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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の別離
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真鉄について

「……真鉄?」


 フェルドが聞き返し、ラルフは、聞き覚えがある、と思った。

 今日会ったもうひとりの狩人、あのいけ好かない【水の砂】とかいう女が、製法を持ってこいとウィナロフに命じていたものじゃないだろうか。


「真鉄ってのは……つまり鉄のことなんだ。いかなる魔力も遮断する金属だ。魔力の強いマヌエルならそれに触れただけで火傷するとか、普通のマヌエルでも真鉄で作られた枷を身体の一部にはめただけで簡単な魔法さえ使えなくなるとか、……いろいろ言われてる」


「なんだそれ……でも、鉄だろ? ただの」


「そう、ただの鉄だ。大昔は普通に作られてたんだ。今はその製法は失われてるんだけど……エスメラルダで歴史が改竄された原因のひとつはそれなんじゃないかって言う研究者もいる。〈アスタ〉に文献全てを管理させて、読ませちゃいけない文献は人目に触れさせないようしてるのも、それが理由のひとつなんじゃないか、ともね。真鉄は危険だ。毒より効果は低いけど、遙かに手に入れやすい魔女の弱点だ。ラクエルにも効く。二百年前に、ルクルスがエスメラルダを支配してたとき、マヌエルは全員その枷をはめられて奴隷のように扱われてた、……らしい。さっき言ったろ、コインの――魔法道具の波長がわからなかったって? 真鉄の檻の中じゃ魔法道具も一切使えない。魔法道具にとっては『この世に存在しない』と言えるかもな。で――校長の執務室の床下に、その真鉄で作られた落とし穴があったって、聞いたことがある。昔の話だけど」


 フェルドは身を翻そうとした。が、寸前でウィナロフがその腕を掴んだ。


「待て!」

「なんだよ!?」


「お前が行ったってだめだ! 落とし穴って言っただろ!? お前はその中には入れないんだ、今んとこ真鉄が一番効くのはお前だぞ! 穴に入ったら即気絶して大やけどして被害を増やすだけだ!」

「――」フェルドはとても悔しそうな顔をした。「……わかったよ、じゃあ、警備隊長に――」


「それもだめだ。よく聞いてくれ。さっき言ったろ、真鉄は、魔女の弱点だ。問題なのは、ものすごく手に入れやすい、というところなんだ。材料と知識さえあれば誰でもすぐに作れる。材料は鉄と同じだ、その辺に転がってる。穴掘りゃ出てくるし、砂浜とかに磁石持ってきゃ砂鉄が採れる。作り方も簡単だ。今現在使われてる、いわゆる鉄は、魔力の結晶とかその他の諸々を混ぜて作られてる、魔女にも無害なようにね。でも真鉄は、鉄より簡単に作れるんだ。誰にでもだ! 真鉄を根絶するのは本当に大変な作業だったんだ。大昔、アナカルシスに英傑王ってたぐいまれなる善政を敷いた王がいて、その王が莫大な財力と人材と時間と手間を注ぎ込んで、ありとあらゆる真鉄を鉄に変えて、鉄を作る工房には真鉄を絶対に作らせないように骨を折って、製法を記した全ての書物を破棄して、それでもこの世から根絶するのに数代かかった。媛がエルヴェントラになって最も心血注いだのも、真鉄の根絶だった。英傑王の詳細と媛の業績が念入りに隠蔽されてる理由のひとつはそれなんだ。そうでもしなきゃ誰にでも、簡単に、いくらでも、作れちまうからなんだよ。――狩人がその方法を手に入れてみろ。どんなことになるか想像がつくだろ」


「……じゃあ」


「知る人間は出来る限り少ない方がいい。それに魔女じゃだめだ。出来る限り魔力が弱くて、魔女に大きな恩を感じてる、信頼できる男ひとりだけにわけを話して協力してもらえ。近くにいるか? いなきゃハイデンに――」

「いや、いる。ありがとう。恩に着るよ。……悪い、先に行く」


 フェルドはあっと言う間に飛んで行ってしまった。取り残されたラルフは、ウィナロフを見上げた。ウィナロフはまだフードを取らず、【魔女ビル】を見上げている。ラルフの位置からでは、ウィナロフの鼻の先しか見えなかった。


「……ウィン」

「ん」

「マリアラ、大丈夫かな……?」


 聞かずには、いられなかった。

 真鉄、というもので作られた落とし穴の中に、本当にマリアラがいるのなら。

 さっきウィナロフはすごいことを言った。気絶するとか、火傷するとか、弱点だとか――それなら……


「あの子は魔力が弱いはずだ」重苦しい口調でウィナロフは言った。「そうじゃなきゃ校長があいつの相棒に宛がうわけがないからな。昨日お前も言っただろ、イェイラって魔女が、出来損ないって言ってたって……少なくとも計測値は、平均的な魔女より低いはずだ。だから火傷まではしないだろうし、あいつほどには効かない……と思う。……でも六時間か。くそっ」


「でもなんで、校長? は、マリアラをそんなところに落としたんだろ」

「……知り過ぎたからだよ。たぶん。イェイラと話をしたなら、深いところまで触れないわけがない」


 ウィナロフはラルフに視線を向けた。


「校長は亡命したんだ、って?」

「そう」

「じゃあしばらくは大丈夫か……でも戻ってきたら本当に危険だ。あの子はエルカテルミナの詳細ばかりじゃなく、もう真鉄の在りかまで知ってるんだから」


 マリアラのことを本当に心配している、と、またラルフは思った。

 そして少しだけ、不思議に思った。ラルフがマリアラを心配するのは当然だ。家族の恩人なのだから。でもウィナロフにとっては、ハイデンたちはそれほど親しい間柄というわけじゃない。少なくとも家族と呼べるほどは親しくないはずなのに。


 ――底抜けのお人好しのくせに素直じゃないんだ。


 ハイデンの言った言葉を思い出して、首を傾げる。確かにいい奴だし、お人好しだとも思うけど――マリアラのことをこうまで心配しているのは、お人好しだからなのだろうか?


 ――ウィナロフは、イェイラやライラニーナとか、イーレンタールとか言う人たちよりも、もっともっと、ずっと深いところまで、校長について知っているのではないだろうか?


「……ウィン、あんた、本当にいろいろ詳しいんだね」


 そう言うとウィナロフは、少し用心深い口調で答えた。


「……狩人の情報網をなめるなよ」

「狩人だからなの? ……ねえウィン、校長に何の恨みがあるの?」


 真鉄、というものについても。狩人だからではなく、個人的に、いろいろ調べたのではないかという気がしたのだ。だって【魔女ビル】の校長の執務室に、真鉄で作られた落とし穴があるだなんてことを、エスメラルダの住人、ほかならぬ【魔女ビル】に住んでいる人さえ誰ひとり知らないようなことを、いったいどうして狩人が知り得るのだろう。それにさっき、ウィナロフは、『まだ残ってるはずがない』と、言わなかっただろうか。


 ウィナロフは、呻くように言った。


「……早く行ってくれ。今度は海岸で待ってる」

 言いたくないらしい。いったい何があったのだろうと、思いながら、ラルフは【魔女ビル】へ走った。



   *



 かなり出遅れてしまったから、まっすぐに校長の執務室を目指すことにした。腕章の威力はすさまじかった。入り口でもそれを示しただけで、素性はおろか名前すら聞かれなかったし、廊下や階段ですれ違った保護局員の人たちも、不審そうな顔さえしなかった。


 階段を一気に駆け上がってたどり着いた七階は、静まり返っていた。明かりさえ少し暗く見える。でも目指す扉の前に、リンが立っているのが見えた。駆け寄るとリンは声をひそめて囁いた。


「居場所がわかりそうなんだって? でもなんか、詳しく聞かないでくれ、とかなんとか」

「うん……」


 ラルフは少しだけ迷った。ウィナロフは、知る人間はできるだけ少ない方がいい、と言っていた。リンは魔女の友だちなのだから、もちろん真鉄を悪用したりはしないだろう。話してもいいのではないかと思ったが、でも。


 リンは保護局員だ。それも、今後ガストンやギュンターの下で、校長の一派に対抗していく立場にあるらしい。


 もしかしたら、真鉄について知っていたら、余計に危険になったり、するのかもしれない。


 ラルフには経験が圧倒的に足りなかった。外見に似合わぬ腕っ節を持っているから、ハイデンら世話役たちから仕事を任されたりすることが多かったけれど、それにしても、どんな情報をどんな相手に漏らすのが最善なのかというようなことを考えるのは初めてだ。


 ――ハイデンならたぶん知らせないだろう。


 そう思ったから、ラルフは頷いた。


「そうなんだ。ラセミスタとミランダは中にいるの?」

「そう。あたしはここで見張り。ラルフ、中に入っていいわよ。あたしのことは気にしないで」

「……」


 思わず見上げると、リンはにっこりした。


「知らない方がいいことなんでしょ。だってどう考えてもおかしいもの、午後いっぱい、この部屋はそれこそ舐めるように捜し尽くされたはずなのに、それでも見つからなかったのに、やっぱりここにいるなんて。コインでさえ行き先がわからなかったのにね……だから、なんかさ。あたしはやっぱり、部外者なのよね、まだ。しょうがないわ。だってまだ、保護局員にさえなれてないんだもの。昨日と今日で、本当に良くわかった。役に立ちたいなら、まず保護局員にならなくちゃ。それから自分の身を自分で守れるようになって、いろいろ経験積んで、いろんな事態に自分で対処できるようになってさ、……誰かが知らせたくないって思ってることまで教えてくれって頼むのはそれからよ」


「……姉ちゃん」


「ほら、行って行って。見張りくらいできるからさ」


 ラルフは頷き、扉に手をかけた。リンが囁いた。


「……でも、悔しくないわけじゃないんだよ」

「わかるよ。……フェルドも俺もさ、姉ちゃんを……リンを、信頼してないわけじゃないんだ」

「わかってるよ、そんなこと。あたしが悔しいのは――あたしが半人前だということ、だもの」


 ラルフは扉を開いて、中に滑り込んだ。

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