立場を危うくしてまで、ヴィレスタをミランダの元へ戻してくれる――そんな行動を起こしてくれる人だったなら、ラセミスタも今ここにいたはずだ。少なくともミランダはそう思っていた。ラセミスタがガルシアへ飛ばされたのは、イーレンタールが彼女を売ったからだと。妹同然のラセミスタを売ったのだとすれば、命令があれば、ヴィレスタの外見を変えて記憶を消去して、新たなマヌエルの相棒に仕立てることくらい、絶対にやるだろう。


 ミランダは両手に顔をうずめた。毎日見に行っているヴィレスタは、では、

 ――ヴィレスタそっくりの、人形、……だったのだ。


「ミランダ。時間がないのだ」


 グムヌスの優しい声が叱咤した。


「このままでは君が危うい。ヴィレスタも喜ぶまい。誰にも会わず、何も言わず、部屋へ行って、最低限の荷造りだけして、すぐに駅へ向かうんだ。正午の列車に乗りなさい。いいかね、ここからは万一の話だ。まあないとは思う。が、用心に越したことはない。【国境】を君が出たことを〈アスタ〉が知れば、駅で止められるかもしれない。だから正午の三分前に出るのだ」


「三……三分……?」

「【国境】を出たら箒に乗って駅を目指しなさい。切符はすぐに出せるようにしておくんだよ。発車ギリギリに駆け込みなさい。リファスの駅長とシグルド君宛の手紙も入ってるから、リファスでそれを渡して助力を頼みなさい」

「……そんな、でも」


「君はシグルド君の命を救った。彼が今あるのは君のお陰だ。それならば君の命を救うのに、シグルド君が協力するのは当然のことだろう。重荷になど思うものか。もし思うような人間ならば君が恋をしたりしないだろう。……お願いだ。私は、君に生きていてほしいのだ。孫のように思っている君には、是が非でも私より長生きして、幸せになってもらわねば困るのだ。君がこのような境遇に陥る前に、奴を放逐しておかなかった責任は私にもある。早く行きなさい。二度目の孵化が起こってはもはや手遅れだ、いや、孵化など起こる前に憂いを排除することくらい、奴は顔色も変えずにしてのける」


「二度目の、……孵化?」

「それが起こってはお終いだ」グムヌスは繰り返した。「フェルディナントはもはやのっぴきならぬところまで知っている。そして右のエルカテルミナだと確定している。彼は抜け目もない。君やマリアラのような、哀しいほどのお人よしでもない。奴もやすやすとは手を出せない。だからその標的は、未だ生まれぬ左に集中する―― 一番可能性が高いのは君だ。だから逃げるのだ。今、すぐにだ! 孵化が起これば短くても四日は何もできない状態に陥る。その間に奴はどんな手を使っても左を殺す。エルカテルミナはエスメラルダの国民全員が守らねばならぬ大切な花だ――だが」


 グムヌスは、ミランダの手を握り、立ち上がらせた。


「私にとって君はエルカテルミナではない。エルカテルミナより大切な、可愛い、愛しい、孫なのだ。書類カバンの中に必要なものはすべて入れておいた。金も入っている。君に必要なのは防寒具と、数日分の着替えだけだ。急いで。正午までに準備を整えなければならない。時間がない」

「……友達に。家族に。……挨拶も、だめですか」

「だめだ。そのようなことは後でいくらでもできる。あとで山ほど手紙を書けばいい。急な出奔を許してくれとな。ジェイディスには私からも話をしておく」


「校長が……」ミランダは、目眩を払うように首を振った。「交替、してなかった、という……こと……?」

「ナイジェル副校長になりすまして、何食わぬ顔で戻ったらしい」

「では……マリアラが」


 ミランダは、我に返った。


「マリアラが危険じゃないですか。マリアラはもう一度、殺されかけているんです」

「わかっている。彼女の方も悪いようにはしないとも。私に任せておきなさい」

「グムヌス議員」ミランダは、囁いた。「私を逃がして……あなたは、大丈夫なんですか」

「何を言うんだ。誰に言っているのかね。私は百戦錬磨の元老院議員だよ? 十七歳のお嬢さんに心配されるとは、私も老いたものだね」


 グムヌスは顔をしかめて見せた。馬鹿にするな、というように。

 ミランダは、書類カバンを受け取った。胸に抱き締めて、グムヌス氏を見つめた。話を完全に理解したとは言いがたかった。けれど、グムヌスが本気だということだけは、よくわかった。


「元気で。今まで老人のわがままに付き合ってくれて、本当にありがとう、ミランダ」

「いえ……こちらこそ」

「そう深刻に考えなくていい。今日の午後にはシグルド君に会えるのだ。近々ウルクディアで、休みのたびに気軽に会えるようになるのだ。ウルクディアには美味い店も多いし、千年もの歴史を誇る有名な屋台通りもある。国会お膝下だから、散歩をしても狩人に狙われることはそうあるまいし、レイエルがくれば今まで治せなかった病気や疾患を治せるようにもなり、出張医療も楽になるし、君の家族や友人もそちらに遊びに行けるようになる――いいことずくめだ。そうだろう」

「……はい」


 ミランダはうなずいて、書類カバンを縮めてポケットにしまった。

 そして、言われたとおりに行動を始めた。


 ヴィレスタの体を置き去りにしなければならないのが、ひどく、ひどく、切なかった。

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