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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
間話 リンとラルフの大冒険
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ガストンの叱責(2)

「あ、ああー、あ。そういうことかよ」

「……なにが」


 たずねると、イクスは含み笑いをした。


「ガストン指導官が、研修生をひとり叱責しなきゃなんないから、昼飯を違うとこで食って来いって言うからさあ。ふうん。おまえのことだったのか」


 さもありなん、というように、イクスは笑う。何でそんなに嬉しそうなんだと聞きたかったが、叱責、という単語が引っ掛かった。


 ――あたし、今から、叱られる、の?


 え、え、え。何したっけ。うろたえる様子を見て、イクスは本当に嬉しそうだ。


「何したんだよ。あーわかった、やっぱ例の事件と関係あんだろ? あんときおまえガストンさんにくっついていろいろ間近で見せてもらってたんだろ? 駄目じゃん、千載一遇のチャンスだったってのにへまなんかして、間抜けな奴うー」


 イクスがリンへの風当たりを強めたのはひとえにそれが理由だった。イクスはリンがガストン指導官と一緒にいる時に、【夜】に向かって【穴】が空いたり、狩人の侵入があったり、校長の背任行為の追求があったりして、結果的にガストン指導官がリンを助手のように使ったことが悔しくてたまらないのだ。それが、発言の端々に現れている。


 だってあれはもう八ヶ月も前のことなのだ。例え何か失態を犯していたのだとしても、八ヶ月も経ってから叱責されるなんて、通常、あまりないことではないだろうか。なのにイクスはすっかりそう決め付け、嬉しげにニヤニヤと笑っている。鬼の首でも取ったかのような喜びようだ。


「お前みたいなバカが保護局員なんか目指してさ、おまけにまだ研修生のくせに保護局員に交じって仕事なんかするから失敗するんだ。あーせいせいしたあ、ガストンさんめちゃくちゃ怒ってるみたいだったぜ。お前試験の点数悪いんだから研修で点を稼がなきゃなんねえのに、研修でもへましたんじゃあ、保護局員になんかなれるわけねえもんな。保護局員になってまでお前の顔見たくなかったからちょうどいいや」


 言い返さなきゃいけないことは分かっていた。イクスはこっちが引き下がればその分嵩にかかるのだ。でも。


「……そこどいてよ。邪魔」


 そんな言葉しか出てこなかった。叱責。めちゃくちゃ怒ってる。なんで、どうして。

 本当に、本当に、心当たりが全くない。なのにどうして? めちゃくちゃ怒ってるって、あのガストン指導官が? 理不尽に怒ったりする人じゃないということは、重々分かっている。

 ――あたし、なにか致命的なことやっちゃったのだろうか?


 その時、扉が開いた。

 当のガストンが顔を出した。イクスが居住まいを正し、ガストンはリンを睨んだ。リンは縮み上がり、イクスがほくそ笑んだ。ガストンは冷たい声で言った。


「遅い」

「……申し訳ありません」


 か細い声で謝るとイクスはさらに嬉しそうな顔をする。その上ガストンはイクスには、優しい笑顔を見せるのだ。


「ストールン、この雪に悪いな。一時頃まで時間をつぶしてきてくれ」


 ガストンがイクスを名字で呼んでいる。ベネットのことは名前で呼んでいたのに。だからイクスはガストンの懐に入れてもらったわけではないのだ、それがわかっても、慰めになんか全然ならなかった。


「あの、指導官。俺、こいつがどんな間抜けかってもう良く知ってますから、一緒でも構わないですけど。誰にも言いませんし」


 リンが叱責されるところを見たくてたまらないのだろう。イクスの言葉に、ガストンは苦笑した。


「まあそうもいくまい。俺もやりにくいしな。――アリエノール」声が急に冷たくなった。「入れ」

「……はい」


 しょんぼりせずにはいられない。何がまずかったのか分からないが、ガストンは本当に、はっきりとリンを怒っているらしい。イクスが口笛を吹きたくてたまらないような顔で自分を見ている。イクスに仕返しすることなど考えることもできず、リンはガストンに続いて出張所に入った。研修の際に顔見知りになっていた所員たちが気の毒そうな顔をしてこちらを見るのに頭を下げて、ガストンについて行く。ガストンはひと言も言わずに突き当たりの部屋の扉を開け、リンを睨んで先に通した。扉を閉めながら、冷たい声で言った。


「――全くお前には失望したよ、アリエノール」


 ばたん、と扉が閉まる。リンはあの時確かに胸にあると感じた巨きな鐘に罅が入ったのを感じる。ガストンがこんなに怒るのだ。きっと大変な失態を犯したに違いない。いったい何をしてしまったんだろう――視界がぼやけそうになり、必死でそれを堪えていると、ガストンが囁いた。


「雪の中わざわざ、悪かったなあ」


 打って変わった暖かな声に、リンは顔を上げた。

 ガストンはカーテンを閉めていた。すべて閉め終わり、振り返ったその顔は、笑顔だった。一体何がどうなっているのか分からず、目をしばたたいていると、ガストンは呆れた顔をした。


「何で涙目だ。信じるなよ」

「……はい?」

「念のためだよ、念のため。お前にはぜがひでも保護局員になってもらわなきゃ困るんで、念には念を入れたんだが――おいおい、本当に信じたのか? 参ったな」

「……」リンは絶句した。「……はい?」

「だから――」


 その時扉がノックされ、先日の研修でリンのことを可愛がってくれていた、ヴェールという名の若い保護局員が顔を出した。


「ガストンさん、飯はどうします? アリエノールも空腹じゃあ……」


 彼は涙目のリンを見て、とても気の毒そうな顔をする。ガストンは再び、見事に冷たい不快そうな声を出した。


「ああ……そうだな。じゃあなにか見繕って頼んでくれるか」

「はい。寒かったろ、アリエノール。上着脱げよ、あっちにかけといてやるから」

「ヴェール。ありがたいが、邪魔をするな。私は今からアリエノールに嫌な話をしなきゃならないんだ」


 ガストンが言い、ヴェールは引き下がった。扉が閉まると、ガストンは声を低め、笑った。


「こういう演技にもすっかり慣れてね。慣れたくはないんだが」


 いやどうみても楽しんでるでしょ、と、リンは思い、雪だらけの上着に目を落とした。ガストンがうなずいた。


「脱いでかけておきなさい。寒くはないか? 進んで茶も出してやれなくて申し訳ない。座ってくれ」

「あの」


 声はかすれている。リンは上着を脱ぐ陰でそっと涙を拭って、顔を上げてガストンを睨んだ。


「……叱責されるんじゃないんですか」

「だから信じるな。……何で信じるんだかなあ。不思議な奴だ」


 ガストンは呆れたように言う。リンは膨れっ面になるのを止められなかった。憤然と、抗議した。


「イクスはあたしの天敵なんです。イクスはガストン指導官があたしを叱責すると知って鬼の首取ったみたいな喜びようでした。明日には保護局員志望の仲間たちの間に、あたしがガストン指導官の不興を買ったって大評判ですよ」

「だろうな。リカルドから聞いたよ。……だからわざわざあいつを飯食いに行かせたんだ」

「……わざわざ?」

「昼飯食うついでに【学校ビル】の専攻会室にでも行って噂をばらまいてくれるだろうからさ。お前も否定するなよ? 仲間にあったらしょんぼりして、俺に叱られたんだ、もう見放されたんだって演技しておいてくれ」

「……なんでですか?」



 たずねるとガストンは、とてもまじめな顔をした。


「そうすればお前が保護局員になれるだろうからさ」

「……」


 リンはまじまじとガストンを見た。

 それからとりあえず、もっていた上着を椅子の背にかけて、手袋とマフラーと帽子を机に並べて、足踏みをして靴から雪を払い落として、椅子に座って、靴を脱いで、机の下で靴下の中に手をいれて、冷たい足をそっとこすった。


 口を開こうとした時、扉がノックされる。ガストンは、また不快そうな冷たい表情に戻っていて、扉が開くとこう言った。


「……お前のお陰で俺がどんなに大変だったかわかっているのか?」

 リンは合わせることにした。手をひざに戻して、うつむいた。

「申し訳ありません……」


 ヴェールがおいしそうな汁椀がふたつ乗った盆を机においた。一度戻って、もうひとつの盆ももってきた。茶の入った器がふたつと、ポットと、あんこたっぷりのまんじゅうが四つ。それからヴェールは、とりなした。


「ガストンさん、アリエノールはまだ学生なんですし……雪山研修じゃあすげえ頑張ったって噂、聞きましたし。〈アスタ〉も褒めてたとか、救出に行ったラクエルふたりも、アリエノールがいなきゃ子供のうち数人は死んでたかもなんて手放しの褒めようだったそうだし。子供たちには英雄のように思われてるそうだし……ここの出張所の所員たちも、半年だか前の研修ですっかり気に入ったって言ってる人間が多いんです。絶対悪い子じゃないですよ」

「それはわかっている。心根が真っすぐだということは知ってるさ。だが保護局員を目指すにはあまり適してないんじゃないかと思うね。思慮が足りなさ過ぎる」

「……」


 ヴェールはそれ以上は言わず、静かに出て行った。出掛けにガストンが声をかけた。


「ありがとう、ヴェール。あとはアリエノールが帰るまで声をかけないでくれ」

「了解しました」


 ヴェールはそう答え、リンに激励とも憐憫ともつかぬ視線を投げて扉を閉めた。やっぱりいい人だった、とリンは思った。彼女はいるだろうか。いないにせよ、リンと付き合ってくれることは絶対ないだろう。若い保護局員たちの尊敬と信望を一身に集めているガストンの“不興を買った”のだから。


「……あたしの株がすごい勢いで大暴落なんですけど」


 恨み事を言うと、ガストンは笑った。


「仕方がない。俺は、『こっち』に入れたいと思った学生は全員、気に入らないふりをしてきたんだ。今までずっと――ベネットもルッカもリューも。あいつらは研修生の時代には、わけもわからず俺に冷たくされてきたんだよ」


 ガストンは、汁椀をひとつ、リンの前に置いた。箸も。


「そうしなきゃ保護局に入れてやれない。……全くひどい話だな。株を大暴落させて、落第すれすれの劣等生というレッテルを貼られてようやく保護局員になるというのに、俺についたら出世は望めない。手当も低いままだろう。いい思いなどほとんどさせてやれない。イクスみたいなやつらがどんどん出世して、お前をあざ笑う立場にたつ、いい給料もらって楽な仕事ばかりして、お前に割りの悪い危険な仕事を押し付ける、自分は毎日定時に帰ってのんびり過ごしていながらな。嫌いな奴がいい思いしてるのを指をくわえて見てるだけ、そんな生活に耐えてもらわなきゃならない。……いつか、俺の誘いに乗ったことを後悔する日がくるかもな」

「後悔なんかしません」


 リンは思わず声を上げた。ガストンを見据えて、きっぱり言った。


「絶対しません」


 ガストンは、笑った。


「……だろうな。まあ食うか。雪の中わざわざ悪かったな」

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