南大島:警備隊第一詰所(12)
*
マリアラの背後で、ウェインが立ち上がる音がした。
物思いに沈んでいたモーガンは、ハイデンを見上げた。
「なにかあったかね?」
「――仲間の用意ができた」
ウェインの声は年の割にしわがれていた。
「嵐は過ぎ去り雨はほとんど止みかけている。仲間が船を用意したから、とりあえずこの島を出た方がいい。諸島のひとつに移動して【風の骨】を待とう」
「わかった」
モーガンは素直に同意し立ち上がった。一瞬よろめいたがすぐに足を踏み締めて、マリアラに微笑んだ。
「魔女の治療とは相変わらずすごいものだね。治してくれてありがとう。済まないが今日はこれで。君の相棒のもっている僕のリストについては、また日を改めて、なんとか連絡するよ」
「はい。フェルドが……あの、相棒も、先生のお話を聞きたがっているんです」
「そうかね。大歓迎だとも。……フェルド、というのかね?」
「はい」マリアラは微笑んだ。「正式には、フェルディナント、というそうですよ、先生」
「これはこれは! ますます頼もしい。かの有名な……」モーガンはくすくす笑った。「冒険と自由の象徴のようなその名に恥じぬ、頼りがいのある人物のようだね。会うのが楽しみだ」
ウェインはハイデンと何やら言葉を交わして、モーガンと一緒に扉を出た。雨は小やみになっていた。もうすぐ上がるだろう。
先程マリアラが治療したルクルスたちがモーガンを取り囲んだ。モーガンはマリアラに手を振り、ルクルスたちもマリアラに目礼した。そのままきびすを返して、森の中へ戻って行く。
ハイデンと一緒にもうふたり、若い人たちが残った。ひとりは黙ったまま周囲を見回りに行きすぐに姿が見えなくなった。もうひとりはマリアラにほほえみかけ、そのまま戸口に座り込む。
マリアラはハイデンを見上げた。
そう言えば、さっきフェルドに、“相棒の傍には我々がついている”と言ってくれていた。モーガンを送っていく人手を割いて、不要かも知れない護衛のために残ってくれたということだ。とてもありがたいが、居心地が悪い。
ハイデンはとても厳しい顔立ちをしている。不用意に声をかけたら叱られそうな気がする。マギスやシェロムのにこやかさとは対照的だ。つい、今ウェインと交替したばかりの若いルクルスのところへ吸い寄せられるように近づいた。こちらの方が怖くない。
彼はマリアラを見て、にっこり笑った。シグルドより少し年上のようだ。ホッとする。
「箒は?」
ハイデンが立ったまま訊ね、マリアラは目を閉じてミフと視界を共有した。すぐに自室とラセミスタの丸い頭が見える。
『もうすぐ戻るよぅ~』
部屋の中をふわんふわんと飛びながらミフが言ってよこした。
『ラスがねぇ~晩ごはん、フェルドの分とマリアラの分、注文してとっといてくれるって~。お腹すいたでしょ?』
(あ、あ、あのね。わたし晩ご飯のおかず、ショッピングモールで買ってきたのって伝えて)
『あっ、そっか、そーだったね。じゃあそれ、話しておくね~』
ミフがラセミスタに話すのを聞きながら、マリアラは覚悟を決めた。
これでますますフェルドを誘わなければならなくなった。勇気がないとか気後れするとか、ぐずぐず泣き言を言っている場合ではない。フェルドの晩ご飯がかかっている。
マリアラは目を開いた。
「……まだ【魔女ビル】にいます。もうすぐ戻るそうですけど」
「早く戻るといいな。いざというときに逃げられないのは危険だから」
「箒って」と若いルクルスが言った。「離れていても話せるんだ? すごいもんだね」
「ネイロン。無駄口はよせ」
「すみません」
ネイロンと呼ばれたルクルスは沈黙した。が、ちらりと、マリアラに視線をよこした。ハイデンは悪い人じゃないんだと、その目が言っているようだった。大丈夫、マリアラを拒絶しているわけじゃないからと。
そうだといい、とマリアラは考えた。
無駄口をたたくほど仲良くなってはいけないと言われた気がして、どうにも淋しかった。
――シグルドは、またな、と言ってくれたのに。
「……シグルドという人を、知っていますか?」
訊ねるとネイロンがぱっとこちらを振り向いた。
「知ってる知ってる! なんで……」
「知っているし、なぜあなたがその名を知っているのかも訊ねたいが」とハイデンが鋭く言った。「今は警戒している。俺もネイロンも、ラルフやグールドのような勘は持ち合わせていない。しゃべりながらでは危険に気づけない」
「……ごめんなさい」
マリアラは小さくなった。ネイロンがとりなしてくれる。
「まあ、念のためだよ。後で聞かせてくれよな」
「申し訳ない」ハイデンの声が、少し優しくなった。「だが先生を奪われたときのような思いは二度とごめんだ。箒に早く戻るように伝えてくれ。どうか理解して欲しい。私は相棒にあなたの無事を約束した。彼は我々を信頼しているはずだ。その信頼を裏切るような真似は絶対にできない」
そう言われると、確かにそのとおりだ。出張医療を経ても暢気で甘い自分に辟易する。フェルドは大丈夫だろうか。ポケットに手を当て十徳ナイフの硬い感触を確かめる。頼もしい硬い感触に、少し安心する。狩人の持つ【銃】の〈毒〉はフェルドには無害なはずだ。風も水も味方してくれるし、ガストンもベネットもラルフも、ウィナロフも一緒にいる。
「日暮れだ」
ネイロンが呟いた。マリアラは、フェルドに渡された光珠をまだ持っていることを唐突に思い出した。
――フェルドは、光がなければ魔法を使えない。
「……あの……ネイロン、さん。わたしの相棒のところに、光珠を、」
届けていただくわけには、いきませんか。
言おうとした言葉は、扉が開く音で遮られた。
開いたのは詰所の正面玄関。今マリアラたちがいる勝手口のちょうど反対側に位置する扉だ。振り返るとそこにいたのはザールだった。ハイデンが足を踏み出しネイロンがマリアラの腕を引いて自分の背後に回らせた。止みかけていた雨がマリアラのむき出しの頭にぽたぽたとしずくを垂らし、マリアラはフードをかぶった。ハイデンとネイロンの隙間からザールと目があった。少し前の記憶が甦る。ミランダに蔑むような苦言をぶつけた人。
とても冷たい人だと思っていた。冷たくて怖くて陰険な人だと。
でもどうしたんだろう。今は冷たく見えない。瞳が濁っているように見えるのは、目の錯覚だろうか。目が合っているのに、焦点が合っていない、気がする。
ハイデンが低く警告した。
「ザール。止まれ」
「……ルクルスが」ザールは冷笑した。「呪われ者が。人間の住まいに我が物顔で上がり込んで一体何をしている?」
マリアラは息を飲み、ネイロンが睨む。ハイデンは平然としていた。
「止まれ」
「お前の指図は受けない。ここは保護局員の出張所だ。表に出ろ。穢れるだろうが」
「なん――」
「黙っていてくれ」
言いかけたマリアラに少しだけ視線を投げてハイデンが言う。声は相変わらず落ち着いている。ザールはゆっくりと、すり足で、出張所の中に入って来る。腕が身体の後ろに回っているのは、何か隠し持っているのだろうか。
ハイデンが右手を挙げた。
「止まれ、と言っている」
「マリアラ=ラクエル・マヌエル」ザールが言った。「……呪われ者の治療をするとは一体何のつもりだ。お前は事態の深刻さを全くわかっていない。何も知らない出来損ないが、人の治療だけは一人前とは迷惑な。あのまま放っておけば六人も間引けたのだぞ!」
間引けた。
あまりのことに、目の前が一瞬真っ白になった。




