ヴィレスタは立ち向かう
午前十時十分 マリアラ
散々捜してもらってわかったことだが、マリアラが医局についた時、ミランダは出た直後だったらしい。入れ違いになってしまったのだ。
マリアラはへなへなとそこに座り込んで、両手に顔をうずめた。もう泣きたい。何かの嫌がらせだろうか。
けれど、とにかく、医局に長居はしたくなかった。それに今行けばミランダに追いつけるかもしれない。マリアラは気力を奮い起こして立ち上がり、よろよろと歩きだした。なんだかもう、げんなりだ。
『マリアラ、ほら、乗って乗って~』
『乗りなよ、もうへろへろじゃんか』
ミフとフィが口々に勧めて来る。でも【魔女ビル】の中を箒に乗って飛ぶのはどうなのだろうと思ってしまう。自分にとても抵抗があることは確かだ。
『強情っ張り』
『根性あるよな……てか、変にまじめ過ぎだよな』
ふたつの箒の会話を聞き流しながら、ミランダの今日のデートは延期になったのだろうか、と考えた。
けれど、さっき急いで駆け出して行ったみたいだし。
急患が入って呼び出されて、治療のために遅刻したのだろうか、そう考えながらふと窓の外を見ると、かなり上を、空色のワンピースが【国境】へ向けて飛んで行くのが見えた。あっ、と思った。ミランダは遅刻を最小限にくい止めるために、着替えて窓から飛び出したのだ。かなり高いところを飛んでいるのは、制服じゃないことからの遠慮なのだろう。速度もかなり速い。あっと言う間に遠ざかる。マリアラは窓を開けた。もう遠慮などしてはいられなかった。
午前十時十二分 ヴィレスタ
「……よおぉ、シグ」
グールドが少し先で立ち止まって、にま、と笑った。数々の血生臭い風評とは裏腹な、やけにあっけらかんとした笑顔だった。ケガをしている。頬に、かなり大きな擦り傷が見える。
シグルドは冷たく言った。
「こんなところで何やってる」
「そりゃこっちの台詞じゃん? いやーでも会えて嬉しいなぁ、こないだはゆっくり話しするどころじゃなかったから。なーお前いつアナカルシスに来たの? 就職どうすんの? 住むとこあんの? もし今から探すんなら言えよ、いくらでも世話してやるから。お前なら大歓迎だ」
「あんたに世話してもらう気なんかない」
シグルドはつっけんどんに言った。グールドがけらけら笑った。
「あいっかわらず冷たいなー。ハイデンは元気? マギスもう治った? 魔女の治療受けさせてもらったんだろーな、どんなんだったか今度聞きに行くよって言っといてよ」
グールドがぺらぺら喋る間、ヴィレスタは【国境】へ続く緩やかな坂道を見つめていた。ミランダはまだ来ない。グムヌス氏がもっともっとミランダを引き留めてくれますように。今朝とは打って変わってそう思う。
「で」グールドの声が少し色を変えた。「君にもこないだ会ったね。爆弾山ほど投げ込んでくれたじゃんか」
ヴィレスタは坂道から目を離さなかった。もう、いつミランダが来てもおかしくない。その瞬間を見逃さないように。
「ねえってば。聞こえてるんでしょ」
グールドが近づいてくる。手を、のばしてくる。と、その手をシグルドがぺちんと叩いた。
「いてっ」
「むやみに幼女に触るな」
「なんだよ人を変態みたいに……いやちょっと、人を捜してるんだよ。若い女の子。黒髪の、結構美人な子なんだ。ねえ君、知らないかなあ~?」グールドはヴィレスタをのぞき込んでニヤリと嗤った。「その子には、良く似た、五歳くらいの『妹』がいるはずなんだよね。そう、ちょうど君みたいなさ。知ってるでしょ? ミランダって、名前なんだけど」
「ミランダって誰だ?」とシグルドが言った。「あんたが捜してるってことは、魔女なのか」
「そ。レイエルなんだってさ。今日この時間にここに来るらしいんだけど、見あたらないんだよねえ。シグ、動くなよ」グールドの手の中に、いつの間にか抜き身のナイフがあった。「お前はルクルスだから傷つけたくないんだ」
「よく言うよなほんと。マギスさんの前で同じ台詞を言ってみろよ」
「魔女を庇わなきゃ良かったんだ。僕のせいじゃないよ」
そう言ってグールドは意味ありげに口を閉ざす。魔女を庇えばお前も同じ目に遭わせると、言わんばかりの沈黙。しかしシグルドはその剣呑な気配を意にも介さなかった。
「狩人の情報網ってすごいんだな。レイエルがエスメラルダから出るなんて情報まで流れてくるのか?」
グールドはヴィレスタに目とナイフを向けたまま、にいっと嗤った。
「命の恩人が教えてくれたんだ。助けてやるからその代わり、ここでミランダを殺せって。幸い僕の得意分野だし、借りを返せるし、喜ぶ顔が見たいほどの美人だったから、断る理由なんかひとつもないね」
「命の、恩人? あんたみたいな人が死にかけたりしたのか」
「そりゃあね、僕だってエルカテルミナと人魚にはかなわないよ――」
『走って!』
叫んでヴィレスタはグールドに飛びついた。シグルドが走り出した。グールドの話した言葉がぐるぐる頭の中を回っていた、が、目の隅に、ミランダの海色のワンピースが急ぎ足でなだらかな下り坂を歩いてくるのが見えたのだ。グールドのナイフが翻った。ヴィレスタはグールドの左足に足払いをかけよろめいたところを仰向けに押さえ込んだ。が、すぐにはねとばされた。グールドがシグルドを追って走りだそうとしたが、寸前でその背に飛びついて羽交い締めにした。身長は足りないが体重は足りた。グールドがヴィレスタを背負ったままシグルドに追いつくという事態だけは避けられた。
シグルドはどこまで行っただろう。確かめている暇もない。
グールドはためらいなくヴィレスタの両手に切りつけた。柔らかい人工皮膚と肉は裂けて体液が吹き出したが、ヴィレスタの骨はナイフを通さなかった。
絶対放すものかと、ヴィレスタは考えた。
皮膚と肉などただの飾りだ。痛覚はある、が、目をくらませるほどの痛みも、とどのつまりは損傷を知らせるアラームでしかない。無視すればいいだけの話だ。
「ただの道具のくせに……!」
ナイフが今度は右脇腹に突き立てられ、そのまま上へ滑って脇の下の急所に突き刺さり、関節をえぐった。そうなってはもうしがみついてはいられなかった。振り落とされたが、シグルドは今の間にもうずいぶん遠くまで行っていた。もうすぐミランダのところまで辿り着く。グールドは追うのを諦めて、ヴィレスタに向き直った。ナイフには赤いヴィレスタの体液がついていた。それをぺろりと舐めて、グールドは顔をしかめた。
「まずい。やっぱ偽物だ。なんのために赤くしてあるんだか」
ぺっと唾を吐き出して、
「お前なんか切り刻めたって嬉しくない。痛くもないんだろ」
ヴィレスタはその隙に頸椎に当たる場所に仕込んである防犯ブザーを押した。けたたましいサイレンが吹き出した。警告、警告、警告。
周囲は大騒ぎになっていた。駅員が駆けだしてきていた。保護局警備隊の詰所も駅舎にある。もう〈アスタ〉にはここに狩人がいることが伝わっているはずだ。それで余裕が生まれ視線を流すと、シグルドがミランダのところにたどり着いたのが見えた。ミランダを抱え上げるようにして【国境】へ戻って行く。シグルドは本当にいい人だと、心底思った。ヴィレスタが残って自分が『逃げる』ことに、内心はどうあれ、ためらいを見せなかった。ミランダの護衛と名乗ったヴィレスタを、尊重してくれたということだ。ヴィレスタはやっと少しだけ安心した。グールドに視線を戻す。
『私だって切り刻まれるのは嬉しくありません』
「……嬉しいなんて感情、知りもしないくせに」
『ここはエスメラルダの駅ですよ。国土としてはアナカルシスとはいえ、エスメラルダの勢力範囲です。たったひとりでこんな場所に現れるなんて無謀ですね。エスメラルダは狩人を捕らえても、アナカルシスに引き渡す必要はないんです。エスメラルダの法律で裁かれます。魔女を狩る明確な意志を示していた狩人は、例外なく死刑です』
「しょうがないじゃん? 命の恩人のたっての願いなんだからさあ」
『それは誰です?』
教えるはずがない。そう思いながらも、時間稼ぎのつもりで訊ねたら、あっさり答えが返ってきた。
「人魚の友だち。……昨日ね、俺、エルカテルミナに追いかけられて、どうしよっかなって考えてたら、彼女の箒が近づいてきて言ったんだ。とにかく海に飛びこめって。人魚には話しておくからってさ。それで飛び込んで、追っ手も撒けたし、人魚は本当に近づいてこなかったしで、助かったんだよねえ。命の恩人なんだ」
『人魚の……友だち……?』
グールドの話はなんだかよくわからなかったが、とにかく。箒、と言った。そして、人魚の友だち。それは――レイエルだと、いうことなのだろうか?
ヴィレスタは戦慄した。
――ミランダのすぐそばにいる人物が、ミランダを殺せと、狩人に頼んだ?
「もひとつ教えてあげよっか。俺ね、殺せって言われたの、ミランダひとりじゃないんだよねえ」
『……誰』
「さああ、誰でしょう」
唐突にナイフが投げられた。ヴィレスタの右足に、まともに深々と突き刺さった。アラームが脳に鳴り渡った。あまりの『痛み』に目がくらんだ、その瞬間にグールドが跳んだ。ヴィレスタは『痛み』を一瞬で振り払い、駆け出そうとして、ナイフが足を縫い止めていることに気づく。
グールドはその隙に、駆けつけてくる駅員や保護局員が周囲を包囲し終える寸前でその輪を突破して、野次馬を蹴散らして逃げていく。
「大丈夫か!」
「あれは――」
駅員たちが口々にあげる声を制した。
『とにかく〈アスタ〉に連絡してください。狩人が現れました。【炎の闇】、グールドです。【国境】の警備を増強するようにって、伝えてください、早く!』
そして考えた。とにかくグールドの方は、【国境】さえ通さなければ大丈夫なはずだ。
だから問題は、グールドにそれを命じたレイエルの方だ。それはいったい、誰なのだろう。
『ヴィヴィ――!』
メイの声がした。箒がまっしぐらにヴィレスタめがけて飛んでくる。ヴィレスタは叫んだ。
『メイ! ミランダを乗せて逃げないでどうするんです!?』
『ミランダはもうシグルドと一緒に【国境】の中に入ったよ! ――わあ、ひどいケガじゃない! 大丈夫なの!?』
メイはアルフィラのはずなのにと、ヴィレスタは考えた。ヴィレスタの負った傷を、ケガだと言ってくれるのだろうか。
ハンカチを出してナイフの柄に巻き、引き抜いた。周囲の人間みんなが痛そうに目をそらしたり顔をしかめたりして、ヴィレスタは思わず微笑みそうになった。人間の外見をしているというだけで、痛ましいという感情を抱いてもらえるなんて、役得というものだろう。でも、痛覚ががんがん響いていた。イーレンタールはどうしてこんなにちゃんとした神経を作ったのだろうと恨みたくなった。体液があまり流れ出ては円滑に動けなくなる、そう思った時、ヴィレスタはなんだかひどく寒いのに気づいた。手足の傷よりも、脇腹と腋の下の傷が深い。
――動けない。
『……って! ね! 早く!』
メイの声が割り込んだ。ヴィレスタは瞬きをした。よく聞こえなかった。
『ラスかイーレンタールに治してもらおう、ほら! しっかりして!』
――ミランダは、【国境】に入った。
今さらその情報が、すとんと身体の中に落ちてきた。
だから、ヴィレスタは、呻いた。
『メイ、私、なんだか……倒れそう、かも、です』
『当たり前だよバカっ! ほら、掴まれる!? ヴィヴィ、言っとくけどあんただって大事なんだよ! ホントに大事な子なんだよって、ミランダが泣いてるよ!? あんたがミランダ泣かしてどーすんの!?』
駅員の一人が上着を脱いで、ヴィレスタの体を包んだ。そでをぐるりと体に回して、メイの柄としっかり結び付けてくれた。ありがとうというと、駅員はヴィレスタの頭を一瞬なでた。
「……よく頑張ったな。偉かったよ」
『行くよ!』
メイが飛んだ。ヴィレスタは目を閉じた。グールドの声が思い出された。
――嬉しいなんて感情、知りもしないくせに。
知っていると、ヴィレスタは思う。本当に、よく知っている。
――そのようにプログラムされているだけかもしれないけれど……それでも。




