四人はパフェを食べる
「……! ……!! ……!!!」
無言で感動に打ち震えるリンと、無言でパフェの攻略を始めたラセミスタをよそに、マリアラはゆっくり食べながら、のんきな声を上げた。
「あー、今日は四人だし、気楽だなあ」
「こないだはこれ、ふたりで食べたんでしょ。大変だったわねえ。フェルドなんか見ただけで逃げちゃったじゃない」
ミランダが言って、マリアラはもうひとすくい食べて、身を震わせた。
「最後の方ではもう、もうごめんなさい許してくださいわたしが悪かったです、という気分になった。でも……フェルドって、本当に甘い物ダメなんだね。匂い嗅ぐだけでもつらいのかな」
「……」
ミランダはスプーンをくわえて、眉根を寄せた。
「さあそれが……うーん。昔の記憶では、確か、そんなに嫌ってなかったと思うのよね……ね、ラス?」
ラセミスタは答えなかった。聞こえていないらしい。ミランダは苦笑して、マリアラに視線を戻した。
「私、孵化したの四年前でしょう。【魔女ビル】に住んで三年になるの。そのごくごく最初の方……ええと、私が十四歳の頃、とすると、フェルドは十五か。……一度見たのよ。美味しいおはぎの時」
「おはぎ?」
「あんこたっぷりの、有名店のを、ダニエルが山ほど買って来て。私ももらったの。あ、そう。そうよ。私が仮魔女期を終えて【魔女ビル】に入った、本当に初日か次の日か、それくらいのときよ。私、【親】がイリエルだったって話したでしょう。自分でもずっとそうなんだと思ってたわ、たまごの時。でも孵化してみたらレイエルだったし、今まで受けてきた研修を全部やり直すことになるし、ああ私って変わり種だったんだ、って思って、落ち込んでいたから……まだ年齢が足りなくて、医局のシフトにも入れなかったし……気晴らしにって、ダニエルが呼んでくれたの」
ミランダはこめかみに指を当て、記憶を探ったようだった。
「……そこにフェルドもいた。まだ、孵化する前よ。ラスもいたわ。あの時は、ラスとは全然仲良くなれなかったんだけど……あの時のふたりの食べっぷりったらすごかったわ。今のラスとリンみたい。フェルド、ひとつの箱の半分近くを一人で食べたの。こーんな大きな箱よ? ララがどこに入るのよとか、それで太らないなんて嫌みだとか、文句を言ってたから覚えてるわ」
「……ふうん?」
「その後孵化して……一年の仮魔女期を経て、【魔女ビル】にまた住むようになって。それからちゃんとした顔見知りになったんだけど、その時にはもう、全然食べなくなってた。成長していらなくなったのかしら。二年くらいで、味覚も随分変わるものね」
「そうなんだ。でも……そんなに食べたの? すごいね」
マリアラはくすくす笑って、パフェにまたスプーンを突き刺した。大きくひとすくい取って、口にいれて、うなずいた。
「……まあでも、こうしてゆっくりのんびり食べる分には、やっぱり美味しいね。こんなに美味しいパフェ、他に食べたことないもの。おお、すごい。みるみる減るねえ。これ、ヴィヴィが元気になったら、またみんなで食べようよ」
「そうね、いい考え。にしても……見ほれちゃうわね、ふたりのこの食べっぷり」
「長い付き合いだけど、甘いもの好きって知ってはいたけど、ラスといい勝負ができるほどだとは知らなかったなあ。さすがだなあ」
なんだか感心されているようなのだが、構っている場合ではなかった。口の中ではさまざまなバリエーションの甘い味が官能的なハーモニーを奏でている。コーンフレークのさくさくと、ねっとりしたチョコレートケーキ、ぷるるんとしたプリンに汁気たっぷりのクィナ、冷たい滑らかなアイスクリームにふわふわクリームといった、食感の違いも芸術的だ。なんて美味しいんだろう。ラセミスタの食べっぷりもなるほどたいしたものだ。なかなかやるじゃないか、とリンが見ると、ラセミスタと目があった。彼女はニッと笑った。なかなかやるじゃないか、とその目が言っている。
「それで、話は変わるけど。シグルドとはゆっくり話できたの?」
マリアラがお茶を飲みながらたずねた。ミランダは少し、首をすくめた。
「ん……まあ、ね。ひと月後にまた、来てくれるって……」
「そうなの? やったね。今度こそいっぱい遊ばなくちゃ」
「ん……」
ミランダがパフェをひと口食べ、マリアラはその横顔を見つめた。
「……なんかあった?」
「んー……」
歯切れが悪い。リンはパフェに挑みつつもその会話に聞き耳を立てた。恋の話はパフェと同じくらい大好物だ。
マリアラは黙って待っている。早く促せばいいのに、と思いながら、でも、ここで急き立てないところが、マリアラが聞き上手と言われる理由なのかもしれない、とも思った。
ミランダは、ようやく口を開いた。
「えーと、来週……もう今週か。今週の金曜日にね、検定試験があるんだって。駅員のね。シェロムさんに、ぜひ受けるようにって、勧められたそうなの。それに合格したら、もっと仕事の幅が広がって……それで、違う駅に行くことになると思うって」
「ふうん」
「それにね、ラルフが言ってたの。シグルドは、十六歳を過ぎても南大島に残って世話役をしていたほどの人だって。それは、なまはんかな覚悟じゃなかったはずだって。フェルドが言ってた、ハイデン、という人? マリアラも知ってるのよね? その人たちと同じ仕事をしていた人で、子供みんなからもとても慕われていて、ハイデンさんからも、他の世話役たちからも、すごく頼りにされていたんだって。……だから、シェロムさんもきっと、シグルドに、自分と同じような仕事をさせたがるだろうって……将来的にはね。ルクルスが出てきたら、生活が軌道に乗るまで衣食住を手配して、仕事を斡旋するとか、エスメラルダのルクルスに仕送りするものを取りまとめるとか……そういう仕事ね。だから……試験をたくさん受けて、いろんな駅に派遣されて、いろんな場所でいろんな経験を積むことになるんじゃないかな、って、思って」
「……」
「だから」ミランダは微笑んだ。「そうなったら、こないだみたいに、会いにきてくれることは……もうできないんじゃないかしら」
「……でも」
「ああ、もちろん、リファスより近い駅に配属されれば、来てくれやすいわよね。私が会いに行ければそれが一番いいんだけど……それは無理だし……でも、ほら。会いに来てくれると嬉しいけど、旅費もかかるし時間もかかるし……その……試験勉強とか、世話役としての仕事とかの、邪魔になるんじゃないかなって……考えちゃって。負担になったら……」
「シグルドから、そう、言われたわけじゃないんでしょ」
マリアラの言葉は、思いがけずしっかりしていた。疑問ではなく、断定だったのだ。ミランダはちょっと肩を震わせた。
「……うん」
「シグルドは、ひと月後に会いに来てもいいかって、ミランダに聞いたんでしょ。ミランダ、ちゃんと、いいよって、返事したんでしょ?」
「うん……返事した時は、その、ラルフから聞く前だったし……」
「わたしは」マリアラは憤然と、パフェにスプーンを突き刺した。「シグルドが会いたいと思っていて、ミランダもそう思っているなら、それ以上、自分が邪魔になるかもとか、今のうちに会わないようにした方がいいかもとか、考える必要はないと思う」
「……うん」
ミランダは、ほっとしたようだった。たぶん彼女は、誰かがそう言い切ってくれる言葉を聞きたかったのだろう、とリンは考えた。リンは一心不乱を装って、パフェを食べ続けていた。この先いろいろな駅に配属されることになる、イェルディアとか、ラク・ルダだとか、移動に数日かかるような駅に行くのかもしれない。それはそうかもしれないが、でも何年も先の話だ。今そんなこと気に病んだって、それが現実になる頃には別れてるかも知れないじゃないか、と自らの経験を鑑みて考えたが、それを口に出さないだけの分別はあった。
――明後日からシフトに復帰。
さっきフェルドは、そう言った。
イェイラが今回の事件を起こしたのは、フェルドを陥れようとしてのことだったというのは、推測ではなく既に事実になっている。イェイラは一言も言わないのだが、グールドがぺらぺら話したし、状況もすべてそれを指していた。当然フェルドももうわかっているだろう。マリアラが殺されかけて、その後落とし穴で酸欠になりかけたというのも、ある意味ではフェルドの相棒だったせいなのだと。
リンはそれがとても心配だった。
フェルドもマリアラも全然悪くないし、ただ巻き込まれただけなのに、フェルドがマリアラとの相棒を解消してしまうのではないかと、それが心配だったのだ。
でもさっきの言葉からすると、どうもそうはならなかったらしい。この三日の間にマリアラが説得したのかもしれない。マリアラが今、珍しく強い口調で自分の意見を述べたのは、シグルドを自分に置き換えたからだろう。校長は亡命し、イェイラは捕まった。だからもうこれ以上ごたごたが起こるはずがないのだし、そもそもマリアラもフェルドも相棒を解消したいと思っていないのなら、今後起こるかもしれない不都合を憂慮して解消を選ぶ必要などないと、マリアラは考えたに違いない。
――ほんとに頑固な子だ。
リンはうっとりそう思った。今回の件で、一瞬たりとも、フェルドのことを恨んだり、その相棒の地位を嘆いたりしなかっただろうマリアラは、すがすがしいほど頑固だ。大好きだ。
「シグルドがフェルドに言ってたの、あたし、聞いちゃった」
ずっと黙ってパフェを食べていたラセミスタが、出し抜けに言った。ミランダと、そしてマリアラが、唐突に出されたその名を聞いてぴしっと背筋を伸ばしたのにリンは気づいた。
そして内心、にやりとした。
ミランダはシグルドの名を聞いて居住まいを正した。では――マリアラは?
よしよし、と思う。そうこなくっちゃ。
「な、んて?」
ミランダが咳払いとともに訊ねて、ラセミスタは、少し後ろめたそうな顔をした。
「今回の件で、自分のせいだなんてもし思ったら、マリアラに……フェルドが生まれてこの方かかわって来たすべての人にも、失礼なことだと思うって」
「……」
「シグルドは、ルクルスでしょう。エスメラルダのルクルスは、外部からの差し入れがないと大きくなれないんだって。それを運んでいるのは【風の骨】、だそう、なんだけど。子供のころは、お菓子が少ないのを、不満に思っていたんだって。それで一度ね、世話役に言ったんだって。もっと欲しいって。そしたら、叱られたんだって。善意の差し入れに文句を言うなんて絶対に駄目だって」
マリアラとミランダは顔を見合わせて、そして、先ほどのラセミスタのように、後ろめたい顔をした。リンもだ。目の前の菓子の山が、急に大きくなったような気がする。
「……で、次の差し入れの時から、少しだけだけど、お菓子の割り当てが増えたんだって。シグルドはそれが恥ずかしくてたまらなかったって言った。多分世話役が【風の骨】にそれを話して、【風の骨】が増やしてくれたんだろうって、思って……その時の罪悪感が、自分に世話役の道を選ばせたんだと思う、って」
「……そっか」
「でもね、それも変だ、って、最近思ったんだって。子供がお菓子を欲しがるのは当然のことでしょ。もちろん、いくらでも浴びるように欲しがるだけ与えるのは間違っているけど、でも、食べたいなあ、欲しいなあ、と、思うこと自体が悪いことだ、とまで、思う必要はなかったんだって、エスメラルダを出て初めて知ったんだって。ルクルスに生まれてしまったのは自分のせいじゃない。もちろん生みの親のせいでもない。自分を育て、守り、教えて導いて来てくれた大勢の人に感謝はしても、それに引け目や負い目や、ましてや罪悪感なんか感じたりしたら……失礼な話だよね。あたしもそう思った。ほんとにそうだ」
「……そうね」
「フェルドは自分で望んで二度目の孵化を迎えたわけじゃない。ただ普通に生きていたら、そうなってしまっただけ。そのせいでなんだかんだ起こっちゃったことまで、責任や負い目を感じるということは、周囲の人間に失礼なことだって、いうことだよね。ルクルスじゃなくても、普通の人間でも、魔女でも、今まで大勢の人に助けられて生きて来たことでは、変わらないんだよね。誰でも他の人間に、多かれ少なかれ、迷惑かけて来てるんだよね。なのにこれ以上負担にならないように距離を置くなんて、本当におかしな話だ。なる程なあ、って、思っちゃった。シグルドってすごい人だね。そういう風に考えられる人だったから、狩人になんか、ならなかったんだろうね」
パフェは半分ほどに減っていた。
誰の手にあるスプーンもしばらく止まっていた。リンはため息をついた。ラルフはあの時、あの談話スペースで、目の前に山積みにされていたお菓子を、どんな思いで見ていたのだろうか。
これからきっとすべてがいい方に行くだろう。そう語ったガストンの、嬉しそうな様子が思い出された。
リンは微笑んだ。……そうだ。近いうちに、ルクルスの子だって、お菓子をたくさん食べられる日がくるだろう。
「……って、ごめん、なんか、しんみりしちゃったね」
ラセミスタが明るい声で言って、スプーンを再びパフェに突き刺した。
「ルクルスの子供には悪いけど、注文しちゃったし、ルクルスの子が食べられないことに罪悪感を感じて自分も食べない、というのは、なんか違う気がするから、全部食べちゃえー」
「あたしもー」
リンも続いた。ホントにこの子、大好きになっちゃったなあ、と思いながら。




