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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の別離
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間話 革命祭り(上)

 ラセミスタがガルシアへ出向して早四ヶ月が過ぎたが、マリアラには、その淋しさを実感する余裕すらほとんどなかった。なんだか目が回るほど忙しいのだ。エスメラルダの一番いい季節も、堪能する暇さえなく飛び去っていった。


 夏は通常、マヌエルの休暇シーズンだと言われていたが、とんでもない話だった。確かにシフトは楽だったが、その空いた時間には様々な研修が詰め込まれ、その他に、三日病という新たな脅威に対処するための製薬や訓練への協力を依頼された。ほとんど真冬と変わらない忙しさだ。ここ最近は秋も深まってきて、三日病以外の病気やアレルギー疾患も増えてきて、ますます忙しい。


 お陰でラセミスタのいなくなった部屋の広さと侘しさをあまり味わう暇がなくて、助かっているとも言えるけれど――。


 それでも今日は、万難を排して休暇を確保した。〈アスタ〉もジェイディスもダニエルも、ぜひそうしろと勧めてくれた。


 何しろ今日は革命祭りの最終日。フェルドが参加している編隊飛行パレードが行われる日だ。何があっても応援に行かなければならない。フェルドがこの日のためにどんなに練習してきたかを見ているから、自分が出るわけでもないのにフォーメーションの流れまで覚えてしまったほどだ。


 同じパレードの参加者たちは多種多様な業務を本業とするマヌエルたちの集まりだそうだ。右巻きの独り身として警備隊員と連携する人たちもいれば、相棒のいる左巻きもいるし、医局に籍を置く人もいるし、雪山の巡回パトロールを主に担っている人も沖の諸島に通う人も、地下鉱脈から掘り出された魔力の結晶を運搬する人もいるそうで、フェルドの交友関係は最近びっくりするほど広がっている。


 パレードの本番が近づくにつれて訓練も密にそしてハードになり、フェルドはマリアラに負けず劣らずとても忙しかった。あまりにお互いに忙しすぎて、通常業務のシフトがなかったら顔を合わせることすらできなかっただろう。


「あ! いたいた、久しぶりー!」


 明るい声がして、マリアラは嬉しくなった。リンだ。

 ここはリンの住む女子寮からほど近い広場だ。噴水があり、有名な待ち合わせスポットになっている。人通りも多く、噴水前にたむろしている若者たちもとても多い。そこここから向けられる視線になど一切構う様子もなく駆け寄るリンは、相変わらず綺麗で元気いっぱいだ。


「ごめん、だいぶ待った? 研修が長引いちゃって」

「ううん、ぜんぜん」


 リンも忙しいと聞いていた。いつもどおりの可愛らしさだと思ったが、忙しすぎるためか、近くで良く見ると少し痩せたようだ。保護局員になるために様々な研修を受け、合間を縫って受験勉強をしているのだから当然かも知れない。と、リンはマリアラを覗き込み、眉をひそめた。


「マリアラ、忙しすぎるんじゃない? ちょっと痩せたんじゃない?」

 マリアラは思わず微笑んだ。「それはこっちの台詞だよ」

「あたしは期間限定だもん」

「わたしだって期間限定だよ。新人の内は受けなきゃいけない研修がたくさんあるんだって」

「うーん、そっか。シフトに入るのって、やっぱり大変なんだねえ」


 話しながらふたりは連れだって歩き出した。

 目的地は噴水広場の正面にあるパン屋さんだ。今日は革命祭りのための特別メニューが販売されるので、久しぶりに買いに来たというわけだった。


 マリアラの住んでいた少女寮もこの近くにある。一般学生だった頃、この店の常連だった。講義の合間に専攻会室に持ち込んで食べることが多かったが、リンと偶然会ったときなどは、先ほどの噴水の縁に座って一緒に食べた。とても楽しい思い出だ。


「前はここで良く会ったよねえ」


 同じことを考えていたらしい。リンの言葉に、マリアラは頷く。


「うん、さっきの噴水のところでよく食べたよね」

「一度も待ち合わせとかしたことないのにね。孵化してからは一度も来てないの?」

「ううん、こないだね、フェルドとラスと一緒に来たんだ。ちょっと来ない間に曜日が変わっちゃっててびっくりした」

「ああ、そうなんだよねえ。前は水曜日がエビカツサンドの日だったけど今は月曜日になったんだ。週明けに元気出して欲しいからってことみたい」

「なるほど。コロッケパンとかピザパンとかもあったし、スイーツがたくさん並んでてラスも喜んでくれた」


 とりとめなく話しながら連れだってパン屋に足を踏み入れる。それぞれトレイとトングを取り、パンの並んだ店内へ進んだ。香ばしい、いい匂いが充満している。石窯の放つ熱で、店内はほんわりと暖かだ。特設コーナーが右手に見えるが、それは最後のお楽しみに取っておこうと奥へ進む。


 以前から大好きだった茄子ピザを見つけ、嬉しくなってトングを伸ばした。とろりとした食感の輪切りの茄子は、トマトソースに本当に良く合う。何度食べても飽きない。続いてクリームチーズとベーコンのカルツォーネを見つけて確保し、いよいよ特設コーナーへ挑むことにする。リンもその近くにいて、マリアラはトレイを抱えてそちらに戻った。


「うわあ、種類がいっぱいあるね。りんご、キャラメルとくるみ、栗のペースト、チョコバナナ、オレンジ……ああ、迷うなあ。リン、どれにしよう、か」


 マリアラは言葉を飲んだ。

 リンの目が違う。まるでハンターだ。


 かちっ、トングが鳴った。


 マリアラがうろうろしていた間、リンは入口付近に立ったまま冷静に店内を見回して、品定めしていたらしい。動き出した彼女には、既に迷いが一切なかった。目玉焼きの載ったパンがまずトレイに乗せられた。はみ出たベーコンの端っこは見るからにカリカリだった。揚げたてコロッケパン、いかがですか――言いながら店内を練り歩く店員のトレイから、ほかほかのコロッケパンがリンのトレイに飛び乗った。こんがりリングがそれに続き、最後にリンは、堂々たる足取りで特設コーナーに戻ってきた。


 今、リンはハンターというよりも、まるで威厳に満ちた女王様のようだった。公平で、かつ厳粛な裁定を経て彼女の午餐に供される栄誉に浴したのは、キャラメルとくるみの|革命祭りを祝う焼き菓子ベルテントールだ。


 お見事です。

 なんだか、拍手をしたくなる。


 選び終えて満足したのか、リンはこちらを見た。口から飛び出したのは、いつもの屈託ない明るい声だ。


「マリアラ、どれにするの?」

「そうだね……」


 マリアラは特設コーナーに向き直った。女王の裁定に相応しいベルテントールを選び出さなければと、おかしな使命感に駆られる。


「……オレンジカスタード」


 などはいかがでしょうか陛下。

 残りの言葉は飲み込んでマリアラはリンを見る。

 リンは鷹揚に微笑んだ。


「美味しそうだね!」




 他にもいくつかパンを選んで、ふたりはほくほくして店を出た。抱えた紙袋はほかほかと温かく、ベルテントールの端っこが飛び出ている。


「あー、あたしベルテントールほんと大好き」

「わたしも」

「この時期しか食べられないという儚さがたまらないよね」

「ほんとほんと」


 次は動道を目指す。革命祭りの飛行パレードまで、もうあまり時間がない。

 十月も終わりのエスメラルダは、いつ雪が降ってもおかしくない季節だ。そう言えばリンと再会したあの仮魔女試験からもう一年が過ぎている。本当に、色々ありすぎた一年だった。

 冷えた指先に、焼きたてパンの詰まった紙袋の温かさが滲みる。リンは自分の抱えた紙袋の匂いを嗅いで、幸せそうな顔をしている。自分もきっと同じ表情をしているだろうとマリアラは思う。


「ベルテントールって剣の形なんでしょ。どうして革命祭りのお祝いが剣の形なんだろ? 無血革命だったって習ったのに」


 リンがそう言い、マリアラは一瞬浮き足立ち、慌てて自分を戒める。歴史の話をするのは大好きだが、聞く方もそうとは限らない。あまりに過度なうんちくは禁物だ。


「革命で斃されたドンフェルは、先代のエルヴェントラを暗殺して位を簒奪して恐怖政治を布いたんだけど。それが可能になったのは、“死神”の存在があったからなんだ」

「死神?」

「うん、ドンフェルの右腕。ヴォルフという名前だったみたいなんだけど……その人は本当に強くて、ドンフェルの恐怖政治を支えた象徴のような人だったの。死神がいたから恐怖政治が可能になった。誰も逆らえなかった。それほど強かったみたいなんだ」


 雪祭りの時にミシェルが作った雪像には、その人は描かれていなかった。ミシェルは恐らく最低限の下調べをしてからあの雪像を作ったのだろう。“死神”ヴォルフは、あの裁判のときには既にこの世にいなかった。彼の死因は不明とされているが、モーガン先生は、多分暗殺されたのだろうとおっしゃっていた。“無血革命”といわれているが、全然血が流れなかったわけではない、とも。それは仕方がないことだったのだ。ヴォルフが生きている限り、あの革命は成功しなかっただろうから。


「だから恐怖政治を剣に例えて、革命祭りのお祝いで食べることにしたんじゃないかな。食べることで溜飲を下げるというか」

「へえええ、なるほどねえ」


 リンは別段マリアラのうんちくをうるさがる様子もなく頷いてくれて、マリアラはホッとする。歴史の話になると我を忘れる癖は、何とか控えめにできたようだ。


 実際のベルテントールは剣というよりは棒の形をしている。細長い筒状の生地の中に様々な具を入れて焼いたものだ。あのパン屋さんでは中身によってちゃんと生地も変えているので美味しく、人気がある。マリアラの買ったオレンジカスタードは、カスタードクリームの中にオレンジの角切りがごろごろ入ったもの。リンのはキャラメル味のくるみがぎっしり入ったもので、どちらも定番だ。


「レジナルド=マクレーンってどんな人だったんだろうね。近代の初代校長なんだよね」

「うん、来年でちょうど二百年だね。酷い時代だったみたいだね」

「“英雄”レジナルドねえ……」


 進む内に広場が見えて来た。雪祭りのとき、壮麗な雪と氷の迷宮が作られていたあの広場には、今は、大きな壁画が見えて来ている。レジナルド=マクレーンの革命の様子を描いた、とても見事なものだ。観光客も大勢来ていて、遠目にも、広場のお祭り騒ぎが見て取れる。


「こんな日に言うのも何だけど……あたしレジナルド=マクレーンってあんまり好きじゃないんだよね、完璧すぎて」


 広場の方を見ながら囁いてきたリンの言葉に、マリアラは驚いた。


「わたしも」


 思わずそう言うと、リンは目を見張った。「ほんと? マリアラも?」


「うん。わたしはどうしても、エヴェリナびいきになっちゃうから……」

「エヴェリナ? 聞いたことあるな。なんか有名な悪女じゃなかったっけ」

「それがね、最近評価が変わってきてるの。ほら、一緒にスキーに行ったミシェルさんが、こないだの雪祭りで佳作を取ったでしょう。あれ、エヴェリナの裁判シーンを描いた雪像だったんだよ。どうして佳作止まりだったのかなあ、絶対グランプリだと思ったのに」


 題材を提供した友人であると言うひいき目を差し引いても、ミシェルの雪像は素晴らしかった。他のどの雪像を見ても、胸が疼くようなあの感動は得られなかった。大勢の人が立ち止まっていたから、人気も高かったはずだと思うのに、全く、今年の審査員の審美眼には疑問を持たざるを得ない。


「ドンフェルの政治は本当に酷かった。大勢の人たちが草を抜いて食べるような生活を強いられた。その分ドンフェルへの憎悪は深刻で……でもエヴェリナはなんとか虐殺を止めようとした。ドンフェルの一族と同じレベルにまで堕ちてはダメだと説得した。だからあの革命は“無血”で終わることになった、ってことが、わかってきたの。歴史学の研究者たちの間では、それが通説になってきてるんだよ」


 過度なうんちくにならないように気を付けて、マリアラは以前ミシェルに語った話をリンに語った。エヴェリナはレジナルドに、圧制者の助命を嘆願したということ。レジナルド=マクレーンが聖人とされているのはエヴェリナの功績が大きかったのだと言うこと。それなのにエヴェリナは裁判後、幽閉されて、残りの一生をずっと罪人のように過ごさなければならなかった。“悪女”の汚名が流布されて、その死後もずっと、貶められ続けてきた。


「どうしても……しょうがなかったんだろうけど……何て言うか……どうにかしてあげて欲しかったなあって、思っちゃうんだよねえ」

「なんでエヴェリナは許してあげる気になったんだろーね。あたしだったらほっといちゃうなあ、だって大勢の人を殺したり苦しめたりした悪い人でしょう、助けてあげることなんかなかったのに」

「うん、わたしもそう思う。だからドンフェルのためにじゃなくてレジナルドのためにじゃないかなって思うんだよね、無抵抗の人間を虐殺したなんて汚名を被らずに済むように。気高い革命家の名声を守れるようにって」

「それで自分が幽閉されちゃうなんて哀しいじゃない」

「そうだよね、だからわたしもね、レジナルドがどうにかしてあげてくれたら良かったのにって思っちゃうんだよ。でも良かった。二百年も経ってからだけど、真実が明らかになってきて、ホントは悪女なんかじゃなかったってこともわかってきたんだもの」


 リンはまじまじとマリアラを見た。

 そして言った。


「……歴史学ってすごいね。面白いんだね」

 

 マリアラは思わず顔を綻ばせた。会話の潤滑油や常套句だとしても、やっぱり嬉しい。

 孵化する前、マリアラは歴史学の教師になりたかった。マリアラに歴史学の楽しさを教えてくれたモーガン先生のように、子供たちに歴史の楽しさを伝えられる仕事をしたいと思っていた。

 モーガン先生はお元気だろうか。無事にアナカルシスに移動して、あの論文をバリバリ書いている頃だろうか。

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