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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の奮闘
313/782

南大島:【壁】付近

 土砂降りの雨の中、周囲は暗く、聴覚も巧く働かせられなかった。それでもリンは必死で記憶をたぐり寄せて、フェルドとウィナロフとラルフを、先日ベネットとの見回りの最中に物音を聞いた場所まで連れて行った。記憶に誤りがなかったことはすぐに証明された。行く途中で、ザールが気を失って倒れているところに出くわしたからだ。


 だばだばと雨を横顔に浴びながら、ザールは目を覚ます様子もない。死んでいるのかと思ったが、口元に手を伸ばしたフェルドがすぐに言った。


「のびてるだけだ。ガストンさんって、やっぱすげーんだな……」


 少し不思議な言い方だった。半年前、ガストンは確かにリンを助けてくれた内のひとりだったが、彼自身がグールドと大立ち回りをしたわけではなかったからだ。フェルドはリン以上に、ガストンの“すごい”噂に詳しいのだろうか。


「ガストンさんって、……すごい人なの?」

「そりゃすごいだろ! 有名人じゃないか。本だって何冊か出てるくらいだ」

「えー!?」

「てか保護局員目指すなら知ってろよ……」


 全くだ。


「だっ、だって、本なんて書きそうもない人だよ!?」

「自分で書いたんじゃないよ。題材にされてるだけ」


 フェルドと話す内にもウィナロフは無言でさっさと先に歩いて行く。ラルフも何か思い詰めた様子で先程からひと言も話さない。フェルドも後を追い、リンは小走りでついていきながら、雨音に紛れさせて言った。


「あの、ウィナロフって人だけどさ」

「んー?」

「どこから入り込むのかわからないって、ベネットさんが言ってたの。不思議だけど、あの人だけは出入り自由ってことみたい。あのね思ったんだけど、半年前にグールドが【壁】を通り抜けたのも、あの人から“何か”を盗んできたからだ、みたいなことを言っていたの。彼は今回、その方法でモーガン先生を逃がそうとしてたんだし、あの」


 リンは口ごもり、フェルドを見上げた。


「……信じて、大丈夫だよね?」


 フェルドは首を傾げた。


「今回の件に関しては……そう言うことなら、信じても大丈夫だろ」

「そう言うことって?」

「あいつだけは出入り自由らしいってのはこないだからわかってたよ。雪山で会ったのに、その半月後にアナカルディアにいて、今またここにいるんだからさ。あいつは自由に出入りできる、誰かを外に出すこともできる、けど、今まで他の狩人がエスメラルダん中入ったことなかった。グールドはあいつからそれを“盗んだ”って言ったんだよな」

「うん、そう言ってた。使ったのがバレたら、きっとすごく怒るって」

「それなら――あいつは狩人だけど、他の狩人にその方法を自分から教えたことも、渡したこともなかったってことになる」

「そー、だ、ね」


 考えれば考えるほど不思議な話だとリンは思った。

 他の、例えばグールドのように魔女を狩りたがる狩人たちは、ウィナロフに何度も教えてくれと頼んだはずだ。もしくは連れて行ってくれと。けれどウィナロフは今までその頼みを聞いてやったことはなかった。そうでなかったら盗んだりしなかったはずだから。

 ウィナロフの上司に当たる存在も、ウィナロフがその情報を独占していることを許している。あんなに若い――グールドよりもかなり若い、たったひとりの青年を、そこまで尊重するなんて。【風の骨】という役職は、いったいなんなのだろう。


 フェルドもリンの考えと同じことを言った。


「なんで狩人やってんだか知らないけど、魔女を狩りたいからじゃないってことは確かだよな。それなら、たまごなんかもっと狩りたくないんじゃないか」


「……うん。だよ、ね。悪い人じゃ、ない、よね?」


 するとフェルドは、首を振った。


「それは今んとこ何とも言えない」

「……そう、なの?」

「マリアラを匿ってくれた人間に、こんなこと思うのは、それこそ『恥知らず』なことかもしれないけどさ」フェルドは顔をしかめた。苦しそうに。「他の狩人よりもっと得体が知れないよ。ここにくる時、あいつ――」


「おい」


 当のウィナロフが振り返って、手招きをした。ウィナロフのいる茂みの向こうから、赤い光が差しているのが見える。リンとフェルドは身をかがめてウィナロフのそばへ行った。ラルフはどこへ行ったのか、姿が見えなくなっていた。

 ウィナロフは茂みの前で立ち止まり、その奥をうかがっている。会話が途切れると、再び雨音が周囲を包み込む。リンは赤い光の方を覗き込んだ。


 不思議な光景が、そこに広がっていた。


 リンたちの回りは暗く、激しい雨に包まれている。けれど茂みの向こうから、赤い赤い夕日が差し込んできていた。茂みの向こうに少し開けた原っぱがあり、その中央を【壁】が分断していた。向こう側は晴れていた。目に痛いほどの夕焼けが西から斜めに差し込んできていた。【壁】を通ることができるのは光だけだ。空気さえ通れないから、向こうの景色は見えるのに、天候が全く違うという事態が起こる。


 【壁】の向こう。夕日の赤い光の中に三人の男が座り込んでいる。退屈している様子だ。まるでつまらない映画を見ている観客のような様子だった。あれが、招き入れられるはずだった狩人だろうか。こちら側の雨の中には、ふたりの人間が倒れていた。ひとりは『裏切り者』の保護局員だった。ザールと同じように意識がなく、だばだばと雨に打たれている。

 そしてもうひとりは、腹を押さえてうずくまっていた。血が、流れ出ていた。苦しそうにあえぐ横顔が見えた。


「ガストン、指導官!」


 リンは思わず茂みから飛び出して駆け寄った。【壁】の向こうで座り込んでいる男たちが、リンを見て何か口々に言ったようだが、声が聞こえないので気にしなかった。リンがガストンの肩にすがりつくと、ガストンが言った。


「アリエ、ノール」

「大丈夫ですか!? あのっ、」

「かすり、傷だ。ベネッ、を、」


 フェルドが来てガストンを助け起こしてくれた。その傷が目に入りリンは息を飲んだ。腹の傷はかなり深そうだ。おまけに両足が血で真っ黒になっていた。痛むらしく庇うようにしている。両足を刃物で執拗に切りつけたかのような様子だった。


 ――万一にも逃げられないように、念入りにつぶした、みたいな。


 その状態にもかかわらず、ガストンはフェルドを見た。


「……フェルディナント。なぜ、君が、ここに」

「あ、あの。勝手にごめんなさい、あたし、心配で……」

「手を貸して、くれるか?」


 ガストンが訊ね、フェルドが頷く。ガストンはほっとした顔をした。


「ありがたい……」

「鍵は?」


 訊ねたのはウィナロフだ。【壁】の向こうであの三人が何やら言葉を交わしているのにリンは気づいた。フードの中のウィナロフの正体に気づいたのかもしれない。


「ベネットが、持っている。【炎の闇】が、追って、る」


 ウィナロフは舌打ちをした。そしてリンとフェルドに言った。


「【壁】に空気孔を開ける装置がそこにある。ガストンは多分スイッチを切って鍵を抜いた。グールドが回収して戻って来たら、ここからあの三人が入り込む」

「捜しに――」


 フェルドが言いかけ、


「いや。――来た」


 ウィナロフが言い、一層深くフードをかぶり直した。ガストンがリンに囁く。


「アリエ、ノール。お前には、銃は、効かない。少々痛い、が。マヌエルは、撃たれたら、動けない。いいか?」

「わかりました」


 銃を使われたら盾になれということだ。リンは呼吸を整えた。

 フェルドがポケットを探っている。何を捜しているんだろうと、リンはドキドキしながら考えた。ややして、フェルドは目当てのものを見つけたらしく、ほっとしたように手のひらに握り込んだ。


 そして……少しして、グールドがやってきた。ベネットをずるずると引きずって来ていて、茂みを抜けてくるや、ぽい、とばかりにそこにほうり出した。ベネットはやはり血をたくさん流していて、雨に打たれてその血がにじんで、周囲の草に薄い色をつけていく。

 ベネットは動かなかった。死んでいるのか、気絶しているだけなのか、ここからはわからなかった。


「ベネットさん……っ!」

「やあ、アリエノール」グールドはやけに楽しそうに言った。「脱出したんだねえ? おめでとう。でもそれなら逃げればいいのに、そんなに僕と遊びたい?」


 あまりに凄惨な雰囲気に、リンは後退りしたい衝動を辛うじてこらえた。震えないように、声を励ました。こんな奴に負けるわけにはいかないのだ。


「んなわけないでしょっ!? たまご狩りなんかされちゃ困るの!」

「かーわいーい、なあ」グールドはまがう事なき舌なめずりをした。「早く食べたいよ。どんな声で泣くんだろうね、アリエノール」


 リンは早くも後ずさった。


「ひい……」

「何気に入られてんだよ」


 フェルドが呆れたように言う。そしてすたすたと無造作にグールドの方へ歩いて行った。リンはギョッとしたが、盾になれと言われた手前、やはりついていくことにした。ガストンとベネットがこうなってしまった以上、フェルドまで撃たれたら万事休すだ。

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