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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
間話 リンとラルフの大冒険
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ラルフの受難

    *




 冬の間、南の大島は、穏やかな空気に包まれている。

 漁に行かない世話役たちはさまざまな内職をして冬を過ごすので、子供たちはその手伝いをする。それは普段なら、なかなか楽しいひとときだった。世話役の目が行き届くから、年長の子供たちにいばり散らされたり搾取されたりということが起こりにくいし、いろいろな仕事を教えてもらうのは楽しいことだ。


 だが。


 今のラルフの状況は逼迫していた。何しろ凍死しかけているからだ。その上目の前に、あのいけ好かない【水の砂】――リーザとかいう狩人がいる。最悪だ。


 そもそもの元凶は、全て、ハイデンがウェインとネイロンをつれて雪山を訊ねたきり、吹雪に閉ざされて帰ってこられなくなったことだった。


 ハイデンが出かけて三日目に、ラルフは家出をするはめになった。ハイデンがどうやら吹雪に閉ざされて帰れないらしいとわかってから、ハイデンがいない間の責任者をかってでたのが、リケロという、かちかちの石頭のくそオヤジだったからだ。リケロはずっと以前からラルフのことを目の敵にしていた。女のくせに男の真似をしていること、その上ハイデンがそれを許していることが気に入らないからだ。あのくそオヤジが、この千載一遇のチャンスを逃すはずがなかった。

 リケロは責任者になってまず初めに、真っ先に、掛け値なしの一番初めに、ラルフに少女の仕事をさせることにした。普段一緒にいる少年たちの輪から無理やり引きずり出して、つんと取り澄ました十五歳と十四歳の一卵性双生児のようなふたりのところへ入れたのだ。


 ラルフは頑張った。半日は耐えた。でも無理だった。あんなところでまともに呼吸なんか出来るはずがない。自分の名誉のために言えば、割り当てられた仕事を嫌ったのではない。裁縫の腕は壊滅的だが、やれと言われるなら、できあがるのがたとえ血染めのボロ雑巾だろうと、作ってみせるくらいの気概はある。が、リケロから言い含められていたあの少女ふたりはラルフを仲間として扱った。スカートをはかせて髪を梳かして、足を広げて座ろうものならきんきん声で注意をし、乱暴な口を聞こうものなら嘆いてみせ、将来女性の世話役としてこの島に残ってみんなのためにこの身を犠牲にしましょうね――と吐き気のしそうな愁嘆場をうっとりと演じて見せたのだ。


 最悪だ。


 ラルフが世話役になりたくない理由、そして女性の身を受け入れられない理由、それはひとえに、女性の世話役がどんな仕事を担い、南大島でどんな風に扱われるのか、よく知っているからだ。彼女たちはそれを受け入れるという。そして南大島で一番裕福で満たされた生活を送ることを当然の権利として受け止めるらしい。彼女らは、捨てられてくる赤ん坊たちのために我が身を犠牲にするのだと、悲壮な決意を――大まじめに――固めている。みんなそれを褒め称え、彼女たちを聖女のように扱う。世話役として残ることを決めた女性は全員、南大島で一番優遇され、大切に大切に守られる存在となるのだ。当然、なのだろう。ルクルスの女性は少ない。そして、赤ん坊にはどうしても母乳が必要なのだから!


 女性のルクルスとして生まれたからには――とリケロや彼女たちにしたり顔で言われると、ラルフは本気で吐き気に襲われる。だから逃げ出した。真冬の南大島で、大吹雪の中、着の身着のまま(おまけにスカートだ!)で逃げ出すことがどんな結果を呼ぶのか、よくわかっていたけれど。凍え死んだ方がずっとずっとましだった。


 ハイデンたちが出かけて四日目にようやく雪が止んだ。その朝である。


 雪かきをしながらラルフを捜し回ったリケロを含む世話役たち、それから大勢の子供たちの誰でもなく、よりによってただ散歩に出ただけのリーザがラルフを見つけたというのは、とても不思議なことだと、朦朧としながらラルフは考えていた。




 リーザは思ったよりも親切だった。ラルフが凍えていて、身動きもままならないことを見て取ると、少なくとも見捨てることだけはしなかった。ふらりと歩み去っていったので、てっきり気づかなかったか気づかないふりをするかだろうと思っていたら、若者を数人呼んできたのだ。


「見つけちゃったからには、死なれちゃ後味が悪いもの」


 もの問いたげなラルフの視線に彼女はそう呟いた。後味を感じる神経なんかあったんだ、という言葉は、口の中にしまっておいた。お陰で暖かい部屋に担ぎ込まれて、乾いた衣類に着替えさせられ、一番上等な毛布にくるみこまれ、おまけに南大島では大人の女しか飲むことを許されない、温かな甘い飲み物をたっぷり飲まされた。世話役の女たちはみんな今まで大嫌いだったのだが、凍え死ななかったのが不思議な一晩を過ごした今は、やいのやいのと世話を焼かれるのは正直嫌ではなかった。現金なものだ、と思う。それは全部リーザのお陰だったのだから、これ以上文句を言うべきではないのかもしれない。


 リーザは例のあの事件があった後、しばらくは雪山のルクルスを頼って匿われていたらしい。けれど雪山は本土にあるし、前校長が亡命した後にまで空気孔を通してリーザを外に出してくれるような保護局員は存在しなかったし、彼女を匿うにも限界があると雪山のルクルスが伝えてきたので、ひと月ほど前からリーザはここにいた。ハイデンは彼女を迷惑がっていたのは確かだが、警備隊長に通報しようとまではしなかった。リーザが脅迫したから、らしい。リーザがエスメラルダに捕らえられたら、【夜の羽】は【風の骨】にさせている差し入れを止める、と言われたのだろう。まあハイデンとしても、警備隊長にもうひとりの狩人を捕らえさせてやるほどの義理はなかったということもあるかもしれない。


 ラルフはこのひと月の間、出来る限りリーザに関わらないようにしてきた。他の大多数のルクルスも同様だった。視界に入るだけで腹がたつからだ。彼女は一切、金輪際、何の建設的な仕事もしなかった。一番いい部屋に陣取って、世話役の女たちを召使いのように顎で使った。冬を越すための蓄えを何の遠慮もなく食べまくり、着替えも毎日新しい乾いたものを要求し、真冬のこの島で洗濯するということがどういうことなのか、思い当たりもしない様子だった。彼女には匿われているという意識はどうやらなかった。狩人が長年続けてきた差し入れの代価を、今もらっているのだと言わんばかりだった。


『【風の骨】があたしを助けるわよ。あたしは偉いの。階級だってあの人よりずっと上なんだから。あたしを助けておけば【風の骨】の手柄になる。喜ぶわよ』


 彼女はそう言っていたらしい。それをみんな――少なくとも大多数のルクルスは――信じている。だからリーザは今まで無事だったのだ。でもラルフは信じていなかった。ウィナロフはリーザのことを嫌っているとラルフは知っていた。あの時だって、グールドが捕らえられ、校長が亡命したとわかった後でも、別にリーザを捜そうというそぶりすらなく、ラルフからマリアラが見つかったという報告を受けたら、「そっか。よかった。それじゃ」と挨拶だけして淡々と雪山に登っていってしまったくらいだ。ウィナロフはリーザが捕らえられようと飢え死にしようと、別に構うことはないと思っていたに違いない。


 だから――


 ラルフが一眠りして、昼食として温かな粥をできるだけ食べ、またうとうととまどろんでいた部屋にリーザが入ってきた時、ラルフは、助けてもらった恩を返さねばならないと思った。いつまでも借りがあるのは嫌だった。早いところ借りを返して清々したかった。


「……あんたこれからどうすんの」


 発熱していて頭がぐらぐらしていたが、ラルフはか細い声でそう言った。

 リーザはふん、と鼻を鳴らし、ラルフの看病をしていた世話役の女を目だけで部屋の外に追い出した。その目配せときたら本当に堂に入ったもので、確かにこの人はお姫様らしいとラルフは思う。自分の立場が分かっていない。下々の感情など頓着する必要はないと、無邪気に思い込んでいる、類い稀なほど世間知らずの、頭の空っぽなお姫様だ。


 リーザはつんと顎をそらして訊ねた。


「どうって?」

「……いつまでもここにいられるわけじゃないって、わかってんだろ……ウィンが……ウィナロフがきたら……あんたを匿う必要なんかないんだって……お姫様扱いしてやる必要なんか……全然ないんだって……みんなにばれるよ」

「やな子ね」リーザは顔をしかめた。「なんであたしを匿う必要がないの? あんたら全員生きてられんのは、」


「あんたのお陰じゃないんだよ」ラルフは急いで口を挟んだ。「少なくとも俺達にとっては……狩人にもあんたにも、何の義理も、ないんだ。俺達が恩を感じてんのは……ウィンだけなんだよ、あんたがどう言おうと、現実としてそうなんだ。あんたには状況が、よくわかって、ないんだ。冬を越すってのは……伊達じゃないんだ、ここでは。あんたは蓄えを食いつぶしてる。あんたひとりのために何人か餓死するなんてことに……なりかねない、状況、なんだよ。みんな、怒ってる。……我慢、してるんだ。【風の骨】があんたを助けるだろうと、助けたがるだろうと、信じてるからだ。あんたがまだ追い出されてないのはウィンのお陰だ。世話役の女達を……顎で使える人間なんか、ここにはいないよ。ウィンだって、絶対、そんなことしない。あの人たちはここでは……正真正銘の……みんなの恩人で……母親で……女神みたいに、祭られてる、人たちなんだよ? あの人たちも我慢してる。あんたみたいな役立たずに顎で使われるのを、我慢してるんだよ、ウィンのためにさ。さっきの人だってすげえ怒ってたけど、目配せひとつで追い出されて“くれた”んだ。ウィンがきたら……嘘がばれる。みんなあんたをたたき出すよ。海に捨てられても不思議じゃないね」


 ラルフは、もし今日助けられなかったら、このことをリーザに話す気はなかった。嫌いだし、義理もないし、自業自得だ。何人か餓死するまではいかなくても、子供たちの食事は少しずつ減らされているし、男の世話役たちの食事にも影響が及んでいるかもしれない。みんなウィナロフの差し入れを心待ちにしている。食いつなげるし、なにより、リーザを連れて行ってくれるだろうからだ。だがウィナロフはリーザを連れて行くだろうか。匿わなくていいよとウィナロフが言ったら、リーザはいったいどうなるだろう。今までの蓄積された怒りがあるから、凍りそうな海にほうり込まれたって本当に不思議じゃない。

 リーザは考え込んだ。一理あると思ったのかもしれない。


「あんたには助けられたから……忠告、だよ。ウィンは近々来るよ。雪が止んだから今日かも」

「……」

「大島の空気孔の場所、捜してみれば……? 今のうちにこっそり出てさ……夜になったら……俺のいつも使う舟……この島の……南岸の岩場にあるから……使っていいよ……」


 言ううちに朦朧としてきた。喉が粘ついて、頭がガンガンしている。水を飲みたかったが、体を起こすのも億劫で、リーザが気を利かせてくれないかと強く思った。リーザは考え込んでいたが、その内、そうね、と言った。


「感謝するわ」


 そして彼女は、ラルフを引きずり起こした。


「……うえっ?」

「吐かないでよ」

「なに……」


 リーザは何も言わずにラルフを毛布でくるみ、敷布をはがして細く裂いたかと思うと、できた紐でラルフを毛布ごとぐるぐる巻きに縛ってしまった。大声を出そうと思ったら、かすれた声が出ただけでさるぐつわまではめられた。


「んー! んー!!」

「うるさいわね。殺さないわよ」


 そんなことは当たり前だー! と思ったが、もう一枚の毛布に視界を閉ざされ、何が何だか分からなくなった。いったい何を考えてるんだろう、このお姫様は。意味がさっぱり分からない。


 窓が開いた音がした。かつぎ上げられて、どすん、と外に投げ出された。仰天した。ここは二階なのだ。雪が受け止めてくれたから、さしたる痛みもなかったが、一体全体――と考えるうちに朦朧としてきて、ラルフは意識を手放した。凍え死ぬところを助けられたその日にまた、雪の中にほうり出されるはめになるなんて。

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