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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
番外編 治療院の魔女
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番外編 治療院の魔女(3)

 コオミ屋はお茶もお菓子も最高に美味しい、という、エスメラルダでも特に有名な店だ。製菓販売が主だが、喫茶店も兼ねている。ここのアフタヌーンティーが本当に絶品なんだよ、と、以前リンが話していたので覚えていた。


 もしリンと一緒に来たのだったら、どんなに楽しかっただろう。


 ショーケースに並んだケーキはどれも宝石みたいに綺麗で、美味しそうだった。つやつやした果物がぎっしり載ったタルトに惹かれる。シフォンケーキも美味しそう。チョコレート、と書かれたプレートが添えられた器には、濃厚そうなチョコレートの生地(ムースだろうか?)に、クリームといちごが載せられている。


「マリアラ、早く。こっちこっち」


 セイラが戻ってきて、マリアラの手を引いて席に引っ張って行った。

 その先にある席には、先客がいるようだけれど――


「セイラ、こっちよ」


 席にいたふくよかな上品そうな女性が軽く手を挙げた。同席しているもう一人の女性もにこやかに手を振っている。マリアラは愕き、セイラを見た。


「誰?」

「あたしのお母さんだよん。出張でね、レイキアから来てるの。久しぶり」


 セイラはマリアラの手をぐいぐい引いて、ふくよかな女性の前にある椅子につれて行った。自分はその隣の席にいそいそと座る。


「お母さん、この子がこないだ話したマリアラ=ラクエル・マヌエルだよ。ごめん、レイエルじゃなくてラクエルだって」

「あらー」


 ふくよかな女性の目が確かに落胆を含んだ。でも彼女はそれをすぐに押し隠して、にっこり笑う。


「初めまして、マリアラさん。セイラの母です」

「あ、はい……初めまして」


 マリアラは戸惑いながらも頭を下げた。さあさあ、とせき立てられて椅子に座る。


「ケーキセットで、いいかしら?」

「え……」

「おかーさん、あたしアフタヌーンティーセットがいい」


 セイラが言い、母親は窘めた。


「大事なお話があるのよ。書類をいっぱい書いてもらわなきゃならないんだし、あんまり机を占領するものじゃないわ。ケーキセットで我慢なさい」

「はぁい」


 セイラは唇を尖らせて引き下がった。マリアラは困惑がどんどん深まっていくのを感じる。何から何まで、状況がわからない。


「あの、……書類って……?」

 セイラの母は店員を呼び、四人分のケーキセットをさっさと注文し、

「それなんですけどね、」

 さっさと本題に入った。


「実は私、レイキアで、政府の外郭団体から委託された仕事をする、特定非営利活動法人の理事をやっていますの」

「は……?」

「レイキアにはね、当然ですけど、魔女が少ないんですよ。魔女の治療を受けられる人間はほんの一握りしかいなくて、大勢の気の毒な人たちが、治療の順番が回ってくるのを今か今かと待ち望んでいる状態でね……」

「はあ……」


 マリアラはセイラの横顔を盗み見た。セイラは素知らぬふりでお冷やを飲んでいる。

 セイラの母親の弁舌はいよいよ続く。


「あ、こちらはね、私の秘書をしてくれている人で。ね、マリアラさんに状況を説明してあげて」


 同席していた女性は鞄からてきぱきと書類を取り出した。カラフルなパンフレット。表紙には、哀しそうな顔でこちらを見ている小さな子供。腕に包帯を巻いている。


「ご存じですか、レイキアには魔女が十人足らずしか派遣されていないんです。例外なくペアでの派遣ですから、左巻きは五人以下。あの広いレイキアにたったの五人! エスメラルダの魔女独占政策は各国でかなりの批判を浴びています。充分な魔女が確保できないせいで、大勢の人が助かるはずの命を失い、苦しまなくていいはずの病やケガの後遺症に苦しんでいて……」


 女性とセイラの母親は、代わる代わる、レイキアという国の抱えている多くの問題についてマリアラに解説した。


 レイキアはアナカルシスから海を渡ったところにある遠い国だ。大陸史や地理、近代社会学などでその国の存在を知ってはいたけれど、そんなに大変な社会問題を抱えているのだとは思わなかった。二人の説明は多岐に亘り、ケーキセットが運ばれて、その残骸が片付けられるまで続いた。お陰でケーキの味はさっぱりわからなかった。たぶんフランボワーズムースだったような気がする。


 机の上が綺麗になると、パンフレットの上に書類がさっと出された。下の方に記入欄が見える。


「そこでね、マリアラさん。左巻きの魔女のご署名を集めているところですの。レイキアの惨状を救うために、是非あなたのお力を貸していただけませんか。お名前と無線機の番号と、コイン番号をご記入いただくだけでいいの」

「……あの。この書類、『治療優先度繰り上げのための要望書』って書いてありますけど……」


 下記の者の抱える外的症状/内的症状がもたらす身体的・精神的苦痛の重篤さを以下のとおり証明します、と文言があるが、その『下記の者』の欄は空白だ。セイラの母はニコニコ笑った。


「いつでも、誰にでも使えるように、先に左巻きの魔女のサインをいただきたいの」

「でも……それって……余りに無責任では」

「もったいぶらないでよ」セイラが先と同じことをいう。「ほーんと、マリアラって真面目だよね」


 そうなのだろうかとマリアラは思う。友人の血縁者の頼みなのだから、はいはいって気軽にサイン位するのが、『普通』なのだろうか。

 セイラの母親はあくまで笑顔で、そして真剣だった。


「この書類があれば、下層の人たちからの訴えがあったとき、その人の優先順位を高めることができるんですよ。あなたのサインで、私たちの抱える大勢の患者さんが助かるんです。お願いできませんか?」


 からんからん、と入口のベルが鳴ったのを、マリアラは遠くで聞いていた。

 いったいこの状況は何なのだろう。まだ会ったこともない人への身体的・精神的苦痛の重篤さを照明する書類が、レイキアの惨状にどう一役買うのか、本当に意味がわからない。


 ただあるのは恐れだ。断ることへの恐れ。困っている人を助けようと奮闘している人からのお願いを、無碍に断ることへの恐れ。セイラに嫌われるのではないかという恐れ。目の前の人を落胆させることへの恐れ。


「レイキアの惨状は本当に酷いものなんです。幼い子供たちが病に苦しんでいるのに、政府は弱腰で、エスメラルダに魔女増員の働きかけをしようとしない。私たちのような団体が活動しなければ、彼らは――」


「お話中失礼しますわ。マリアラ=ラクエル・マヌエル!」


 出し抜けに背後から鋭い声を投げられて、マリアラはびくりとした。

 振り返るとそこにいたのは、全く知らない人だった。セイラの母とその秘書よりも年上の、たぶん五十代くらいの女の人だ。緩やかにうねる髪をひとつにまとめた彼女はマリアラより背が低く優しそうな外見だったが、今はとても怒っていた。


「あなたいったいどういうつもり。これはいったいどういうこと? 店員さんから通報を受けてまさかと思ってきてみたら――」

「あ、あの、あの」

「仮魔女期にいったい何を学んできたの。【魔女ビル】を通さずに魔女に治療を依頼する行為は重罪なのよ、わかっているの?」


 わかっている。わかっていた。

 ようやく事態が把握できてきて、マリアラは慌てた。セイラが投獄されるような事態だけは何とか避けたい。


「この子はその、その、友達で――」

「友達ですって? じゃあ所属の女子寮と名前もわかっているわね」

「えっ」

「そっちの人たちは? お名前とご所属は? 店員の通報によると、『治療優先度繰り上げのための要望――」


 机の上の書類は既に綺麗さっぱり片付けられていた。セイラの母とその秘書は鞄を抱え上げ、「それじゃあ私たちはこれで」という言葉を残して撤収した。呆気にとられるほど鮮やかな引き上げ方だった。


 残されたセイラは蒼白だった。ただでさえ白い頬から血の気が失せている。

 謎の女性はきびきびと続ける。


「治療を依頼されたんじゃないの? きちんと断らなきゃダメって、習ったでしょう! さっきの人たちならともかく、金貨三枚なんてその子が払えるとは思えないから、三年以下の懲役刑――友人をそんな境遇に落とすなんて、いったい何を考えてるの!?」


 びしびしと叱責され、マリアラは縮こまるしかない。すると、セイラが立ち上がった。震える声が言った。


「治療を頼んでなんかいません。そもそも、もう友達でも何でもないし」

「――」

「もう二度と連絡してこないで。さよなら」


 そしてセイラは走って逃げた。さっきの二人とは違って、あまり鮮やかではなかった。




 からんからん、と入口のベルが泣きそうな音を立てた。店の中に静寂が落ち、マリアラはただひたすら縮こまっていた。消えてしまいたかった。セイラの冷たい声は、なぜだかあまりショックではなかったが――よりによってリンの大好きなコオミ屋で、こんな事態を引き起こしてしまうなんて。


 ふうっ、と、息を吐く音が聞こえる。びくりとしたが、その人はそっとマリアラの肩に手をかけた。


「あれだけ脅せばもう来ないでしょ。――災難だったわね。本当に、災難だったわ」


 マリアラは顔を上げた。その人は慈しむような目でマリアラを見ている。さっきの迫力が嘘のように、今の視線はとても優しい。


「……あの。あなたは……?」

「ああ、あたし? あたしはディアナ。ディアナ=ラクエル・マヌエル」


 行きましょうか、そう言って、ディアナは先に立って歩き出した。マリアラはつられて一緒に歩き出しながら、どこへ、と聞いた。


「あたしのやってる治療院。ちょっとお茶でも飲んでいきなさいよ――ああ、支配人。お知らせいただいて、どうもありがとうございました」


 レジの前で、スーツを着た初老の男性が待っていた。彼はディアナの礼を微笑んで受け、手に持っていた四角い箱を、マリアラに差し出した。


「本日は私の店で不快な出来事に遭われましたこと、申し訳ございません」

 マリアラは面食らった。「い……いえ、そんな……」

「どうかまたいらしてください。今度は最高の午後を過ごしていただけますことを祈って」


 マリアラの手の上に箱が載せられた。マリアラは何だか泣きたくなる。


「こちらこそ……お騒がせして申し訳ありません」

「いえいえ。どうか、また是非いらしてください。お願い申し上げます」




 丁重に見送られ、ディアナとマリアラはコオミ屋を出た。外はすっかり夕暮れだった。ディアナは伸びをして、ふふふ、と笑う。


「新人魔女は――特に左巻きの魔女は、気をつけないといけないのよ。色んなところからああいうのが来る。私もだいぶ昔だけど、同じような被害に遭ったわ。貴重な午後をつぶされて、【親】にはこってり叱られて、残ったのはいやーなもやもやした後味だけ。あたしの場合、サインとコイン番号まで書いちゃってたから、本当に大変だったわ。いーっぱいコピーされて高値で取引されたの。知ってる? きちんとデータ照会できる左巻きの魔女のコイン番号が書かれたあの書類ってね、一枚につき金貨五枚くらいの高値で取引されるのよ」


 マリアラは呆気にとられた。「そ――そんなに高く?」


「エスメラルダ育ちじゃ信じられないでしょうけど、レイキアではね、それくらいの価値はあるんですって。

 一つの治療院で五枚も使ったら、怪しまれる前に次の治療院、って、どんどん使われる。レイキアだけじゃなくてアナカルシスの治療院も対象になる。それでも不正に気づいた治療院からコイン番号の照会が来ると、そのたびに【魔女ビル】の事務方に呼び出されてお説教されたわ。すっごく怖い事務員さんだった。もうさんざんよ」


「……そう、なんですか」

「ダニエルから聞いていたわ。あなたは真面目で親切だから、引っかかりそうで心配だって。あの……お友達? あの子は、あなたに本当に、何かの治療を頼まなかったの? 例えば……そばかすとか?」

「うう……」


 思わず呻くと、ディアナはくすっと笑った。


「だろうと思ったわ。無線機の番号、渡してない?」

「ええ」

「それは良かった。こっちへいらっしゃい。ごめんね、まだ受付時間だから……普通はね、以前の『お友達』からのお誘いは、今はたいてい〈アスタ〉がブロックするの。【魔女ビル】に引っ越したら、もう悩まされることもないはずよ」


 今日の引っ越しが延びたことを、〈アスタ〉は申し訳なさがっていた。だからきっと、普段はブロックする連絡を、マリアラに伝えたのだろう。災難だったとディアナは言ってくれた。本当に、災難だったとマリアラは思う。

 思って少し、ホッとした。

 そして初めて、哀しみを感じた。


 ――もう友達でも何でもない。


 あの発言は、きっとセイラの本音だった。セイラにとって、マリアラはもう、『知り合いの魔女』に過ぎなかったのだろう。例えば自動販売機のように。お金さえ入れれば品物を出す、機械のように。


 ――もったいぶらないでよ。


 なるほど、と思う。お金を入れたのに商品を出し渋る自動販売機は、きっと存在を許されない。


 仮魔女寮の管理人、マージは、マリアラがリンに会いに行くことを本当に喜んでくれた。以前からの友人とまた親しくつきあえるのは幸運なことだと言ってくれた。確かにそうなのだろう。本当に、――奇跡のような、幸運だったのだ。


「嫌われることを恐れないでいいのよ」


 優しい声でディアナは言った。


「法律違反だからと断って、それで相手に嫌われるなら、それはもうそこまでの関係だったのよ。自分の心を犠牲にしてまで、相手に合わせる必要はないの。普通に生きていても、十人のうちひとりくらいは、あなたのことが嫌いになる。そういうものよ。全員に好かれようなんて不可能だし、とても傲慢なことだわ」

「……はい」


 涙声になっていたかも知れない。でもそのお陰でディアナがマリアラの背に手を回してくれて、それが嬉しかった。

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