南大島:【壁】付近(2)
「……またお前かあ。いつもいつも、どうしてこうタイミング良く現れんの?」
グールドがからかう声をかける。リンは違和感を覚えた。
どうしてだろう。グールドはフェルドに会えて、とても嬉しそうだ。
フェルドの方は淡々と答えた。
「それはこっちの台詞だよ。鍵、どこにやった?」
鍵と言われて、グールドの目が一瞬、自分の左下を見たようだ。グールドは嗤った。
「お前のじゃないだろ?」
「その鍵はエスメラルダのだ。勝手に使うなよ」
「ふうん? 愛国主義なんだ」
「まー……こんなんでも一応、故郷だからさ」
言いながらもフェルドは歩くのをやめない。どんどんグールドに近づいて行く。リンはぞわぞわと鳥肌が立つのを感じるが、もう、自分だけやっぱり後ろに戻るというわけにもいかなかった。グールドはリンを見て、唇を吊り上げて嗤う。
「ここまで来るんだ? アリエノール。勇気あるよね。早くおいでよ」
リンが、グールドの背後にある茂みの中身に気づいたのはその時だった。
ラルフの小さな体が茂みに潜んでいた。さっきいなくなったと思っていたら、こんなところに隠れていたらしい。フェルドはリンよりだいぶ前から気づいていたのだろう、と思った時にはグールドにリンの視線を読まれていた。
茂みからラルフが躍り出る。寸前に、グールドが背後を振り返った。と、風が沸き起こった。雨まじりの突風がグールドの足元を狂わせ、たたらを踏ませ、転ばせようとした。グールドは大きくよろけた。体をねじるようにして体勢を立て直しフェルドの右隣りを擦り抜けた。飛び退り、少し離れた場所でこちらに向き直る。
フェルドがグールドを振り返る。リンは呻いた。
「ごめ――」
「はい」
右手のひらになにか小さな硬いものが押しつけられた。リンは驚いた。小さな、細長い、先端に突起のついた、金属だ。
「何これ?」
聞きながら悟っていた。――鍵だ。
「はい」
続いてフェルドが大きな細長いものをリンの左手のひらに押し付ける。リンは自分の目の前にある長い棒をじっと見た。そう言えば一瞬前に、ぽん、と可愛い音が聞こえたような。
箒の柄だ。――どうして?
「――くそっ!」
グールドが叫ぶ。合羽の左ポケットを押さえている。あそこに入っていた鍵をフェルドがスった、の、か? と思う間にもグールドが手を伸ばしながら戻って来ようとしていて、リンは鍵をポケットにねじ込んで、箒の柄をつかんだ。
『しっかりつかまれよ』
箒がフェルドによく似た声で言った。グールドの形相を尻目に、リンは箒にしがみついた。体が浮いた。足が地面から離れ、ぐうっと視界が上がった。柄に伏せた頭や体の回りを木々の梢ががさがさと撫でて行く。
すぐに森を抜け、リンは上空にいた。その解放感と言ったら文字どおり天にも昇る気持ちだった。雨なのが残念だ。グールドが下で壮絶な目でリンを見ている。あの圧力から解放されてリンは心底ほっとした。
と、フィが言った。
『あいつちょっとやばいんじゃないの? 目がイッてんじゃん。何あんなのに気に入られてんだよホントに』
「いやその……」
『安全なとこ飛んでてやるよ。フェルドは、なんなら寮にでも帰ってればって、言ってるけど?』
「いやその……そうはいかない……よね……」
急に高揚感がしぼんだ。心臓がぎゅうっと締め付けられた。ベネットが死んでいたらどうしよう。ガストンの容体も気になった。あのふたりをマリアラのところへ連れて行きたい。というか、なぜ自分はあのふたりの治療ができないのだろう。フェルドには箒もない。逃げることもできないのに、リンはフェルドの盾になることもできない。
なのにフィは、安全なとこ飛んでてやるよと言った。グールドが万一にも、リンを食べたりできないように。
ラルフの位置がばれたのも、リンのせいなのに。
ベネットが初めからガストンの加勢に行けなかったのも。
ガストンがこの島にきたことが、ザールやグールドにばれてしまったのも。
――全部、あたしのせいだ。
「あたし……役立たず?」
呻くと、箒が言った。
『違うだろ。今一番役立ってんのは俺』
「え!? 俺!?」
『で、次がリンだろ。俺鍵を握ったまま飛べないからさ、リンの手とポケットが必要だったわけ。で、リンは手とポケットがあるけど飛べないから、俺が必要なわけだ。持ちつ持たれつ。ふたりで空気孔を開けちまう鍵をあいつから守ってる、大活躍じゃないか。リンと俺が無事な限り、あっち側の三人も入って来られない。役立たずどころの話じゃないだろ』
「そ……そーか、な!?」
『そーそー。大丈夫だって。ベネットって人だってきっと死んじゃいないよ。死んでたら引きずって来たりしないで森ん中捨てて来るだろ。な? 狩人追い払ったらマリアラに治してもらえばいいんだ。ここで一緒に見てようぜ』
そう言われると、なんだかそんな気になって来るのが不思議だ。リンはポケットに手をいれて、鍵を落としていないのを確かめた。
「これ、どうやって手にいれたの!?」
『あー、なんかー。最近フェルド、退屈してたんだよずっと。ほら、検査とか言われて軟禁されてたんだけど、データ取られるだけで、本人はすげー暇だったんだって。だからそっち系の本いっぱい読んで、練習してたんだってさ』
「練習? なんの?」
『スリの』
「……バカな!」
何をやってるんだ、あの人は。
箒はあっさりしたものだった。
『他にもなんか、詐欺師の手口とか、盗みの手口とか、簡単な鍵の開け方とか、賭場の利用方法とか、ヴィヴィに図書館で借りてきてもらって毎日黙々勤勉に』
「いやでも、スリとか本読んでできるもんなの!?」
『できたじゃん。なんか視線の動かし方とか、相手の注意のそらし方とか、カムフラージュのやり方とかを研究したらしいんだ。あと実践もしてた、研究者の白衣相手に。最近は結構成功するようになってきて、もう非難囂々』
「だろうね……」
「いや、ちゃんと理由はあるんだよ。〈アスタ〉が辟易するように仕向けてたんだよ、これ以上検査っつって軟禁を続けたらろくでもない知識ばかり仕入れるから、早いとこ検査を切り上げさせようって思わせたかったんだって。それが功を奏して、明日の午後から待機時間が始まるんだぜ。すごいだろ』
「……すごいな……」
マヌエルが詐欺師や泥棒やすりの技術を身につけるなんて、外聞が悪いことこの上ない。リンは思わず笑ってしまった。検査で軟禁されるのが嫌なあまりにろくでもない技術を仕入れ、それが思いがけず役に立ってしまうなんて、転んでもただでは起きないというかなんというか。
と、ばしゅっ、と音が鳴った。リンのすぐそばをかすめていった。おっとお、と箒が言った。
『やばいやばい。狩人の使う毒って、精密機器にも良くないんだってさ。まともに当たると機能停止するかもしれないから、ちょっと下がるよ』
「お……お願いします」
箒はするすると空を滑って後退し、グールドの姿が見えなくなった。
フィと一緒におとなしくしていることが鍵を守るためには重要なのだと分かっていても、どうにももどかしい気持ちが残った。




