南大島:【壁】付近(4)
ラルフは考えた。フェルドが今風を使わないのは、ベネットとラルフが近くにいるからだ。ベネットは動けない。だったら――
こん棒を構えて、殴り掛かった。グールドは避けて後ろに下がり、ベネットから離れた。ラルフは考えた。後は自分が離れればいい。
けれどそう簡単にいきそうになかった。グールドはラルフよりはるかに強かった。ラルフが初めて出会った、ラルフを止められる人間だった。もしこいつが自分の中の何かに負けていなくて、常識的で理性的で、ラルフを育てている大人たちの中にいてくれたら、どんなに心強いだろうとラルフは思う。木屑が跳んで、すぱっ、とばかりにこん棒が切れた。襟首に向かって飛んで来た手は辛うじて躱した。だが袖をつかまれた。腕が抜けないように握り締められて、もう少しで動きを封じられそうになる。ラルフはつかまれた袖を拠点に、逆にグールドの左手に飛びついた。グールドの腕を避け体によじ登って肩の上でくるりと体を返して背後に回った、そのまま腕をねじりたかったが、寸前で袖が放された。どすんと地面に尻餅をつく。ひゅう、とグールドが口笛を吹き、ラルフは後ろに転がってさらに逃げた。
けれど遅かった。日没が既に来ていた。夕日の最後の残滓が夜をかすかに染めている。月はどちらも見えない。かすかな光の中で、グールドが【銃】を構えて嗤う。
と、フェルドが持っていた何かを投げた。
ぱっ、と辺りに光が満ちた。とたんに風が沸き起こり無防備だったグールドは吹き飛ばされた。【壁】にぶつかる寸前で横に転がって避けたが、風は容赦なくグールドを追い立てて行く。【壁】に触ったらどこか別の場所にすっ飛ばされるはずだ。フェルドはそれを狙っているに違いない。グールドが光の範囲から出そうになり、ラルフは光珠を拾い上げて後を追った。フェルドも走ってくる。もう少しだ、と思った時、グールドが顔を歪めて、叫んだ。
「相棒、放っておいていいのか! 本当に安全だと思ってんのか!」
はったりだ、とラルフは思う。フェルドの操る風も攻撃をやめなかった。でも。
「さすが噂の前代未聞、大した魔力の強さだ! なあエルカテルミナ――」
なんだそれ。
「出張医療の帰りの鉄道で、僕はあの子が乗ってる車両まで把握してた! 不思議だと思わなかったか? なんで彼女の居場所がばれたんだろうって」
風が一瞬止まった。グールドはその隙に体勢を立て直し、【銃】を肩に乗せて笑った。
ひどく凄惨な微笑みだった。
「あの子の居場所、お前も知ってたろ? コインだかなんだかで、鉄道に乗って帰ってくるってわかったんだってな。それを知ってたのは、だーれだ? ――そーそー」
くすくすと、グールドは嗤った。
「エスメラルダの【魔女ビル】の中に、あの子を殺したくてたまらない人間がいるってことなんだよ、エルカテルミナ」
出し抜けにグールドが撃った。ラルフはフェルドの体が後ろに弾かれるように倒れるのを見た。光珠を取り落として駆け寄ると、どうやら額を撃たれたらしい。意識がない。撃たれた魔女は、とラルフは考えた。撃たれた魔女は、どうなるんだっけ。
――死ぬんだ、っけ?
頭上で悲鳴が上がった。箒に乗っていたあの姉ちゃんが落下した。がさがさと盛大に梢が揺れて音が止まった。枝に引っ掛かったようだ。
グールドが笑った。心底楽しそうな笑い声だった。笑いながらグールドは光珠を拾い上げ、ぽい、と【壁】に向かって投げた。辺りに闇が落ち、その闇の中に楽しげな声が響く。
「あー楽しかった。ヴェルテス、今日のところはあんたの顔を立てておきましょう。ここであいつらを招き入れるのはやめておきます。でも気の毒だけど、ここを乗り切ったって一時的にしのげるだけですよ? 近々たまご狩りが始まるでしょう。校長が僕達をいれてくれる。雪山とか西の諸島とか、沖島とか、入り口はたくさんあるんですから。
今から僕は左巻きを狩りに行きますよ。そいつまだ死んでないだろうから、目ぇ覚まさせて目の前で相棒を殺してやろうかな。あの子の強運もここで終わり。殺したらその運が僕に移ってくれるかもね。ねえ――いくらあんたでも、それを止めちゃまずい。わかってますよね?」
ラルフは体を起こした。そんなこと、絶対させない。
その時、光が降って来た。
リンのいる木の梢から弧を描いて光珠が投げられた。光が辺りを包み込むや否や、フェルドの腕がラルフを抱え込んだ。ぶわっ、と風が巻き起こった。グールドは驚愕を顔に張り付かせたまま吹き飛ばされた。森の奥の方へ――と、フェルドが毒づいた。
「くそっ、ミスった!」
急に解放されて、ラルフは叫んだ。
「え、なんで!? 【銃】当たらなかったの!? 大丈夫なの!?」
「大丈夫じゃねえっ! まともに当たった! くそ痛えー! くそー! 【壁】の方に飛ばせてりゃ解決だったのにー!」
わめきながら体を起こそうとして、さらに顔を歪めた。
「……っ!」
「い、痛いの!?」
「そりゃ痛いだろ。あの体勢で額を直撃されてすっ飛ばされたんだ。それで元気に飛び起きられたら人間とは認めないよ」
ウィナロフがやって来ていた。フードの中で、倒れたフェルドを見下ろして、彼は言った。
「闇じゃなかったのか。ほんとに前代未聞だな」
「――うっせバカ! お前っ、も少し手伝ってもいいだろ!?」
「あの獣じみた殺人鬼相手に俺にどうしろっていうんだ」
「何しに来たんだお前はー!」
フェルドはどうしても体を起こせないらしい。ラルフは揺するのをやめた。
「マリアラに来てもらう!?」
「その前に! あいつどこいった!? マリアラんとこ行かれたら……!」
ウィナロフは森の奥を見て、ため息をついた。
「方向が違う。鍵も彼女を殺すことも、今は諦めたみたいだな。でも波が少し静まったら舟で逃げるぞ。箒に後を追わせれば?」
「……いっ、言われなくても!」
「アリエ、ノール」
腕の力だけでこちらに這って来ていたガストンが呻きに似た声を上げた。見ると、木から降りたリンが元気よく走ってくるところだった。リンが辿り着くと、ガストンが続けた。
「詰所へ、行け」
リンは反射的にぴっと気をつけをした。その動きを見ると、リンには全くケガがなかったようだ。
「ギュンターがこちらに向かってるはずだ。状況を伝えろ、狩人を本土に上げるな。俺の無線機は壊されてしまった」
「はい、了解しました」
「いいか、詰所からの連絡は〈アスタ〉を通すことになる、そのまま伝えるな。害虫駆除について相談があると言え、それと、」
「ラルフ。――あの子の様子を見て来てくれないか」
ガストンがリンに細かな指示を出している間に、ウィナロフがそう言った。言いながら合羽の内側に手を入れ、銀色のケースを取り出した。中から取り出したものは、小さな金属のようだ。ぽん、と何やら可愛らしい音がして、ウィナロフの手の中で大きくなったそれは、金色の【銃】だった。先ほどグールドが撃ちまくっていたものと、同じ。
「エスメラルダの【魔女ビル】の中にあの子の居場所を狩人に教えた人間がいるって言うなら、マヌエルかもしれない。念のために持ってけ。――悪い。俺は行けない」
狩人だから、とラルフは思った。魔女を守るために動くわけにはいかないからだ。
頷いて【銃】を受け取った。ずしりと重い。頼む、と引っ繰り返ったままフェルドが頼んでくる。ラルフはうなずいた。
「一緒に戻ってくるよ。フェルドもそこの人もベネットって人も、治してくれるよね。ちょっと待ってて」
走りだすと、ガストンから指示を受け終えたリンと一緒になった。雨はとっくに止んでいた。ラルフは走りながらリンに言った。
「光珠、持ってたんだ。すげえタイミングだったね!」
「うん、フィが、フェルドの箒が、フェルドは光がないと風を使えないから光珠を投げてくれって。あの、これ預けていい?」リンはポケットから小さな鍵を出してラルフに渡した。「グールドはあたしが鍵を持ってるって知ってるもの。逃げたふりして奪いにくるかも知れないし。あなたはすばしっこいし強いし偉い子だから」
ラルフは鍵を握り締めた。
言わずにはいられなかった。
「俺ルクルスだよ。それにあいつと、その、……同類、なんだけど」
「何よそれ。あなたとあいつは全然違う!」
「違わない……かも」
「違うでしょ!」ぺちんと、背中をたたかれた。「全っ然違うよ、あいつとは! おっきくなってもあんな人間にだけはならないよ!」
ラルフは笑った。断言してもらえるということは、快いものだった。うなずいて、ポケットに鍵をしまった。
しかし。
森の中を走って行くうちに何か違和感を覚え、ラルフは立ち止まった。さっきと違う、と思った。つい先ほど、ウィナロフとフェルドとリンと一緒にここを通った。なにか大きなものがなくなっている。
――なんだっけ。
リンは行き過ぎかけてラルフの停止に気づいて振り返った。「どした……」言いかけて彼女も何かに気づいたらしく、不安そうに周囲を見回した。
「……あれ?」
なんだっけ、とラルフは思う。なんか、大事なものがなくなってる。なくなっちゃいけないものが。
「……ザールさんがいない」
リンは呻き、ラルフは飛び上がった。そうだ。来る途中に倒れていた、伸びてるだけだとフェルドが言った。ガストンさんてやっぱすげーんだな――
――あの子を殺したくてたまらない人間がいるってことなんだよ。
顔から血の気が引くのを感じた。嫌な予感が胸を締め付けた。弾かれたように走り出す。冗談じゃない!
「……やっべ……!」




