番外編 治療院の魔女(2)
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今日は運がいい。三時が近づく頃には、再びそう思えるようになっていた。
選んだ本は大当たりだったし、お昼ご飯も美味しかった。マージの喜びそうなチョコレートも見つけたし、まだ見ぬルームメイトと一緒に食べるための自分用も買えたし。
きっと、セイラとの再会もうまくいくはずだ。
首元でミフが道案内する声を聞きながら角を曲がると、【学校ビル】が正面に見えた。
一年前と変わらず、巨大だ。
【学校ビル】も【魔女ビル】も、その中にそれぞれ街がすっぽり入ってしまうほど雄大な建物だ。姿形も役割もよく似ているが、【学校ビル】に住むのは魔女ではなく教師だ。一般学生だった頃、マリアラを可愛がってくれた歴史学教師、アルフレッド=モーガンの面影を思い出し、マリアラはしばらく無言で【学校ビル】を眺めた。
いつか、教師になるのが夢だった――まさに、モーガン先生のような。
モーガン先生の授業はとても面白く、同時にとてもわかりやすく、幼年組の頃に初めて受けた授業で虜になった。一般学生に上がり、モーガン先生のクラスに入れたときの嬉しさをまだ良く覚えている。いつかモーガン先生のように、教師になって、歴史学の研究を進めて。それでできれば、かつての自分のような子供たちに、歴史学の楽しさを少しでも伝えられるようになれたら。
その夢はもう、叶うことはない。
「モーガン先生……お元気かな」
――またいつでもおいで。
孵化から目覚めたあと、挨拶に行ったとき、モーガン先生はいつもどおり穏やかな口調で言ってくださった。
――孵化しても、君はずっと、僕の大切な教え子だからね。
そうだった。
正式な魔女になれたのだから、そろそろ、モーガン先生に会いに行ってもいいはずだ。
モーガン先生になら、あの優しい魔物の話ができる。傷つき斃れかけた身でマリアラを、そしてリンを、さらにはエスメラルダそのものを守ってくれた、あの気高い生き物について。
今までの歴史で語られてきた魔物たちについても聞いてみよう。あの魔物は【壁】に触れて消えてしまった。どこに飛ばされたかわからないが、きっと生きてはいないだろう。
彼を忘れないでいることでしか、あの親切に何かを返すことができない。
「マリアラ」
背後から声をかけられ、少なからず驚いた。セイラだ。
どうして後ろから来たんだろう。振り返ると、昨日見たばかりのセイラの姿がそこにあった。
セイラは肌の白い少女だった。髪の色も薄く、柔らかい。瞳の色はまるで宝石みたいな青碧だ。
「セイラ。こ、こんにちは」
声がうわずる。昨日の方がまだ堂々と挨拶できた気がする。頬が赤くなるのを感じる。
でもそれはセイラも同様だった。セイラの肌はまるで燃えるように赤くなっていた。もじもじして、それから意を決したように彼女は言った。
「き、来てくれて、ありがとう……」
「ううん、わたしの方こそ、呼んでもらえて嬉しかった」
そう言うとセイラがぱっと顔を上げた。「本当?」
「うん」
「……こないだはごめんね。シーナたちの前で、その、その、勇気が出なくて……」
「ううん。気にしてないよ」
少し雰囲気がほぐれてきた。マリアラとセイラは、へへへ、と笑い合った。ホッとして、嬉しくなってきた。以前からの友人とまた仲良しに戻れるのは本当に嬉しい。
「えっと、コオミ屋だっけ。すごく、有名なお店だよね」
行こうと促すと、セイラは少し迷って、それから時計を見た。
「その前に、ちょっとだけお願いがあるんだけど」
「え、お願い?」
「うん。座ろうよ、立ち話もなんだしさ」
セイラは近くにあったベンチに行った。マリアラは戸惑った。お願いって何だろう。コオミ屋はもうすぐそこだ。喫茶店では言いづらい話なのだろうか。
マリアラが隣に座ると、セイラはこちらに向き直り、胸の前で両手を握り合わせた。
「あの、あの、……お願い、一生のお願い。このそばかすを消して欲しいの」
「えっ」
マリアラは目を丸くした。
セイラの白い肌には、確かに、そばかすが目立っている。それはだいぶ前からだった。セイラがずっとそれを気にしていたのも知っている。
「そばかす……?」
「マリアラ、左巻きなんだよね? 左巻きの魔女は、人の体内にある水分に働きかけることで、治療をするんだよね?」
「それはレイエルの話だよ? わたしはラクエルだから、それはちょっと、違……」
「左巻きの魔女は肌を綺麗にするのだって出来るんだよね?」
セイラは言いつのり、マリアラは気圧されて口をつぐんだ。そうなの???? というのがマリアラの正直な感想だったが、セイラは聞いていない。
「お願い、一生のお願い! 本当に本当に、このそばかすもう嫌なんだよ……!」
「で、も」
「このそばかすさえなくなったら……いじめられないで、済むし」
「いじめ?」
びっくりした。セイラが外見のことでからかわれたりしているところなんて一度も見たことがない。セイラはちらりとこちらを見、また下を向いた。
「気になるんだ。すごくすごく嫌なんだよ」
「寮母さんは、ほら……二十歳になる頃には綺麗に消えるから今は気にしないようにって、」
「二十歳なんて待てないよ!!」
セイラはマリアラの左手を掴み、自分の頬に押し当てた。
「お願い、試してみてよ。左巻きの魔女になったんだからっ」
受けていいのか、マリアラは迷った。
魔女に仕事を依頼するためには【魔女ビル】を通さなければならない、という事実を、セイラが知らないはずがない。破ったら金貨三枚以下の罰金、もしくは三年未満の禁固刑、ただし執行猶予がつかない、ということは授業で習う。もしバレたら、セイラは投獄される。
でも、セイラが長年、そばかすに悩んでいたことをマリアラは知っていた。とても綺麗な子だから、却って、唯一の欠点が目につく、ということもあるのかもしれない。正直言って、マリアラはセイラが騒ぐほどには、彼女のそばかすが濃すぎるとも思っていなかった。他にももっと濃い子はいっぱいいる。彼女のはむしろ愛嬌のひとつに数えられるのではないかとすら思う。
でも、セイラがずっとそれを気にしていたことも知っている。
「あのね、セイラ。申し訳ないけど、あの、期待しないで欲しいの。どうしたらいいのか全然わからない」
「綺麗になれ~綺麗になれ~って思ってくれればいいんだよ」
「そんな、魔法使いじゃないんだから」
「どう違うの? マヌエルが使うのが、魔法でしょ? じゃあ魔法使いじゃない」
聞き返され、マリアラは言葉に詰まった。眉根を寄せて、考える。
「……あのね。魔女が使うのは魔力で、おとぎ話に出てくるような魔法とはちょっと違うものなんだ。対象に明確な意思を届けなきゃいけない。どこをどうすればわかんないけどとにかくこうなれ、と思ったからって、そのとおりにできるわけじゃないんだよ。そばかすには、そばかすを作っている原因があるはずでしょ。その原因がわかれば、それを取り除く、ということはできる……と思う、けど、まずその原因がわからないと……」
「左巻きだったら、その原因を探ることもできるんでしょ」
マリアラは心底、困った、と思った。
例えば水を媒介に魔力を行使するレイエルだったなら、そして魔力が豊富だったなら、原因を探ることも簡単なのかも知れない。けれどマリアラはレイエルではない。光を媒介にするラクエルだ。体内に光はないから、体内の診察や治療はどうしてもレイエルに比べて技量において劣るし、使わなければならない魔力も段違いだ。
セイラは苛立ったようだ。
「もったいぶらないでよ、嫌な感じ」
「そんな、もったいぶってるわけじゃないの。でも、もし悪化したら? 今より酷くなったらどうするの? にきびとか皮膚アレルギーとかが酷い子は診てもらえるって聞いたことあるし、医局に行った方がいいんじゃないかな」
「とっくに行ったよ。でもあたし程度のそばかすじゃ、二十歳になっても消えなかったらおいでねって言われた」
マリアラは困り果てた。どうしよう。
せっかくまた会えたのに。仲良しに戻れそうなのに。
ため息をついて、マリアラは言った。
「じゃあ……そばかすの原因を調べてくるよ。たぶん医局にレポートがあると思うから。それでわたしでもできそうなら」
「んー、急いでるんだけどなあ。今日ちゃっちゃっと治してもらえると思ったのに」
「そんなに急いでるの?」
「明後日デートなんだ。その時までに消したいんだよね」
言ってセイラは立ち上がった。もう一度時計を見て、行こうか、と言った。
「時間もちょうどいいみたい。そばかすの方はさ、明日の三時、またここでいいよね」
「明日はわたし、仕事……」
「ええー? じゃあ夜でもいいや。仕事終わったら、寮に来てよ。寮母さんにはうまく話しておくから」
早くおいで、と言いながらセイラはどんどん歩いて行く。マリアラはさっきまで羽根のようだった体が、どんどん重くなっているように感じていた。セイラって、こんな子だったっけ? どうしてだろう、理由がわからないけれど、何だかすごく気が重い。
帰りたい。
「何してんのー?」
角から顔を出してセイラが呼んだ。マリアラは重い足をなんとか動かしてセイラの方へ行った。自分がどうして落ち込んでいるのか、はっきりとした理由がわからず、胸がもやもやする。




