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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の奮闘
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南大島:森の中(2)

「あんた、誰だ!」


 ラルフが叫んだ。キラキラ光る藍色の瞳でイェイラを睨み据えていたが、イェイラはラルフには一瞥もくれなかった。人魚のような完璧な美貌がマリアラを見て微笑む。どうしてだろうとマリアラは思う。どうしてだろう、どうしてだろう――


 混乱しながらラルフに囁いた。


「光の範囲から出ないで。わたしの後ろにいて」

「どうして今日という日によりによってここにいるの? まあお膳立てをする必要がなくなって好都合、というところだけれど」


 イェイラは朗らかと言えそうな声音で訊ねた。マリアラは震えそうになる足を踏み締めて、イェイラを睨んだ。


 ――今日という日に、よりによってここに。


 それは、【壁】の向こうから狩人が招き入れられる日に、よりによってその場所にいるのはなぜか、という意味だろうか。


 イェイラは、狩人が入り込む時間と場所を、知っていたということだろうか。ザールが狩人と通じたことを。【壁】の隙間から招き入れて本土に連れて行きたまご狩りをさせようとしていたことも?


「イェイラ……なぜ、いったいどうして? あなたは魔女なのに! 左巻きのレイエルなのに……!」

「仕方がないでしょ。私は、ザールの“所有物”だったのだから」

「所有、」

「十年前。ライラニーナに裏切られ見捨てられた私は、自分の命と地位を守るためにザールの恋人になった。……そうしなければ殺されるところだった。今もそう。今も同じ。私はザールの“所有物”。だから生存を許されている。そんな境遇にある私が、たまご狩りをやめさせるなんてできるわけないわ」


 穏やかに微笑むイェイラはまるで、玉座の間で謁見する女王のようだった。

 本当に綺麗な人だ、とマリアラは思った。外見が整っているというだけでは説明がつかないほどの存在感だ。そこにいるだけで辺りを満たし、潤すような雰囲気は、いったいどこから生まれるのだろう。


「……フェルディナントは本当にすごいわ。さすがはエルカテルミナ」


 イェイラがフェルドの名を口にした瞬間、マリアラは身震いした。


「本当によくやってくれたわ。よかった。助かった。彼は本当に頼りになるわ――私の憂いを晴らしてくれた。見込んだ、とおりだった」


 イェイラがなにを言っているのか、よく分からなかった。イェイラは当然ながらそれ以上説明してくれようとはしなかった。周囲の水の壁が不穏な空気をはらんで、イェイラは、ラルフを見て嗤った。


「やめておいた方がいいわよ、坊や。人間の身体の七十パーセントは水で出来てるの。知らない?」


 ラルフが引きつった声を漏らし、マリアラはラルフを振り返った。ラルフが呼吸を止め胸元に両手を当てた。見る見る顔色が青ざめていく。


 ――ラルフの体内を流れる水がその動きを止めようとしている。


 マリアラはとっさにラルフを両手で抱き締めた。


「やめて!」


 とたんにラルフの体の緊張が取れて、くずおれた。目を見開いて、荒い息を繰り返している。イェイラが笑った。ふふ、と声を上げて、楽しげに。


「いいわよ。やめてあげるわ。ルクルスの子どもが死のうと死ぬまいと、どうでもいいことだもの。――あなたさえフェルディナントのそばから排除することが出来ればね、マリアラ=ラクエル・マヌエル」


 その声に潜む紛れも無い敵意に背筋が凍った。


 ――どうしてわざわざ、ザールは彼女を殺しに来たんでしょうね。

 ――ザールはイェイラの彼氏なの。


 さっきザールがマリアラを殺そうとしたのも、イェイラがマリアラを、憎んでいるからなのだろうか。


「どうして……?」

「足枷だからよ」イェイラは、ゆっくりと言った。「フェルディナントは新たに生まれた、右のエルカテルミナなの。あなたはその、足枷」

「エルカ、テル、ミナ」


 聞き馴れない、しかし、確かにどこかで聞いたことのある単語だった。

 どこで聞いたのだったっけ。最近、どこかで聞いた。

 誰かが、誰かを、そう呼んだ。恭しく――畏れるように。


 イェイラは話し出す。こちらの理解などちっとも構わずに。まるで女神の託宣を告げる巫女のように。


「かつてはエルカテルミナはひとりしかいなかった。けれど研究が進むにつれてね、どうも、ふたりでひとセットなのじゃないかとわかってきたのよ。そう、相棒同士の魔女のようにね。始まりはいつも右だから。初代のエルカテルミナも右巻きだった。ライラニーナも右巻き。そしてフェルディナントも――。エルカテルミナの責務というのはね、世界の澱を癒すということなの。それはつまり、【鍵】に連れられて中枢へ行き、毒の発生源となっている何かを浄化することだろうと考えられている。そしてどう考えても、その任には水の左巻きが最適でしょう。でも生まれるのはいつも右――世界の謎を解こうと世界一周までしたかの人は、永の調査と思考の果てに、結論づけたのよ。条件が満ちるとき、左のエルカテルミナも生まれるだろうって。エルカテルミナはひとりではなく、ふたり必要なのだって。――かの人は正しかったわ。条件が満ちてから、右に続いて左も生まれるようになったの。そしてね、あなたの相棒は、そのエルカテルミナのうちの右の片割れなのよ」


 イェイラは歌うように言葉を継いだ。


「カルロスは世界の澱を癒されたくないのよ。だから媛の遺した手がかり全てを封印して、歴史を引き伸ばし、伝承をねじ曲げ、キィワードをすり替え、エルカテルミナを閉じ込めて、どこへも行けないようにしている。あなたはエルカテルミナをカルロスの手元に留めておくためだけに、カルロスによってあてがわれた単なる足枷。あなたみたいな魔力の弱い出来損ないが、なぜ前代未聞のフェルディナントと相棒になったと思って? あなたさえいなければ、フェルディナントは自由になれる。ここを出て、自由に、女王の呼び声に応えて、好きなところに歩いていけるわ」


 イェイラの冷たい言葉が、体中に突き刺さる気がする。


 ――あんたみたいな子がフェルディナント=ラクエル・マヌエルの相棒なのよ。全然釣り合わないし、足手まといだし。

 ――それだけの価値が自分にあると、よくも思い込めるものね。


 今までにも何度も思ってきた。何度も何度も。どうしてフェルドに比べてわたしはこんなに弱いのだろう。どうしてこんなにすぐに疲れてしまうの。二度目の孵化を迎えるほどのフェルド、その相棒は、どしてこんなに。


 イェイラが何を言っているのか、本当に理解したとは言い難い。――けれど。

 全てが腑に落ちてしまいそうなのは。言葉がこんなに重いのは。

 今までにも薄々、考えていたことだからなのだろうか。


 ぱっと毒の匂いが散った。ラルフが〈銃〉を撃ったのだ。イェイラの体のすぐわきをかすめるように。

 ラルフは続けざまに撃ち続け、水の壁の中に〈毒〉の香が充満する。マリアラ、とラルフが囁いた。


「普通の魔女って〈毒〉の匂いでも倒れるって聞いた。マリアラは、平気、だよね……?」


 出張医療の時、ミランダが毒を含んだ風だけで倒れたことを思い出した。不思議な気がした。狩人の銃に、助けられる時がくるなんて。

 けれどイェイラは倒れなかった。顔をしかめて、苦笑した。


「……無駄なことはやめなさい。私はその子と同じ、ラクエルだもの。そもそも、さっき〈銃〉を撃ったのは私よ。香りくらいなんでもないわ」

「え……!?」


 すうっと風が吹いて、毒の匂いを吹き散らした。匂いが弱まり、せいせいしたというようにイェイラはため息をついた。


「……ふう。まあ、これだけ周囲に充満すると臭くてたまらないけれどね。撃たれたらそりゃあただじゃ済まないけれど、これだけ水が回りにある状態で、私に当たるとは思わないでしょう? ……あら」


 イェイラはマリアラを見て、意外そうな顔をした。


「どうして驚くの? 私も二度目の孵化を迎えたというだけの話じゃない。……他にも二度目の孵化をした魔女がいるって、知っているんじゃなかったの? ライラニーナから、あなたに打ち明けたと、こないだ聞いたわ。フェルディナントの二度目の孵化に動揺していたあなたを宥めるために、仕方がなかったって」


 ライラニーナ。ララの、【魔女ビル】の登録上の名前。

 以前確かにララは言った。マリアラを落ち着かせるための方便だったと、思い込んでいたけれど。


 ――あたしだって二度孵化したわよ? でもほら、ぴんぴんしてるでしょ。


「ライラニーナは一度目が光で、二度目が風だった。私は一度目が水で、二度目が光だった。聞いたんじゃないの? 二度目の孵化くらい、珍しい話じゃないって」


 イェイラは微笑んだ。


「ライラニーナがそうだとわかったのはもう十二年も前の話よ。紆余曲折を経て、彼女も足枷をはめられた。フェルディナントと違うところは、彼女は全てを知りながら虜囚の境遇に自ら身を置いてる、というところ。……あの子は世界なんかどうでもいいと言った。この世に生きる全ての存在にとって必要な責務よりも、たったひとりの男の方を選んだ。説得の余地さえなかったわ。……だからね、私も諦めたふりをしていたの。ライラニーナと同じようにおとなしく飼われたふりをしてきた。カルロスは私にも、ザールという枷をはめたと思っている。私がエルカテルミナの責務を諦めたと思いこんでいる。でも違うの。私は――次代の『右』が生まれるのを、ただ待っていただけよ」


 イェイラはわずかに首を傾げた。瞳がさらに、冷たさを増した。


「さあ、返して頂戴。世界が彼を選んだ。右と左のエルカテルミナが揃ってる。ねえ、猶予はあまりないのよ。【夜】に向けて【穴】が開き始めた。こないだ、あの惨状を見たばかりじゃないの。箱庭のほころびはもう抜き差しならないところまで来てるの。なのに私は【鍵】の居場所さえまだ知らない。急いでエスティエルティナを見つけに行かなければならないの。こんなところで、あなたにかまけている暇はないのよ」


 水の壁が少し、狭まったようだ。

 マリアラは立ち尽くしていた。衝撃を受けすぎて全身が麻痺してしまったようだ。足枷、出来損ない、あなたがいる限り自由になれない、という言葉がぐるぐると頭を回っていた。ひどい話だ――本当に本当に、ひどい話だ。


 目の前で水の壁からいくつかの水柱が伸びた。まっすぐに細く長く飛び出したそれは、ぴきぴきと凍り付いていく。


「溺れ死ぬよりは楽だと思うわ」


 呟きが聞こえ、マリアラは囁いた。


「こんなことして……ただで済むと思ってるの?」


 イェイラはくすくす笑った。


「当たり前じゃない? 何のために保護局員で地位のある、愚かな男を『恋人』にしていると思ってるの?」

「あなたは平気なの……!? こんなことして! 本当に平気なの、ハイデンさんたちをあんな風にケガさせて、ミフを凍り付かせて、こんな小さな子供まで巻き込むなんて! あなたはそれでも魔女なの!?」


「胸は痛むわよ」イェイラは平然と言った。「けれど十年もの長い間、箱庭のほころびを感じ続けてきたの。私にはエルカテルミナの力がある。すぐそばに片割れもいる。ライラニーナさえ同意してくれていたら、いつでも、すぐにでも、カルロスの手など振りほどいて飛び出して行けていたわ、それが――それなのに、手をこまねいていたのよ。大勢の人が【穴】に落ちて命を失うのを見続けて来た。あんな日々はもう、二度とごめんなの」

「でも……!」

「目の前の人が数人死ぬ。それは確かに胸の痛む悲劇だけれど、私はそれにかかずらっている暇がない。数人の命と引き替えにこの世全てが平らかになるなら、そちらの方がずっと重要だわ。今度の機会だけは絶対逃さない。誰が傷つこうと、誰を、あなたを、殺そうと――チャンスは一度あげたのよ、マリアラ=ラクエル・マヌエル? 相棒の二度目の孵化に恐れをなしてダスティンに乗り換えていれば、許してあげたのに……ふふ、いいわよ、わからなくて。女神に選ばれた者の気持ちなんか、あなたには永遠にわからないわ!」


 唐突に氷の槍が放たれた。ラルフがマリアラの前に棍棒を構えて飛び出した。でも槍は止まらない。止まらなかった。イェイラは眉一つ動かさなかった。ラルフごと串刺しにする気だ。目の前が真っ白になった。風がわいた。その風に背を押されるように、ラルフの小さな身体に後ろから抱きついて、抱え込んだ。


「だめ、やめて、やめてやめてやめてお願い――!」

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