ラセミスタは紹介する
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三階の処置室ではずっと、毒抜きが続いていた。
撃たれた魔女は八人。全員が左巻きのレイエルで、女性だった。彼女たちはみんな寝台に寝かされている。その両脇にひとりずつ、魔女が立って、ひとりにつきふたりがかりで治療を続けている。治療している魔女たちはいろいろな服装をしていた。制服の人もいるし、私服の人もいた。他の患者は誰もおらず、寝台はたくさんあいているのだが、あいた寝台やベンチにも人がたくさん座っているので、三階はそれほど静まりかえってはいなかった。
待機している人たちは、治療中の魔女が疲れたらすぐに代われるようにしているのだそうだ。
毒抜きは長丁場だ。朝までかかる。治療に当たる魔女たちは交代で休み、食事をして仮眠を取りながら、魔女の身体に食い込んだ毒を丹念に抜き出して洗う。それは本当に大変な作業らしい。
でも誰も死なないで、本当に良かった。撃たれた魔女たちも、誰も死なないで済みそうだ。大変な治療に当たっている魔女たちの表情も暗くない。犯人がどちらももう捕まっているせいもあるだろう。マリアラの失踪さえなければ、事件はもう解決していると言っていいのだから。
控え室の扉は医局を裏口から入ったすぐの、右側にあった。今は開かれていて、数人が中で休んでいるらしい。ラセミスタは中を覗いて、リンを振り返った。一瞬リンの目を見て、目をそらして、また見ようとして、結局リンの頬のあたりを見ながら言った。
「……寝てる人が、いる、みたい。外にも……座れるとこ、ある、けど」
「じゃ、そっちにしよっか。〈アスタ〉にすぐ連絡取れて、ここの近くなら大丈夫だと思うの。寒くない?」
「だいじょうぶ」
「じゃーいこー」
と言いながらやはり案内されるのを待つしかないわけだが。
なんとなく情けなく思いながらリンは、ラセミスタの後に続いて廊下に出た。廊下の突き当たりの窓側に、観葉植物がたくさん置かれていて、それに囲まれた隠れ家のような一角にラセミスタは歩いていった。しかしそこにも先客がいた。やけに日に焼けた、頑強そうな体つきの、若い男の人が座っていたのだ。一目見ただけでは目と鼻がどこにあるのかわかりづらいほど肌が黒い。そのせいで年齢もわかりづらいが、たぶん、フェルドと同い年か、いくらか年上、という程度だろう。
彼は腕章をつけていた。リンのつけているもの、そして先ほどラルフがもらっていたものと同じものだ。ガストンが言っていたのはこの人のことだろう。
「……シグルド、さん」
ラセミスタが呟いて、リンは首を傾げた。
「知り合い?」
「う、ん。今日……」
「ラセミスタ」
シグルドという名らしい若者が言った。立ち上がって、驚いたようにこちらに一歩出てきた。
「……もう、大丈夫なのか?」
「……はい」
ラセミスタが頷く。どうやら知り合いではあるが、それほどうち解けた仲でもないらしい。ラセミスタはそして、リンを見上げた。
「……ミランダの……えっと、その、何て言うか……友だち……なの」
「ミランダ……ああ……そっか」
「そう」
ミランダと言えば、先日の雪祭りの時に、マリアラと一緒に組んで詰所で治療に当たっていた少女の名前だ。ケティをとても可愛がってくれ、リンにも色々と気を使って居心地良く過ごせるようにしてくれた。あの日リンはすっかり彼女のことが好きになった。仕事があるからと、スキーには不参加だったけれど。
なるほど、あの子の彼氏なのか。シグルドというこの日に焼けた青年の立ち位置が理解でき、同時に、ラセミスタが全然打ち解けていない様子なのも腑に落ちた。友達の彼氏(初対面)という相手ほど、会話に困る存在もまたとない。
ラセミスタの説明は短かったが、リンはとても嬉しかった。ラセミスタがリンに、シグルドを紹介してくれる気がある、ということが。リンのことを気遣ってくれていると言うことだからだ。リンは感謝して、頭を下げた。
「初めまして。私、リン=アリエノールです」
「マリアラの、一般学生だった頃からの、友だちなんです。保護局員を目指して、研修中だって」
ラセミスタは言い添えてまでくれた。シグルドはリンに会釈した。ラセミスタが今度はリンに言った。
「シグルドさんはアナカルシスの駅員でね、今日は、ミランダと会うために来たら、こんなことに……なっちゃって」
成る程と、再びリンは思った。だから彼は未だにここに留まって、こんなところでひとりで所在なげにしているわけだ。ミランダは左巻きのレイエルだから、毒抜きに追われているのだろう。それは帰れまい。少なくともイェイラの犯行の理由が判明して、事件がちゃんと終結するまで、放ってはおけないだろう。だからガストンも腕章を渡したのだろう。ガストンは本当に行き届いた人だ。
それに、シグルドはミランダからも放ったらかしにされているわけではないらしい。彼の目の前にはお茶のポットとカップが置かれていた。ポットに覆いがかけられていること、それから添えられている菓子がどう見ても誰かの手製であるらしいことから、彼はその誰かさんにとても気にかけられているようだ。毒抜きに追われているさなかでも。
「……ヴィレスタは……」
三人が座るとシグルドがそう言い、ラセミスタは頷いた。
「イーレンが……イーレンタールが、治療してくれました。でもさっき言ったとおり、体液のストックがないから……だからやっぱり三日くらい入院」
「そうか」
「……シグルドさん」ラセミスタは少し、切実な言い方をした。「ヴィヴィの今日のこと、良く……できれば……覚えておいて欲しい、ん、です」
その言い方に、シグルドも、そしてリンも、ラセミスタをじっと見つめた。ふたりの視線を受けても、ラセミスタは今は、顔をうつむけなかった。ちゃんとシグルドの目を見て、しっかりした声で言った。
「もしかしたら……記憶のバックアップが完全じゃなかったかも知れない。ヴィヴィが起きて、記憶を復元するまで、ちゃんとしたことは言えないんだけれど……昨日今日辺りのことは、ヴィヴィにとってはなかったことになっちゃうかも、しれないんです」
「……そうか」
「今朝、あなたを迎えに駅まで行ったん、です、よね。そこで、ヴィヴィと何か話しましたか? ヴィヴィが何を言ったか、どういう風にしていたか、とか……そういうことを。もし、ヴィヴィが忘れてしまっていたら……必要そうなことだけでいいから……あったらだけど……ヴィヴィが起きたら、話してあげて欲しいんです。ヴィヴィはあなたと、仲良くなりたがっていたと思うから」
シグルドはしばらく考えた。
そして、頷いた。
「……わかった」
ラセミスタを見つめて、シグルドはもう一度頷いた。
「ヴィレスタにはいろいろと大切なことを聞いたんだよ。あの子がミランダを大事にしてるってことが良くわかった。俺に配慮してくれたんだ。あの子がそうしてくれたってことを、起きたら、ちゃんと話すよ」
「……ありがとう」
ラセミスタは、微笑んだ。おっとお、とリンは思った。
あの笑顔は是非とも近々、正面切ってこちらに向けてもらう必要がある。是非とも。
「……話は変わるけど」シグルドは少し硬い口調に戻って言った。「……ごめん」
ラセミスタは驚いたようだった。「……どうして?」
「やっぱり置いて行かなきゃ良かった。ヴィレスタも君も。それにあいつがミランダとマリアラを呼んだときに、俺――その……」
「……」
ラセミスタはシグルドをじっと見て、
ため息をついた。
「……なんでフェルドと同じこと言うかな。ふたり揃って、えーと……バカなのかな?」
おっとお、とリンはまた思った。少し調子が出てきたんじゃないでしょうか。
シグルドが黙ったのを見て、ラセミスタは苦笑した。
「置いていけっていったのはあたし。あたしは自分にしか出来ないことをしていて、これを今絶対にしなければいけないから置いていけって言ったんです。あそこで無理やり引きずり出されていたら、あなたはあたしの仕事を邪魔したってことになる。あたしの仕事なんか放っておけって言うこと、つまりあたしの大事な仕事を侮辱したということになる。引きずり出されてたら百回謝ったって許さないけど、今謝られる筋合いなんかどこにもない」
「……」
「……それにマリアラとミランダを止めようとしてくれて」ラセミスタは微笑んだ。「死ぬほど感謝してるんです。ほんとに、どうもありがとう」
「……そうか」
シグルドも眉を下げ、リンは黙って待っていた。ふたりの間のぎこちなさが少しずつ消えていくまで。
沈黙が落ちる。それを破ったのは、ラセミスタだった。
「……それにね、今さら気づいたんだけど、あたし、出張医療でのこと、あなたにちゃんとありがとうって言ってないんです」
そして彼女は、きちんと両手を揃えて膝に置いた。それから深々と頭を下げた。
「あの時マリアラを助けてくれてありがとう。本当に本当にありがとう。初めて会った時にすぐ言わなきゃいけなかったのに……遅くなってごめんなさい」
おっとお、とリンはまたもや思った。どうしよう。
どうしよう。あたし、この子、大好きになっちゃったかも!
シグルドが初めて微笑んだ。いや、と言って、雰囲気がとてもほぐれた。リンは考えた。そろそろ口を出してもいいだろうか。
「出張医療でって……あなたとフェルドが【国境】を爆破したとき?」
訊ねるとラセミスタは初めてまともにリンの目を見た。そしてその目が微笑みを含んだのを、リンはまともに見た。うわあ、と思う。この子、可愛い! どうしよう!
「そう、そのとき。マリアラが鉄道で帰ってきていたとき、シグルドさんが一緒に乗っていたの。狩人が銃を撃ったのを、庇ってくれたんだよ」
「そうなんだ! わあ、あたしからもお礼言います。ありがとうございます」
リンが深々と頭を下げると、シグルドは声を立てて笑った。
「いや……なんというか……それはそれは、どうもご丁寧に」
照れている。それはそうだろう。リンはラセミスタを見て、ラセミスタもリンを見て、ふたりは揃ってくすっと笑った。ラセミスタの築いていた壁がかなり崩れかけているのを知って、リンは嬉しくなった。なんというか、どうしよう。マリアラもいるしこの子もいるし、これから【魔女ビル】に入り浸りたくなってしまうかも知れない。こうなったらもう、どんな手を使ってでも絶対に保護局員にならなければならない。




