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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の相棒
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初日 日勤(2)

 森の浄化は、地道な作業だ。

 まず、土壌からだ。地面に左手を当て、〈毒〉を探す。〈毒〉は本来、マリアラたちの住む大地とは別の次元にあると言われる、【毒の世界】にしか存在しない。明らかに異質な存在だから、引っ張り出すのは簡単だ。

 確かに、こないだジェイドに施した〈毒抜き〉の作業と変わらない。


 土壌に含まれていた〈毒〉が表面に滲み出ると、フェルドが火炎装置のノズルを近づける。ぼっと炎が燃え広がり、マリアラの魔力の干渉を受けた部分がいっとき、火の海のようになる。

 グールドが山火事を広げていたとき、地面に落ちた〈毒〉の塊に松明を近づけただけで燃え上がったことを思い出す。〈毒〉がこんなに燃えやすいなんて。仮魔女時代の研修で【毒の世界】にお客さんを助けに行ったとき、火気厳禁だとダニエルとララに口を酸っぱくして言われたが、なるほど納得だ。


 見える範囲の土壌の浄化が終わると、次は樹木に移る。〈毒〉の厄介なところは、生物の持つ魔力を手がかりにじわじわと広がるだけでなく、増殖するという点だ。放っておけばおくほど汚染は広がり、生きとし生けるものをゆっくりと、しかし着実に蝕んでいく。完全に浄化が済むまで、次に移れない。


 仕事の間、二人は殆ど何も話さなかった。マリアラは黙々と地面や樹木から〈毒〉を除去し、フェルドは黙々とそれを焼いた。息が合っているかどうかはわからない。けれど、ダスティンの時のような、居心地の悪さは感じなかった。

 それで充分だ、という気がする。





「マリアラ」


 声をかけられて、マリアラははっとした。顔を上げると、目が合った。黒々とした瞳が、存外近くから覗き込んできている。


「ちょっと休もう。そっち、座っといて。今の分焼いちゃうから」

「あ――あ、でも」


 まだもうちょっと大丈夫、そう言いかけて、マリアラは言葉を飲み込んだ。太陽が、思いがけず高い。腕時計を見ると、十一時。


「もうこんな時間……?」

「結構進んだよ」


 後ろを振り返ると、なるほど確かに、司令部の机が見えなくなっている。三日月湖のほとりの木のない部分は順調に焼け野原になっている。少し迷ったが、マリアラはおとなしく、いつの間にか設置されていた長椅子のところに行った。

 ――根を詰めすぎて次の作業に影響の出ることのないように。

 あの注意をもう一度繰り返されるのは避けたい。


 長椅子がひとつ置いてある。その近くに、背の低い丸テーブルも鎮座している。いつの間に、準備したんだろう。ちっとも気づかなかった。


 フェルドはマリアラが今取り出したばかりの〈毒〉に、火炎装置から伸びるホースを近づけた。ホースの先からは燃えやすいガスが出るようになっていて、先端に取り付けられた点火装置から火花が飛ぶと、ホースの先から炎が吹き出る。何と無しにそれを見ながら、マリアラは不思議に思った。雪山で、リンと一緒にグールドの訪問を受けた、あの時。グールドに髪を掴まれて一緒に落ちかけた時、炎が出た――ような、気がする。


 あれはいったい、何だったのだろう。あれが普通にできるなら、火炎装置のような道具は必要ないはずだ。マリアラも、あれをもう一度やれと言われてもできない。周囲の大気水分を除去して、酸素を供給して、燃焼しやすい環境を整えることはできるだろうが、点火となると。


 考えている内にフェルドが戻ってきた。自分用に出したのは肘掛け椅子だ。丸テーブルの上にポットを出し、お湯まで沸かし始める。

 マリアラは頭上を見上げた。もうすぐお昼だ。“ペースメーカー”の役割を担ったフェルドが、昼食まで休憩を待たなかったのは何故だろう。やっぱり、疲れているように見えたのだろうか。情けないことに、疲労がじんわりと体に溜まっているのを自覚する。

 もう少し魔力が強かったら、昼まで休まずに働けたのだろうか。


「何飲む?」


 訊ねる声からは、落胆も軽蔑も読み取れない。


「香茶、ください」

「りょーかい」

「あ、そうだ。チョコレートがあるんです」


 食べませんか、と言いながらポケットから箱を取り出した。開いて見ると、ココアパウダーのかかったとても美味しそうな生チョコレートの詰め合わせだ。どうぞ、と言うと、フェルドは少し困った顔をした。


「ごめん。せっかくだけど、俺、甘い物ダメなんだ」

「え――?」

「ホントごめんな。食べると頭痛くなるんだ。気にしないで食べて」

「あ、はい」

「それ、ラスから?」


 訊ねられてマリアラは頷いた。引っ越しは昨日、滞りなく済んだばかりだ。ラセミスタ、という名の少女は人形のように綺麗な子で、礼儀正しくて、フェルドが評した“偏屈”な部分は全く見られなかった。少なくとも今のところは。

 引っ越しが延びに延びたことを丁重に謝られた。お詫びにとチョコレートまでくれた。それ以外ではまだあんまり話していないけれど、時間をかければきっと仲良くなれるだろう。


 チョコレートをひとつつまむと、指が沈むほど柔らかい。

 口に入れた。甘くて濃厚で、ほろ苦い。

 とても美味しい。思わず顔がほころぶ。

 こんなに甘くて濃厚で美味しいものを食べて、頭が痛くなるなんて気の毒だ。


「――こないだの……ディアナさんの治療院のときから、ちょっと思ってたんだけど」


 香茶を差し出してくれながら、フェルドが言った。


「もしかして、甘い物好き?」

「え?」


 何を聞かれたのかわからなかった。意外そうな問い方だったから。甘い物好き――もちろん大好きだ。自分と同じくらいの年頃の少女が十人いたら、その内の八人は甘い物が好きだと答えるだろう。少数派と言うことはないはずだ。

 そんなに意外だろうか。


「はい、好きです……けど?」

「だよなー」


 フェルドは笑う。どうしてだろう、とマリアラは思う。


「あの……?」

「いやそれが普通だよな、と思ってさ。甘い物って魔力の回復にもいいんだって」

「へえ」


 話しながらもう一粒、チョコレートをつまんで食べた。濃厚な栄養の固まりが、口の中でとろける。喉を滑って、体の隅々まで染みていくような気がする。

 こんなに上質なチョコレートを食べたのは、生まれて初めてじゃないだろうか。


 がさ。

 森の方で、音が鳴った。

 フェルドが腰を浮かせた。


 静まり返った森の中で、その音は異様なほど響いた。小さな生き物たちも全て逃げ出した、静まり返った灰色の森の中だ。風もない。


「誰かいるのか」


 返事はない。森にはまた静寂が満ちている。


「木の枝が何かの弾みで、動いたんじゃないでしょうか」


 マリアラは言い、フェルドは、そうかもと言った。その後は再び、完全な静寂に戻った。

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