南大島:警備隊第一詰所(7)
勝手口のウィナロフを振り返った。ウィナロフは、壁にもたれるようにして立っていたが、顔はこちらに向けていた。聞いているらしい。リンはウィナロフにも聞こえるような声で、始めた。
「ガストン指導官はね、エスメラルダの裏切り者の調査をしてるんだって。あたしもさっき聞いたばかりなんだけどね。その裏切り者は、この、警備隊詰所南大島第一出張所の責任者、ザールという人を始めとした四人。彼らはエスメラルダの中に狩人を誘い込もうとしてるんだって。ガストン指導官は今、それを阻止しようとしてる。ベネットさんもそれを手伝いに行った。でも……」
リンはもう一度、ウィナロフを振り返った。
「ねえ【風の骨】。エスメラルダの中でたまご狩りをするためだそうよ。それ、あなたも噛んでるの?」
「たまご……狩り?」
ウィナロフは目を丸くした。
それから、足早にこちらに向かって歩いてきた。
「それ、確かなのか?」
知らないんだ、とリンは確信した。そしてホッとした。
この人がケティを殺すような人だったら、もう自分の感覚を信じられなくなりそうだった。
「知らないのね。わかった。……ね、フェルド」リンは床の上に正座した。「お願いがあるの。あたし、ガストン指導官が無事かどうか、知りたくてたまらないの。それに……それにね、さっきあたし、グールドに会った」
「来てるんだってな。さっきハイデンさんから聞いたよ」
フェルドが顔をしかめる。リンはこくこくと頷いた。
「そう。そうなの、あのグールドが来てるの、あたし会ったから間違いない。ザールとあともうひとりの保護局員が敵側で、その上グールドもいる。もし万一ガストン指導官が……ベネットさんが……食い止められ、なかったら、エスメラルダの中にグールドともうひとり、以上の、狩人が入ってしまうことになる。この嵐が止んだら、狩人はみんなで本土に行くわ。あたし、たまごの友達がいるの。雪山であなたも会った、ケティって、可愛い可愛い女の子よ。左巻きのレイエルなんだそうよ。あんなに小さくて、でも将来レイエルになって大勢の人を助けるんだって、楽しみに楽しみに頑張ってる子なのよ! 他にもね、たまごの大半は、十二歳以下の子どもなの、あの子たちが……だから」
リンは頭を下げた。
「お願い。お願いします! あたしと一緒にそこに行ってくれない? ガストン指導官とベネットさんはふたりしかいないの、なのに、……グールドが」リンは身を震わせた。「あんな奴が本土に行って、たまご狩りなんか始めたら。一体どうなるか――」
「俺が行くよ」
小さな声が言った。ラルフの声だった。
リンは驚いて、ラルフを見た。ずっと黙っていた少年の声は、少し掠れていた。
「……あなたが……?」
「グールドは俺の仇だ」小さな声でラルフは言った。「俺の家族を六人も、ケガさせた。自分じゃやってなかったとしたって、見過ごしだってだけで同罪だ。マリアラがいなかったら、ハイデンもウェインもネイロンもみんな、死んでた。それはつまり、ルクルスの子供を全部殺すのと、同じことなんだ」
「……そうなの」
「ルクルスの世話役を六人も殺したら、島の子供たちはあの過酷な冬を越せっこない。俺のこともルッツのことも、他の子もみんな、見殺しにするってことだ。それを……その上、あいつが他の子供を大勢、今から本土に殺しに行くって。それがほんとなら、俺は見過ごしたくない。グールドの同類には、なりたくないんだ」
ラルフの声はとても小さいのに、凛とした響きを持っていた。
ゆっくりこちらに歩いてくると、リンの真っ正面に立って、真摯な口調で言った。
「姉ちゃんが俺をまだ信じてないのはわかってる」
「……ラルフ」
「でも俺は、グールドとは違う」
その藍色の瞳に見据えられて、リンはたじろいだ。
保護局員としてどうするのが正解なのか、わからなかった。突っぱねるべきだと理性的な自分が囁く。だってラルフはどう見てもケティと同い年くらいだ。リンの本心は別として、信頼できないという言い訳を使ってでも、ラルフをグールドのいる場所に向かわせるべきではない。そんなことは分かっている。
でもラルフの、貫くような藍色の瞳を前にして、それでもあなたは信頼できないと、そんな言い訳を口にすることはできそうもなかった。もし今この状況でそんなことを言ったならば、ラルフは永遠にリンを許すことはないだろう。まるで純粋な獣のようなラルフを、他の子供のように軽くあしらってしまっていいのだろうか。
リンの逡巡を救うように、マリアラの優しい声がした。
「……フェルド。ラルフと一緒に行ってあげてくれないかな」
静かな、でもとてもきっぱりとした声だった。リンがそちらを見ると、マリアラは目を細めてラルフを見ていた。そうしながら彼女は、リンの腕にそっと左手を添えた。
「わたしはここでモーガン先生の様子を診てる。えっと、物置の中にふたりいるんだっけ? でも縛って、鍵もかけて、あんな風に椅子と机を積み上げてあるんだから大丈夫だよね。だからここにいるよ。わたしのことは心配しないで」
そしてマリアラは、微笑んだ。リンが思わずどきりとするような、何か滲みるような笑顔だった。
「危ないけど。……危険だけど。でも、だから。ラルフと一緒にいてあげて欲しい」
「いらねえよ」ラルフがぶっきらぼうに言った。「何度も言うけど、俺って結構すごいんだぜ。いくらグールドがいたって関係ねえよ、さっきのベネットとか言う人も、ガストンとか言う人もいるんだろ?」
「うん、そうなんだろうけど。あなたを信頼していないというわけじゃないの。あなたの人柄もその腕も。……でも、そうじゃないんだ。わたし、ついこないだ……つい一週間くらい前に、グールドに殺されかけたばかりなんだよ」
マリアラの言葉に、リンはギョッとした。なんだそれ。
半年前に雪山で殺されかけただけでも充分過ぎるほどなのに、その後また再会していただなんて。
ラルフはマリアラの言葉の意味を探るように、じっと彼女を見ている。マリアラは照れくさそうに微笑んだ。
「……だから、あの人の恐ろしさは本当によくわかっているの。わたしが今ここにこうしていられるのは、ウィナロフと、それからフェルドと、ラスやジェイドやディノさんや、大勢の人たちのお陰なんだ。あのね、わたしはアナカルシスに出張に行っていたんだけど、グールドは“エスメラルダ方面から戻って来た”という話だった。だから今回のこの事態は、もしかしたら、本当は一週間前に起こっていたはずのことだったのかも知れない。
だからこれはね、とても運がいいことじゃないかと思うんだ。一週間前に起こっていたはずの悲劇……グールドが本土に行ったら、一体どういうことになっていたのか……想像したくもない。だからフェルド、お願い。わたしのことは心配しなくて大丈夫だから、ガストンさんを助けに行ってあげて」
フェルドが身じろぎをした。リンは何も言わずにフェルドを見た。
自分の発言が、保護局員に相応しくなかったであろうことを、今さら痛感していた。
マリアラがもしここにいなかったなら、フェルドひとりでここに来ていたのだとしたら、フェルドはきっとふたつ返事で快諾してくれたに違いないという気がする。が、ここにはマリアラがいる。つい一週間ほど前にグールドに殺されかけたばかりだという相棒をこんな場所に残して行くことは、相棒を持つ右巻きとしてはあるまじき行為なのだろう。それが、今さらながらによくわかる。
保護局員としての理性と自分の不安との間でさっきリンが揺れ動いたように、
右巻きとしての理性と自分との間で、フェルドが揺れ動いているのが手に取るようにわかる。申し訳ないと思った。フェルドもマリアラも、ただ巻き込まれただけなのに。簡単に、軽率に、これ以上の危険に巻き込むべきではないのに。
「……それならば、私が彼女についていよう」
新たな、低い声がした。
入口の外に、いつの間にか背の高い壮年の男の人が立っていた。ガストンよりも少し年上か、同じくらいの年頃の人だった。厳しい顔立ち。ラルフと同じような着古した衣類を身につけている。「ハイデン」ラルフが呻くように言い、ハイデンと呼ばれた男の人は、ラルフを見て目を細めた。
「ルクルスの世話役としても……グールドという存在を世に解き放ってしまった後悔の念がある。我らの恩人であるマヌエルにその責を、ただいたずらに肩代わりさせるのは心苦しい。ラルフ。お前は俺の名代として、グールドの蛮行を止めにいけ」
ラルフの細い肩が一瞬震えた。「……うん」
ハイデンは微笑んだ。厳つい顔立ちが、驚く程に優しくなった。ハイデンはラルフの父親なのだろうか。慈しむような微笑みだった。
そうしてハイデンは、フェルドを見た。
「どうか力を貸して欲しい。その間、私が彼女についている。少々血が足りない、グールドが相手では足止め役さえできまいが、今他の仲間もこちらに向かっている。保護局員から彼女を守るくらいのことはどうにかやれる。頼む。力を貸してくれないか」
「フェルド、お願い」
マリアラが口を添え、フェルドは呻く。フェルドの最後の逡巡を解き放ったのは、どうやらラルフのようだった。少年の瞳にまっすぐに見られて、フェルドはついに折れた。「あー」言った声は既に笑っていた。
「わかった。それじゃあ、一緒に行くよ」
「ありがとう……!」
リンは安堵のあまり、わななく息を吐いた。ウィナロフを見ると、彼はひどく険しい顔をしていた。リンの視線に気づいて、呻いた。
「なんのために来たんだか……考えてたけど、まさかたまご狩りだとはね。俺も行くよ」彼は立ち上がった。「懸念が現実のものになってきた。【夜の羽】は校長と手を結んだ。その見返りがたまご狩りだ。……冗談じゃない」
「校長と?」とリンは驚き、
「そうなんだろうな」とフェルドが言った。「モーガン先生を捕まえようとしてんのも校長なんだそうだから。あのくそ爺をぎゃふんと言わせる機会を逃さずに済んでありがたいよ……くくく……」
悪役のように笑いながら、フェルドはマリアラを振り返った。
「悪い。すぐ戻るから」
「わたしの方は大丈夫だよ。だって悪い人はみんなそっちにいるんだもの。みんな、気をつけてね」
マリアラが笑って手を振ってくれる。
外に出ると、風はほとんど止んでいた。でも、雨はまだ土砂降りだ。辺りは相変わらず暗い。もうそろそろ日没も近いのではないだろうか。
――闇が右巻きに渦巻いてる……
フェルドの二度目の孵化は、闇だったはずだ、とリンは考えた。
だから、光がないところでも魔法を使えるはずだ。
だから大丈夫だ。なんて心強い味方がいることだろう。それにウィナロフも、ラルフもいる。もしガストンとベネットが排除されてしまっていたとしても、狩人は本土には行けていないはずだ。土砂降りだから舟を出せまいし、海底トンネルを通るには、身分証が必要だ。だから――
ラルフが先頭に立ち、その後をフェルドとウィナロフが走っていく。リンははね回る心臓の上を手のひらで押さえながら、出来る限りの速さで後を追った。




