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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の別離
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ラセミスタは我に返る

   午後三時   ラセミスタ


 ぐいっと頭を後ろに押されて初めて、ラセミスタは我に返った。瞬きをすると、正面にイーレンタールの顔が見える。


 ラセミスタは我ながら間抜けな声をあげた。


「……お?」

「お、じゃねえよ」


 驚いて辺りを見まわした。イーレンタールしかいない。


「……あれ、マリアラは?」

「それはこっちのせりふだろうよ……」


 言って、イーレンタールは、まだ手を離さずにじろじろとラセミスタを見下ろしている。立っているイーレンタールの顔が真っすぐ見えるほどの角度に額を押されているのでさすがに不快だ。ラセミスタは頭を振ってイーレンタールの手を額から外し、その拍子に見えた時計が三時を指しているのに気づいて驚いた。ずいぶん長いこと没頭していたらしい。


 そして、マリアラはずいぶん長いこと不在だったらしかった。甘いものの山も部屋の様子も、先ほどと全く変わらなかった。ただ窓の外の光が黄昏を含み始めていることと、マリアラがいないことを除いては。


「マリアラ、どこ行ったんだ?」


 イーレンタールがそう言って、ラセミスタは記憶を探った。


「えっと……確か……医局。そう、医局だ。医局に行ってくるって言ってた」

「医局ぅ? 俺今そっちから来たんだけどな……まあいいや。あの子がいないんならここでもいいだろ」


 ラセミスタはそして、今さら驚いた。ラセミスタとマリアラのふたり部屋の中にイーレンタールがいる。こんなことは初めてだ。


「……どしたの、イーレン? なんの……あ、ヴィヴィ? ヴィヴィになにか……」


 言いかけて、そんな用事のはずはないとすぐに思った。そうだったら〈アスタ〉を通じて連絡するはずだ。


「いや違う。ヴィヴィの傷の修復は終わったけど、体液のストックが届かないと後はどうしようもないんで、眠らせてあるよ」

「……そか。ありがと」

「お前は結構元気そうだな」

「うん」


 頷いて、ラセミスタはいぶかしく思った。イーレンタールは今、なんだか怒っているように見える。座って、と椅子を示したがイーレンタールは座らなかった。立ったまま、威圧するようにラセミスタを見ている。


「……イーレン?」

「お前さ」イーレンタールはようやく口を開いた。「やるならもっと巧くやれよ」

「……何を?」

「何考えてんだ。自分が何やってるのかわかってるのか。お前がやってるのは、いわば国家機密を不正規の手段で探り出すってことだぞ。スパイ行為だ。自分の部屋の入力端子使ってもぐり込むバカがいるか」

「あ……」


 ラセミスタはちらりと自分の端末を見た。イーレンタールが舌打ちをする。


「どこで嗅ぎつけたんだか知らねえけど。やるんなら相応の覚悟をしろ。俺に見つからないくらいにまで精進してからやれよ。一生無理だけどなお前には」

「む」


 ついむっとすると、イーレンタールが珍しく吐き捨てた。


「この考えなし」

「だって」

「だってじゃねえよ! やるなら俺に迷惑かけんな! 〈アスタ〉ん中ごそごそ探り回って情報集めようとしてるバカの存在に、俺が気づかねえわけねえだろうが!? 俺にお前を売らせる気か!」

「売る――」ラセミスタは座り直した。「どういう、こと」

「俺が受けてる命令はひとつだけだ。それだけ守ればあとは好きにしてていいってさ。……お前みたいなのが〈アスタ〉ん中ごそごそ探ってることに気づいてそれが誰か報告しろって、それだけ」

「……校長、に……?」


 ラセミスタは喘いだ。

 ショックだった。


 ラセミスタはマリアラに、フェルドを兄だと言ったが、イーレンタールも同じようなものだった。グレゴリーがラセミスタの『父』であり、ダニエルが長兄でイーレンタールが次兄でフェルドがすぐ年上の兄、というような感覚で、ここまでずっとやってきたのだ。

 ――それが。


 そして身震いをした。ディアナ=ラクエル・マヌエルという、ダニエルやフェルドとも親しい存在が、何か知っているらしいと分かったばかりだ。こんな身近に。こんな近くに。今まで何にも知らず安穏と暮らしていた場所が、実は薄い氷の上だったということに気づいたような恐怖が背筋を這い上る。


「い、イーレン……イーレン、校長が何、してるか、知ってる……ん、だよね?」

「阿呆」イーレンタールは顔をしかめた。「それはこっちの台詞だ。――まあ確かに……確かにさ、あの人は一体どうしちまったんだろって、こっちに来てから思ったよ。昔はあんなじゃなかった。ほんとにすげえ人だったんだ。それが……でも」黒い瞳が烈しい色を宿した。「でも……でも、それでもな! エスメラルダが今表面上だけでも発展して、大多数の人間にとっては楽園って言えそうなほど住み心地がいいのはあの人のお陰なんだぞ!」


「でも、ルクルスは」


「お前はルクルスじゃねえだろう!」泣き出しそうな声だった。「――ああそうだ、ルクルスの現状はひどいもんだよ。でも……今のルクルスが受けてる待遇なんざ、二百年前にマヌエルと一般人が受けてた待遇に比べりゃ天国みてえなもんなんだ! なんにも知らねえで今までのほほんと育ってきたくせに、偉そうなこと言ってんじゃねえよ!」


 まるで自分は二百年前のことを骨身に染みて知っているというような言い方だった。

 ラセミスタは食い入るようにイーレンタールを見つめた。言葉と声からだけではなく、全身から、表情や仕草の端々から、情報を得ようとして。


「どんな……」

「言いたくねえ。思い出したくねえ。でも……俺はな、ラス。二百年前に戻るくれえなら死んだ方がずっとマシだ。この表面上だけでも平和な国で、好きな魔法道具の研究だけしてられる生活を投げ出すことだけは死んでもしねえぞ。お前は俺の妹みたいなもんだから」声がひどく、冷たくなった。「だから先に忠告に来たんだ。次はない。俺はお前より自分の方が可愛いから……これ以上やるなら売るからな。覚えとけ」


「……イーレン」

「売りたくなんかねえんだよ、ほんとに」


 ひょろ長い腕が伸びて、ラセミスタの頬をそっとかすめた。


「……今日思い知ったろ。俺たちみたいなのはエスメラルダから追い出されたら生きていけねえよ。狩人にでもとっつかまってみろよ……この先の人生真っ暗だ。な?」

「……」

「……頼むよ」


 イーレンタールは呻いた。


「頼むよ……ラス」

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