間話 非論理的な願望
出張医療の直後、マリアラがまだ入院していた頃。
あの一週間は、ヴィレスタにとって宝物のような日々だった。
あんまり毎日が楽しくて、マリアラが退院する日が決まった時には少し残念な気持ちになったほどだ。夕食の時間が特に楽しみだった。ミランダは万障繰り合わせて夕食の時間を確保し病室に通った。検査を終えたフェルドも来ることが多かったし、【国境】や魔法道具整備課での仕事を終えたラセミスタも毎日来たし、非番や待機の時にはダニエルとララまでやって来た。
毎日、テーブルと椅子を増やしてみんなのスペースを確保して、それぞれの晩ご飯を並べて食べた。ヴィレスタは、その一週間で食べたメニューを全て記憶している。和やかな雰囲気。楽しいおしゃべり。ラセミスタは初めのうちこそぎこちなかったものの、マリアラのいる場所で毎日ミランダと顔を合わせる内に、少しずつ打ち解けた。退院の前日にはにっこり笑って挨拶をするほどの間柄になっていた。ヴィレスタの鋭い感覚器官には、挨拶する寸前にラセミスタが息を吸い直すのが捉えられていたけれど、ちゃんと気づかないふりをした。ラセミスタはヴィレスタにとって、まさに産みの親で育ての親だ。『親』が『相棒』と仲良くなってくれるのは、本当に嬉しいことだ。
マリアラとミランダは食べ物の好みが似ていて、パスタやサンドイッチ、キッシュやパイなどのメニューを頼むことが多かった。ラセミスタはいつも本日のサラダとスープ、そしてデザートを山盛り。フェルドは肉料理を好み、白いご飯と肉のおかずを二人前ずつ。ララは偏食らしく気に入ったものしか食べない。ダニエルは大食漢で何でも食べ、ララの食べられなかった分まで片付けた。
お陰でヴィレスタは十人十色という言葉の意味を知った。
自分の記憶できる容量は、どれくらいなのだろう。最近それが心配だった。
あの楽しい夕食については、食べたメニューまで記憶しておきたい。何ひとつ、忘れたくない。まだ生まれたてだからあまり切迫しては感じていないが、その内、記憶を取捨選択しなければならない日が来るかもしれないと思うとそれが怖い。全てを記憶して忘れずにいるためには、ヴィレスタの頭はあまりに小さい。なのに、語彙や【魔女ビル】関係者のデータ、犯罪記録や裁判の判例、レイエルの仕事について、医師や看護師の携わる様々な業務――覚えなければならないことは山ほどある。その内頭の容量がなくなったら、さすがにメニューの詳細などの細かい記憶については消去しなければならなくなるかもしれない。
しかし。
例えば、マリアラが入院して三日目。マリアラはもうかなり元気だった。
あの日の特別メニューはサラダボウルだった。ミランダとマリアラは二種類のサラダボウルを選びかね、一種類ずつ頼んでシェアすることで話を決めた。マリアラの方はツナとざく切りトマトをオリーブオイルであえたものがたっぷりかかったキュウリとレタスのサラダボウルで、ミランダの方はレタスと蒸し鶏のサラダにたくさんの果物をのせて酸っぱいクィナソースをかけたもの。届いたサラダボウルは意外に大きくて、ダニエルは『まるでウサギだな』と笑い、ララは味見をしたがり果物のサラダボウルからサクランボとラズベリーだけをつまんで食べた。ラセミスタは果物と生クリームがぎっしり詰まったクレープにはちみつを垂らし、甘いものが苦手なフェルドはラセミスタの方を見ないように斜めに座り直したりした。ヴィレスタの食べたクリームチーズのオープンサンドと黄金色のカステラの味。
こんな幸せな食事の光景、捨てられるとは思えない。
他のどんな情報と引き替えにしたって、喪いたくない。
この小さな頭の中にちんまりと納まっている記憶媒体の容量を圧迫せずに、何とか記憶を保管しておく方法はないものだろうか。身体に直接刻んでしまうことはできないのだろうか。狩人との対決でもし記憶媒体が壊れたら、この記憶は永遠に喪われてしまう。そうなる前に、どこかに隠しておけないものだろうか。
ヴィレスタは最近ずっとそんな願望を抱き、その願望があまりに非論理的なことに、戸惑いを覚えている。




