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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の別離
332/779

ヴィレスタはシンボクを深める

  午前九時五十五分  ミランダ


 ようやく、ようやく、〈アスタ〉が言った。


『グムヌス議員、お話し中に申し訳ありません。ナイジェル副校長から通信が入っています』

「おお、そうかね」グムヌスはちらりとミランダを見た。「それじゃあ、ここにつないでおくれ」


 ――なんということだ。


 ミランダがもはやめまいを感じたとき、〈アスタ〉がやんわりとたしなめた。


『グムヌス議員、元老院の大事なお仕事を、大勢の人がいるこの医局でなさるのはさすがに――ナイジェル副校長は、どう思われるでしょうか』

「う……む」


 正論に、グムヌスが呻く。〈アスタ〉が続けた。


『ナイジェル副校長はレイキアに出張中です。お忙しい合間を縫っての通信ですよ。お待たせしてはいけません』

「う……う……む。用件はなんだね?」

『至急ということ以外は何も。ねえグムヌス議員、ミランダは今日は休暇なんですよ。何度も申し上げたでしょう。元老院議員のあなたのお体を心配して、予定をずらしてあなたの治療に当たったんですよ? それなのにこのなさりようは、さすがにひどくはありませんか』

「そうですよ、グムヌス議員」ジェイディスが言い添えた。「魔女の休暇は魔力と気力を養うのに絶対必要なものなんです。次回いらしたときも、ミランダの笑顔に迎えてもらいたいでしょう?」


 そしてジェイディスは、グムヌスに耳を寄せて囁いた。

 かろうじて聞こえた。「――嫌われてもいいんですか?」


「……ううむ!」グムヌスは悔しそうに叫んだ。「だってミランダは今日はデートなのだろう!?」

「あら、そんなことミランダが言いました?」

「言わんでもわかる! 悔しいじゃないか! ミランダがこんなにめかし込んだところを私は初めて見たぞ! 悔しいじゃないか!」


 二回言った。よほど悔しいらしい。


「ねえグムヌスさん、ミランダだってもう十七歳です。黙って送り出して背中で泣くのが男というものじゃありませんか」


 グムヌスはミランダを泣き出しそうな顔で見た。


「……そうか……十七か……ついに知らない男に取られてしまうか……」


 大げさだ。


『グムヌス議員』

「グムヌス議員」


 〈アスタ〉とジェイディスに重ねて言われて、グムヌスはついに折れた。


「……わかった。じゃあ次回! ミランダ、いいか!?」

「は、はい!?」

「次回は私のためにおめかしして治療してくれるな!?」


 おいこらおっさん。

 とジェイディスが声に出さずに呟いたのが見える。ミランダはまじめに頷いた。


「そうします」

「……わかった、もう行くがいい! 遅くなるんじゃないぞ! 四時には帰るのだぞ!」

「はいはい、大丈夫ですよグムヌス議員。ミランダはいい子です。ね。健全なおつきあいに決まってます」

「くそー! 私は黙って笑って送り出すぞー!」

「はいはい行きましょう行きましょう。ナイジェル副校長をお待たせしてはいけません」


 ジェイディスがグムヌスをさあさあとせき立てて行く。その途中でちらりと目配せをしてきた。早く行け、という合図だ。ミランダは心底ホッとして、その辺を片付けようとして、医局の先輩方がわらわら寄ってきているのに気づいた。


「片付けなんかいいから、早く行きなさい」


 さっさと片付け始めながら、先輩たちが口々に言った。


「もう、ほんとに最後まで笑顔でつきあってくれてありがと、ミランダ。あんたって偉いわよねえ。あたしならとっくに真顔で蹴り出してたわ」

「ほらほら、早く早く」

「……ありがとうございます!」


 ミランダは嬉しくなった。医局の人たちは本当にみんないい人たちだ。

 表口の方ではまだグムヌスの声がするので、裏口に回った。時計を見ると、九時五十五分だ。もう今すぐ窓からメイで飛び出して駆けつけるしか間に合う方法はない。なのに着替えは絶対に必要だ。だって制服のまま【国境】を出るわけにはいかない。


 と、裏口で背の高い魔女と鉢合わせした。イェイラだ。

 イェイラも今日はシフトじゃないはずだと、ちらりと思った。

 イェイラの方も同様だったのだろう。彼女はミランダを見て、目を見張った。


「ミランダ。まだいたの?」

「そうなの」急に泣きたくなった。「グムヌス議員が今まで放してくださらなくて」

「まああ……」


 と、その時だ。

 表口の方で、誰かが言ったのだ。


「え、ミランダ? ミランダねえ、今……え、急ぎ? 急ぎなの、それなら……ちょっと待って……ねー! ミランダまだその辺にいる~?」


 ミランダは硬直した。また誰か来たのだろうか。

 と、表口の方をのぞき込んだイェイラが、ミランダを振り返ってぽんと背を押した。


「いいから行きなさいな。今日は休暇なのだから、これ以上邪魔される必要なんかないわよ」


 ミランダは少し驚いた。イェイラがこんなことを言ってくれるとは思わなかった。


「私が上手く言っておいてあげるから、見つからないように早く行きなさい」

「……ありがとう、イェイラ」


 心底感謝して、ミランダは裏口から滑り出た。

 表口の方で、マリアラの声が聞こえたような気がしたけれど、準備と遅刻にせき立てられて先を急いだ。



   午前十時  ヴィレスタ


 駅舎を出た。時計を見ると、十時ちょうどだ。ミランダは間に合わなかった。気の毒に、とヴィレスタは思う。だいたい魔女というのは人が好すぎるのではないだろうか。


「で、それは何?」


 ずっと気になって堪らなかったらしく、シグルドがヴィレスタの持つ紙袋を見ながらついに訊ねた。ヴィレスタは、ついに聞かれてしまった、と考えながら、とりあえずベンチを目指した。あいていたベンチに座って、紙袋を開く。


『お菓子です』

「そりゃ、わかってるけどさ」

『私は魔法道具なのです』

「……うん、こないだ聞いたけど」


 ヴィレスタは考えた。それを聞いても態度が変わらないというのは、もしかしてすごいことなのではないだろうか。


『ここへ来るまで全力疾走してきましたので、動力が足りなくなったのです。私は高性能なので、甘いものでも動力を補充できます。そこで、先日ミランダからもらったお小遣いをはたいて、駅の売店全ての甘いものを買い占めました。といっても売店は三つしかなくて、大人向けの商品が大半でしたので、甘いものはこれくらいしかなかったんです。おひとつどうぞ』


 チョコレートビスケットの最後の箱を開けて差し出すと、シグルドは手を挙げた。


「いや、貴重な動力をわけてもらうわけにはいかないよ」

『同じカマのメシを食べればシンボクが深まるそうですが』


 シグルドは驚いたようだった。


「同じ釜の飯!?」

『間違っていますか?』

「……いや、間違い、では、ない……のか……?」

『言葉は難しいですね。私は生まれたてなのでまだまだ勉強中なのです。同じカマのメシって言葉はフェルドに教えてもらいました。ああ、先日フェルドにも会いましたね?』

「ああ、うん。会った。右巻きって噂以上にすごいんだなって思った。マリアラの相棒なんだろ? 本当に心配してたみたいだけど、なんで出張医療に一緒に来なかったんだろう。あいつが一緒だったら、リファスの駅で撃退できたに違いないのに」


 ヴィレスタは顔をしかめた。


『フェルドは検査中なんです。今日も検査です。フェルドはとても気の毒です。私には検査という名目で【魔女ビル】の中に閉じこめられているようにしか思えないです。出張医療にはもちろんフェルドも一緒に行けたら良かったんだと思いますけど、フェルドはたぶん、どんな理由があろうと、アナカルシスに出ることは許されないんじゃないかという気がします』

「……ふうん?」


『ここ最近ずっとフェルドは医局の検査室に通っています。でも検査といってもフェルド自身は暇なんです。ただデータを取るだけなので。そこで本を読んだり、いろんな実践をしたりします。私も、ミランダが医局にいるときにはたいてい暇なので、フェルドのそばへ行っていろんなことを学んでいます。わからないことがあるときはフェルドが教えてくれるので助かります。そこで同じカマのメシを食べてシンボクを深めたのです』


「……なんか微妙にずれてるような、そうでもないような」


『でも検査の人たちは……これは魔女ではなくて、保護局員とか医師とかなんですけど。私に悪影響があるのではないかとユウリョしていると〈アスタ〉が言っていました。検査の人たちが言うには、フェルドの読んでいる本はロクデモナイのだそうです。警備隊長の伝説とか、盗みを働く人やスリや詐欺を撃退する方法について学んでいるようなのですが、どうしてそれがロクデモナイのか、私にはどうもよくわかりません。ユウリョってなんですか?』


「……」シグルドは額に手を当てた。「すごく心配すること、かな」


『どうして言葉ってこんなにいっぱいあるのでしょうね。それなら〈アスタ〉も、私に悪影響があるのではないかとすごく心配している、と、言えばいいのに』

「いやそれが、若干ニュアンスが違うんだよ。なんというか……」


 シグルドは頭を抱えた。


「……なんて言えばいいんだ?」

『あ、すみません。困らせるつもりはないんです。帰ったら〈アスタ〉に聞いてみます。ただ私はあなたに、ミランダの周囲の人たちについて、知っておいて欲しいと思っただけなのです』

「そっか」

『退屈ではないですか?』


 シグルドはわずかに目を細めた。笑ったらしい。「まさか」


『良かった。では続けます。ミランダには同い年の親しい魔女がひとりもいないのです。医局の人たちはみんな年上だし。でも最近ね、マリアラが仮魔女期を終えて【魔女ビル】に住むようになったので、ミランダはやっと親しい友人ができたのです。でも同い年ではないんですけどね。一年と少し、ミランダが年上です』


「そうなのか」


『そうなのです。マリアラは誰とでもすぐに仲良くなれる才能を持っているとミランダが言いました。マリアラの同室でラセミスタというリズエルがいるのです。リズエルってご存じですか? 魔法道具は誰でも作っていいものですが、国の公的な仕事のために使用される魔法道具を作るには資格がいるのです。その資格を持つ人のことを魔法道具制作員、と言います。その中でも特に、魔女並みの特権を与えられた人たちのことを、リズエルと呼ぶのです。第四の魔女、という人もいます。リズエルは主に新しい技術の開発を行います。私のような特別なアルフィラを作ったりするわけです。ラセミスタはマリアラと同い年ですが、天才少女と呼ばれて有名なのだそうです。でも普通の女の子です。甘いものが大好きで』


 ヴィレスタはにっこり笑った。


『私の制作者のひとりなのです。彼女はずいぶん長いこと【魔女ビル】にいるのに、ミランダがラセミスタと仲良くなれたのは、本当につい最近。マリアラが来てからなのだそうです。マリアラのお陰で、ミランダには一気にふたりも友達ができたんです。マリアラと、ラセミスタと。ラセミスタはフェルドの妹みたいなものです。それからダニエルという――』


 話し続けながら、ヴィレスタはふと、右手の方に赤いものが閃いたのを見た。


 見ると駅舎の向こうから、赤い髪の男がやってくるところだった。両手をポケットに突っ込んで、なんだかふわふわした足取りでゆっくりこちらに歩いてくる。頬に赤い擦り傷があるのが異様だった。エスメラルダで、あんな目立つ傷を治療してもらわずに放置している人間など存在しない。

 ヴィレスタは戦慄を感じた。出張医療に行ってから、〈アスタ〉のデータバンクに載っている狩人全ての名前と職名と外見と身体特徴を覚え込んでいたからだ。


 ――【炎の闇】、グールドだ。


 シグルドが呻いた。


「……なんであいつがここに」


 シグルドも同じ人物を見ていた。それはヴィレスタも考えた。つい先日、出張医療からマリアラが帰るときに鉄道に乗って襲ってきた――グールドが乗ってきたのはエスメラルダ方面からだった。

 ヴィレスタはシグルドを見上げた。嫌な考えが頭に浮かんだ。一週間前のあの時、グールドはなせ、エスメラルダ方面にいたのだろう。そして今もいる。よりによってこんな場所に。


 ――ここにもうすぐ、ミランダが来てしまうのに。

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