一同は打ち合わせをする
「……みんな元気か?」
シグルドがようやく訊ねて、ラルフは頷いた。
「うん。みんなすっげ元気。……それはね、シグ、マリアラとフェルドのお陰なんだ。……でも」
ラルフは背後を振り返った。フェルドは今の間に、リンとラセミスタに今までのことを話していたようだが、ラルフの視線に気づいて目を上げた。黒い瞳も、表情も態度もずっと平静だ。でも先ほどから、フェルドの近くにいると、なんだか肌がぴりぴりする。
「……マリアラがいないんだよ、シグ」
「校長の部屋にはいなかった」
フェルドが繰り返した。リンが言った。
「……あのう……じゃあ、あのう、ええっと。そのう、ジェイドの偽者が外に連れて行ったってことは……ないか、な」
「ここに来る前に警備隊長に聞いてきたんだ」
一同は何となくぞろぞろとソファに座った。ラルフもシグルドの隣に座ったが、そのクッションの効き方に感動した。こんなにふわふわのソファがこの世に存在するなんて知らなかった。
でも誰もその座り心地に感動する様子もない。たぶん当たり前のことなのだろう。
そして机の上にお菓子が山積みになっている。思わず目が吸い寄せられた。喉が鳴りそうになった。こんなに山積みのお菓子――生まれて、初めて見た。
「ジェイドは……偽者は、【国境】を通っていなかった。でもたぶん、出たことは間違いないと思うって、警備隊長も言ってた。亡命するつもりなんだろうって。ジェイドのまま出ないなんて、用心深い奴だよな」
「亡命?」
「そう。警備隊長もガストンさんも、かなりの証拠を掴んでた。ザールも、南大島の裏切り者側全部も、昨日捕まっただろ。そいつらが持ってた狩人の〈銃〉も押収した。雪山で狩人を通した保護局員も、今朝の内に全員捕まえたんだって。校長が狩人と通じてた証拠が今もわんさか出てきてる。校長は自分だけ、間一髪で逃れたんだ。もし戻ってきたって嘘を突き通すのは絶対無理だ、だから、亡命するしか手段はないんだ。……で、今日はホントに大騒ぎだったから、【国境】の出入りも制限されてる。出た人間は多くないし、その中にマリアラがいなかったのは確かだし、人を外に出せるほど大きな荷物を持っていた人間も皆無だったって」
いけない、とラルフは自分を戒めた。お菓子に釘付けになっている場合ではない。
目をもぎ放して、ラルフは手を挙げた。
「あのー。さっきも思ったんだけどね。魔女って、なんか、ものを小さくして運ぶことも出来るって、聞いたことあるんだけど……」
「魔女じゃなくても出来るよ。でもそれはね、命の宿っていないものに限られるの」
ラセミスタが言い、ラルフはふーん、と言った。
「そうなんだ。じゃあ人間を小さくするのは無理なんだね」
「厳密に言えば不可能じゃない。でもそのためには、まずその身体にヘスの麻薬を飲ませて、精神を遊離させて別の生き物の身体に宿らせる必要がある。そうすれば残った身体を小さくできるの」
ラルフは口をぽかんと開けた。セイシンをユウリって、なんのことだろう。
フェルドが頷いた。
「でも動物をつれて出た人間もいなかった。だからマリアラはエスメラルダの中にいることは間違いない」
――生きていればの話だけど。
ラルフは唐突にそう思った。そして。
フェルドが、マリアラが少なくとも【国境】を出ていないと聞いた時からずっと、それまで以上にぴりぴりしている理由が唐突にふに落ちた。そしてぞっとした。死んでいたら、その遺体を小さくして国外に持って出て処理することなんて、ルクルス以外の人間には簡単なのだ。
まだ日が暮れたばかりだ。ルクルスであるラルフには、十六歳にもなった人間が少しばかり行方不明になったからといって、それほど大騒ぎすることではない、という感覚が、どうしても頭のどこかにあったのだ。昨日マリアラを殺そうとしたイェイラという魔女もグールドも、もうとっくに捕まっているというからなおさらだ。
でもここは、南の大島ではない。ひとりになりたくてふらりと散歩に出たとしても、それが誰にも目撃されていないなんてあり得ないことなのかも知れない。だって大事件があったばかりの【魔女ビル】なのだ。〈アスタ〉という巨大コンピュータが様々なところを監視しているのに、マリアラの行方がわからないというのは、ラルフが思っていた以上に、大変なことなのかも知れない。
「……あのっ、」言いながらラルフは、自分の瞳が藍色に染まってしまったことを自覚した。「……じゃあほら、なんだっけ、空気孔から出たんじゃない?」
フェルドは首を振った。
「それもないと思う。ジェイドの偽者は少なくとも昼過ぎまでは【魔女ビル】にいたんだ。警備隊長が、午前中のうちに、すべての空気孔のそばに『こっち側』の保護局員を派遣したってちらっと言ってたから」
フェルドの声はあくまで平静だ。リンが言った。静かに。
「……でもどうして、マリアラがいなくならなきゃならないんだろ。イェイラがマリアラを殺そうとした理由と同じなのかな。イェイラは自白したのかな」
「ずっと黙ってるってさ」
フェルドは吐き捨てるように言った。ラセミスタがむずむずしているのにラルフは気づいた。何か言いかけて口を開き、そして閉じるということを繰り返している。ラルフは、昨夜聞いた、イェイラの話を思い返した。そして考えた。ラセミスタだけは、マリアラから、昨日の話を全部聞いたのではないだろうか。
「……ね、ラス」
リンが言った。ラセミスタはびくりとした。
「さっきさ、イーレンタールがどうとかって、言ってなかった? マリアラの居場所をもしかしたら知ってるかもしれないって、言ったよね」
「……うん」
ラセミスタがうなずく。フェルドが腰を浮かせた。
「なんで、イーレンが?」
「イーレンは……」ラセミスタは口ごもった。「その……校長から、いろんな仕事を、頼まれていたみたい……だから」
「コインは?」とシグルドが言った。「そういえば出張医療の帰り、マリアラが列車に乗って帰ってるってわかったんだろ。それってもう一度、できないのか」
ラセミスタとフェルドが顔を見合わせた。
そして叫んだ。
「……あー!」
「その手が……!」
「なっ、なんですぐ思いつかないかなフェルドは!」
「お前の方が本職だろ!? あの機械どこだ!?」
ラセミスタは一瞬動きを止めた。
そして答えた。
「……工房」
フェルドが顔をしかめた。
「わかった。じゃあここに持ってくる。〈アスタ〉?」
ラルフは驚いた。
フェルドがそう呼びかけただけで、壁の方から、優しい声が答えたのだ。
『……なあに、フェルド』
「イーレンどこにいるかな。出来ればここに来て欲しいんだけど」
『それがねえ……』母親というのはきっとこういう声だ、と思わせるような優しい声音が、少し困惑を含んだ。『……ちょっと無理だと思うわ……』
「なんで?」
『珍しいこともあるものね。自室で泥酔してる』
「でっ?」
フェルドが絶句し、ラルフはシグルドを見上げた。
「デイスイって何?」
「南大島じゃ絶対起こりえない出来事だ。島を出るまで知らなくていい」
シグルドの口調は苦々しい、と言えそうなものだった。デイスイというのはかなりの醜態であるらしいとラルフは思う。フェルドも呆れたように言った。
「なんで……まだ夕方だろ」
『なんだか嫌なことがあった、みたいよ。一度【魔女ビル】を飛び出していって、近所のウィック酒店で大量のお酒とおつまみを買って戻ってきたの。誰とも会わずに、ひとりきりで、私のことも締めだして、飲み始めて、そうね、もう二時間は経つのかしら。今はもう、ふらふらだわ』
「締めだされてるのにどうしてわかるの?」
ラセミスタが訊ね、〈アスタ〉は苦笑したようだ。これは本当の人間が受け答えをしているに違いないと、ラルフは思った。これが魔法道具のはずがない。




