ラルフは【学校ビル】の様子を見に行く
「最新の情報なの。特別に教えてあげるわ。新たな『右』が生まれたらしいの。若い男の子。〈アスタ〉の登録上はラクエルよ。校長が既に足かせをはめてるらしいけれど、自分の役割についてはまだ知らないみたいね。『左』も揃えば完璧だけど、まだ生まれてないなら無理だから、とりあえずは『右』だけでも……あんた、【壁】を通れるんだから、なんとかそのラクエルと接触して、騙すなり何なりしてアナカルディアまでつれて来なさいよ。そうしたら伯父様も大喜び。校長に対して強力な切り札になるもの。真鉄の製法がしばらく手に入れられなくても、あんたをクビにするとまでは言わないはず。ついでに『左』の誕生がどうなっているのか、調べて来たらもっといいわね」
「できるわけないだろ」
ウィナロフが言い、彼女は冷笑した。
「できるでしょ。【風の骨】なんだから」
「無理だ」
「じゃあ真鉄の製法をもって来なさい。そうじゃなきゃクビよ、クビ。あんたなんかいなくなったって誰も困らない」
彼女はさげすむように嗤った。どうして言われっぱなしになっているのかと、ラルフは歯痒くてたまらなかった。どうしてこいつはこんなに偉そうなのだろう。【水の砂】というのは【風の骨】より位が上なのだろうか。こんな奴、どついて縛り上げて小船に乗せて海に流してしまえばいい。何よりエルカテルミナを捕まえるようにと命じるなんて、それは、フェルドを――
考えて、ラルフはぞっとした。
狩人にとっても、フェルドは重要な存在であるということ、らしい。
【水の砂】は特別に教えてあげると言ったが、ウィナロフもラルフも、彼女から聞く以上の情報――フェルドの外見や名前――を持っている。そのことを彼女に悟られては大変だ。ラルフは表情を取り繕ったが、もともと【水の砂】はラルフには一瞥もくれなかった。
「……ねえそれで、グールドはどこにいるの。南の大島?」
「知らない」
ウィナロフは言い捨てて、きびすを返した。松林の中を無造作に、【学校ビル】のある方に向けて歩いて行く。ラルフもついて行き、【水の砂】が背後できいっと言った。
「何で知らないのよ! 教えなさいよ! いい情報あげたじゃないの! ちょっと!」
「声が高い」
「あんたってほんとに最低よ! 伯父様がいつまでもあんたを可愛がると思ったらほんとに大間違いなのよ!? あたしがとりなしてあげてるからまだなんのお咎めもないのよ、あんたそれがわかってんの!?」
ウィナロフがぴたりと足を止めた。
くるりと振り返って笑顔を浮かべ、松林の先、【学校ビル】の方角を示した。
「聞こえませんか、リーザ姫? 【学校ビル】の方で警報が鳴っているようです。【夜の羽】にお知らせする必要があるのではないですか」
「――」
彼女は目を眇めてウィナロフを見た。
何か言おうとしたが、でも、警報が確かに聞こえたのだろう。つんと顎を逸らしてウィナロフの隣を擦り抜けた。そのまま足早に去って行く。ラルフはぎゃんぎゃんわめく彼女の声が途絶えたことに心底安堵した。あんな大人にだけはなりたくないと思った。成長していけば、いつか男に見てもらえなくなる日がくるのだろう。体つきが変わってしまい、どこからどう見ても女だとばれてしまう日がくるだろう。だがそうなっても、絶対にあんな女にだけはなるまい。
「……リーザ、姫?」
見上げるとウィナロフはため息をついた。
「そ。【夜の羽】の姪、つまり、アナカルシス王家のれっきとした姫君。世が世なら俺なんかご尊顔を拝する栄誉に浴する機会さえあるわけない、雲上のご令嬢様ってわけだ」
「あの人が? へえー。姫君って舞踏会に出てダンスしてにこにこしてんのかと思ってたら。結構やな感じなんだね」
「まあ姫君にもいろいろいるだろ」
「……ねえウィン、真鉄って何?」
訊ねるとウィナロフは顔をしかめた。
「それについては聞かないでくれ」
「その情報持ってかなかったら、ウィン、クビにされちゃうの?」
ラルフは言って、自分でも変だな、と思った。
さっき『やめてくれ』と頼んだのは自分なのに。
ウィナロフは苦笑した。
「そう息巻いてんのは【水の砂】だけだ。なんか俺が気に入らないらしい、まあ、気に入られたくもないけどな。あの人は【夜の羽】の姪だしお気に入りだし見境もない。だから自分の発言力を過信してる」ウィナロフはラルフの頭をぐりぐりと撫でた。「大丈夫だよ。俺がやめても差し入れは続くようにちゃんとしとくから」
「……そんなこと心配してないよ」
「悪かったな、やな思いさせて。【水の砂】がグールドの動向をどれくらい知ってるのか確かめたかったんだ。ほとんど何も知らないみたいだよな」
「ねえウィン」ラルフはウィナロフを見上げた。「……エルカテルミナって、なに?」
ウィナロフは一瞬沈黙した。
黒い瞳に、用心深そうな色が宿った。
ラルフは言葉を重ねた。
「昨日話しただろ。イェイラって魔女がマリアラを殺そうとしたのもそれが理由らしいんだ。フェルドが、えっと『右』? なんだよな? 狩人にまで狙われちゃうの、フェルド」
「……狩人が校長と手を組んだらしいだろ」
ウィナロフは静かに答えた。ラルフは、聞かないでくれと、言われなかったことに安堵した。
「でも味方になったわけじゃない。エルカテルミナを狩人が手にいれれば、校長はかなり困るだろうな。……まあでもさ。あいつだけなら手出しは無理だよ、たとえグールドでも。〈毒〉も効かない。闇の中に誘い出せればどうにかできるかもしれないけど、狩人相手にそんな隙を見せそうもない。昨日だって多分、光珠、複数持ってた。今日あたりからきっと十個くらい持ち歩くだろ。……狩人にとっては生かして捕まえなきゃ意味がないけど、たとえできたとしても、そのまま捕まえておくことができそうもない。【水の砂】はその辺のことがいまいちわからないんだよ。どれほど血筋が高貴だろうがエルカテルミナにかなうわけないんだ。……でも」
ウィナロフはひどく真摯な声を出した。
「『左』はそうはいかない」
「……まだ生まれてない、って?」
「まあ、二度目の孵化はまだだ。でも存在はしてる。たとえ今の段階ででも、その誰かが『左』だとばれたら、狩人は簡単に捕まえられるし、狩人に手に入れられるくらいなら、校長はその前に殺すだろう。……だからまだ二度目の孵化が起こらないんだろうな、あんまり危険だから。なるほど」
「……何が、なるほど?」
「校長に長年阻止され続けて、女王も用心深くなってるだろうって話だよ」
「……女王って、誰?」
「虐げられし、世界を抱く真の女王、か」
ウィナロフは揶揄するように言って、ふと、顔を上げた。遠くで鳴り続いていた警報が止んだのだ。それでも事態が解決したわけではないらしい。街のざわめきは一層高まるばかりだ。
「……何があったんだろうね」
「行ってみるか」
ウィナロフが歩きだす。ラルフもついて行く。そして思い出して、言った。
「【水の砂】に見つからないようにしよう」
「当然だ」
その言い方を聞いて、よほど嫌いなのだと分かって、ラルフはうなずいた。当然だ。




