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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の別離
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カルロスはジェイドについて訊ねる

   午前十一時二十分  〈彼女〉


 〈彼女〉は〈アスタ〉の警戒情報が何者かによって強制的に書き換えられるのを感じた。こんなことはここ十年ほどなかった。


 その誰かは、自分の行為を隠す気はないようだった。〈アスタ〉のシステムに侵入しそれを強制的に書き換えるなど、やろうと思ってできる人間はほんのわずかしかいない。褒められたことではないと、その人物もわかっているはずだ。けれど――確かに、その内容を見て〈彼女〉は戦慄した。ラセミスタだと、その時にはわかっていた。彼女が〈アスタ〉を説得する時間を惜しんだ理由も、とてもよくわかった。


 そして警報が鳴り響く。


 ラセミスタの手並みに〈彼女〉はすっかり感心した。ラセミスタの技術はとても鮮やかだった。こんなことまでできるようになっていたのかと、その成長を喜んでしまいそうなほどに。


「なんだ……?」


 カルロスが顔を上げる。〈彼女〉はその時、医局の三階、処置室のカメラに、赤い髪の男が映ったのを見た。思い切りよく開かれたカーテンから現れたのだ。カーテンの奥には寝台があって、にこにこした若い男が土足で座り込んでいた。その背後にも誰かいるような気がしたが、若い男が床に降り立つやいなや笑い出したのでそちらに注意を奪われた。


『あはははははははは! なんだ、もう警報鳴ってんじゃん! なんでばれたんだろうねえ?』


 けれどラセミスタの警報があまりにも唐突に過ぎたためか、魔女たちはすぐには信じられなかったのだ。患者たちの手前、治療を中断してまで率先して逃げるなどしにくかったということもあるかもしれない。医局の魔女たちは、鳴りやまない警報に背を押されるように、ようやく避難を開始したところだった。赤い髪の男、【炎の闇】グールド=ヘンリヴェントは、ずかずかと寝台の間を歩いて行ってそこにいた魔女を出し抜けに撃った。悲鳴が上がった。続けざまにふたり、三人と撃たれて、医局はさらに騒然となった。【魔女ビル】中に張り巡らされている〈アスタ〉の感覚器官にグールドの起こす惨禍がじわじわと広がって行く――よりによって三階だと、〈彼女〉は考えた。グールドがどうやって侵入したのかはまだわからないが、一番効果的な場所に出現したとしか思えなかった。【魔女ビル】は一階から三階が医局になっているが、常時一番左巻きの魔女が多いのは三階の処置室と控え室だ。


「いったい何事だ?」


 カルロスが不快げに言った。〈彼女〉は答えた。


『狩人です。【炎の闇】グールド=ヘンリヴェントが、【魔女ビル】三階の医局:処置室に侵入しました』


 カルロスは、心底驚いたようだった。


「いったいどうやって――」

『それはまだわかりません』


 それはあなたの差し金ではなかったのかと、〈彼女〉は思った。昨日から、通信機器を使ってなにやら画策していたのは、このためではなかったのか。

 どうやら違ったらしい。〈アスタ〉はカルロスの道具なのだ。その道具の前で、こんな演技をしてみせる必要なんてどこにもない。


 その時【魔女ビル】の事務方も警備隊の受付もすっ飛ばして、警備隊長室に警告が知らされた。ラセミスタの仕事は本当に早い。彼女のいる工房のカメラは、今はオフになっている。だから〈彼女〉にはラセミスタの姿は見えない。けれどまざまざと思い浮かべられる気がした。あの小さな白い華奢な指先が、キーボードの上でひらひらと踊る様を。魔女が薬を作るときに似ていると、ずっと前から思っていた。


 ――〈アスタ〉のシステムに侵入して、警戒情報を上書きできる、十六歳の天才。


 〈彼女〉は戦慄とともに考えた。


 ――そしてフェルドの妹とも呼べる立場にいる少女だ。


 カルロスが今度のことで、ラセミスタの存在を警戒しなければいいのだけれど――


「被害状況を知らせてくれ」


 カルロスがそう言い、〈彼女〉は答えた。


『はい、エルヴェントラ。現在撃たれた魔女は四――五人です。【魔女ビル】の保護局員が出動しました。グールドのいる階、三階に集合し、突入するまで早くても六分はかかります。グールドは逃げる魔女を追って――』

「三階?」カルロスが遮った。「……検査室があるじゃないか」

『はい』

「検査室は?」

『グールドは素通りしました』


 ちっ、と、カルロスは舌打ちをした。しやがった、と〈彼女〉は考えた。


 ――グールドがフェルドを殺すことを、期待したんだ、この男。


「わかった。検査室の窓と扉をロックしろ」


 舌打ち前なら良かったのにと〈彼女〉は思う。舌打ちする前なら、フェルドの身を守るためだと思えたのに。

 カルロスの声が無慈悲に続ける。


「“囚人”が箒とコインを預けてあるロッカーも施錠しろ。彼を絶対に外に出すな」


 〈彼女〉はため息を隠した。『了解しました』端的に答えて、指示を実行する。

 ロッカーの中にはコインしかない。フィは朝から出かけていて、多分、フェルドの“目”の代わりを担っている。しかしそれは報告しなかった。聞かれていないことまで答える義理はない。


「それで、医局の方は?」

『廊下に出られた魔女は窓から箒で逃げ始めています。現在、撃たれた魔女は七人です。グールドが医局を……出ました、今、医局の防火シャッターを下ろしました。これでグールドは医局へは戻れません。撃たれた魔女の毒抜きのために……あれ』思わず地が出てしまった。『イェイラが医局にいます。彼女は無事だったようです。撃たれた魔女の治療を始めています。外へ逃げられた魔女に連絡をして、医局の窓から入って、イェイラを手伝うように指示を出します。――今、ギュンター警備隊長から連絡がありました』〈彼女〉はホッとした。『グールドの位置を知らせるために、【魔女ビル】のカメラ映像全てを公開し、シャッター昇降の決定権及びすべての警備権限を警備隊長に委ねます。よろしいですね?』

「……わかった」


 カルロスは低く答えた。〈アスタ〉のスクリーンを睨んで、拳を口元に強く押し当てて、なにやら考えている。

 イェイラという名を出したときの、カルロスの反応が今さらながらに気になった。びくりと、震えたように思えたのだ。


 ――それに、イェイラはほんの少し前に、【国境】を無理やり通って、アナカルシスへ出たばかりではなかっただろうか……?


 それが気になって、〈アスタ〉とギュンター警備隊長の会話に意識を集中することができなかった。


「……〈アスタ〉」


 しばらくしてカルロスが言い、〈彼女〉はその声音になんだかぞっとした。


『はい、エルヴェントラ』

「リスナ=ヘイトス事務官補佐室長につないでくれ」

『少々お待ちください』


 従順に答え指示に従いながら、〈彼女〉はフェルドのいる検査室のカメラを盗み見た。ああ、間に合ってしまった。フェルドは着替え終えておりスニーカーを履いたところだった。扉と窓の施錠に気づいて険しい顔をしている。


『――はい、エルヴェントラ』


 ヘイトス事務官補佐室長が出た。彼女のいる事務官補佐室も警報に驚いて大騒動になっていた。彼女の周囲に事務官たちが右往左往している音が聞こえているが、ヘイトス室長は相変わらず落ち着き払っていた。


「検査室へ行ってくれ。睡眠ガスの使用を許可する。どんな手を使っても“囚人”を外に出すな」

『了解いたしました』


 ヘイトス室長は頷いて立ち上がった。氷のようだと〈彼女〉はいつも思う。ヘイトス室長の心はいつも、凍っている。どんな指示も命令も、彼女の心をざわめかせることはない。カルロスのために喜んで汚れ仕事をやるのはザールやジレッド、ベルトランという男たちだが、その実カルロスが一番頼りにしているのは、このヘイトス室長なのではないか。そう思えてならない。


 ヘイトス室長が動き出したことで少し安心したらしく、カルロスは、通信を切って背もたれに身を預けた。しばらく考えて、低い声で言った。


「〈アスタ〉。――マリアラは今、どこにいる?」


 は? と、思わず聞き返すところだった。〈アスタ〉ならばそんな反応はしないと自分を戒める。


『【魔女ビル】の工房にいます』


 どうして、と聞きたかった。どうして、今ここでマリアラの名が出てくるのだろう。フェルドを閉じ込めるのはわかる。だがその相棒であるマリアラ=ラクエル・マヌエルの名が、今ここでなぜ。


「イェイラは――さっき、医局の三階、グールドが出現した場所にいたと言ったね」

『はい』


 返事をして、〈彼女〉は医局をちらりと覗いた。が、イェイラの姿は見当たらなかった。ただ、撃たれた魔女の治療を志願する左巻きたちが続々と窓から入り始めているので、それに紛れているのだろう。


「……」


 カルロスは再び沈黙する。何を考えているのだろう。

 しばらくの熟考の後、ため息まじりの独り言が聞こえた。


「……まあ、念のため」


 ――何が。


「〈アスタ〉。独り身の、右巻きのラクエルって何人いたっけ。マリアラの“ゲーム”に参加したのは、四人だったっけ?」


 ――何だそれは。


『いいえ、“ゲーム”の参加者は三名でした。ひとりはフェルディナント=ラクエル・マヌエル。その他、ダスティン=ラクエル・マヌエル、ジェイド=ラクエル・マヌエルです』

「あー、思い出してきた。雪山の事件に巻き込まれて“ゲーム”が中止になって、相棒選出の研修やったんだったね。その時の記録、見せてもらえる?」

『はい』


 〈彼女〉はスクリーンに当時の記録を呼び出した。まずはダスティン=ラクエル・マヌエルとマリアラが組んで南大島の浄化に当たっていた二週間の記録から。

 ああ、ダスティンと一緒にいたときのマリアラの働きぶりは、お世辞にものびのびしているとは言えなかった。幸い、そう感じていたのは〈アスタ〉だけではなく、ふたりをサポートしていた保護局員たち皆が同じ意見であった。その記録を見て、カルロスは苦笑した。昔から人の心の機微というものには敏感な男だ。


「ダスティンはやめておいた方が良さそうだな」


 ――だから何だそれは。


「ジェイドにしとこうか。フェルディナントの友人だとは言ってもマリアラと一緒に行動したことはほぼなさそうだし……」


 ――何をする気なんだろう。


 嫌な感じがざわざわと押し寄せてくる。胸も感覚もないはずなのに、この感じはどこから来て、どこに向かってきているのだろうと、余計なことを考えた。

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