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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
番外編 治療院の魔女
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番外編 治療院の魔女(1)

「申し訳ない」


 やってきてすぐ頭を下げられマリアラは慌てた。目の前で金色のつむじが渦巻いている。


「早いところ空けさせようとはしてるんだが……なにぶん荷物が多くて。本当に申し訳ない」


 仮魔女寮の待合室はいつも閑散としている。仮魔女はみんな忙しく、同じ寮の友人とおしゃべりしたり、のんびり本を読んだりする時間はほとんどないから当然だ。

 だから余計に、管理人室にいるマージの怪訝そうな気配が伝わってきていたたまれない。


「あの、わたしは大丈夫だから。そんなに気にしないで?」

「本当に悪い……なかなか手こずっててなあ。お前のことだからもちろん、午前中の内に荷造りしちまったよな。申し訳ないよ」


 ダニエルは顔を上げ、ため息をこぼしながら頭をかいた。疲れているらしい。普段は金髪碧眼の鬼瓦、と評されてしまうダニエルの風貌は、今は眉毛が下がっていて迫力が少し弱い。




 マリアラは魔女になった。だから【魔女ビル】に住む権利がある。

 本来なら四日前には引っ越しを完了しているべきだったが、部屋の準備ができていない、といわれて延期になった。【魔女ビル】では十代の若者はみな二人部屋を割り当てられるのが慣例だが、ちょうどいい空き部屋がなかったそうだ。


 それでも三日前にようやく部屋が決まり、今日、引っ越しの予定――だったのだが。


 朝早く起きて、荷造りを済ませて、待ち構えていたところへこの知らせだ。マリアラは正直、ガッカリした。仮魔女寮には仲間がいないし、そもそももう仮魔女ではないし、宙ぶらりんな立場だ。昨日会いに行ったリンにも、明日引っ越しだから落ち着いたら遊びに来てね、と話したところだったのに。


 でもダニエルにこうしょぼくれた顔をされては、だだをこねるわけにもいかない。マリアラは内心の落胆を外に出さないよう微笑んだ。


「そんなに荷物が多い子なの?」

 ダニエルは口をへの字に曲げた。「まあな……」

「大変だね。わたし、手伝いに行こうか? ルームメイトにも挨拶したいし……」

「いや、いい。大丈夫だ」ダニエルは慌てたように手を振った。「荷造りしたのをまたほどかなきゃいけないんだから、その上人の片付けまで手伝うことはないよ。俺が責任もってせっ――手伝うから。明日からまた研修なんだし、今日は休暇だと思ってゆっくりしろ。な?」


 それじゃあ俺は片づけの監督に行くから、と、ダニエルは慌ただしく帰って行った。マリアラはため息を付いた。まただ、と思う。

 どうしてだろう。ダニエルは頑なに、新しいルームメイトを紹介してくれない。ちょっと前から何か変だと思っていたが、そのかすかな懸念は今日、疑惑に変わった。


 ――俺が責任もってせっ……手伝うから。

 せっ、って、何だ。

 ――俺が責任もって説得するから。

 そう言いかけたのではないだろうか。


 そもそも仮魔女期は一年と決まっている。いつ部屋が必要になるかは一年前から決まっているのだ。〈アスタ〉の能力で、一年も準備期間があるのに、たった一人分の空き部屋を調整できないなんてことがあるだろうか。

 もしかして、と思わずにはいられない。


 ――ルームメイトに歓迎されてない、なんて、ことが……


「前途多難な気がする……」


 もうひとつため息を付いた。リンに会いたい、と思う。


 昨日訪ねたリンの住む少女寮はとても居心地が良かった。ダリアという新しい友人も出来、寮母さんにも温かく迎えてもらえ、みんなで囲んだお茶はとても美味しかった。


 たったの三十分しか時間を確保できなかったのは、今日が引っ越しの予定だったからなのに。こうなるってわかっていたら、リンとの約束を今日にしてもらったのに。そうしたら、午後いっぱいでも、楽しい時間を過ごせたのに。


 気が重い。マリアラはとぼとぼとマージのところへ行った。管理人室にいつもいるマージは、いわば仮魔女の寮母に当たる存在で、仮魔女寮に住む人間全ての癒やしだ。


「マージさん……引っ越しが延びました……」

「聞いたわよ。今〈アスタ〉から連絡があったわ」


 マージは憤懣やるかたない、といった様子だった。


「マリアラ、怒っていいのよ。本当にもう、冗談じゃないってのよ! 朝から荷造りしたんでしょ、全部やり直しじゃないの!」

「ええまあ……でもあの、いいんでしょうか、わたしもう仮魔女じゃないのに、ここにいて……」


 マージは目を見開いた。


「――いいに決まってるじゃない! 大丈夫よ、こっちは空き部屋いっぱいあるんだから、そこは心配しないでいいわ」


 そう言われてマリアラはホッとした。ここまで追い出されたら泣いてしまう。


「それにしたって酷い話だわよ、本当にもー」

「でも、しょうがないですよ、ね……」

「しょうがなくないわよ! 怒りなさいちゃんと!」


 マージがぷんぷん怒ってくれて、マリアラは少し気分が浮上するのを感じた。へへへ、と笑って見せる。


「でも仮魔女寮のご飯、美味しいですし。マージさんとももう少し一緒にいられるから嬉しいかな」

「あらあら! いいこと言ってくれるじゃないの! 【魔女ビル】に移ってからも、いつでも遊びに来ていいのよ!」

「はい」


 それじゃあ荷解きに行きます、と頭を下げると、マージに止められた。優しいマージの暖かな手がマリアラの手をぎゅっと掴んだ。


「荷解きなんていつでもいいわよ、どうせまたすぐ荷造りすることになるんだから。それよりせっかくのお休みよ、久しぶりじゃない? 街に出て、洋服とか買ってきたらどう?」

「あ」


 そうか、と思った。そうだった。

 一般学生だった頃は、よく買い物に出かけた。一ヶ月分の生活費をやりくりして、服や本や、細々としたものを買うのが楽しみだった。あの時は高すぎて手が出せなかった雑貨や、歴史学の専門書や、ずっと指をくわえて見ていた上質の靴なども、今の財力なら買える。


 仮魔女の報酬は魔女ほど高額ではないが、一般学生に支給される生活費よりはかなり高い。おまけに多忙すぎて使う暇がなかったから、かなりの額が貯まっている。

 マージはマリアラの表情を見て笑顔になった。うんうん、と頷いている。


「こないだの大吹雪みたいなこともあるし、そろそろ寒くなるでしょ。せっかく魔女になったんだから、お祝いに素敵なコートくらい買ったら? 昨日の友達と今度、街で遊んだりもするんでしょ? その時に制服ってわけにはいかないものね」

「ありがとう。そうします」


 さっきの落胆が嘘のように、気分が浮き立っていた。そう、そうなのだ、今日は休日なのだから、自分の好きなように時間を使ったって誰にも責められない。一年ぶりに、本屋さんに行こう。それから冬用の外出着を買おう。ブーツと、コートと、新しいブラウスとスカートなんかも買ってもいいはずだ。普段着を最後に自分で吟味して買ったのは、実に一年前になる。我ながら、なんて潤いのない一年を過ごしていたことだろう。


 マリアラはマージに手を振って、急いで着替えに行った。一年前の普段着を取り出して、サイズが合わなくなっていることに驚いた。この一年で少し背が伸びていたらしい。これは手持ちの服を全て取り替えるくらいの贅沢を、自分に許すべき事態かも知れない。

 大歓迎だ。



   *



 仮魔女寮は【魔女ビル】のすぐ隣、ラルク地区の中心地にある。寮の目の前から延びている一番街はマヌエル向けのお店が多く、高級なお店がずらりと並ぶ、エスメラルダ有数の繁華街のひとつだ。


 この辺りで自分に見合った服を買うのは難しそうだと思っていたが、動道まで行く途中で、以前好きだったお店の支店を見つけて更に嬉しくなった。なんて幸先がいいんだろう。


 そのお店でマリアラは、必要だと思われる服の大部分を買い揃えることができた。店員に頼んで試着室で買ったばかりのものに着替えさせてもらうとホッとした。サイズのあったきちんとした服を着ている、という事実が与えてくれる自信は、驚く程強かった。荷物は全て店員に小さく縮めてもらい、マリアラは生まれ変わったような気持ちで再び街に出た。空はまだまだ明るい。まずは本屋さんだ、と思うと足が勝手に飛び跳ねるようだ。本を選んだらどこかのお店に入って、遅めのお昼ご飯を食べながらのんびり読もう。

 幸せだ。


 リンと、今度はあのパン屋さんに一緒に行く約束をしている。その当日になって服で慌てる羽目にならなくて本当に助かった。マージに感謝して、そうだチョコレートも買おう、と思いついた。引っ越す時にマージに渡そう。きっと喜んでくれるだろう。


 うろうろうきうき歩いていると、ポケットの中で無線機が鳴った。

 〈アスタ〉だ。


「はい、マリアラです」


 少々身構えながら出たが、向こうから聞こえてきた〈アスタ〉の声は穏やかで、どうやら仕事の呼び出しではないらしいことにホッとする。


『マリアラ――今ちょっといいかしら? 今日は引っ越しが延期になって、本当にごめんなさいね』


 〈アスタ〉にまで丁重に謝られ、マリアラは微笑んだ。


「ううん、いいよ。今ね、久しぶりに買い物してたの。お休みになってちょうど良かったくらいだよ」

『あら、そう? それは良かったわ。そう、じゃあ――どうしようかしら』

「え、なあに?」


 やっぱり仕事だろうか。製薬所の人手が足りないとか。

 また覚悟しかけたが、〈アスタ〉は全く別のことを言った。


『お友達から連絡があってね。今日の午後、良かったら会えないかって。今日は急にお休みにさせちゃったし、暇を持てあましているなら、お友達と会えた方が気が晴れるかしら、と思ったんだけど』

「友達って、リン?」

『いいえ。セイラ=グレーンという子よ、あなたがいた、ウルク地区女子寮三十三番にいた……』


 セイラ?

 胸がずきんとした。


 同じ寮で、同じ専攻で、いつも行動を共にしていた友達が、マリアラには三人いた。セイラはその内の一人だ。


 一年前に訣別したばかりだった。孵化したマリアラを仲間だと受け入れてくれることがなかった、あの時の絶望と。つい先日再会したときに冷たい仕打ちを受けた時の哀しみとが、押し寄せてくる。


 今さらなんの用だろう。昨日も挨拶を返すそぶりすらなかったのに。


「セイラ、……ひとりだけ?」

『ええ、そのようね。とても仲が良かったって言ってるけど……断りましょうか? 気が乗らないのなら』

「え、ううん」


 マリアラは覚悟を決めた。

 リンとのことがマリアラに勇気を与えてくれる。仮魔女試験で再会したリンは、ずっと気にしていたと言ってくれた。また会えて嬉しい、と。ダリアのように、魔女であっても差別しないで仲良くしてくれる人もいた。それにセイラはかつて、確かにマリアラの友人だった。おとなしくて穏やかで、他の二人に引っ張られることの多かったセイラとマリアラは、あのグループの中でも特に気が合っていた。


 無視したのも、こないだ話しかけてくれなかったのも、他の二人に引っ張られて、だったのだとしたら? 心の中では、リンのように、マリアラを気にかけていてくれたのだとしたら?


「会えるなら嬉しいよ。会いたい」

『そう? 今日は授業が四限までなんですって。三時には行けるって言ってるわ――【魔女ビル】と【学校ビル】のちょうど中間点辺りにある、コオミ屋というお店に来て欲しいそうよ。場所はね、ミフの地図データに載っているはず』

『あー、わかるわかる』


 首元でミフがのんびりした口調で言い、マリアラは少しホッとした。

 待ち合わせは三時。つまり、本を選んでゆっくりお昼ご飯を食べて、勇気を貯めるくらいの余裕はある。


 了解して、通信を終えた。

 とても仲が良かった、と、セイラは言ったのだという。それは本当のことだ。孵化するまで、いつも一緒にいた。


 【魔女ビル】の管理人、マージは、マリアラとリンが、孵化以前と変わらない友情を続けられるようになったことを、心から喜んでくれた。

 今日もきっと、マージに喜んでもらえる報告ができるはずだ。


 散策を再開しながら、マリアラはまた、少し気分が浮上してくるのを感じた。

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